読者の広場
2007.10.25 作成
私が私らしく生きるために    by 木下 広子

幸せってなぁーに

 身体が不自由だってことは不幸なことでしょうか・・・・・?
 もしパーキンソン病になって体が不自由なことが不幸なら私の人生は不幸だったことになりますが、私は不幸ではありません。身体に障害があるのは辛いこともたくさんありますし、できないこともたくさんあります。だからといって不幸だとは思いたくはありません。私は健康な人より、頑張って生きてきました。
 私はパーキンソン病を患っていますが、今でも自分に出来る事はやっていますし、それより命の大切さとか、体が自由に動くことがどれほど幸せかとか、日々の何でもない普通の暮らしの中にたくさんの喜びがあるのを知っています。普通にできる事があることや普通に見えて聞こえて話せることが、どんなに幸せなことなのかも。

1錠3時間のシンデレラ

 私は21歳の時、出産がきっかけで発病しました。今から30年近く昔のことです。今でこそ、やっと冷静に考えることができますが、当時は硬く心を閉ざしていました。心を閉ざすことが余計に体を悪くしていたように思います。パーキンソンの症状である震えも、固縮も、動作緩慢も、姿勢保持障害も出ていたのに、何処の病院へ行っても、お医者さんには何処も悪いところはないと言われました。
 5年後、下の子が1歳半の時、とうとう歩けなくなり、旧国立福知山病院に入院してやっと若年性パーキンソン病であることがわかりました。26歳の時でした。懸命にやっているつもりでも動作が鈍い、また、何処も悪いところがないとお医者さんに言われると、家族にさえも、わざとそうしていると思われてもしかたがなかったのです。
 体調が悪い原因が難病だとわかれれば、それなりに覚悟も出来ましたし、諦めもできました。ただ、何が辛って、私はその1年前に結婚したばかりで新しい家庭を築いて行こうとしていた矢先の発病だったことでした。京都の片田舎、地域にもまだ馴染んでいないのです。「本当は、私はこんな人間じゃない!。本来の私は・・・・」と心の中で叫びながら、いつかはわかって貰えると信じて、この地に根を下ろしました。
 病気がわかった時、上の子が4歳、下の子が1歳半、加えて、アルツハイマー性認知症の義母、足に障害のある義父を抱え、夫には仕事をしてもらわないといけない。
 パーキンソン病は、対処療法に過ぎなくても薬がありました。たとえ難病であっても、薬を飲めば動ける時間が出来ることがわかったのは嬉しいことでした。家族を抱え、落ち込んだりする余裕もありませんでした。幸い、薬は良く効きました。当時はLドーパのみ、ほかに効果的な薬は処方されませんでした。Lドーパ一錠2〜3時間。脳の中で作らなくなったドパミンを薬で補うのですから、なくなれば動けない。グリコのキャラメルは一粒3000メートル。ウルトラマンは3分。私は一錠3時間のシンデレラ。お姫様じゃなくて働くことの出来るシンデレラ。冗談じゃなく、Lドーパは本当に魔法の薬でした。
 薬の効果の有る間は普通の人、消化してしまえば動けない。自分がぜんまい仕掛けのロボットみたいなものだと思いました。

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薬は生活するためのもの

   魔法の薬でも薬には副作用があります。よく効く薬であればあるほど副作用も強いのです。パーキンソン病だと診断した先生が、私が退院する時、夫も呼んで言われた言葉がそれからの私の指針となりました。
 「この病気は治りません。ただ、症状に対処する薬はあります。これから先、いろいろな薬が出てくるはずです。でも、新薬には飛びつかないことです。この薬(Lドーパ)にしてもまだ新しい薬で、どんな副作用が出るのか本当のところは解っていないと思います。どういう薬かわかるのは10年後でしょう。『薬は生活するためのもの』だと思ってください。手足に症状が出ますが、手足の機能が失われたわけではありません。頭からの指令が行かないだけです。リハビリは日常生活で出来ます。例えば、ドアの取っ手を持って回して開ける。今のあなたにはそのことも難しいでしょう。でも、それをすることです。これだけのことを病院のリハビリでやるには、大変な設備がいります。とにかく、家事を一生懸命やることです。動くことが進行を抑えます。」と。
 パーキンソン病という病気は古くて新しい病気で、動きが鈍くなり、前かがみになる病気があること自体は昔から解っていたそうです。ただ、治療法が見つかったのは今から4,50年前です。それ以前は発病10年と言われていました。10年で死ぬ病気だったのです。今は『寿命をまっとうすることが出来る』と言われるようになりました。でもいくら長生きができても、自分のこともできないのであれば、私は長生きしたくありません。
 とはいえ、出来ない事もだんだん増えてきます。あれから約25年経ちました。ほんとうは、家事もできかねています。時間もかかるし、転ぶし、歩き難いし、ひとつひとつのことをすることが難しいです。けれども、できないと言ってしまえば何もできなくなるようで、それが怖いです。出来る事に感謝するようにしています。

