事後祭典 後編

           /7

 僕が左目を失い、式が白純先輩を殺してから、半年の月日が経っていた。
 見える世界が半分になったからといって、僕の生活が変わる事は無かった。
 式の夜に散歩する趣味も相変わらずだし、ナイフだって手放す事はない。
 それからの僕と式の関係でそれまでと違う所があるとしたら、せいぜい僕と並んで歩く時の式の定位置が僕の左側に出来た程度で、後は大きく変わらなかった。
 いや、務めて同じにしようとしていた。だから、それ以上関係を深める事までもが怖かった。
 僕達は、今までの関係を壊したくなかった。

           ◇

 病院のロビーに幹也達が入ると、脇坂の他に秋巳大輔も来ていた。
「兄さん、一体どうし……」
 幹也は、絶句した。二人とも、傷だらけでのびていたのだ。中学生と思われる黒髪の少年が、二人の顔を脱脂綿で拭いていた。
「もうすぐ、起きると思いますから」
 そう言って、少年は幹也に向かって振り向いた。幹也は、少年の顔を見てすぐに判った。
「君がアキラ君だね」
「あ、あなたが黒桐幹也さんですね。橙子さんが、ぼくに似ているって言ってた」
 彬は、鮮花達はまだ気絶しているが手術の必要も無い程度だと幹也に教えた。
 幹也は、どうして大輔がここにいるのか彬に尋ねた。
「脇坂さんが、秋巳刑事を呼んだんです。鮮花さんの身内に、隠し事は出来ないって」
 確かに、脇坂の判断は間違っていない。浅上藤乃がロマンサーと接触した後、幹也も鮮花に真相を言わないわけにはいかなかった。だが、二人の怪我はどうしたことなのか? 幹也は、彬の話しに耳を傾けた。
「秋巳刑事が、よくも鮮花を危ない目に合わせたなって、脇坂さんに食って掛かったんです。でも、脇坂さんは本当の事を言うわけにはいかなくて。それで、二人とも取っ組み合いの喧嘩になってしまって……」
「成る程、確かにこの二人らしい」
 ロビーの隅に有る喫煙スペースに座っていた橙子は、そう言いながらタバコに火を点けた。
「そろそろ、教えてくれてもいいんじゃないか? 脇坂が追っている『死』のWOPを持つロマンサーが、私達と何の関係があるのか」
 橙子の言葉に一瞬うろたえた彬だったが、すぐに気を取り直した。今の彬の表情は、何か覚悟を決めているような顔だった。
「そのロマンサーは、ぼくの兄です」
「一体、どういう事なんだ?」
「は、そういう事か。判らないか、黒桐。脇坂は、『死』のWOPを持つロマンサーを善意で捜しているんだ」
「この続きは、俺が話そう」
 脇坂が、何時の間にか目を覚ましていた。
「元々、『死』のWOPを持つロマンサーは、俺と組んでたんだ。名前は、加賀見健介」
「加賀見? 何処かで聞いたような……」
「そうか、聞き憶えがあるのか。小川マンションの東棟の十階に、あいつの名前があったんだ」
「小川マンション! そこで、所長と繋がっていたのか」
「そうだ。橙子は、東棟のロビーを担当していたな。それに、マンションが突然取り壊された少し前に、橙子が駐車違反の切符を切られただろう? 住民達が忽然と消え失せた理由を、知ってるかもしれないと思ってな」
「知ってるも何も、東棟の住民は全員架空名義だ。実際に住んでいた人間はいない」
「やはり、そうだったか。やっと見付けた加賀見の形跡だったが……」
 脇坂は、更に話しを続けた。
「浅上藤乃の件、ありゃ完全に別口だ。犯人が逮捕されないと警察の仕事は終わらないから、俺達が調査させられたんだ。湊啓太を橙子がかくまったのも、俺の立場から見れば只の偶然に過ぎないしな」
「それなら、どうして今になって彼女に接触したんですか?」
「あれは、完全な宝良の個人プレーだ。宝良っていうのは今の俺が組んでいるロマンサーの名前だ」
 本当は、力を使う時に『凶れ』と一々言っていた藤乃がロマンサーかどうかを確認するだけの仕事だったのに、宝良は境遇の似ている藤乃を放っておけなかったのだ。
「宝良は、彼女の記憶を消した筈だが、どうして知っているんだ?」
「浅上藤乃が、ロマンサーの言葉を憶えていましたよ」
「そうか、それは良かった」
「一体何処が良かったんです。お陰で、鮮花が突っ走ったんですよ」
「ロマンサーの心が、通じ合った証拠だからさ」
 幹也に教えたのは、橙子だった。
「言葉で思った事を実現させるのがロマンサーの力である以上、強い気持ちを抱いた人間には力が通じない事だってあるさ。特に、強い想いを向けた相手が当のロマンサーだった場合はな」
「彬も言っていたよ。倉庫で何があったのか憶えていないけど、加賀見に会ったような気がするって。もっとも、黒桐鮮花の判断が無かったら、加賀見といえども一度に二人の能力を打ち消す事は出来なかっただろうが」
 鮮花の発火能力に対して、ロマンサーのWOPは『凍』という、打ち消し合う関係だったのが幸いしたらしい。
「そういう事だ。秋巳刑事に接近していた最中に浅上の件が起きたのは、完全に偶然だよ」
「大輔兄さんに? 所長でなくて?」
 脇坂は、まだのびている大輔を一回振りかえってから、事情を打ち明けた。
「ロマンサー一人には、最低でも刑事一人をつける必要がある。ところが、ロマンサーの能力を恐れてすぐに辞める刑事が後を絶たなくて、ロマンサーと組ませる刑事が不足している。加賀見が失踪したのも、宝良の居場所を作ってやろうという配慮からだ」
 そう、『死』のWOPを持つロマンサーが失踪したのも、善意からだったのだ。
「貴方は、兄さんにロマンサーのパートナーが務まるか、調べていたんですね」
「ああ、俺は臨時にロマンサーを二人抱えているから、新しいパートナー捜しもさせられていた。この手の事件に慣れている秋巳刑事を、上層部が推薦したんだ」
「犬が殺された事件は、加賀見というロマンサーの仕業ですか?」
「多分、な。子供を助ける為に、とっさに力を使ってしまったのだろう。久しぶりに掴んだ加賀見の足取りを、秋巳刑事と一緒に追跡するつもりだったんだ」
 橙子と秋巳刑事が知り合いだったのも、脇坂にとっては好都合だった。
「酒場で何でも殺せる能力の話をしたのは、あいつが能力者を何処まで理解出来るかを知る為だった。話題についていける人がいなければ切り出せなかった。それに、美女と知り合えたしな」
 そう言うと、脇坂はタバコを取り出して喫煙スペースに移動しようとした。
「俺達の事情は、これで判っただろう」
「いえ、まだ一つだけあります。小川マンションの住民が全員行方不明だと貴方は言っていましたけど、それは違うのでは?」
「え? ああ、そうだったな。一人だけ、死んでいた奴がいたな。おまえが、そいつを知らない筈が無いか」
 脇坂は、幹也の左目を隠している前髪を触った。不躾な行為の筈なのに、不思議と幹也は嫌な気分がしなかった。脇坂の指先の仕草が、柔らかくて気持ち良いからだろうか。
「あの連続殺人事件は、もう終わったんだ。警察はこれ以上捜査しないよ。俺も、加賀見の仕業でないと判ってからは捜査していない」
「そうでしたか。どうやら、全部僕の思い過ごしだったんですね」
 タバコに火をつけた脇坂は、喫煙スペースにいる橙子の隣に座った。
「被害者の筈の彬は、倉庫の出来事を憶えていない。君の弟子の犯罪は立証されないから、安心しろ」
 そう言って、脇坂は橙子の何本目かのタバコにも火をつけた。
「加賀見が都合良くあそこにいた理由には、見当がついている。加賀見が見付かるまで俺達の捜査は続くから、これからもよろしく。それに、加賀見が見つかってからも、な」
 脇坂は、橙子に笑顔を向けた。
「橙子さん、どうやらこれで全部終わりみたいですね」
「まだ、終わっていないっ!」
 聞き憶えのある声が、ロビーに響き渡った。幹也が振り向くと、そこには式が立っていた。
「コクトー、これは一体、どういう事だ?」
 式は、幹也を睨みつけていた。

