【登場人物】
日本軍
小沢治三郎中将 (第1機動艦隊兼第3艦隊司令長官)
蔵富一馬中佐 (空母「大鳳」航海長)
垂井明少佐 (第1航空戦隊飛行隊長)
小松咲男兵曹長 (空母「大鳳」所属の艦爆搭乗員)
貝塚武男大佐 (空母「瑞鶴」艦長)
アメリカ軍
マーク・ミッチャー中将 (第58機動部隊司令官)
アーレイ・バーク大佐 (第58機動部隊参謀長)
【ストーリー】
| ナレーター | 1943年2月、日本軍のガダルカナル撤退が完了すると、アメリカ側の作戦としては最終段階として日本本土空襲が取り上げられた。その決定的要素としてB-29長距離爆撃機が完成したからである。その機能は5トンの爆弾を積み、かつてない5600キロという長い航続距離を持っていた。日本列島はマリアナ群島サイパン島から2500キロの距離に入る。B-29の航続距離から考えて、日本本土空襲のためにはサイパン島に基地を作る必要があった。これがアメリカ軍のマリアナ攻略の目的である。 かくてアメリカ側はスプルーアンス大将を攻略軍の総指揮官とし、大型空母8を基幹とするミッチャー中将の第58機動部隊、スミス海兵中将の第5水陸両用軍団など艦艇総数775隻、かつてミッドウェーを目指した日本海軍の2倍に及ぶ大部隊を結集し、総力をかけてサイパンを攻略することになった。 これに対して日本側は小沢中将が空母9、戦艦7、重巡11、軽巡3、駆逐艦32など計73隻、母艦機450機の連合艦隊を結集して、敗戦に続く日本海軍の態勢挽回を一挙にはかるべく出撃したのである。かつて日本海海戦の「皇国の興廃、この一戦にあり」の決意の下に、タウイタウイ島からサイパンに向かった。 |
| <第58機動部隊旗艦・レキシントン 甲板> (レキシントンの甲板上では兵士同士がボクシングの試合を行ない、それを多くの者が観戦していた。一方はリーチは長いがパンチ力が弱く、もう一方はパンチ力は強いがリーチは短い者との試合だった。リーチの長い兵士は、相手のパンチが届かない距離から一方的に連打を浴びせ、パンチ力の強い兵士をノックアウトした) | |
| ミッチャー司令官 | やっぱり駄目だな。リーチの短い方がパンチは強いが負けた。 |
| バーク参謀長 | 今のボクシングですか? |
| ミッチャー司令官 | 日本の艦載機は480キロ以上飛べる。しかし我が方の行動半径は320キロ以下だ。リーチの長い日本にアウトボクシングをやられたら、こっちは手も足も出ない。リーチの短い選手は敵の懐に潜り込む。つまりこちらから出かけて行くよりほかはない。 |
| バーク参謀長 | そのことはスプルーアンス提督がお許しになりませんでした。 |
| ミッチャー司令官 | もちろん我が艦隊の使命はサイパン攻略にある。だからサイパン近海を離れることはできない。しかし、このままでは一方的に日本機の攻撃を受けるだけだ。リーチの長い奴にな。むしろ積極的に日本艦隊に立ち向かわなきゃ。あんなに朗らかな連中を殺したくない。恐らく日本の小沢中将はアウトレンジの作戦を考えているに違いない。 |
| <第1機動艦隊兼第3艦隊旗艦・大鳳 作戦室> | |
| 小沢長官 | 敵の兵力はマーシャル上空の偵察写真や捕獲した書類によると我々の倍以上である。これに勝つためには敵の矛先の届かない距離から相手を襲う作戦以外にない。幸いにして我が機動部隊には真珠湾を攻撃したベテラン士官諸君や、彗星、天山などの最新の航空機が配備されている。搭乗員の訓練は些か未熟であるが、それを諸君が誘導して必勝を期してもらいたい。 |
| 将校A | ところで今後敵さんを発見したら、すぐ飛び出すわけですね? |
| 小沢長官 | そうだ。 |
| 垂井飛行隊長 | さあ、いよいよミッドウェーのお返しができますね。 |
| 参謀 | 恐らく海戦は明日からでしょう。これから盛大に会食でもして、長官の「上海の花売娘」でも伺いましょうか。 |
| 将校B | そうそう。 |
| 小沢長官 | 良かろう、歌うぞ。 |
