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飛騨の山里暮らし

四季の移ろいをお届けするブログ
 飛騨の山里便り

 大日ヶ岳(1.709m)は飛騨と奥美濃国境にある山で、両白山地の盟主「白山」から連なる山なみの南端に位置している。
この山は分水嶺を形成し、一方は長良川を経て太平洋へ、もう一方は庄川から日本海へと流れていく。
山名の由来は、奈良時代に白山を開山した僧泰澄が、山頂に大日如来をお祀りしたことによると伝えられ,、古くから霊山として崇められてきた。
登山道は、高鷲町のひるがの高原や白鳥町の桧峠、「高鷲スノーパーク」か「ダイナランド」スキー場を通って行くルートがある。
今回の登山は、時期的にも豪雪地帯の長いアプローチは無理と判断して、、高鷲スノーパークのゴンドラを利用して、山頂を往復することにした。
東海北陸道の「ひるがの高原スマートIC」を下りて、やまびこロード経由でスキー場へは15分程の距離である。
リフトは1日か半日券しか発売していないが、ゴンドラは一人1.500円で乗せてくれる。
山頂へは、ロッジ裏から急斜面に取り付き、尾根伝いに登っていく。
いきなりの急坂と膝まで沈む軟らかい雪で、直登は無理と右方向へ斜めに登っていったら先行者のトレースがあり、しばらくはそれを辿ることにした。
ブナやナラの疎林を抜けると雪も締まってきたので、右に左にコースを自由に取りながら、新雪を踏みしめて高度を上げていった。
前大日のピークを目前にした登りはかなり急で、雪庇も大きく張り出していた。
ジグザグに登る時は、右に寄り過ぎると雪庇を踏み抜く危険があるので、視界の悪い時は気を付けなければならない。
前大日をいったん下って、再び頂上への登りの勾配もかなり急で、雪が締まっていなければ苦戦を強いられるところだ。
クラスト状の急斜面も、スノーシューの爪がよく利いて、無事に大日ヶ岳山頂に立つことが出来た。
広い山頂は、標識の頭が僅かに出ている以外はすべて雪に覆われ、大日如来像も潅木もすべて雪の下で眠っていた。
山麓はスキー場やゴルフ場、別荘地などの観光施設がひしめいて現実に戻されるが、紺碧に冴え渡る空と純白の雪、頬を撫でる玲瓏な風は、ここまで来ないと味わえない。
僧泰澄が開山した1000年の昔と変わらない大自然に抱かれ、眼前に聳える白山をはじめ北アルプスの山々は、神々しくも感動的だった。

大日ヶ岳から四囲の山々を望むと、重畳と連なる山なみの全てが、白山へと向かっているように見えた。
平安時代から白山信仰が盛んになり、加賀・越前・美濃の三方から白山に向かう「禅定道」が開かれ、それぞれに起点となる「馬場」が設けられた。
美濃禅定道(みのぜんじょうどう)の馬場(ばんば)は、今の岐阜県郡上市の長滝白山神社(長滝寺)で、ここから旧石徹白(いとしろ)村の白山中居神社を経て、白山登拝の長い道のりが始まった。
江戸時代には「上り千人、下り千人」と云われるほどの登拝者がこの道を辿ったが、明治政府の神仏分離や廃仏毀釈の嵐 の中で信者が激減し、宿坊や仏像、遺構などが消えていった。
今も石徹白の人たちの手で維持されている白山美濃ルートは、禅定道を忠実に辿り、石徹白谷を詰めて一の峰~三の峰、別山を経て白山頂上へと続い ている。
古の修験者たちは、禅定道より険しい尾根伝いの道を選び、幾つもの峰や峠を越えて行ったと想像される。
東にルートを取れば、大日ヶ岳から天狗山、銚子ケ峰を経て一の峰へ、西へ向かえば野伏ケ岳、願教寺山から一の峰に出て白山へとつながる。

江戸時代に笠が岳を開山した円空や槍ヶ岳の播隆に惹かれて、その足跡を求めて山に登り里を訪ね歩いたことがある。
円空は出生の秘密と天涯孤独の運命を、播隆は妻殺しの罪をそれぞれ背負って厳しい山岳修行を続け、自らを苦しめる事によって飢えや貧困に苦しむ民・百姓を救う事に生涯をかけたと言われている。
それより遥か昔の修験者たちは、何を思い何に駆られて山に入ったのだろう。
いつか大日から白山に至る古道を、彼らに思いを馳せながら歩いてみたいという気持ちに駆られながら、大日ヶ岳の山頂を後にした。
  
  <大日ヶ岳登山>

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NO65 大日ヶ岳登山
 
 2010.2.1 更新

大日ヶ岳山頂