           ◇

 式が病院に来るとは、思わなかった。
「どうして、君がここに?」
「ここ数日コクトーがオレを訪ねてこないから、気になっていたんだ。アパートに行ったらコクトーがいないし、事務所には橙子もいなかった」
 それで僕の実家に行ったら、大輔兄さんが慌ててやって来て慌てて去って行く姿を見かけたのだ。兄さんの跡を追いて行くのは、式にとって造作も無い事だった。
「オレを呼んでいれば、鮮花がこんなになるまで事態を悪化させたりはしなかった。どうしてオレに内緒にしていたんだ!」
 どうやら式は、今までの会話の殆どを立ち聞きしていたようだ。
 僕に詰め寄る式の前に、脇坂が立ちはだかった。
「事態を悪化させなかったって、どうしてそう言い切れるんだ? お前の力なら、絶対負けないからか?」
 式は、脇坂を睨みつけたまま、黙っていた。これは、勝つとか負けるとかいう問題では無いと式にも判っていた。
「本当に言いたい事だけを言え。仲間外れにされたみたいで、寂しかったとな」
「寂しいだと? オレがか? 莫迦にするな」
 目にも止まらない式のストレートパンチを、脇坂は軽々とよけた。そのまま式の背後に回った脇坂は、式の両手を掴んで持ち上げた。背丈が二十センチも違っては、式はぶら下がるしかない。
「何?」
「高校生とは言え、戸籍の上ではそろそろ少女Aでは済まない歳だろう? 黒桐君の考えが判ってもいいと思うがな」
「判っているさ。だから、頭に来ているんだ」
「彼は、おまえの心配をしていただけだ。それが、いけないのか?」
「ああ、お節介だよ! そんなの、迷惑だ」
 なんだって? 式の言葉に、僕は耳を疑った。
「式、君は本心からそう言っているのか?」
「判っているだろう、コクトー。オレは、人を殺したんだ。ああ、そうだ、人殺しのオレを庇うことなんて無かったんだ」
 脇坂は、ヤレヤレと言って溜息をつくと、両手を離して式をベンチに落とした。
「わっ」
「式っ!」
「近寄るな、コクトー!」
 僕が差し出した手を弾いた式は、脇坂の方を振り向いた。
「おまえは、警察なんだろう!? どうしてオレを逮捕しないんだ!」
「おまえは充分に苦しみ、充分に救われた。人殺しをしたおまえは、とっくに『死』んでいる。おまえを殺した人間に、感謝しろ」
 そうか、脇坂は知っていたんだ。とっくに式は生まれ変わっていたんだって。
「コクトーが、俺を殺したっていうのか? ふざけるなっ。コクトーは、殺人事件の目撃者なだけじゃないか!」
 式、そんな事を言わないでくれ。
「やいコクトー、おまえはオレの一体何なんだ?」
 僕は……。判らない、式に聞かれても、答えられない。
「コクトーは、嫌だっただけなんだ。自分以外に、オレを裁く権利がある人間がいるかもしれないっていうのが。オレを許さないと、警察にも言われるのが」
 式に指摘された時、僕の中で何かが……。何が起こったのか、よく判らない。只、僕は無心に言葉を吐き出していた。
「結局、僕は式にとって織の代わりでしか無かったんだ!」
 それから、僕は何があったのか良く憶えていない。

 気が付くと、僕はベンチに腰掛けていた。頭が、割れるように痛い。
「なんて事をしてくれたんだ」
 聞きなれない声がして見上げると、オレンジ色の髪をしたTシャツ姿の少年が立っていた。少年は、頭と腕に包帯を巻いていた。僕には、彼が誰だか判っていた。
「君が、宝良君だね」
「ああ、あんたが幹也だろう? あんたは何をしたか、判っているのか?」
 宝良に言われて辺りを見回すと、ロビーは嵐が過ぎ去ったみたいな惨状だった。
「何があったか、知りたいか?」
 僕の背後に立っていた脇坂が、耳元で囁いた。
「これは、式がやったんですね。……僕のせいだ」
「ああ、そうだな。おまえはあの時、言葉を間違えた」
 僕の言葉が何を引き起こしたのか、脇坂が教えてくれた。