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思いがあっての治療

 私たちは、治らないのに薬を飲みます。なぜでしょう?
 一部には進行を遅らせる働きをする薬もあるそうですが、薬を飲むのは、生活(動き)しやすくするためです。パーキンソン病には震え、固縮、動作緩慢、姿勢保持障害などの症状がありますが、それは、医師が病名を付けるのに必要な症状なのです。では、患者がこの四大症状で困るかというと、必ずしもそうとは言えないと思います。この症状からくる「字が書き難い」とか「歩き難い」などが困ることです。
 最近、講演会などで著名な神経内科医は、よく患者に『賢くなれ』と言われます。『自分の病気にもっと関心を持って勉強しなさい』ということかなと思います。薬を飲むことで動くことが出来ますが、この「動く」ひとつを取っても患者ひとり、ひとり感じ方が違います。例え症状が同じ状態であったとしても、「これだけしか動けない」という人もいれば、「こんなに動ける」と思う人もいます。その人の考え方で違ってくるのです。
 オフの時は動けないと思っている人は、オフの時に本当に動けません。オフがあるのは困るから何とかしようとする人は薬の工夫をし、できるだけオフがないようにしようと努力します。オフの時に、動くにはどうするかを考えます。オフの時に動き難いのはみんなあります。それにどう対処するかは、その人の思いで変わるのです。「自分がどういう状態にあるのか」を知った上で、「自分がどうありたいか」で薬を調整するのがパーキンソン病の治療だと思います。

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なぜ薬、薬と言うのか?

 私はよく「薬」「薬」と言うと、周囲の人に言われます。心元気に「心の指針がプラスの方を向いている」ことが大事だと思っています。たくましい心で明るく生きるために、私には薬が必要です。パーキンソンという病気は固まりやすいのです。薬の力を借りることで、体が動くだけでなく心も動きます。思考力も出てきます。
 うちの夫は「オフの時を動け」とよく言います。そのように言う夫に、実は感謝しています。出来ないことを出来ないと嘆くより、まだ出来ることに喜びを感じることが大切です。悲観的にならないことと、自分の今の状態をどう改善するかが大切なのです。
 薬は、そのためのものです。講演会などで、「私は○と◇と▽の薬を飲んでいるのですが、これでいいでしょうか」と聞く人がいますが、これは他人にはあまり参考にならないような気がします。聞かれた方は、無難な一般的なことを答えるしかないからです。
 パーキンソン病は、いろいろなところで研究され完治の方法が模索されています。DBS手術にしても、効果はまだまだ未知数です。それを受けたからといって薬を飲まなくていいとは限りません。電圧と薬の調整で苦労されている方もたくさんおられます。お医者さんは、外来のほんの短い時間の問診だけで薬を出されます。次の人にも、その次の人にも・・・。
 パーキンソン病には、有効な薬があります。効いているのか、効いていないのか、その薬を飲んだ事で困った症状が出たなど、体感できるのは患者本人、または周りで身近に見ているか方なのです。
 患者がそういうことを正しく伝え、お医者さんに解っていただいて、共に考える事が大事だと思います。パーキンソン病の薬は、「患者がよりよい日常生活を送るためにある」と私は思っています。とは言え、病いが進行するのも事実。速い人、遅い人、人によって全然違います。他人と比べるのではなく、自分はどうありたいか? それには対処法があるのか? ということです。あるいは、無いと言われることもあるでしょう。それはそれとして、受け入れなくてはいけないことだと思います。私にもすくみを初め、困った症状はたくさんあります。何とかしたいです。パーキンソン病の治療は、患者の「こうありたい」に対するオーダーメイドだと思います。
 将来完治することは大きな望みですし、治ることを信じています。しかし、今を乗り越えるには、患者自身が「今はまだ治る病気ではない」と自覚することも大事だと思います。そうでないと、処方されている薬がどういうふうに効いているかを主治医に正確に伝えられないからです。お医者さんは忙しいです。薬についても、パーキンソン病そのものについても、詳しくは言ってはいただけない場合もあります。また、パーキンソン病の症状自体、全部は解明出来ていないということもあるのではないでしょうか。大事な事は、ただ完治を夢見るだけでなく、今日を元気に暮らすことだと私は思っています。

