梓屯 「能面への誘い」  (無断コピー・転載を禁じます)


能面のこと伝言

能面は能楽師の顔である
私たちは面のことを「メン」とはいわず「オモテ」といふ。

人が見るのではない
面が見るのである


               金剛 巌  ー能と能面ー   「創元社」 昭和26年             
 
  果てあるべからず

 「孫次郎」、どうしてこんなにまで美しいものがあるのか
 「小面」「増女」も
 これらはすべて日本の女性のうつくしさであり、日本の美しさである
 世阿弥の
 「命に終りあり、能には果てあるべからず」の言葉には
 永遠のゆくてを見通すだけの力がある


               入江相政  −古能面傑作五十撰ー 「毎日新聞社」 昭和59年               

 能面は生きている

 能面は文字通り、能役者の汗とあぶらと血と心を吸い取って生きてきたのだ
 すぐれた能面は演者をねじ伏せようとし
 演者は能面を使いこなそうとする


                       増田正造  −能の華ー  「朝日新聞社」 昭和63年                

面打ちは踏みつけられた雑草の中に
 凛として咲く一輪の花たれ


橋岡泰次郎 −無心が打たせた百の面ー父の言葉 「日本経済新聞」

 面の位どり

 「能は能面の選択からはじまる」
 能の世界では、セオリーのように伝え守られてきたものであり「面の位どり」と
 して能の演者にとって重要な部分を占めています
 演者は、まず一曲の演技を確かなものとして把握し、使う面を選ぶのです
 静かに面に対峙する時、己が心を面に注ぎ
 面の心を己がものとするともいえます
 面を生かすのも演者、面に生かされるのも演者
 不即不離、一つのものになり切らねばなりません。それが能であるのです


                          中村保雄  −能の面ー  「河原書店」 昭和44年        
能が本質的にも幽玄の能としての完成を見るには
世阿弥からさらに、
六百年もの歳月が流れているのです
中天にきらめく星の様に、
はじめに幽玄なる能面があった。
その能面に導かれ、はぐくまれて、
ついに、幽玄なる能が誕生した
能面が幽玄なる神秘性を発揮するのは
ひとえに、精巧な彩色法によるものです
能面の彩色は、
胡粉を膠で固めて、何十回も丹念に塗り重ねて仕上げます
若い女面「小面」の彩色をみても
夢のように匂う、ほのぼのとした白さは、この世ならぬ妖しさがあり
見る物をして幽玄の境に誘わずにはおきません。
能面彩色の絶妙さは「小面」の白に限りません
尉面、鬼畜面、怨霊面にも、
それぞれにふさわしい色彩がほどこされ
能面独特の効果をあげています


金春信高 −「国文学」6月号ー  昭和53年

面打ちは心である

面打ちにプロもアマもない。
みんな最初は私をふくめてアマから出発するのです
要は面を打つという真剣さこそ大切
何も考えずに無我の境で打つ、そこに名面が生まれる
面打ちは心である


          北沢如意  −能面工藝ー  昭和42年           

 「面打ち」というのは面を作る者のことである

 能面の作者だけはこうして面作りと呼ばれず面打ちと言われていた
 面を打つというのは、もともと太刀などの刀を作ることと同じ意味である
 先ず普通のかねを次第に打ち鍛えてつくるもので
 禅宗に打成一片という言葉があるがまさにこのことを言うのである
 ーだから打というのは作ることである
 昔から下地をこしらえることを打といい、出来上がったものを作というようになった
 鼓や面もこういう理由で
 こしらえる時を打といい、仕上がったものを作というから
 面の作家のことを面作りといわずに面打ちというようになったのであろうー
 とあり作家を面打ちといい、銘には作の字が使われている理由がこれである


                     金子良雲  ー能狂言面ー  「至文堂」 昭和50年    
 
 模作のこと
 
 感じを忠実に写した作品は、形に於いて多少の相違はあるが
 本面の持つ本質的なものを把握している
 これに反して形を写したものの作品はその形こそ本面に良く似てはいても
 感じの全く相違したものが多くその表情は石の如く堅く少しの表情もない

 
                           入江美法  −能面検討ー  「春秋社」 昭和18年                          
 模写  

 この模写にも復元模写と剥落模写の二つの模写があります
 その一は、創成時の姿に遡って
 後世、自然に附着した古色や破損等の不純物を切り捨て模写する方法で
 その二は、それらの部分まで微細にわたって模す方法で、
 これは偽作的傾向に陥りやすく過度に及べば面打ちとしての邪道ともいえます
 表面の模倣にばかり専念して内容を没却したものが大部分を占めているのです
 この模作期の作家には古び薬と称し様々な物を材料とし作り
 その資料と用法は堅く秘して伝えることを嫌った
 左程に古色を模すことだけに汲々として
 自己を抹殺し、肝心の骨子を等閑にして、甚だ無駄な努力のために
 自己の存在を犠牲にしてしまったのです
 
