5 職場への復帰
「勤務可能」という診断書がでた。
こうなると1日でも早く仕事に復帰したいものだ。
散り散りになった家族もまた一緒に暮らしたい。
まだ20代だった。
どうしても職場に戻りたい、という私の願いが叶えられた。
私が再び仕事が出来るとは予想外のことだったのだろうか?
私が店へ戻ると、働くものの定員オーバーの余剰人員となる。
私は押しの一手で無理やり職場へ入り込んだようなものだ。
それを許した企業に余力がなければ、実現しないことと思う。
職場の人間関係が少しギクシャクした。
病人だから仕事は緩やかに少しとしているわけにはいかなかった。
現在でもパーキンソン病は社会に正しく受け入れられているとは思えません。厄介なことに、この病気の人は一人一人症状が違います。
そのような環境の中で病気と闘いながら私は家族の生活を守らなければなりませんでした。
しかし立場上、病気だからといって一歩退き、控えの役に徹することは出来ませんでした。
今もそうですが私は薬によって生かされています。
人の前に出るのは元気なときだけです。
元気でない(オフ)とき人前には出るに出られず静かに冬眠状態になります。
オフ状態には薬切れの状態と薬が多すぎる状態とがあります。
会社で冬眠する場所はトイレしかありません。
しかし営業の最前線ではトイレにこもるなど当時許されないことでした。
退院後、1年間は静穏に過ごすことが出来ました。
その後、上席者が去ったとき悟ったのです。
『世の中甘くない、会社は私を定員以外の余剰人員として抱える余裕がないのだ』それまでの1年間、黙って様子をみていたのだ。
これからが私が使えるかどうかの試験の本番だ。
余剰人員を抱えるのは企業に重い負担がかかる。会社にそれほど余力があるとは思えない。
「何処までやれるか解らないがやってみよう」
パーキンソン病患者が民間の会社で生き抜くことは非常に難しいことです。
営業の最前線は商品を販売するところです。
私の症状はとても営業に耐えられるものではなかった。
私の扱いには私の上席の皆さんは苦労されます。
企業にとって私のような障害者にどのような仕事をしてもらうか?頭の痛い問題と思います。
私は職場に恵まれていました。
職場へ戻ることを拒否されませんでした。
この文章は第一回目の回復した模様です。
家族のため何が何でも働く必要がありました。
こんな身体でも仕事を続け、収入を得なければなりませんでした。
再び元気で働けるよう入院中も必死です。
職場への復帰できたのは、薬によって身体が元気を取り戻したからです。
このようなことをその後2回繰り返しています。
27年程はなんとか勤めることが出来ました。
しかしこの病気は進行性です。
とうとう退社するしか解決の方法が見つからなくなりました。中途で辞めることは退職金計算などサラリーマンには大変不利なことです。
仕事は普通の人より劣り、厄介者になるかもしれません。
仕事は出来ません。またどこまで企業は受け入れてくれるか千差万別です。
企業には障害者を積極的に受け入れて欲しいのですが、そのために企業の経営に悪い影響を与えてはいけません。
社会全体が障害者を働き手の一員と認識し、障害者が外の社会に積極的に入り込めるようにしたいものです。
それは国民的課題として考える必要があります。
パーキンソン病というハンディをもった私たちには国や地方の公的機関の援助が必要です。
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