           ◇

 式は、幹也の言葉を聞くなり立ちあがって、幹也の顔面を掴んだ。
「うああああっ!」
 式の叫び声は、まるで泣いているように脇坂には感じられた。だから、脇坂は式を止めなかった。
「あーーーああぁっ!」
 いつもの式とはまるで違う慟哭と共に、式は幹也を壁に叩きつけた。
 鈍い音を発して、幹也は地面に伏した。
「うー、ううっ」
 荒々しい息を発しながら、式は幹也を倒した自分の右手を睨んでいた。
「もう、いいだろう。その辺で幹也を許してやれ」
 そう言って式に近付いた脇坂は、見てしまった。式の目が、真っ青に変色している事を。
「脇坂っ! 式は、殺るつもりだぞ!」
 橙子の言葉で、脇坂は後ろに跳んだ。寸前まで脇坂がいた場所を、光の線が走った。式のナイフの軌道だった。
 流石の脇坂も、これは死ぬ所だったと悟った。
「不味いな、かすっただけでも殺されるぞ」
 彬の襟を掴んだ脇坂は、ベンチの陰に隠れた。式の能力を知らない脇坂でも、危険な能力というのは経験から判っていた。
 橙子のアドバイスが欲しい所だが、彼女の所まで無事に行く事は無理に思えた。しかし、こうしている間も式はロビーで暴れている。
 どうしようかと脇坂が考えていると、ロビーに新しい声が響いた。
「なんて事するんだよっ!」
 入口にいたのは、宝良だった。マンションに帰ると、涼が入院したと留守電にあったので病院に直行したのだ。
「あんたは、自分を傷つけているだけだ!」
 式を指差している宝良を見て、脇坂は舌打ちをした。宝良の力は、強力な代わりに発動に時間が掛かり、素早い敵には向いていない。
「宝良っ! 逃げろっ!」
 脇坂は、式に向かって突進した。式は、青い瞳で脇坂を睨んだ。
「脇坂さんっ!」
 宝良の髪の毛が、爆発したかのように赤く輝き出した。
「吹っ飛ばないのは『嘘』!」
 指先で宝良が『lie』の文字を刻むと、式に切られそうになった脇坂は吹き飛ばされた。脇坂は、ベンチをいくつも巻き込みながら自動販売機に叩き付けられた。自販機は、缶を撒き散らすと照明が消えてしまった。
 床に倒れた脇坂は、文句を言った。
「おまえ、もっとマシな助け方は出来ないのか? 痛ッ!」
「助かったから、いいじゃん」
 宝良の能力を見て、橙子は口から煙草を落としていた。
「あれは、ロマンサーの最終形態じゃないか。学院に所属していたロマンサーでも、そこまで辿りついた奴はいなかったぞ」
 それに、判断もいい。もし式を吹き飛ばしていたら、式は吹き飛ばされながらも医学的に命を奪う場所を狙って、脇坂にナイフを投げていただろう。味方を攻撃するとは思わなかったから、式はナイフを投げそこなったのだ。
 まったく、楽しませてくれる。橙子は低く笑った。
 式は、次の獲物を宝良に定めた。ナイフを振りかざす式を見て、宝良は足もとの缶を空中に蹴り上げた。
「コーラがナイフを溶かさないのは『嘘』!」
『lie』の文字を宝良が刻むと、空中で缶が破裂した。
「うわっ!」
 振りかかるコーラをよけようとした式だったが、飛沫はナイフを追いかけてまとわりついた。式のナイフの刃は、銀色の泥に姿を変えた。
「くっ」
 腰に差した予備のナイフを式は取り出したが、それも肝心の刃が溶けていた。武器を失った式だったが、戦意まで失っていなかった。
 橙子は、宝良の戦い方が気になっていた。
「この能力者、今まで式が殺し合った相手とは違うタイプだな」
 過去の式の戦いは、藤乃にしろ荒耶にしろどれも能力者の力と力が正面からぶつかり合う戦いだった。宝良のようなトリッキーな戦法をとる能力者は、式は初めてだったのだ。
「はじめて見る敵に、式よどう戦う?」
 それは、橙子にとって楽しみな事だった。
 式は、宝良に向かって走り出した。
「空気が透けてるなんて『嘘』!」
『lie』を刻んだ指先から、黒い影が広がった。その影は、部屋全体を包み込んだ。
「その方法では、駄目だっ!」
 暗闇の中で、脇坂の声が響いた。続いて、宝良の悲鳴が聞こえる。式の目を光学的に封じても、魔眼までは封じる事が出来ない。線によって相手の位置が判る分、式の方が有利だったのだ。
 突然、暗闇が晴れると、そこには宝良を右手で締め上げている式の姿があった。
「貴様、左手だけで宝良の能力を殺したのか?」
「そうだよ、刑事さん。こいつの『嘘』は、死に易いな」
 ロマンサーのWOPにも強い弱いがある。宝良の『嘘』という意味はとても曖昧で、式が素手で殺せるほど弱かったのだ。
 式は、そのまま宝良を床に叩き付けた。
「こいつ、出来る」
 式に力負けした宝良は、床に頭を抑えつけられ首を絞められていた。これでは、言葉が出ない。
「宝良っ!」
 彬は、必死で周囲を見回した。
 脇坂は必死で床を這っているが、間に合いそうに無い。幹也も大輔も気絶したままだ。橙子は、戦いに加わるつもりは無いようだ。
 意を決した彬は、式に跳びかかった。
「宝良から離れろっ!」
 自分にしがみ付いた彬を振りほどこうと、式は両手を宝良から離した。
「ゲホ、ゲホ」
 咳き込みながら、宝良は式から逃れた。
「宝良、逃げてっ!」
 式に羽交い締めにされながら、彬はそう叫んだ。
「彬め、能力者を庇うというのか? こんな普通の人間が、他にもいるとはな」
 幹也に似ているのは外見だけでなかったのかと、橙子は微笑した。
「あんたが動けるのは……」
 宝良が全部言い切る前に、式のストレートが宝良の顔面にヒットした。
「宝良ぁ!」
 式に抱きかかえられ、彬はロビーから姿を消した。