 古色

  と言いましても私は古色を全然排斥する者ではありません
 模写するには必ず附帯して行わねばならぬ手法で必要なことです
 色彩上の必要範囲で作品に調子を附けるという意図によること
 舞台上の効用を念頭に置くべきことで
 能役者が舞台に現れたと際、面そのものが飛び出して見えてはならず
 役者の顔にしっくりと着き、その面の人物になりきってしまわねばなりません
 例えば役者の肌と面との境界線を露骨にしない為に施される暈しの手法で
 肌と面との調和を図っているのでとくに女面等は珠に顕著であります
 その他の中心部に対しても適当に調子を附けねば
 塗りっぱなしだけでは生々しく感じ、珠に女面の場合は白過ぎて装束等との
 均衡がが取れないのですか、らこれまた調和上の色彩と見るべきで
 決して古く見せかける目的にばかり用いられたわけではないのです

 無理に附けた古びは年代を経るに従いその黒さを増すものであり
 古作もまた新面時代があったことを念頭に置くべきでありましょう 

                   野村万蔵  −狂言面礼讃ー  「芳賀書店」 昭和56年    

 能面の古色について

 能面に古色をつけるのは単に古く見せるという事ではありません
 能面の古色は能の幽玄につながるものです
 古色のための古色ではつまりません
 幽玄にするには気品も入ります。優美でもなければいけません
 仕事のうえの悟りでしょうか、芸のうえの終極の意があると思います


                 鈴木慶雲  −続・能の面ー 「わんや書店」 昭和45年      
 
 型とは何であろうか
 
 能面には一定の型が定まっていて、
 その型から少しでも離れると能の世界では使用してくれない
 角坊は桃山期の人だが能面を真似ることは天下一といわれた
 見本と比べて寸分違わないものを作ったという
 そういう模倣面を作ることが流行し、その作者を名人とした近世には
 新しい面は生まれるべくもなかった
 
 能面の造形の妙は、
 型の規範性のがんじがらめの絶対固守から生まれたのではなく
 拘束のゆるやかな「らしさ」という考えの中から生まれたのではなかろうか
 女らしさ、老人らしさの「らしさ」である

 
             後藤 淑  −能面・その世界の内と外ー 「実業之日本社」 昭和52年   
 
 型でとらえることに習熟すると
 
 型でとらえ得なかったものに対する愛情を忘れがちになる
 型でとらえるときに型からのおちこぼれを愛惜することは
 型を目的とせず、型を過去性でとらえさせる
 そのことによって型を死んだ凝固したものとせず生きたものとする
 
 本当の「らしさ」は過去の型ではない。未来に向かって描くものである
 したがって、型をまもるとは、過去の形成期にともなう苦痛を自覚し
 それを今において未来にふりむけることである


              戸井田道三 −能面・その世界の内と外ー 「実業之日本社」 昭和52年     
 
 能面を鑑賞する最もよく見るには
 
 両手の指尖で能面の耳孔のところを持ってその手を水平よりやや高く伸ばし
 我々の目と能面の目が向き合うようにして
 クモラシめに保ち静かに動かしながらさまざまな
 角度を興えるならば
 舞台の上で見られる位相の変化は発見することができる
 
 能面は舞台の上で役者の顔にかけられ初めて生きてくるというところに
 表現の秘密がある
 
 能面を無限大に生かす力とは能役者の気魄であり精神である。

 
                 野上豊一郎  −能面論考ー  「小山書店」 昭和19年                                               

 是閑はカタク河内はヤワラカシ
               
 古能の「仮面譜」などにカタキ彩色ヤワラカキ彩色という言葉がよく出てくる
 カタキ彩色とは
 光沢がありニカワ濃くカタキ感じがする
 ヤワラカキ彩色とは
 ニカワ気少なく人肌のごとくヤワラカキ感じがする       
                                                 
 赤鶴の作物は打彩色一点張りのよに見える
 龍右衛門になると赤鶴の素朴さはなく細カクヤワラカキ作り彩色の法を用いている 
 作り彩色の究めが河内で
 照りの出る個所を柚肌刷毛目を用い光線を受けてかまわぬところは研ぎ出しとし
 全体に時代をつけるため洗彩色に仕上げるという風である                       
        
