![]() という覚えにくいタイトルの由来についての能書き。。 * いまから100年ばかり前、アラブやサラブレッドなどという軽種(重労働には向かないスピードタイプ、そのうえ容貌重視。農耕馬がトラックだとすれば軽種馬はスポーツカーといったところ)は、支配階級の持ち物であり、下々の目からみればなんの役にもたたない余興や、名誉を保つために飼われるぜいたく品でした。つまり「アリストクラティックな馬」だったわけです。しかし逆に言えば、そういう階級が居なければ彼らは生まれてこなかったでしょう。そこには功罪が渾然として横たわっているのです。 「比較雑学」でも書いていますが、わたしはこの、アラブやサラブレッドが“アリストクラティック”だった時代に惹かれるのです(今でも確かにステイタスの象徴ではありますが)。支配階級が支配階級であるがゆえに、富も権力も美しいものも、すべてを独占することが許された時代。――そういう時代に文化として形成されていった競馬が、そんなに清廉潔白なものであるはずがないのです。 ここでわたしは、そうした歴史の側面に善悪の判断を押し着せようとするものではありません。ただ事実として競馬が背負っている、功罪ない交ぜの歴史を見つめたいと思うのです。そして、そういう歴史を背負っているからこその魅力を素直に認めたいと考えるのです。どこを見渡しても、画一された価値観ばかりの現代世界には到底通用しないであろう、非実用的で、生産性のない、ひとりよがりなこの芸術品は、そういうものが通用した時代ならではの産物だったのですから。 |