| 一同 | いいですなー。 (話が盛り上がっている途中、通信員から報告が入る) |
| 小沢長官 | なんだ? |
| 通信員 | はい、第3航空戦隊大森司令官から通信が入りました。 |
| 小沢長官 | 読んでくれ。 |
| 通信員 | サイパンの西200浬海上に敵艦隊を発見せり。直ちに攻撃隊発進。 |
| 将校A | なに? |
| 垂井飛行隊長 | ほう、見つけたか。幸先がいいぞ、今話していたばかりなのに。よーし、早速発進準備だ。 |
| 一同 | よしっ! |
| 小沢長官 | 待て! |
| 将校A | 長官? |
| 蔵富航海長 | 絶好の機会です、長官。 |
| 小沢長官 | 今、何時だ? |
| 将校A | 午後4時30分ですが。 |
| 小沢長官 | 今から発進すれば敵の上空では夕刻だ。 |
| 垂井飛行隊長 | はぁ。 |
| 小沢長官 | それから150浬戻って帰還する頃は夜となる。飛行隊長。 |
| 垂井飛行隊長 | はい。 |
| 小沢長官 | 夜間の着艦はできるか? 基地ではその訓練はしておらん。攻撃は良いが、みすみす殺すことはできん。まだ機会はある。誰かが言ったように明日から忙しくなるぞ。炊事長に前祝だと言ってくれ。 |
| 垂井飛行隊長 | はい! (その夜、盛大な会食が開かれた。小沢長官は得意の「上海の花売娘」を歌う) |
| 小沢長官 | あぁーかいぃーらぁんーたぁーん、ほのかにゆぅーれぇーるぅー、よぉーいぃーのしゃんーはぁいぃー…(赤いランタン、ほのかにゆれる、宵の上海…) |
| ナレーター | この部下を思う温情の決断が、やがて大きな運命の転機をもたらそうとは、誰も気づかなかった。 6月19日午前4時22分、小沢艦隊は昨日に引き続き、例のアウトレンジを敢行するため索敵機を発艦させた。 午前6時30分、アメリカ艦隊を発見した。前衛部隊から450キロの地点である。 午前7時30分、前衛栗田部隊の68機を皮切りに、各艦から総勢246機、真珠湾攻撃を上回る大空襲部隊が発進した。 |
| <第1機動艦隊兼第3艦隊旗艦・大鳳 艦橋> | |
| 蔵富航海長 | 長官、珍しいことですね。 |
| 小沢長官 | なにが? |
| 蔵富航海長 | いつもは全機発艦させたあとは、することはしたと言ってドストエフスキーを読まれるのに。 |
| 小沢長官 | 航海長、どうも今日の俺はその気分になれないのだ。 |
| 蔵富航海長 | 昨日の出撃中止のことですか? |
| 小沢長官 | かもしれんな。おっ! |
| 蔵富航海長 | どうしました? |
| 小沢長官 | いや、何でもない。靴の紐が切れただけだ。 |
| ナレーター | この不吉な予感は、すでにこの頃から当たり始めた。 |
| <潜水艦アルバコア> (アルバコアの潜望鏡が大鳳の姿を捉える) | |
| 艦長 | 日本の旗艦、大鳳だ。発射!! (アルバコアから2本の魚雷が発射された) |
| 小松兵曹長 | あっ! (雷跡に気づいた小松兵曹長の操縦する艦爆は、大鳳へ命中するのを阻止するために海面へ急降下して魚雷に体当たりした。1本は破壊に成功したが、残りの1本は大鳳に命中する) |
| <第1機動艦隊兼第3艦隊旗艦・大鳳 艦橋> | |
| 蔵富航海長 | ああっ!(被雷時の衝撃で負傷する) |
| 小沢長官 | 軍医長、軍医長! |
| 蔵富航海長 | 大丈夫です、申し訳ありません。 |
| 小沢長官 | なに、3万4千トンの大鳳だ。魚雷の1本や2本でびくともするものか。今にこのお返しを受けるのも知らないで。 |
| <第58機動部隊旗艦・レキシントン 艦橋> | |
| バーク参謀長 | ミッチャー中将、少し煙草をお控えになっては。 |
| ミッチャー司令官 | いつからわしのワイフになったのかねー。 |
| バーク参謀長 | 頼まれましてね、奥さんに。 |
| ミッチャー司令官 | ハッハッハッ、やれやれ、せっかく海へ逃げてきたのに。 |
