共依存 もくじ

1.はじめに

 共依存というと、どんな状態を思いうかべるでしょうか?
たぶん、アルコール依存症のパートナーを世話しつづける妻、のようなイメージだと思います。
 共依存やACという概念は、アルコール依存症の治療場面(アメリカ)で、看護スタッフやワーカーの中から生まれたものす。どちらも診断名ではありません。
 ですから、共依存は「人に必要とされることを必要とする人」というように定義されてきたのです。まったくはずれではないでしょうが、この定義は共依存のある一面(症状)にすぎないと思うのです。ここでは、「ある人間関係に囚われている状態」と定義したいと思います。

*使用上の注意(2005.7.13追記)
 中途半端な知識でDV被害者に「共依存」だというラベルを貼ったり、すべての被害者は共依存なのだという様な思いこみを持つ援助者も中にはいるようです。また、加害者自身がDVの言い訳に使うこともあります。
 共依存という概念は、適切な場合に正しく使えば非常に有効です。しかし、かなりの知識も必要となります。この文章を読んだだけで、ご自分や他の人を「共依存」だと決めつけないで下さい。少なくとも、紹介したような何冊かの本を読んで頂きたいと思います。

*このコーナーは私見と、ピア・メロディ、アン・ウィルソン・シェフの文献基づいて書いています。また、アリスミラーの理論も、私の考え方のベースになっていることを付け加えておきます。

2. 共依存とは?

 共依存とは、子ども時代のトラウマや、育ってきた家庭内の機能不全状況に適応する(過剰適応)ことによって起こります。
 自分が生まれ育った家族の中で、発達や分化のの大切なプロセスを体験できなかったために、大人になってから人間関係がうまく行かなかったり、日常生活に支障をきたしたり、生きにくかったりします。

 自尊感情や自己肯定感がもてない、自他境界がつくれない、適切なセルフケアができないなどの特徴があります。虐待、DVなどの人間関係の問題・さまざまなアディクションは、殆どの場合この共依存をベースに生じています。また、長引くうつ・強迫行動などの心身の不調のベースになることもあります。



3.一次的症状(中核症状)

  • 自己肯定感が持ちにくく、自分を愛することできない。
  • 自他の健全な境界線を設けることが難しく、うまく自分を守れない。
  • 自分の現実を把握するのが下手で、自意識を他者と共有することが難しい。
  • 自分の要求や欲求を上手に人に伝えられない。セルフケアが出来ない。
  • 自分の現実を適切に感じとって表現することが苦手。また、さまざまな状況に適応しにくい。

4.二次的症状(認知のゆがみによるもの)

  • 自分の都合のいいように、他の人に対して「あなたはこうあるべきだ」と言いくるめて支配しようとする。または、そう思い込む。
  • 健全な境界線を設けて自己を守れなかったことを、人のせいにする。
  • 他人を自分にとっての神様のよう思ったり、自分が人の神様のようになろうする。自分と人の関係を上か下かでで量ろうとする。(One Up or One Down)
  • アディクションや心身のの病気が起きやすくなる。
  • ありのままの自分を他者と分かち合えないために、親密な人間関係が困難になる。

5.認知のゆがみとは

 簡単に言うと、考え方の癖のことで、ある状況で自動的に頭に浮かんでくる適切でない考え方のことです。認知療法あるいは心理学的に言う認知のゆがみとは、以下のようなものです。

1,全か無か思考
 ものごとを極端に、「全か無か」「白か黒か」に分けて考えようとする傾向のこと。

2,一般化のしすぎ
 一つか二つかの事実を見て、「全てこうだ」と思いこむ傾向。一度か二度起こったことが、この先も永遠に起こり続けるように思いこむ。

3,選択的抽出(心の色メガネ)
 物事の悪い面ばかりが目につき、他のものは何も見えなくなってしまう。

4,マイナス思考
 良いことが見えなくなり、何でもないことや、良いことまでも悪いように悪いように考えてしまう傾向。

5,レッテル貼り
 「一般化のしすぎ」や「選択的抽出」がより極端になり、ちょっとした失敗体験などをもとにそれが自分の本質であるかのように自らにレッテルを貼ってしまう。

6,独断的推論(心の読みすぎ)
 わずかな相手の言動から、勝手に相手の心を読み過ぎて、事実とは違う結論を下してしまうこと。

7,拡大解釈と過小評価
 自分の持ついろんな資質の中で、悪いところや駄目なところをことさら大きく、重大なことのように思い(拡大解釈)、良いところは小さく見積もってしまう。(過小評価)「自分は悪いところだらけだ」と自己否定的になってしまう。

