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第7回(番外編)
徹底した効率化と単純な競争原理をモットーとする競馬に美は存在するか。 |
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美しく乗るということは大事なことだ。 なぜなら、馬は美しい動物だから。 乗り手が馬の美を損なうことがあっては失礼というものだ ミシェル・ロベール(フランス往年の名ジャンプ選手) 〜「乗馬ライフ61号」より抜粋 勝利へ遮二無二向かっていくという姿勢は、 日本人受けするんだろうけど、競馬の美を昇華させるためには、 デッドヒートの中にも、プロらしく、魅せるための もう一工夫があって然るべきなんだ。 (中略) 馬乗りはアーティストでなければならないということを、 忘れてはダメなんだよ 故・野平祐二(騎手・調教師) 〜「名騎手たちの秘密/中央競馬PRセンター刊」より抜粋 |
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プロスポーツの世界の素晴らしい約束・・・それは、「強いこと」と「美しいこと」が
相反しないことである。これは、人間が原始の時代に深く愛した「蛮勇の美」の記憶を
鮮やかに呼び起こす。
馬という世界で一番美しい生き物が主役である馬術の場であればそれはなおさらのこと。 強者であればあるほど、かれらは美しく振る舞わねばならない。 その美しさに観客は敬意を表し、気高さと品格に賛美の歌が贈られる。 その愛すべき情景こそが、多くの人の憧れを惹きつけていくのだ。 さて、競馬がプロスポーツであるならば、ましてや馬が主役であるのなら、 そこに「美しいこと」は存在するのか。そして騎手は、「美の表現者」たりえるのだろうか? 競馬におけるライディングスタイルの潮流はつねにアメリカからやってきた。 それは当初、ひどく短足な一人の少年の奇抜なアイデアから端を発している。 「Toad (トード=ひきがえる)」ことジェームス・F・スローンは、 自分の体格的特徴をフルに活かし、"膝を顎の下に入れ、 体を馬の首に付くくらいかがめ"るスタイルを編み出した。 このスタイルの利点は、"拍車の使用を妨げ、一方では鞭の使用を容易にし、 また騎手の体重をき甲にかけて、馬のバランスを保持し、さらに風の抵抗を著しく減じる" (R・ロングリグ「競馬の世界史」日本中央競馬会弘済会刊より)ことにあった。 その結果、北米の競馬シーンに大旋風を巻き起こしたスローンは、 19世紀末にはイギリスへも渡り、「モンキー式」と名づけられたこのスタイルをさらに 広く普及させた。 スローンの編み出したスタイルは、第一に奇抜であったが、 同時にひどく理に適った効率的なものでもあったに違いない。当時の評価では、 スタイリッシュとは程遠い、奇怪で不様な乗り方だと受け止められたようだが、 いまとなっては古いヨーロッパのスタイル(ハンティングの乗り方とさして変わらないような) のほうがよっぽど違和感を覚えるのだから、時代が変わるというのは恐ろしい。 すぐれた流行というのはつねに定番化するものなのだ。 さて、この「効率的」と「スタイリッシュ」が両立しているのが、 いかにも競馬らしい美のなりたちであり、それがアメリカからやってきたというのも また象徴的な気がする。「効率」という、ある意味美とは相反する目標から生まれた 異端のスタイルは、競馬というごく効率的で単純な競争原理のもとで動く世界でこそ 美として成立するものだ。そして現代競馬が20世紀の産物だとするならば、 効率化と物質主義を追い求めたこの時代そのものが、 ライディングスタイルにも顕れたとはいえまいか。 いわば「機能美」とでもいうべきこのスタイルこそが、競馬の歴史を語り、 またそれとリンクした20世紀という時代をも物語るのではなかろうか。 そこに、本当に「美しさ」があるかどうかは、各自の感性が決めることかもしれない。 が、そこへ「強さ」という絶対的な価値が加わるとき、 我々は本能のどこかでそれが「美しい」と感じているのではないのだろうか。 |
| 【余談】 「アメリカからの潮流」は、現在もなお連綿と続いていて、 ヨーロッパの騎手はつねにアメリカのスタイルを採り入れることで技術の向上を図っている。 それはメディア側も容認している常識のようで、イギリス人が作った名騎手ランキング (於ジョッキーズルーム)なるものを覗いてみても、 上位にはアメリカの騎手を素直に挙げていたりする。 たしかに、ヨーロッパのだだっ広いコースよりも、 アメリカのあの狭くるしい小さなコースで毎日レースをしていれば、 自然と腕はあがるだろうという想像は容易につくが。 |