| バーク参謀長 | 危ないところでした。日本のグアム島航空隊がこちらに襲撃をかける寸前でした。飛び出されないうちに、我がヘルキャット戦闘機が撃破しました。ほとんど飛べるものはありません。 |
| ミッチャー司令官 | これでグアム島から攻撃はなくなったわけだ。あとは小沢提督の艦隊だけか。 |
| バーク参謀長 | まあ、そういうわけです。 |
| ミッチャー司令官 | うむ、どこにいるかな。いきなり飛んで来られたんじゃノックアウトだ。 |
| 将校 | 遂にキャッチしました。日本機の大編隊が西240キロを飛んでいます。 |
| ミッチャー司令官 | 240キロか。よし、使用可能の全戦闘機発進! |
| 将校 | はい! |
| ナレーター | ミッチャー中将は直ちに使用可能の450機の戦闘機を舞い上がらせた。かくて、ミッドウェー以来の日米艦隊の顔合わせともいうべき、マリアナ沖海戦の火蓋は切って落とされた。 電波指令機を持つヘルキャット機は迷わず日本の攻撃隊を探り当て、丸でハゲタカのように舞い降り日本機を襲った。 辛うじてアメリカ機動部隊上空に達した日本軍機は、目標の至近で爆発する新兵器のマジックヒューズ弾で的確に狙われた。アメリカのパイロットたちが「マリアナの七面鳥撃ち」と言ったのは、この時のことである。 かくて小沢艦隊は、攻撃第1日に193機を失い、潜水艦によって空母大鳳、翔鶴を撃沈された。日本側の戦果としては、撃墜17機、戦艦サウスダコタほか5艦を小破させたにとどまり、小沢中将は旗艦を空母瑞鶴に移し、次の戦闘を再開するまで残された艦船を一旦北西に退避させることにした。 |
| <第58機動部隊旗艦・レキシントン 甲板> (ミッチャー司令官は、次の戦闘に備えて準備中の搭乗員たちを視察した) | |
| ミッチャー司令官 | これは今日休ませた方がいい。 |
| トム搭乗員 | やらせて下さい、射的の七面鳥撃ち。 |
| ミッチャー司令官 | ばかなことを言うんじゃない。昨日はラッキーパンチだ。ミスター小沢は何をやるか分からん男だ。それにトム、おまえにはアリゾナでお母さんが待っている。 |
| トム搭乗員 | 私のことをそんなにまで。 |
| バーク参謀長 | ミッチャー提督は、おまえたちのことをみんなご存知なのだ。 |
| トム搭乗員 | はい! |
| ナレーター | 小沢中将は常に失った自分の部下の最後を手紙の形で弔っていた。奇しくも日米両軍の指揮官の部下を愛し、その命を惜しむ気持ちは同じだった。 |
| <第1機動艦隊兼第3艦隊旗艦・瑞鶴 長官室> | |
| 貝塚艦長 | 入ります。 |
| 小沢長官 | うむ。 |
| 貝塚艦長 | お狭くって申し訳ありません。 |
| 小沢長官 | いや、結構、結構。 |
| 貝塚艦長 | 手紙330通ですね。すみません。 |
| 小沢長官 | 艦長、君のところに浪花節のレコードがあったかね? |
| 貝塚艦長 | はっ、浪花節? |
| 小沢長官 | 虎造があれば、なお良い。 |
| 貝塚艦長 | どうなさるんで? |
| 小沢長官 | こいつはね、虎造が好きでいつも唸ってた。 |
| 貝塚艦長 | 長官… |
| 小沢長官 | なければ良いんだよ。私が唸ってやるよ、ワッハッハッハッ。 |
| ナレーター | 1日を退避休養して再攻撃を期する小沢中将の作戦を見抜くようにアメリカ側は追い撃ちをかけるべく、必死に日本艦隊を追い求めていた。そして、遂にミッチャー中将の第58機動部隊から北西350キロの地点に傷ついた小沢艦隊を捉えた。 |
| <第58機動部隊旗艦・レキシントン 作戦室> | |
| バーク参謀長 | 北西350キロというと、この地点になります。 |
| ミッチャー司令官 | 昨日はラッキーに入ったカウンターパンチだ。ラッキーであろうとも敵はよろめいている、連打だ。よし、行こう参謀長、全機発進だ! |
| バーク参謀長 | 司令官、それはいけません。今から350キロの往復では帰りは夜になります。 |
