一角来訪

 三学期も後半に入った礼園女学院の敷地内に、ユニコーンが現れた。
 どうしてこんな生き物が出現したのかは、誰も判らない。ただ、最初に目撃した生徒が言うには、ユニコーンはかつて旧小等部があった森の中からグラウンドへひょっこり現れたらしい。
 校庭では、好奇心のある生徒たちが何十人も集まってユニコーンを遠巻きにした野次馬の輪を作っていた。あの角は本物なのかとか、何処から来たのかとか、生徒達は口々にざわめいていた。そんな騒ぎなど関係ないといった風に、わたしはクラスメートの鮮花と並んで渡り廊下を歩いていた。
 いや、無関係だと思っているのは鮮花だけだろう。わたしはむしろ、ユニコーンとは関わり合いになりたくないと思っていた。
 ユニコーンが乙女にしかなつかないという伝説は、わたしも聞いた事があった。わたしは、他の生徒たちの目の前でユニコーンにそっぽを向かれる姿を見られたくなかったのだ。
 遠くの野次馬の群れが、にわかに騒がしくなった。少しだけ群集に注意をはらっていたわたしが振り返ると、白い影が生徒達の頭上を飛び越えていたのが目に入った。その白い影は、言うまでも無くユニコーンだ。
「え?」
 そのユニコーンは闇雲に駆け出して、途中でこっちに向かって軌道を変えて来た。
「きゃあっ!」
 ぶつかりこそしなかったが、無理な姿勢でユニコーンをよけようとしたわたしは尻餅をついてしまった。
 わたしの目の前を通り過ぎようとしたユニコーンは、飛び出したときと同じ位に突然足を止めた。それからゆっくりとわたしの方を振り向くと、ユニコーンとわたしの目が合った。
 皆の目の前でユニコーンに嫌われる所を見られたくなかったわたしは、怖くなって目をそらした。
 下を向いているわたしの耳に、固い足音が響き渡った。わたしが顔を上げると、ユニコーンが二三歩あゆみ寄って来ていた。
「ど、どうしてこっちに来るのよ?」
 わたしに近づいて来たユニコーンは、じっとわたしの顔を覗き込んだ。そして、角を突きつけるかのようにわたしに顔を寄せて来ると、そのまま頬ずりし出した。
「何よ、何なのよ?」
 頭の中が事態を理解する事すら出来ず、わたしは呆然としていた。
「まさか藤乃、懐かれているの?」
 さっきまでわたしの隣にいた鮮花の声が、どこかから聞こえていた。
「ナツカレテイル? 懐かれているっ!?」
 鮮花の言葉を反芻したわたしは、やっと意味が判った。
 今、わたしの顔に舌を這わせている白い生物は、わたしに好意を持っているというのだ。

一角来訪 in woods.