 赤鶴・龍右衛門・氷見らに
  刀法の点では模倣に甘んじた河内には彩色が全てであった
 河内の孫次郎にしては胡粉に朱を交えたのみの素朴な小面とは異なり
 木地全面に紙貼りを施し、朱色勝ちの黄土の絵具を用いその濃艶さを際立たせ
 細き柚肌彩色に洗い出し仕上げ、
 照りを防ぐために額、両頬に刷毛目とやや、荒き梨肌を用い
 古びの法も極めて落ちつきよい
 在来からの作り彩色に河内の独創にかかるあらゆる手法を統合した彩色を
 世にいう河内彩色という

                           金剛 巌  ー能と能面ー   「創元社」 昭和26年
  能面は不思議な芸術である

 それは単なる彫刻ではない。言わば動く彫刻である
 壁に掲げて鑑賞すべきものではない。
 能舞台に於いて演者によって用いられる時、 
 初めてその真価を表すものである
 
 秀れた面は秀れた芸の力によって演者の肉体の一部となり
 生きて血が通うのである
 能面の真の美はかかる時にこそ見られるのであって
 このような面こそ
 我々に能の精神を教えてくれるものである。            

 
                 金剛 巌  ー能と能面ー   「創元社」 昭和26年                                                        

赤鶴が雄々しい夏の太陽とすれば
龍右衛門はおぼろ月に匂ふ春の花であろう
幽玄の本道を形づくる陽の名匠たちに対して
陰の世界を拓いたのは氷見宗忠である

宗忠は能登半島氷見村の漁村で
荒海を前にして一年のなかばを雪に暮らすところで
肉や皮は一切念頭になく
ただ、骨といふものを究めつくした


        金剛 巌  ー能と能面ー   「創元社」 昭和26年    
幽玄の花をかざし気合を踏まえて立つ
動かぬ故に能という
永遠に輝くものよ
動かぬ能の花といのちと

世阿弥は能の理想を幽玄に求めた
幽玄の花は能面によって見事に開花した
 能面の彩色が

 また、一層、幽玄の雰囲気を高めている
 匂うような、ほのぼのとした胡粉の白さは、見るものをして
 夢の世界、幽玄の世界に誘わずにはおかない


                金春信高 −動かぬ故に能というー 講談社 昭和55年             

 能面を打ちはじめて50有余年
 なぜに能面はそれほど魅力があるのでしょう
 なぜに能面は、私をこれほどまでに虜にしてしまったのでしょう

 もうだめだ、と壁につきあたり面を打つことを諦めたことも何度かあります
 打ち上げた面、いざ古面と比較した時の物足りなさに
 面打ちから逃れて、仏像彫刻に転進したこともありました
 それがいつしか、また能面打ちにかえっているのです

 神韻縹渺とした翁面、泣くが如く笑うが如く艶麗の女面
 それらのどれを思い浮かべても心が躍ります

 能面から逃がれて、能面を想う
 能面とはこのように不可思議な魅力があるように思います

                   長澤氏春  −面打ち入門ー  「日賀出版社」 昭和51年          
 
 裏の雑感
 
 能面を見る場合、先ず表を視つめ、そして裏を眺める
 能面の裏を論ずるのは、日本人の美学感による
 隠れたるところの美に対する憧憬からである。
 眼に見えるところの美以上に、眼に見えないところの美を求めるのが
 日本人の美意識である
 
 能面の裏には表の感じが透っている
 傑れた作であればあるほど、表裏は相通じて
 裏に表の感じが神髄の如くただよっている

 
              入江美法  −能面検討ー  「春秋社」 昭和18年            
 
 「老女物」は
 
 能楽師が生涯を賭けその目標として稽古に精進している
 能は動かざることを生命とするが
 百歳にあまる老女の残り少ない生命が
 磐石の岩が微動だにもしないと同一のようにひそかに息ずいている
 
 いつまでも動かぬ老女に魅せられて、
 人は、いつまでもそのままでいて貰いたいと望む
 やがて
 老女は謡い、そして舞う
 人もなく我々もなく無心に舞う

 
                       金春信高 −動かぬ故に能というー 講談社 昭和55年        
 
 いかにして面をかけるか
 
 面の耳穴にやや太い絹紐の根もとが羽織の紐のやうになっている方を内側より
 差し込み端をくぐらせて締める。
 面により紐の色は異なるが、
 翁は白、黒色は赤で、女面はシテ紫、ツレ紺である
 尉の面は古くは白であったが、いつのころからか髪の色とひとしい褐色
 姥も同じく白、いまは褐色
 カシラをつけるときは黒ガシラの下は浅黄、赤・白ガシラの下は白である
 中将・若男・平太など黒垂の時は紫
 かはっているのは猩々の赤
 
 面は表のほうにその大きさだけのアテといふ薄い布団のようなものをあてて
 面袋に納める。
 古いものは毛皮を用いなかには羊の腹子の毛皮を使ったものもある。


                         金剛 巌  ー能と能面ー   「創元社」 昭和26年


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