           ◇

 あらましを知って、僕は驚いた。
「そんな。式がアキラ君を……」
 まさか、そんな事になるなんて。僕は、血の気が失せた。
「おい、橙子。式の行きそうな場所は、判るか? 殺し合いに向いていて、敵も味方も逃げられない空間だ」
「彬を助けるつもりなのか、脇坂?」
「式も助ける。当然だろう」
「当然、と来たか」
 橙子さんは、脇坂にある場所を教えた。そこは、僕も知っている場所だった。

           /8

 あそこなら、誰にも邪魔が入らない。そう考えた式は、気絶させた彬を抱えて夜明け前の湾岸道路を走っていた。
 人工的に作られた白い砂浜にさし掛かった時、式は足を止めた。
「この辺で、いいだろう。隠れてないで、出て来い」
 式がガードレールを飛び越えて砂浜に舞い降りた時、もう一つの影が式に重なって飛び降りた。
 砂浜に、二つの砂煙が同時に吹き上がった。立ち込める砂煙の向こうに立つ男を、式は見た。
「お前も、ロマンサーとかいう能力者だな」
「ああ、その通りだ」
 二十代の中頃に見える男は、黒いジャンパーにジーンズ姿だった。短い黒髪は、自分で切っているのか乱雑だ。式と違って耳を出しているのは、音声をより身近に感じる能力のせいかもしれない。
 背は式より三十センチ以上も高く、瞳は深い黒色をしていた。
「弟を、彬を返して貰おう。俺の用は、それだけだ」
「弟だと? そうか、お前が『死』か。返して欲しかったら、オレと戦え!」
 式は、懐からカッターナイフを取り出した。病院を飛び出した後に、コンビニに寄って入手した物だ。脇坂は非常線を張らないだろうという、式の読みが当った。
 式のカッターナイフを見つめる加賀見の瞳は、哀しそうに沈んでいた。
「俺は、おまえとは戦わない。俺とおまえを戦わせようとした荒耶は、もういないんだ」
「荒耶だと?」
 加賀見は、式にとって最も不快な名前を口にした。あの男は、式にいつまでも付きまとう。
「そうだ。俺達は、互いに殺し合うように仕組まれた。そんなカラクリに従う必要など無い」
 今まで荒耶と関わった者は、どちらから仕掛けた戦いにせよ、皆式と戦った。最初から戦いを拒否した能力者は、始めてだった。
 加賀見は、式と出会うことを拒み続けていた。彬が誘拐されて、ようやく出てきたのだ。
 宝良の前から姿を消していた加賀見だったが、実家が放火されたと知って弟の事が心配になっていた。犯人は宝良が逮捕したが、彬はそのまま脇坂のマンションに居付いたと知り、距離を置いて弟を見守っていたのだ。
 鮮花に彬がさらわれた時も、涼にも気取られる事無く追跡していたのだ。
 式は、その彬を地面に投げ捨てた。
「荒耶は関係無い! オレが、おまえと戦いたいんだ!」
「何故そんなに戦いたがる?」
「おまえは、オレと同じ『死神』だからだ!」
 そう、式は始めて出会った。『死』そのものを操る他人に。
「『死神』同士は、殺し合わないといけないんだ!」
 加賀見は、ゆっくりと首を横に振った。
「おまえは、とっくに救われているのに、悪い言葉で自分を縛るな。おまえは、寂しさを紛らわせる相手が欲しいだけだ」
「脇坂と同じ事を言うな! だったら、嫌でも戦わせてやる!」
 式は、ナイフを砂地に突き刺した。直後に砂浜が柔らかくなり、加賀見と式、それに彬も砂地に沈みこんだ。
「おまえ、砂浜の地盤を!」
「ああ、殺したんだ。このままだと、みんな砂に埋もれるぞ。おまえも戦うんだ。オレに力を見せてみろ」
「俺は、戦わない」
 腰まで砂に埋もれた加賀見は、右手を地面の中に突き刺した。
「砂浜の重力は『死』に絶えるっ!」
 加賀見が言葉を使った瞬間、三人は大量の砂と共に宙に浮いた。
「これで満足か」
「これが、おまえの能力か。最高だよ。こんな感覚、オレは初めてだ」
 これに比べたら、浮遊している感覚などジェットコースター程度の価値もない。
 他人が『誰か』を殺すのは何度も見たが、『何か』を殺すのを見たのは、これが初めてだった。
 式は『カガミ』を見たのだ。
「だが、おまえと俺の能力には、決定的な違いがある」
 加賀見の能力は『死』という意味を与える能力だ。それに対し、式の能力は対象そのものの『死』を捉えている。だから、加賀見の与えた『死』でさえも式なら殺せる。式も宙に浮いている以上、死の線は式の手の届く場所にまで延びている筈だ。
 現在の三人は、地上二十メートル程度の高さだった。ここから一気に大量の砂と一緒に落下すれば、間違い無く生き埋めになり、最悪圧死も考えられる。今ここで加賀見が重力に与えた『死』を殺せば、皆死んでしまうのだ。加賀見は、今度こそ本気で戦う気になるだろう。
 式が探し当てた線は、ハープの弦のように美しい放射状を描いていた。
「なんて見ずらいんだ。透明で、ガラス細工みたいだぜ」
 透明なのも当然だと、式は思った。『死』の中の『死』を見るという事は、そういう事なのだろう。
 相手の能力の特性を知っているのは、加賀見も同じだった。加賀見は、式の能力を荒耶から聞いていたのだ。式が何を殺そうとしているのか悟った加賀見は、線を見極めるのに時間が掛かっている式よりも先に能力を行使した。
「砂よ、ナイフを『死』に至らしめよ」
 まるで群れを成した小生物のように、式の右手のカッターナイフに砂塵が襲いかかった。式のカッターナイフを小さな砂嵐が通り過ぎた一瞬で、刀身は砂に削り取られてしまった。
「掛かったな!」
 式の左手が、線の上で翻った。
「何?」
 加賀見は、自分の失策に気が付いた。式の左手に握られていたのは、硝子片だったのだ。
 ロマンサーの能力の欠点は、言葉に効果が制約される事だ。宝良にナイフを溶かされた式は、予備の武器に『ナイフ』とは呼べない代物を用意していたのだ。
 昨日までの式なら、こんな発想は思いつかなかっただろう。宝良との戦いは、式に新しい戦い方を学習させたのだ。
 加賀見が何か言い直すよりも早く、硝子は線を絶ち切った。その場に居た全員に、重力が襲いかかった。
「に、兄さんっ!」
 急に重力を感じた衝撃のせいか、彬が目を覚ました。反対に、式の意識は遠のいていく。見えないモノを無理に見ようとしたせいで、脳に負担が掛かり過ぎたのだ。
 加賀見は、彬と目が合った瞬間に口を動かした。
「砂達よ、二人を『死』なせるな!」
 白砂が、風を伴わない竜巻となって、式と彬を包み込んだ。