| ミッチャー司令官 | 分かっている。 |
| バーク参謀長 | それに夜間の着艦訓練を受けたことはありません。 |
| ミッチャー司令官 | しかし、今を逃したらチャンスは失われる。小沢には立ち直りの時間を与えてはいけないのだ。 |
| バーク参謀長 | それでは攻撃した者は帰れません。死にに行くようなものです。 |
| ミッチャー司令官 | いや、それを何とかして帰すのだ。全機帰還させるのだ。戦いとは厳しいものだ。個人の感情を入れることは許されん! 攻撃のため216機全機発進させる! |
| 一同 | はい! |
| ミッチャー司令官 | 待て、全機を発進させたら艦隊は直ちに全速力で北西へ向かう。帰りの距離をできるだけ縮めてやるのだ。 (米攻撃隊は小沢艦隊を目指して出撃した) |
| 将校 | 司令官! |
| ミッチャー司令官 | どうした? 顔色を変えて。 |
| 将校 | 索敵機から訂正がありました。日本艦隊は350キロの地点ではなく、480キロの誤まりです。 |
| ミッチャー司令官 | なに、そんなばかな!? それじゃ往復130キロも余計に飛ばなきゃならん! |
| 将校 | はい。 |
| バーク参謀長 | 攻撃機を呼び戻しましょうか? |
| ミッチャー司令官 | いや、予定通り行かせよう。 |
| <第1機動艦隊兼第3艦隊旗艦・瑞鶴 艦橋> (米攻撃隊は小沢艦隊に突撃、各艦は対空砲火で弾幕を張って応戦、直掩の零戦も迎撃に向かった) | |
| 小沢長官 | 敵さん、なかなかやるじゃないか。 |
| 貝塚艦長 | はっ。 |
| 小沢長官 | しかし無事に戻れるのかな。敵さん、確か夜間の着艦訓練はやってないはずだ。 |
| ナレーター | すでにレーダーでアメリカ攻撃機の接近を知り、小沢長官は75機を上空に上げて待ち構え、戦艦は主砲を水平にして雷撃機を吹き飛ばし、あっという間に20機を撃墜した。だが、勢いに乗ったアメリカパイロットは屈せず、空母飛鷹を撃沈、空母瑞鶴、隼鷹、龍鳳、千代田、その他に直撃弾を浴びせた。敵機が去った後、小沢艦隊に残されたのは35機であった。豊田連合艦隊司令長官は敗北を認め、小沢長官に帰還を命じた。 |
| <第58機動部隊旗艦・レキシントン 艦橋> | |
| バーク参謀長 | 司令官、攻撃機の帰還第一波が近接しつつあります。 |
| ミッチャー司令官 | そうか、帰ってきたか。よし、全艦に灯かりを点けるんだ。帰って来た連中に歓迎の灯を燃やすんだ! |
| バーク参謀長 | そんなことをしたら敵の良い目標になります。 |
| ミッチャー司令官 | 目標、結構。パイロットたちは命懸けでやってきたんだ。こっちも命懸けで迎えてやるんだ。 |
| バーク参謀長 | はぁ? |
| ミッチャー司令官 | ブーゲンビル作戦の時、日本の小沢中将は索敵機1機の帰りを待つためにサーチライトを敵前で点けた奴だよ。私は今、それを見習おう。 (全艦灯火を点け、その灯りを頼りに米攻撃隊は帰還する) |
| ミッチャー司令官 | 着水した機も捜すように。 |
| バーク参謀長 | はい、手配してあります。 |
| ミッチャー司令官 | よーし。 |
| ナレーター | この戦いは、事実上は伝統を誇る日本連合艦隊の最後であり、その後の戦局を決定づけるものであった。しかもこの戦いは日米両軍が対等に戦える最後の機会でもあった。この重要な戦いに双方の指揮官が全く同じ立場に追い込まれ、決断を迫られた。それぞれがその時とった一瞬の決断こそが両軍、いや両国の運命を左右させる大きな違いとなって現れたのである。厳しく決断を迫られる場におけるヒューマニズムの在り方が、事の成否を決定的にすることを物語っているのではないだろうか。 |
第20話はマリアナ諸島に進攻した米軍を撃滅するために日本軍は「あ」号作戦を発動、マリアナ諸島攻略を支援する米機動部隊に決戦を挑むべく生起した史上最大の空母決戦「マリアナ沖海戦」をテーマにしている。