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病を隠すということ

 私には、どうして?といまだに答えの出ない心に引っかかった事があります。それは昭和62年、自分が本当にパーキンソン病なのか知りたくて、京都市内の神経難病の専門病院へ検査入院した時のことでした。そこは療養所でもあって、長期入院もできる病院でした。年配で入院されている方は、重症でほとんど寝たきりの方でした。その中に、何人かの40代もしくは50代前半と思われる若い方がいました。症状はそんなに悪いようにも思えません。
 ある日、その中のひとりの方が、娘の結婚式だといって一時的に家に帰っていかれました。その人は、子供の小さい時からずっと入院していると聞きました。また、ある人は四国から来たとかで、何となく、こういう病気の者が家族にいる事を世間に隠すための入院という印象でした。遥か昔のことですが、本当はどうだったのでしょうか・・・。
 パーキンソン病という病気は、震えたり、歩行困難があったり、動作がのろかったり、不自由なことがだんだん増えていきます。外見もそれに応じて、普通からだんだん遠ざかることになります。かっこ悪い状態になりますよね。しかし、だからといって人間としての価値がなくなることにはなりません。
 自分がパーキンソン病であることを隠そうとする方はたくさんいます。私も昔はそう思っていた時期もありました。でも、病気になってしまったからと卑屈になる必要はないはずです。神様のバチがあたったわけでも、悪いことをしてなったわけでもないのです。それでも引け目を感じたり、いじけたりする時もあります。だからこそ、私はパーキンソン病と共に生きている普通の人間として、社会の一員として暮らしたいと思います。

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一家庭人として

 生きているといろんな悲しい事、辛いことがあります。病いがわかった頃、アルツハイマー性認知症の義母は徘徊がひどく、いつも義父に叱られていました。私が世話しないといけないこともたくさんありました。自分の事だけで精一杯なのに、なんで親の世話までせんといかんのと思っていました。いやでいやでたまりませんでした。
 ある日、いつものように叱られているばあちゃんが、私を見ていました。助けを求めているような眼差しでした。「ばあちゃんは、病気でこんな体のちぃとも優しくない嫁なのに、あんなに頼りにしてくれているんだ」とはじめて気が付ました。その時から、私はばあちゃんを愛しく思うようになりました。その時、私の気持ちは変わりました。出来ない事を嘆いていても仕方がないのです。私にもできることがある、そのことをやっていこうと。
 でも、人間です。腹の立つことも怒りたい時もあります。当時、義母は社協の入浴車にお世話になっていました。わたしの愚痴も随分聞いてもらいました。後に介護保険制度ができ、気難しい義父にも、ヘルパーさんたちに家に来てもらうことで随分助けていただきました。おかげでこんな体の私にも、二親を送ることが出来ました。
 子供が小さい頃、夜泣きしても抱いてもやれないわが身を呪いました。眠れない夜を幾晩泣き明かしたことでしょう。子供が成人するまでは生きては居ないと、人生を諦めていた時もありました。たとえ生きていても、寝たきりだろうと悲観したこともあります。
 私は発病してからお金を得るための仕事はしていませんが、家庭人としてはできるだけの事はやってきました。子どもが独立し、親の介護が終わった時、体調を崩しました。張り詰めていたものが一気に切れたように思います。パーキンソン病でありながら綱渡りみたいな状況で仕事をし、リタイヤしたとしてそれが終点ではない事を思い知らされました。        
 もうすでに30年近く、パーキンソンと共に暮らしています。もういいというのが本心です。人は誰かのために働くことが喜びであり、生きる力にもなります。たとえ病気であっても、誰かのために働く事は大事な事だと思います。そのために必要なのは、薬を自分の体に合わせることです。薬は体だけでなく気持ちも明るくします。もちろん、飲みすぎは禁物ですが・・・。

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難あればこそ

 一昨年10月、上の子が結婚しました。式に自分の足で歩いて出席できました。ヘルパーさんに付き添ってもらいました。私の家族への気配りです。家族が私のことを気にせず、娘の晴れの日を祝ってやれるようにとの気配りです。娘はきれいでした。とても可愛かったです。苦しかったこと、辛かったこと全部、花嫁の笑顔で消えました。
 そして今年5月に孫が生まれました。今は、一家は東京に住んでいます。ついこの前、初孫を抱いてきました。東京まで、下の娘に連れて行ってもらいました。
 そして、私には目標が出来ました。今度は一人で、自由に東京に行く事です。自分のやりたいことのために何をしたらいいか? その事をするのがリハビリだと思います。リハビリをすることが目的ではありません。生活するのに困る事をできるようにするのがリハビリです。病院でするだけがリハビリでもありません。私は楽に動けることを目的にリハビリをします。
 悲しいことがあるから、楽しいとことがより楽しいのだと思います。困難なことを抱えて暮すことは、決して不幸なことではないと思います。悲しいこと、辛いことを乗り越えた時、本当に心のそこから幸せだなと思えます。
 ほんの少し角度を変えて見たり考えたりすることで、世界が変わることってあります。諦めず、今日一日を大事に生きることです。しかし、ひとりでは持続することは出来ません。家族に、社会に認めてほしい。「パーキンソン病である私を、どうか認めてください。そして少しだけ支えてください。」と、社会に向かって言って生きていきたいと思っています。たとえパーキンソン病であっても、私はこの日本という国に今を生きる社会の一員なのですから・・・。

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2007.10.25 file作成:raisin

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