 私が目を覚ましたのは、既に空が紅くなった頃だった。
「朝になっちまったか」
 砂の上で横になっていた私は、ガードレールに手を突いて立ち上がった。ガードレール?
 異変に気が付いて辺りを見回すと、ここは湾岸道路の上だった。アスファルトが見えない程に砂が積もっている道路と対照的に、砂浜が消えた海岸は海に沈んでいた。
「やっと目を覚ましたようだね」
 視線を前に向けると、アキラがガードレールに腰掛けていた。あいつの兄は、いなかった。海岸と一緒に、海に沈んでしまったのだろう。
「おまえ、オレが起きるのを待っていたのか? 逃げれば良かったのに」
「こんな所に、女の子を一人きりで放っておけるわけ無いよ」
 中学生に言われたくない事を言うアキラの笑顔を見ていると、何か腹が立った。私は、思い切りアキラの顔を平手打ちした。まだナイフか硝子を持っていたら、殺していたかもしれない。
「おまえは、莫迦か? おまえの兄貴が死んじまったんだぞ。オレのせいで」
 私を助けなければ、加賀見が助かっただろうに。つくづく、嫌になる兄弟だ。
 だけど、アキラは平然としていた。
「兄さんは、死んでいないよ。砂嵐の中で一瞬しか兄さんが見えなかったけど、きっとまた会えるさ」
 私に笑顔を向ける、最後まで殺し合いを拒んだ『死神』の弟を、私は、また殴った。

           /9

 病院のロビーは、朝までにすっかり元通りになっていた。ベンチや窓ガラスは勿論、自動販売機まで新品と交換するなんて、どこからそんなお金が出ているんだ?
「お金は全部パパに出してもらった」
 パパ? 僕が宝良君の方を向くと、彼は嫌そうな顔をするだけだった。パパについては、聞かない方がいいみたいだ。
 ようやく目が醒めた大輔兄さんに鮮花の事を任せる事にして、僕達は病院の近くのファミレスに来ていた。
「僕も連れて行って下さい」
 そう脇坂に頼んだ僕だったが、彼は首を横に振った。
「これは、警察の仕事だ。連れて行く事は出来ない」
 そう言われると、僕には言い返す言葉が無かった。
「だから、行きたければ自分だけで行け」
 席を立ちながらそう言った脇坂は、宝良君と一緒にファミレスから出て行った。
「あ、あの、所長」
「今日は、日曜日だ。明日は、休むなよ」
 橙子さんの返事を全部聞く前に、僕は走り出していた。

           ◇

 別に、縁があるというわけでも無いが、式は戦場をブロードブリッジに決めていた。
 橋げたの一番上には、高速道路の断片があった。その真下には、劇場やゲームセンターといった施設が入る遊技場の筈だった空間があった。遊戯場といっても、未完成だったこの空間にはコンクリートと瓦礫しかなかったが。
 橋としては不必要な設備が重過ぎて台風に耐えられなかったのだと、浅上建設が散々叩かれたニュースなら、式でさえも耳にした事がある。浅上建設が撤去作業もままならない程の経営難に陥ったお陰で、式は戦場を手に入れる事が出来た。
 道路の下の空間に、式は潜んでいた。その隣では、彬がしゃがみこんで居た。
「おまえは、オレが怖く無いのか?」
 橋げたはの壁は、両手を使わなければ登れない。彬を抱えてここに来る事は、式には出来なかった。彬は、勝手に式に付いて来たのだ。
「怖い? どうして君が?」
 本当に、彬は式が怖く無いようだ。
「家族にも『死』を支配する能力者がいるから、怖くないのか?」
「そうじゃない。これが、ぼくの『フツー』だからだよ」
「『フツー』だと? オレには縁の無い言葉だな」
「そんな事ないよ。宝良が言っていたんだ。この能力が俺の『フツー』だって」
 彬は、宝良から聞いた話をした。
 宝良は、一時期ロマンサーの能力を失った時があった。能力者に産まれて、辛い事も悲しい事もあったけど、能力を失った時の喪失感は絶望的だった。能力と一緒に背負っていた痛みも苦しみも感じなくなった代わりに、自分を感じる事も出来なくなったのだ。
「『フツー』というのは、皆のように何の能力も持たない事ではないと、宝良はその時気づいたんだ」
 喪失感なら、式も感じた事がある。先天的な能力者にとって能力とは『織』みたいなモノなのかもしれないと、式は漠然と感じていた。
「だから、君が能力を使いたいなら、その能力が君の『フツー』なんだ」
 幹也に似た顔で『フツー』と言われて何となく腹が立った式は、また彬を殴った。

           /10

 僕は、ショッピングモールになる筈だった場所の断面から、式の隠れ家を臨んでいた。
 去年の戦いで大破したブロードブリッジは、湾の中心に橋げたを残していた。海にそびえる巨大な残骸を横から見た姿は、T字型というよりは『天』の字を歪めた形をしている。
 危険過ぎて撤去作業すら出来ない橋げたに一度足を踏み入れたら、二度と出られないかもしれない。
 それでも、僕は式を助けに行きたかった。

 立ち入り禁止の看板を無視して、ドイツ製の赤いスポーツカーが道路を疾走していた。
 道路が途中で無くなっているというのに、車は加速し続けた。
「翼が無いと飛べないなんて『嘘』!」
 空を駆けて行くスポーツカーを、何の能力も無い幹也はただ見上げるだけだった。
 幹也は、船外モーターを付けた小船を用意していた。恐らく、式もどこかでこれを手に入れて橋げたまで行った筈だ。
 橋げたの表面はひびだらけで、それを手がかりにすれば容易に登れるだろう。しかし、このままでは、戦いが終わるまでには到着出来ない。
「おまえ、何をグズグスしている」
「え?」
 誰かが、出発の準備をしている幹也の肩を叩いた。