日本海軍は勝算があることを十分確信してこの戦いに臨んだ。それは小沢長官が考案した「アウトレンジ戦法」があったからである。
「アウトレンジ戦法」とは、敵の射程外から攻撃をかける戦法のこと。敵より射程距離の長い砲で、敵の射程距離外から攻撃をかけるのが典型的であるが、それを航空機にも応用した。日本の艦上機は米軍の艦上機より行動半径が長いことを利用して、米軍の行動半径外から発艦させて攻撃をかけることができた。
アウトレンジ戦法を成功させるためには敵より先に発見し、出撃した攻撃機が長い距離を飛行して目標である機動部隊の上空に到達しなければならない。そして迎撃に上がってきた敵戦闘機の追撃をかわし、空母を取り囲んでいる護衛艦艇の対空砲火を突破し、さらに目標の空母の対空砲火を突破して、魚雷・爆弾を命中させることではじめてアウトレンジが成功したといえる。しかし小沢長官が必勝を期したこの戦法も、搭乗員の練度不足と米軍の科学技術、そして作戦計画の漏洩によって大敗北に終わった。
マリアナ沖海戦に参加した日本側機動部隊の艦載機439機中、僅かに35機が残ったに過ぎなかった。この海戦で事実上、機動部隊は壊滅し、二度と再建することはできなかった。
【搭乗員の練度不足】
「あ」号作戦時の母艦搭乗員のうち、ハワイ作戦以来の搭乗員は僅かであり、大半は予科練や飛行学生教程を卒業して間もない者や、水上機から転科してきた者で占められていた。当時の母艦搭乗員全体の平均飛行時間は275時間であり、ハワイ作戦時の平均飛行時間800時間に遠く及ばなかった。特に予科練や飛行学生教程を卒業した者たちの飛行時間は100時間から150時間に過ぎなかった。従って空戦・雷爆撃の技量は未熟であり、さらに洋上航法にも不安があり、加えて満足に空母に発着艦できない搭乗員も多くいた。このような搭乗員に長時間の飛行に耐え、目標の敵空母に到達することは困難であり、また敵空母に魚雷・爆弾を命中させることも困難と思われる。
なぜ、練度不足の搭乗員で「あ」号作戦が実施されたのか。それは次の理由による。
1942年10月、日米の機動部隊がサンタクルーズ島沖で接触、南太平洋海戦が起こった。この海戦で日本側は空母ホーネットを撃沈、エンタープライズを大破する戦果を挙げたが、母艦航空隊は215機中、132機を失った。約60%に及ぶ損失を出し、機動部隊としての機能をほとんど失った。その後、母艦搭乗員の補充と育成、飛行機の補充が行なわれ、ようやく空母からの発着艦ができるような練度に達した1943年4月、ソロモン方面の敵航空戦力撃滅を目的とした「い」号作戦が発動される。
1942年8月に米軍がガダルカナル島に上陸して以来、ラバウル基地の航空隊はソロモン方面の制海・制空権を握るべく激しい戦闘が幾度となく繰り返され、その度に優秀な搭乗員を失っていた。「い」号作戦発動時、大きく戦力を減じていたラバウルの基地航空戦力だけでは作戦遂行が困難であるため、小沢中将の指揮する第3艦隊の母艦機184機を投入して作戦を実施することになった。この作戦で母艦機だけで30機を失ってしまった。
1943年11月には、ブーゲンビル島に上陸した米軍を撃滅するため「ろ」号作戦が発動された。この作戦でも再び小沢中将の第3艦隊の母艦機173機が投入され、121機の母艦機を失った。その後、第2艦隊と第3艦隊で第1機動艦隊を編制し、搭乗員も補充されたが、練習航空隊を出て間もない者ばかりで、練度はないに等しかった。
第1機動艦隊は1944年4月頃よりシンガポールの南方リンガ泊地に移動、ここで猛訓練を行ない搭乗員の練度を上げていった。リンガ泊地を選んだのは周囲を島々に囲まれ、広大であるうえに水深が低いため敵潜水艦に襲撃されることもなく、また産油地であるパレンバン油田に近いため燃料の心配もなかったからである。
1944年5月、「あ」号作戦の決戦海域と定めていたマリアナまで距離が遠いため、ボルネオ島北東のタウイタウイ島に移動することになった。タウイタウイ泊地は狭く、艦隊が泊地内で訓練をすることは不可能であった。そのため外洋に出て訓練を行なう必要があったが、事前に情報を入手していた米軍は付近に潜水艦を遊弋させていた。