 何故ユニコーンが学院にいるのか判らないが、わたしになついているみたいだというので、わたしがユニコーンの世話をさせられる事になった。世話といっても、ユニコーンは何も食べないし排泄もしなかったので傍に付き添うしかやる事はなかったけど。
 保健所なり動物園なりに連れて行けばよさそうなものなのだが、院長であるマザーリーズバイフェがユニコーンなんて外に出したら無用な大騒ぎになるからというので暫くの間は学院内に置いておく事が決まったのだ。
 落葉樹が緑を取り返そうとしている土曜日の午後、わたしはユニコーンと一緒に林の中にあるマラソン用の歩道を歩いていた。
 すれ違う女生徒達は、ここ数日でもう慣れたようで軽くユニコーンに挨拶をして行った。中には、角が本物か掴んで確かめる無謀な人もいたりする。
 そういえば、ユニコーンの角には何故かびっしりと文字が刻んである。わたしは読めなかったけど、外国語に明るいシスターが『転生、かっこ悪い』と訳してくれた。何の意味があるのだろう?
 たまに、ユニコーンを避ける人もいた。特に一年D組の生徒達。わたしも、始めてユニコーンと目を合わせた時は怖かったから、その理由やその気持ちも判る。だから、一度ユニコーンを避けた人をわたしは出来るだけ覚えて、その人が目に入ったらユニコーンを遠ざけるように誘導させていた。
 もっとも、ユニコーンの方から避けていたのは鮮花だけだった。ユニコーンは鮮花を怖がっていたのだ。あれは、自分になつかせようとしてムキになり、逆にドツボにはまっている典型的なパターンだ。
「あれ?」
 気まぐれなユニコーンが、道から外れて茂みの中に入っていった。慌ててわたしも後を追い駆ける。
 この方角は、確か旧小等部があった場所だ。校舎は勿論、そこへ続く道も今は無かった。茂みを抜けたわたしが見たのは、校舎の跡地で寝そべっているユニコーンだった。
 わたしがかがんで視線の高さをユニコーンに合わせると、ユニコーンはふいに前足を片方上げた。
「やっと、二人きりになれましたね。いつも馬の周りが野次馬だらけじゃ、洒落にもなりませんよ」
「え? ええっ!?」
 今、確かに話し掛けた。ユニコーンが。
「あなた、話せたの?」
 わたしの質問に、ユニコーンは首を縦に振った。ユニコーンはやっぱり、人間の言葉を理解していたのだ。
「正確には、声を出して喋っているわけじゃないんですけどね」
 その言葉と同時に、金髪の女の子がユニコーンの中から立ち上がった。その出現の仕方といい、指のない両手といい、明らかに彼女は人間ではなかった。
「どうやら、わたしが見えるようですね。貴女なら見えるんじゃないかと思ってました」
「え? 何者なの?」
 わたしの問いかけに、少女はセイレーですと呑気に答えた。状況からいって、ユニコーンの精霊なのは確かだろう。
「ですからわたしは、ユニコーンの人格であってその精霊でもあるんです」
「それで、あなたがただのユニコーンじゃないのは判ったけど、どうしてこの学院に現れたの?」
「それはですね、この土地が極めて特殊だからです。異界と言ってもいいかもしれません。そうでなければ、聖獣の姿になんてなりませんよ」
「はあ? それって、精霊の姿の方が本当の姿ってこと?」
 わたしが尋ねると、彼女は首を横に振った。
「いえ、本体はあくまでこの聖獣です。この木々の環境と敷地に溜まったマナに触発されて、かつての姿を再現してしまったのです」
 ますます言っている事が判らなくなった。
「手っ取り早く説明するとですね。これが本当の姿なのです」
 指の無い手で地面を削って、精霊は何か絵を描いていた。絵があまり上手でないのか、それとも本当にこういう姿なのかは判らないが、地面には角の生えた灯油缶が横たわっていた。
「そうなんだ。ユニコーンじゃなかったんだ」
 わたしに懐いたのも、それなら納得出来る。納得したというか、安堵したというか。別に憮然とした気分にはならなかった。
「あの、わたしがユニコーンだと都合が悪いんですか?」
「どうしてそう思うの?」
「だって、わたしがユニコーンじゃない方へない方へと話を持って行っているでしょ?」
「あれ、そうなの? ……そうかもしれません」
 わたしは、まだ怖かったのだ。皆の前でユニコーンに嫌われるかもしれないという事が。
「でも、あなたがユニコーンだというなら、どうしてわたしなんかに懐くのですか?」
 いっそ、最初に嫌われていたほうが気が楽になっただろう。鮮花と一緒にユニコーンに嫌われていれば、寂しい気分にだけはならなかっただろうし。
「なぜって言われても、始めて会った時に貴女を放って置けなかったんですから」
 精霊は、何のためらいもなくにこやかに笑って答えた。
「放って置けない? わたしを?」
「ええ、あの時不安そうに怯えていた貴女を見ていて、何も出来ないけどそばにいたいって思ったんです」
 そんなに怯えてるように見えたのだろうか。確かに怖れていたけど。でも、あれは当の貴女を怖れての事なのに。
「だけど、わたしは貴女が思っているような人ではありません。貴女にかまって貰える資格なんてないんです」
「資格? 好きになるのも好かれるのにも、別に免許も教習所もいりませんよ」
 そう言って、精霊は笑った。なんて言うか、わたしには出来ない良い笑顔をしていると思う。
 て、どうしてわたしは精霊に魅入っているのよ。
「どうかしましたか?」
「別に、なんでもないわ」
 わたしは、何かを振り払うかのように頭を左右に振った。なぜか、顔が熱くなっている感じがする。こんな妙な気分は始めてだった。
「あの、これからもわたしは貴女のそばにいていいですか?」
「え?」
 精霊の提案は、唐突だった。
「最初は放って置けなかったから貴女の傍にいたんですけど、何か居心地がいいんです。一緒にいると、暖かいっていうか。マスターといる時には無かった感触なんですよね」
 彼女の言葉に、妙に気になる箇所があった。
「マスターって、誰? 貴女の飼い主なの?」
 わたしの質問に、精霊は困った顔をして慌てふためいた。
「あ、あんなの飼い主なんかじゃありません。ガクガクブルブル」
 何か、よっぽど恐ろしい思い出があるみたいだ。
「あの、そんなに恐い人なんですか?」
 わたしの質問の何が変なのか、彼女は泣き笑いした妙な表情になった。
「どういう人なのかと聞かれれば、、、カレーマニアです」
「はあ?」
 どう反応すればいいのか困る応えが返ってきた。
「それじゃあ、貴女に何をした人なの?」
 質問を変えたら、精霊が再び震えだした。よっぽど怖いのだろうか。
「そんなに、貴女に酷いことをしたの?」
「酷いこともされました。でも、根は悪い人じゃないんですよ。こうして精霊の姿で居られるのも、マスターのおかげですし。それに、聖典使いの荒い人ですけど、負傷したわたしが癒せる場所を捜してここの院長に置いて貰える様に交渉してくれましたし」
 精霊は、右手のひづめを頭に乗せながら首を傾げた。説明しずらいらしいので、わたしはこれ以上聞かない事にした。それに、彼女はマスターが好きだという事も、見当がついていたから。
 院長が始めからユニコーンを知っていたのを教えられて、なんとなく納得したし。
「それで、あの。どうなんでしょう?」
 そういえば、精霊はわたしの傍にいたいと言っていた。
「ええ、わたしで良かったらいいですよ」
「わあ、有難う御座います」
 精霊は、花が咲いたような笑顔を見せた。
 ああ、そうか。自分でも彼女がそばにいる事を認めた理由が判らなかったけど、わたしはあの笑顔がもっと見たかったんだ。
 心の中で精霊の言葉を反芻しながら、わたしもあんな笑顔になれたらいいなと思った。