 式は、瓦礫の陰から橋の断面の向こうにある空を見ていた。オレンジ色に輝く物体が、こっちに向かって跳んで来る。
「やっと来たか」
 橋げたの断面から突入した。スポーツカーは、遊戯場の中で五、六回スピンして、壁にぶつかって止まった。
「脇坂さん、何もこんな高い車に乗らなくても良かったのに」
「何を言う。神であるこの俺が、女の子を安物の車に乗せられるか」
 車の中から、脇坂と宝良が出てきた。
「あいつら、ホントの莫迦か? 真昼間から空を飛んで、誰かに見られたらどうするんだ」
 これが、彬の言っていた宝良の『フツー』なのかと、式は思った。
「俺は、彬もあんたも絶対助ける! 俺にそれが出来ないなんて『嘘』だ!」
 今日の宝良は、黒革のベストとスパッツに赤いジャンパーを着ていた。これが、彼の仕事着なのだろう。
「助ける、だと? やれるモノならな」
 そう言って、式は買い直したカッターナイフをポケットから取り出した。
 ナイフを構えた式は、宝良に相手に向かって駆け出した。宝良は、床に手を着いた。
「床が粘つかないなんて『嘘』!」
 式の足が、突然動かなくなった。とっさにバランスを取った式は、転倒だけは何とか逃れた。
「『嘘』を殺してやる!」
 式の青い目が、床を見渡した。浮かび出た『嘘』の線は、不規則に大小様々の蜘蛛の巣が床を覆っているみたいだった。その線は、宝良の髪の毛のようなオレンジ色をしていた。
 一番死に易そうな線は式から少し離れているが、その気になれば素手でも殺せそうな程幅広なのは都合が良かった。
「そこだ!」
 式は、履物を脱ぎ捨てて線まで跳んだ。着地と同時に線を切ると、床の粘り気は、たちまち消えた。
 すかさず、宝良は指先を回して空中に『lie』を描いた。
「空気が静かなのは『嘘』!」
 ブーンッ、ブーンッ!
 耳鳴りみたいな唸りが、式を包んだ。
「あいつの本命は、こっちか!」
 式の能力を橙子から聞いていた宝良は、その対策を立てていた。
 床を粘つかせたのは、時間稼ぎだったのだ。本当の目的は、空気を鳴らして自分の声が聞こえないようにする事だったのだ。相手が何をしているのか判らなければ、『嘘』が何処に潜んでいるのかも判らない。所在が定かで無いモノの死を発見する事は、困難だ。
 宝良が足元に向かって『lie』を刻んだ。
「『嘘』を与えたのは、床か? それとも空間?」
 目をこらしたが、目的の線が見当たらない。次の瞬間、コンクリート片が式に向かって飛んで来た。
 宝良の『嘘』の対象は、足元の瓦礫だったのだ。
「ナイフを狙っているのか?」
 予備の武器にと金属片をこの廃墟で拾っていた式は、ワザとナイフを落として油断を誘おうと考えた。
 しかし、式が何も抵抗しないでナイフを弾かれたのでは不自然過ぎる。空気の唸りだけでも先に殺して置く事に、式は決めた。
 式がナイフを振るった瞬間、瓦礫が式の右手を弾いた。
「何?」
 続いて、金属片を隠し持っていた左手にも、何かが命中した。ナイフと金属片は、床に落ちた。
「読まれていた? 一体、どうして……」
 式が宝良を見ると、その後ろで脇坂が携帯電話を掛けているのが見えた。
「まさか……」
 式が振り向くと、彬が何時の間にか携帯を握っていた。
 既に空気の唸りは、殺されている。宝良は、式に種明かしをした。
「橋げたの断面に向かって空を飛ぶ自動車に注意を引きつけて、逆方向の断面から携帯電話を彬に向けて飛ばしていたのさ」
 空気を鳴らしたのは、脇坂と彬の会話を聞き取られないようにする意味もあったのだ。
「あんた、加賀見に会ったんだね。なら、どうして加賀見の気持ちが判んないんだよ!?」
 宝良は、式に向かって走り出した。式も、素手のまま宝良に向かって疾走する。
「空気がまとわりつかないのは『嘘』!」
 空中に宝良が『lie』の文字を刻むと、式の動きが遅くなった。
「そんな力!」
 式の目には、『嘘』が自分の周囲を包むオレンジ色の網目に見えた。その網に向かって、式は大きく口を開いた。
「何だって?」
 宝良には、式の行動は予想外だった。式はなんと、死の線を噛み切ったのだ。
 何か次の手を打とうとした宝良だったが、完全に式の動きの方が速かった。右手で宝良に喉輪を掛けると、式はそのまま宝良を持ち上げた。宝良は、言葉どころか息も出来なくなっていた。
「今度こそ、こいつを絞め殺す」
「やめろっ! 宝良を殺して、何になるんだ!」
「何にもならないのは、判ってるさ! だけど、これがオレの遣り残した事なんだっ!」
 もう少し手に力を加えれば宝良が死ぬというその時、橋げたが激しく揺さぶられた。転ばないようにバランスを取った式の腕から、宝良がずれ落ちた。
「一体、どうしたんだ?」
 彬が床に伏せながら見回すと、信じられない光景が目に飛び込んだ。
 橋が、再生していたのだ。
 脇坂は、橋げたの断面が再生する直前に、道路を疾走するオートバイを発見していた。
「か、加賀見なのか」
 加賀見と幹也が、オートバイに二人乗りしていた。
 ブロードブリッジは、『死』から蘇ったのだ。