空母からの艦載機の発艦は、より多くの浮力を得るために向かい風の方向に艦首を向け、針路を一定に保ちながら航行する必要があった。だが、敵潜水艦が遊弋している海域で、艦載機の発艦のために真っ直ぐに進んでいれば、敵潜の襲撃が容易になる。実際、訓練中に空母千歳が雷撃されている。
敵潜は、哨戒中の4隻の駆逐艦を立て続けに撃沈した。そのため、これ以上の損害が出ることを恐れた艦隊は、タウイタウイ泊地から一歩も外に出ることができなくなってしまい、「あ」号作戦直前の1ヶ月間、ほとんど訓練ができず搭乗員の練度が落ちてしまった。
そして、練度が未熟のまま「あ」号作戦でアウトレンジ戦法を実施し、搭乗員に不慣れな長距離飛行を強いた。この時、指揮官機や僚機を見失ったり、長距離飛行の疲労のために目標に到達できなかった機は2割に達し、さらに空戦技量が未熟なために敵機動部隊上空に到達する前に撃ち落された機もかなりの数に達した。
【米軍の科学技術】
米軍は機動部隊の本隊からレーダーを装備した警戒駆逐艦を進出させて日本の攻撃隊を補足した。このレーダーは攻撃隊の経路や高度を計算し、その結果に基づいて迎撃機を電波誘導して、優位な高度で日本機を待ち受けることができた。日本機の多くは、この迎撃機によって撃ち落されたが、追撃を逃れて機動部隊上空に達した機には、正確かつ激しい対空砲火が浴びせられた。12.7cm両用砲の砲弾には目標が至近に達しただけで爆発するVT信管と呼ばれる近接信管が弾頭に取り付けられていた。
この信管は内蔵された電波を発射し、それが敵機に当たって反射した電波を捉えると信管に反応して爆発し、断片を撒き散らす仕組みになっていた。機動部隊上空に達した日本機は、この砲弾と近接防御火器の40mmと20mmの機銃、そしてレーダーと連動した優秀な射撃指揮装置による統一射撃によって次々と撃ち落された。
幸運にも、この弾幕を突破した僅かな日本機が米軍に与えた損害は、戦艦サウスダコタに命中弾、空母ワスプとバンカーヒル、重巡ミナアポリスに各1発の至近弾、戦艦インディアナに体当たりが1機あるのみであった。
【作戦計画の漏洩】
米軍は「あ」号作戦の全容を事前に把握していた。「あ」号作戦開始の2ヶ月半前の3月30日、米軍はパラオを3日間に渡って空襲した。当時パラオには連合艦隊旗艦「武蔵」以下の主力艦が碇泊中であった。主力艦は急ぎ退避して難を逃れたものの、多数の艦船が湾内や沖合いで沈められた。この時、連合艦隊司令部はパラオの陸上にあったが、その後敵上陸のおそれがあるとの情報が入ったため、司令部はフィリピン・ミンダナオ島のダバオに移動することになった。
翌31日夜、連合艦隊司令長官古賀峯一大将、参謀長福留繁中将ら司令部要員19名が2機の二式飛行艇に分乗してパラオを後にした。当夜、パラオとダバオの間には低気圧があり、激しい暴風雨に見舞われていた。2機の飛行艇は、この暴風雨に巻き込まれ、古賀長官たちを乗せた1番機は遭難した。福留参謀長たちを乗せた2番機はフィリピン西部のセブ島沖に不時着したが、この時、福留参謀長たちはゲリラの捕虜になってしまう。後日、福留参謀長たちは解放されたが、ゲリラに捕まった時に福留参謀長たちが手にしていた機密書類などを積め込んだカバンはアメリカ軍の手に渡ってしまった。
この機密書類には、「あ」号作戦の原案である「Z作戦要領」や、「捷号作戦」の原案である「Z作戦指導腹案」が含まれていた。Z作戦要領には作戦計画の内容、艦隊の行動計画のほかに参加艦艇、参加機数とその性能が記されていた。タウイタウイに潜水艦を配置させて、日本側機動部隊の動きを封じ、搭乗員の飛行訓練を不可能にしたことや、決戦海域に潜水艦を配置させて、大鳳と翔鶴を潜水艦で撃沈できたのもこの機密書類から得た情報からであった。また小沢長官がアウトレンジで攻めてくることも、この書類から得ていた。