 精霊に出会ってから、更に一週間が経っていた。
 一応自己紹介もあれからしていたのだけど、セブンという味気ない名前だったので結局なんとはなしに精霊とわたしは呼んでいた。
 学院の中ではわたしはそんなに無名ではなかったらしいが、鮮花をはじめ片手で足りる程度しか人付き合いがなかったので自覚してなかった。今では、ユニコーンの乙女として、小等部までわたしを知らない生徒はいなかった。
 ユニコーンにねだられて、わたしはまた林の中で二人きりでいた。精霊が見えない人には、わたしが空中に向かって話し掛けているようにしか見えないから変に思われるだろう。もしかしたら鮮花あたりなら精霊が見えるかもしれないが、人に近い姿を見られるのも騒ぎが起きかねないのでやはり人気の無い場所の方が良かったのだ。
 草むらで座っているわたしの膝に、ユニコーンが頭を乗せて休んでいた。
「わたしの怪我も、大分癒えてきましたね」
 精霊は、わたしの隣でしゃがんでいた。霊と言うだけあって彼女とは身体が触れ合う事はなく、わたしにもたれるように傾いた彼女の肩は、わたしの二の腕と重なっていた。
 精霊にも体温があるのだろうか。その重なっている部分が、何故かわたしには温かく感じられた。
 この温かさは、わたしの記憶を刺激して何かを思い出させた。そう、去年の夏の雨の日だ。
 あの雨の温もりに包まれた時の思い出が、喚起された。
 初めて人を殺した夜、あの人と戦った夜。あの日の出来事は、温かい雨と先輩との再会だけが良い思い出だった。
「何、難しい顔をしてるんですか?」
「きゃっ」
 わたしの胸を背後から突き抜けて、精霊が顔を覗かせた。
「こんなにいい天気なのにしずんでいるなんて。何か悩みでもあるんですか?」
 そう言う精霊は、陽気な笑顔をしていた。
「そんなに笑える程、アナタは何が楽しいの?」
「何を言っているんですか。笑顔には罪はないんですよ」
 その言葉に、わたしは座ったまま後ずさって精霊に背を向けた。ユニコーンの頭が草の上にかぶさる音が背後でした。
「そんな事、ありません。わたしの笑顔は、とても罪深いものでした」
「はあ、何かありましたか?」
 一体、どう答えればいいのだろう。去年の夏の出来事を知っても、精霊はわたしを好きでいられるのだろうか?
 いや、わたしの中の何かがおかしい。わたしはどうして、精霊に好かれないと嫌なのだろうか。処女でないと知られるからか。いや、既に学院の皆はわたしをユニコーンの乙女だと思っている。そんなんじゃない。
 それなら、どうしてわたしは―――。
「ああ、そうか。そんな簡単な事だったんだ」
「どうしました?」
「判ったんですよ。わたしは、貴女の事が好きなんだって」
 一瞬目を丸くした精霊は、次の瞬間には笑顔に戻った。
「良かった。わたしも貴女が好きですから」
 これからわたしが話す事は、とても心苦しい。だけど、彼女に隠し事をしてはいけない。わたしは、意を決した。
「これから、わたしの話しを聞いて下さい」
「はい? なんですか?」
 去年の夏の出来事を、わたしは精霊に告白した。
「―――わたしは、貴女が思っているような人ではないんですよ」
 そう言って、わたしは話を締めくくった。既に時間は黄昏時だった。最後まで耳を傾けていた精霊は、首を斜め十五度にかしげていたが、急に笑顔に変わった。
「良かった。わたしはやっぱり、貴女を好きになった事を正しかったと思っています」
 精霊の言葉は、全く予想外だった。
「どうして、そんな事が言えるの?」
 朗らかに笑いながら、精霊はわたしに答えた。
「それでも、貴女が優しい人には変わりかりませんから。過去よりも今は、こうしている事が大事なんですよ」
 精霊は、わたしに擦り寄った。彼女の頭と重なった心臓が、温かくて心地よかった。