           ◇

 鮮花は、病院のベッドで目を覚ました。
「う、うぅん」
 ここが病院である事、そして自分が何か怪我をしているみたいである事も納得出来た鮮花だったが、自分の手に巻いてある包帯を見てもどうしてこんな怪我をしているのかが判らなかった。
 鮮花は、記憶の一部が『死』んでいたのだ。
 病室は二人部屋だった。鮮花の隣のベッドには、若い男が座っていた。顔から胸までを包帯に包まれていて、何者か判らない。只、僅かに見える火傷の跡が、鮮花の想像力を喚起する。
「あなたが、わたしと戦ったんですね」
「多分、そうです。私は、何も憶えていませんが」
 どうやら、男の記憶も鮮花と同じらしかった。
「あなたは、誰なの?」
「名前は鏑木涼。警察の手に余る事件を解決する『請け負い屋』をしています」
「『請け負い屋』? そんな仕事があるの?」
「私も『請け負い屋』に敗れるまで、知りませんでした。私と戦ったあなたになら、話してもいいでしょう。かつての私は、殺し屋だったのです」
 涼は『平等』を求めていた。能力者として生まれた彼は、どうして自分だけが呪われた力を持っているのか、思案し続けていた。
 そして、涼は平等を見つけた。それは『死』だった。
 この世で最も確かなもの。大人も子供も、金持ちも貧乏人も。命ある者には必ず平等に訪れる……。
『死』だけが私の信じるもの。
「私は『死』が見たかった。その為に、殺し屋になったのです」
「あなたは、悲しい人ですね」
 唯一『死』しか実感出来ないから、殺す。心の強さを絶対なモノと信じていた以前の鮮花なら、目の前の男を軽蔑していたかもしれなかった。
「そうですね。殺しても殺しても、私の乾きは潤いませんでした。当然です。『死』は平等足り得ませんでしたから。それを教えてくれたのが『請け負い屋』でした」
『請け負い屋』の『死』に立ち向かう強さに敗れた涼は、自らも警察に協力する『請け負い屋』になったのだ。
「誰だ、お前は?」
 扉の外から、大輔の声が聞こえて来た。
「『死』ぬ程、眠くなる」
 見知らぬ男の声がして、続いて誰かが倒れる音がした。

           ◇

「フザけやがって!」
 式は、周囲の見回して『死』の効果を殺そうとした。式の青い目は、透明な線がブロードブリッジの内側を螺旋状に並んだ線路のように走っているのを捉えた。
「何?」
 死の線が、式の目の前で増殖しだした。増え続けた線は、やがて橋を完全に包み込んだ。
「ロマンサーの能力は長くは効かない。どうやら、俺の能力も限界のようだな。飛ばすぞっ!」
 橋の上をオートバイで走る加賀見は、後部座席の幹也に向かって言った。それと同時に、橋が入り口と出口からしだいに崩壊を始めた。式が殺すまでもなく、橋は元の『死』へと戻ろうとしていた。
 橋が湾曲する寸前、オートバイは宙を舞って橋げたの上へと着地した。
「大丈夫か、幹也?」
「は、はい。なんとか」
 二人は、オートバイから降りると非常階段へと向かった。

 彬は、宝良を介抱していた。
「宝良、喋れる?」
「あ、ああ」
 彬は、宝良に肩を借した。
「おい、彬。凄い顔になっているぞ」
「宝良もね」
 二人の無事を確認した脇坂は、式が登った非常階段を見上げていた。
「一体、どういう事なんだ?」
 非常階段の入り口のドアは、式が殺していた。錆び付いて開かなかったのだろう。
「カッターナイフも鉄片も、床に落ちているのに」
 式は一体、何を使ったのだろうか。

 幹也達の前で、錆び付いた音を立てて出口の扉が崩れ落ちた。
「式……」
 出口から現れた式とは、つい昨晩に壁に叩き付けられたばかりなのに、幹也は久しぶりに再会したような気分だった。
「式、それは……」
「何か使えないか、ポケットを探ったら出て来た」
 ナイフを失った式が手にしていたのは、彼女のマンションの鍵だった。キーホルダーもストラップも無い、本体だけの簡素な代物だ。
 鍵を構えた式は、加賀見を一瞥した。
「やっと戦う気になったか、『死』」
「言った筈だ。俺は、おまえと戦わないと」
「だったら、今度こそ戦わせてやる!」
 式は、鍵をアスファルトに突き付けようとした。
「風よ、彼女の鍵を『死』ぬほど吹っ飛ばせ」
 針の穴を通す程の局地的な突風が、式の指先に命中した。吹き飛ばされた鍵は、海に落ちてしまった。
 飛んで行った鍵に見向きもしないで、式はポケットに手を入れた。
「それを……」
 幹也が何か言おうとした瞬間、何かを悟った加賀見は式に向かって駆けていた。式のポケットから何かを取り出した右手の手首を、加賀見の右手が素早く掴んだ。三十センチを越える身長差を活かして、加賀見は式をぶら下げた。
「判らないのか? それだけは、使ってはいけない」
 式の右手が握っている物を、加賀見は左手でひったくった。
「おまえと幹也の絆は『死』んでいない。これが、その証拠だ」
 加賀見が式の目の前に差し出したのは、幹也のアパートの鍵だった。
「思い出すんだ。どうして、お前がこれを持っているのか。どうして、今もこれがここにあるのかを」
 鍵を式のポケットに戻すと、加賀見はゆっくりと式を下ろした。
 ポケットの上から鍵の感触を指先で確認した式は、幹也を見上げた。
「幹也……」
「忘れてないだろ。君を許さないっていうのを」
「忘れるもんか」
 幹也は、式を抱き締めた。
「でも、もう遅いよ」
「遅いものか。僕達は、こうしてまた出会えた」
「だって、あの時鍵は、加賀見の言葉よりも僅かに早く、死の線をかすったんだぞ」
 橋げた全体から、鉄骨の軋む音が鳴り出した。

 脇坂と彬は、外車に飛び乗った。
「宝良は、どうするの?」
「俺は、加賀見を助けに行く!」
「でも!」
「宝良と加賀見がいるんだ。二人が死ぬものか」
 脇坂は、彬にシートベルトを絞めさせた。
 外車の後ろに回った宝良は『lie』の文字を刻んだ。
「岸まで飛んでいけ! そうならないのは『嘘』だっ!」
 二人を乗せた外車は、橋げたから飛び去った。
 この橋げたは、もう持たない。宝良は、急いで非常階段を上った。