8,感情的決めつけ
 「自分がこう感じているのだから、現実もそうであるに違いない」と思いこむこと。

9,「すべき/せねばならない」思考
 何をするにおいても「こうすべきだ」「こうあらねばならない」と厳しい基準を作り上げてしまう思考パターン。

10,自己関連づけ
 身の回りで起きる良くない出来事を何でも自分の責任だと思ってしまうこと。

6.共依存からの回復

 共依存から回復するためには、できれば、共依存関係にある相手としばらく離れた方がスムーズに行くと思います(離れなくても、全く無理というわけではありませんが)。また、共依存をベースにした他の症状(共依存とは?を参照)がある場合はそちらの回復をはからなければなりません。それがある程度出来た時点で、共依存について扱っていきます。

◆原因となった、子ども時代のトラウマや、育ってきた家庭内の機能不全状況の影響を、認識し受け入れる。

◆その時の感情を、安全な場所と方法で表現する。今の自分がどう感じているか、子どもの時はどう感じていたか。(自助ミーティングやカウンセリングを受けると良いでしょう)

◆今も持っている、適切ではない考え方の癖(認知のゆがみ)を探り出し、あらためていく。


回復の5段階(引用:「恋愛依存症の心理分析」ピア・メロディ 大和書房)

*幼児期の問題とは、子どもの頃を振り返った、今の自分の考え
*大人の症状とは、現在抱えている自分の状態
akira注

1.否認
幼児期の問題・・・私は虐待などされていない。
大人の症状・・・・私は共依存などではない。

2.悪者を非難する
幼児期の問題・・・私は虐待されていた。でも、悪いのは両親だ。彼らに改善が見られなければ私もよくならない。
大人の症状・・・・私は共依存だ。でもパートナーに改善がみられるまでは、私が回復することなどあり得ない。私の病気は全部あなた(パートナー)の責任だ。あなたと関係を持たなければ共依存症者になることもなかった。健全な人と一緒にいたら、こんなふうにはならなかったはずだ。

3.責任
幼児期の問題・・・幼児期の体験について保護者の責任をきちんと把握している。幼児期の体験に対する自分の感情も理解している。
大人の症状・・・・自分の共依存は自分に責任がある、その症状を克服することも私の責任だときちんと理解している。

4.サバイバル
幼児期の問題・・・自分の過去への強烈な感情を解き放つうちに、幼児期の虐待に対する感情から解放される気持ちを感じるようになった。
大人の症状・・・・機能不全で自滅的な症状を治療し、自分の人生を取り戻すにつれて、力強さや希望を感じ始めている。

5.統合
この段階は、幼児期の問題も大人の症状も同じです。過去の体験が自分を形成してきたことを今は理解している。虐待がわたしに精神的な道筋を与え、人格や知恵に深みをもたらしてくれたことも理解し、感謝の気持ちを抱いている。


 回復の5段階といっても、まっすぐに進むわけではありません。進んでは戻り、り、また、いくつかの段階が同時に進行することもあります。かなり困難な作業になりますが、あきらめずに続ければ、ゆっくりとではあっても回復していきます。
 回復に終わりはありませんが、人との健全な境界が設けられ、人の問題に巻き込まれることが無くなれば、楽に生きていくことが出来るようになります。

*2005.7.13追記
5.統合で書かれている「虐待がわたしに精神的な道筋を与え、人格や知恵に深みをもたらしてくれたことも理解し、感謝の気持ちを抱いている」という部分は、結果的にそう思えるようになった。というとらえ方で良いと思います。

 私が感じているのは、たとえ虐待された経験であっても私の過去の一部であるのは確かで、いまの私を形作っている大切な構成要素であるということです。自分自身を肯定できるようになって、自然とこういう気持ちになったという感じです。
 まだ適切ではない時期の当事者が無理にそう思おうとすることは、苦痛であるばかりでなく、かえって回復の妨げになる事もあります。また、無理に加害者を許す必要はありませんし、許せないと回復できないというのは誤った思いこみです。

7.おわりにかえて(私の考えるDVと共依存の関係)

