3.11東日本大地震に伴う全国会の活動報告
岩手県の友の会会員の大和田幹夫さんと菅野義博さん「未入会」を見舞いに、坂本副事務局長とホームページ担当の土橋が、5/3多賀城市をAM6:30出発し、陸前高田にAM11:50に陸前高田到着、大和田さんのお住まいを探しましたが、盛岡市の病院に入院しているとの事でしたので、電話にて本人とお話しして来ました、地震に遭遇した時は丁度、通所リハビリ施設にいた時に起こり。そのまま施設暮らしをしていましたが、施設事態も修理しなくてはならず、帰るべき家も津波で流され、やむなく岩手医大に搬送され、再発はしていなく、心労の疲れから来るストレスと診断され、暫くして現在、盛岡市内の病院に入院し、元気にリハビリに励んでおられるとの事でした。
菅野さんは大船渡の仮設住宅にお住まいなので、今必要な物資(坂本さん、佐藤さん立て替え払い)を届けてまいりました。 震災当日、津波がきたが逃げられづにいたが奥さんが助けに来てくれ一緒に逃げたが、津波の勢いが激しく、頭が隠れる程、水かさが増したが、消防団員に二人とも助けられ、九死に一生を得たとの事で、家は勿論、車3台も流されたとの当時の話を聞かせて頂きました。当時は帰る家も無くパーキンソンの母親を抱え、自由が利かないこの身体で、と絶望の境地にいたが、今は時間もたち「仮設住宅に障害者世帯優先で住まわせて貰いありがたい」と言っていました。
陸前高田と大船渡 3.11の津波災害のごく一部だけを見て来ましたが、水に浸かった所の惨状は目を覆いたくなるような光景で、私達がこんな場所に来て、良いのかと思わず、暫し黙とうをしました。私の住んでいる多賀城市も津波に襲われ、友人知人が多数亡くなったり行方不明もいます、運良く生き延びた私達は、この災害を教訓と捉え後世に伝えて行く義務を強く強く感じています。 また全国多発性硬化症友の会として、震災に対してだけではなく原発災害に対しても患者会の果すべき役割を役員全員で協議する必要が有リますネと、坂本副事務局長と話しながら、PM6:30に帰宅しました。
一段目 海岸線より、数キロ離れた、山合いの村にも川を遡って津波の爪痕が。
二段目 JR竹駒駅は駅舎の外壁のみを残し線路やプラットホームは見当たりません。
しかし、山々には春の芽吹きが訪れていました。
← 大船渡の仮設住宅にお住まいの菅野義博さん(中)と坂本副事務局長(左)と土橋(右)。
↓ 大船渡の市外、ビルの3階まで水が来て、船や車があちこちに散乱してました。
一日も早い、復興を祈りますと同時に、被災者の心に一日も早く安堵感が出て来る日を祈ります。 contentsへ
なお、この記事並びに写真は、皆様に、この津波被災惨状を知って頂きたいので、自由にお使い下さって、結構です。