 わたしが精霊に過去を告白してから、三日経っていた。
「何か、マスターおそいですねえ」
 いい加減傷も癒えたから、そろそろマスターが迎えに来るはずらしい。
「ま、わたしはいつまでもここに居たいですけどね」
 わたしも、精霊とはこれからもずっと一緒に居たかった。
 いつもの林の中で、わたし達はひなたぼっこしていた。
 わたしがユニコーンに膝枕をして、精霊がわたしの肩によりかかっているみたいに一部重なって座っている。それが何時の間にかわたし達の定番の立ち居置になっていた。
 話す事も、毎日同じだった。去年の夏の出来事を、わたしは繰り返し精霊に聞かせていたのだ。しかし、その内容は話す度に事細かいものに変わっていた。
 そして、何度も同じ事を語りかけていたわたしは、その度に自分の身体から重荷が消えて行くような身軽さを感じていた。
 わたしは多分、懺悔をしたかったのだろう。
 聞いてくれるだけでいいわたしの気持ちを知ってか知らずか、精霊はいつでも何も言わずに耳を傾けてくれていた。
「セブーンッ!」
 突然、林の外から精霊を呼ぶ声が聞こえてきた。
「あーあ。どうやら終わりみたいです」
 そうか、とうとうマスターが迎えに来たのか。
「もっと、一緒にいたかったのですが……。どうしますか? 力づで居座るという手もあるにはあるのですが」
 精霊は、物憂げな瞳をしながらわたしの顔を覗き込んだ。それを見ただけで判った。力づくの『力』とは、わたしの能力の事なのだと。
 わたしは、首をゆっくりと横に振った。
「わたしなら、もう大丈夫。今まで有難う、精霊さん」
 何故か精霊は、惚けた顔でわたしを見ていた。
「藤乃さん。貴女って、こんないい笑顔も出来たんですね」
「えっ?」
 意外な言葉にわたしが呆気にとられているうちに、精霊はユニコーンの中へと戻って行った。
 草むらから立ち上がったユニコーンは、わたし背を向けると林の外へとダンスを踊っているような足取りで歩き出した。
 林を出る直前に止まると、ユニコーンは立ち止まって一回だけわたしに振り向いて頭を下げた。
 わたしが軽く手を振って応えると、ユニコーンは再び歩き出してとうとう見えなくなった。

/一角来訪・了

(後書き)
実は私、空の境界と月姫のキャラクターが共演するクロスオーバーは初めてです。
最初にこの話を思い付いたのは、ソードワールドのリプレイでした。これを読んでいて、藤乃や桜にユニコーンが懐いたら面白いかなと思ったのが発端です。
で、この世界でユニコーンといったらななこだろうというわけで、このキャラ配置になりました。
実は、月姫よりも時間設定が前です。シエルは、ロアとは直接関係無い理由で来日しています。
それでは皆さん、感想をいただけると、幸いです。

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