 橋げたが、急激に傾き出した。
「うわっ」
 真っ先にバランスを崩した幹也が、傾いた道路から滑り落ちそうになった。
「幹也っ!」
 式が、幹也を助けに走り出した。間一髪、式は右手に幹也を掴んで左手でガードレールにぶら下がった。
「まだ橋げたよ『死』ぬな!」
 道路に手を突いて叫んだ加賀見だったが、崩壊のスピードを遅らせるのが精一杯だった。
 宝良が、非常口から出て来た。
「加賀見!」
「宝良っ! 俺は、動けない。おまえがあの二人を助けるんだ!」
「でも、加賀見が!」
「いいから、早く!」
「いやだっ!」
 宝良は、加賀見に向かって走り出した。
「みんなが助かる方法は、きっとある! できないなんて『嘘』だ!」
 指先で『lie』を刻んだ宝良は、加賀見に向かって何か叫んだ。すると、その場から加賀見の姿は消えてしまった。
 加賀見を失った橋げたは『死』に向かって一気に加速した。
「うわ!」
 ガードレールが崩れて、式と幹也は海へと落ちそうになった。
「海よ、橋げたを『凍』らせろ!」
 ビルのように大きい氷の柱が、何本も海面から出現して橋げたを包み込んだ。氷に包まれた橋げたは、倒壊が止まった。
「氷が滑り台にならないのは『嘘』」
 橋げたを包み込んだ氷は、海上の小船に向かって斜めに成長して行った。幹也は小船に見覚えがあった。
「あれは、僕が用意していた小船じゃないか」
 滑り台に乗って小船に到着した式達を待っていたのは、涼だった。
「お涼さん、どうしてここに?」
「加賀見が、私を連れて来たのです」
 涼の言葉に、幹也は首を捻った。
「彼なら、さっきまでここに……。宝良君、一体何をしたんだ?」
「加賀見が昨日に吹っ飛ばないのは『嘘』だって、言ったんだ」
「き、昨日だと?」
 式は、宝良の言葉に開いた口が塞がらなかった。
 昨日に飛ばされた加賀見は、オートバイを事前に用意し、今朝の自分を救出して気絶している間にショッピングモールまで運んだのだ。最後に、涼を病院から連れ出して三人を助けさせた。
「橋げたの『死』を止められないなら、別の物で橋げたを支えればいい。加賀見なら、何かやってくれると信じていた」
 そう言って、宝良は笑った。
「加賀見は、来てくれないんだね」
 小船には、四人しか乗っていなかった。
「もう、役目は終わった。そう加賀見は言っていました」
 橋げたを包んでいた氷は徐々に溶け出して、小船が岸に着いた時には橋げたは崩壊していた。

 岸辺には、脇坂と彬が待っていた。
「宝良っ!」
 彬が、宝良に向かって走って来た。
「やったね、宝良」
「言っただろ、出来ないなんて『嘘』だって」
 二人は右手を上げて互いに叩き合った。
「ああやってはしゃいでいる姿を見るまで、中学生だったのを忘れていた」
 式も尋常ではない人生を送っていたから、宝良がどんな人生を送っていたのか見当がついていた。
「オレ、あいつに負けたのかな?」
「誰も、式と戦っていないよ。皆、式を助けに来たんだから」
 そう言った幹也は、いつもの楽しげな笑顔を見せた。
「あいつら、人が良すぎるよ。誰でも助けようっていうのか?」
「そんな事はないさ。みんな、おまえの事が好きなんだ」
 外車に乗った脇坂が、式の横に車を止めながらそう言った。
「あいつらは、無差別に命を奪わないが、無差別に命を救う事もしない」
 それは、自分の能力に負けた事になるからだ。最後にそう付け足すと、脇坂はクラクションを鳴らした。
「帰るぞ、宝良!」
 宝良と彬、それに涼は、次々に外車に乗り込んだ。
「あの人も、面倒見がいいよね。まるで……」
 幹也の脳裏に、両儀家の使用人の姿が浮かんだ
 ああそうか、誰かに似ていると思ったら……。幹也は、一人で納得した。
「じゃーねー、お二人さん」
 去って行く外車の窓から、宝良は笑いながら手を振った。
「オレ達も、帰るか。幹也」
「うん、そうだね」
「幹也」
「なんだい、式」
「オレ、鍵を無くしちまったんだ。だから、幹也も一緒にマンションに来てくれないと、困る」
 自分の顔が赤くなっているのが、式には判った。幹也が式のマンションを訪ねるのは、いつもの事の筈なのに。

           /11

 こうして、僕達の後始末は終わった。
 次の日、式の家から出社した僕を見て、橙子さんは笑っていた。何か楽しい事があったのか尋ねると、脇坂をギャフンと言わせたそうだ。
 橙子さんは、昨晩には早くも脇坂の家に遊びに行っていた。そこで、脇坂達を格闘ゲームでコテンパンにしたらしい。
 実は僕は、パソコンをハッキングする装置を入手するついでに、裏技が内蔵されているコントローラーも買っていたのだ。橙子さんは、このコントローラーで脇坂に高級レストランで十回おごってもらう約束を取り付けていた。
 僕が昨日の出来事を話していた時、橙子さんは急に目つきが険しくなった。
「時間を飛び越えたというのか? それじゃあ、到達不可能地点が無いじゃないか。橋を一時的に復活させるだけなら、空想具現化よりは劣ると思っていたのだが。これだから、先天的な能力者は……」
 どうやらロマンサーの最終形態は、橙子さんの予想以上だったらしい。

 鮮花は、三日後に退院した。学院には、急病とだけ伝えてある。
 浅上藤乃が、一度見舞いに来たらしい。
 鮮花が言うには、宝良に会う以前は、たまに思い出したように落ち込んだり塞ぎ込んだりしていたのが、綺麗になくなっていたそうだ。

 大輔兄さんは、脇坂が神奈川に帰ったと言って喜んでいた。今も脇坂と橙子さんがたまにデートしている事は、黙っていた方がいいだろう。
 犬の死は、滑り台からの転落死という事でかたがついた。どうやら、ロマンサーのパートナーには選ばれなかったらしい。

 最後に、もう一つ。
 僕と式は、今日はデートするつもりだ。

/事後祭典・了

[後書き]
以前から改定したいと思っていましたが、やっと実現しました。
ロマンサーが記憶を消せるのは、読切版(ワイルドハーフ九巻収録)だけの設定みたいです。脇坂を復活させた今の宝良なら、出来てもおかしくないという事で。

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