 ここまで、共依存について私見で書いてきました。
 お読みいただいている方の中には、共依存とDVを関連づけるのは不適切だと感じる方も多いかと思います。
 私は、加害行為を容認するものではありませんし、たとえ、被害者が共依存症だったとしても、それは加害行為の理由にはなりません。また、被害者のすべてが共依存だと言うわけでもありません。

 現在、DVの援助をされている方の大半はジェンダーの考え方に基づいて援助をされているようですし、被害からやっと抜け出した方にとっても、大変有意義な考え方だと思います。その反面、共依存(というよりメロディの言うところの恋愛依存)という概念を、敵視(大げさな表現?)している様に見える方も多いと感じています。
 女性の側(被害者側)に立った考え方から見れば、共依存はDVの責任を被害者に押しつけるもの、と感じるからなのでしょう。

 ここまで、お読み頂いた方は、DV被害者よりDV加害者に共依存があてはまるということがお解りいただけたと思います。
 しかし、逃げ出しても何度も戻ってしまう、一部の被害者は「私が居ないとこの人は・・・」「私が変わればこの人は・・・」と考える人も少なくありません。これは、共依存による認知のゆがみとも言えるでしょう。
 DVから救出して、自立するまでで援助が終わるわけではありません。その先、また同じような関係に陥らないため(子どもとの共依存もあるのです)、ほかのアディクションを起こさないためにも、共依存からの回復は欠かせないものとなるでしょう。

 DV問題を考えるとき、ジェンダーの視点だけでなく、AC、共依存、アディクションからの視点、またときには、虐待される(DVを目撃することも)子ども側の視点なども必要だと考えます。それは、被害者を追いつめるのではなく、被害者自身の人生を取り戻す手段になるのです。


*2005.7.13追記
 DV被害と共依存については、その後も様々な議論があるようです。上記の文章を書いてからかなりの時間が経ち、付け加えたいことが出てきました。ここからの文章は、主にDV被害者の方に向けて書きます。

 繰り返しますが、DV被害を受けるのは被害者の共依存のせいでは無いと言うことをはっきりと書いておきたいと思います。DV加害者が暴力(身体的なものだけでなく)をふるうのは、加害者が被害者を支配するために自ら暴力という手段を選んだからです。

 あるパートナーとの間でDV被害に遭い、被害者に共依存だと思えるような症状があるとしても、それ以前に共依存の症状がなかったのならば、その人は共依存ではありません。ただ、恐怖にすくんでいるという状態だと思います。

 では、もし被害者がもともと共依存だった場合、どういった時に障害が出てくるかと言えば、「私が悪いから殴られる」「私がパートナーを変えられる」とか「私がいなければ、この人はだめになる」というような考えに囚われて、離れられなくなっている時です。

 なぜそう思うのか、私の経験に基づいて書いてみます。
 私は共依存症者ですが、DV被害にあったから共依存になった訳ではありません。
 このページの前半部分にあるように、共依存は幼少期の親との関係によって形作られます。
 最初に暴力をふるわれた時に「私が悪いから・・・」と思い込んでしまったのは、既に子どもの頃から持っていた「私の悪いところをこの人は治そうとしてくれている」「私のことを思っているから」という信念のためです。
 つまり、パートナーの暴力という問題を、自分の事と分けて考えられなかったのです。

 もし、私が共依存でなければ(あるいは、その時点で自分の共依存に気づいていたなら)早い時期に相手からの支配を感じることが出来たでしょうし、間違っても「暴力による支配」を愛情と混同するようなことは無かったと思うのです。また、本当に殺されそうになるまで逃げなかった(上記のような考えに囚われ、5年間も留まっていました)というような、愚かなまねをしなくても済んだと思います。

 私が自分の事を共依存だと認めたのは、ほんの数年前です。もし、DV被害を受けていた当時(15年以上前のことで、今のパートナーではありません)だれかに「あなたは共依存だ」とだけ言われていたら、ひょっとすると「DVは私のせい」だと思い込んでしまったかも知れません。しかし、共依存という言葉の本当の意味をきちんと知り、加害者との境界線を引くことが出来ていたなら、逃げるのはもっと容易だったと思います。

 共依存とDVを絡めて書くことで誤解を生じる危険はありますが、一部の私と同じようなDV被害者の方が、共依存の問題を(自分を責めることなく)考えるヒントになればと思います。

参照:「恋愛依存症の心理分析」ピア・メロディ 大和書房
「嗜癖する人間関係」アン・ウィルソン・シェフ 誠信書房

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