事後外典
事後外典 danger mind.
ブロードブリッジで両儀式がロマンサー達と戦っていた頃、蒼崎橙子は閑静な住宅街の中をうろついていた。
「まさか、再び来る事になるとはな」
以前ここに来た時、橙子は浅上藤乃のカルテを見せて貰っていた。あの時は、あの青年が事件に大きく関わっているとは思いもよらなかったのだが・・・・・・。
「いや、そう思わされていたのかもしれないな」
何しろ、あの男は只の医者ではないのだから。
「ほんの一年前では、何も変わらないな」
目的の医院の前に来た橙子は、入り口の看板に目をやった。
『奥森医院 「精神と記憶に関する相談受け付けます」』
橙子が出会ったその男こそは、藤乃の主治医だった。
橙子が医院のドアを開けると、待合室には患者はいなかった。その代わり、中学生程度の少年が両手でミニカーを押して床を這い回っていた。その無邪気な姿は、まるで幼児みたいだった。
「グイーン、グイーン。ブロロロロロッ」
カーチェイスに夢中になっている少年は、来客の存在に気づいていなかった。赤いスポーツカーは、橙子の足元に激突して横転し、レースが終わった。
床に四つん這いになったまま、少年は不思議そうな顔で橙子を見上げた。まるで、何も無い場所から突然橙子が出現したと思っているみたいだった。
少年は、ゆっくりと口を開いた。
「おばちゃん、誰?」
橙子のくわえているタバコが、ポロリと床に落ちた。力強く噛み締めたせいで、フィルターが千切れてしまったのだ。タバコに火がついていないのが不幸中の幸いだった。
「お前、去年ここを訪ねた時も私をそう呼んだのを、忘れているだろう」
「こらこら、お客様に失礼ですよ」
診察室から、白衣を着た優男が現れた。その男は薄茶色の髪に茶色い瞳をして、医者とは思えない赤いピアスをつけていた。
そして何より、彼は「白かった」。
肌が色白なのもそうだが、男は雰囲気がとても白く感じられたのだ。まるで、病院という空間のイメージがそのまま彼に投影されているみたいだった。
男は、微笑みながら少年の方を叩いた。
「虎弥太は、暫くお庭で遊んでなさい」
「はーい」
虎弥太と呼ばれた少年は、小走りで医院から出て行った。
「さて、と」
男の顔から、笑みが消えた。
「お久しぶりですね。蒼崎さん」
「私も、またここに来る事になるとは思わなかったさ。全く、私とした事がとんでもない見落としをしていたものさ。それとも、気付いていた事を忘れさせられたのか?」
診察室に通されながら、橙子は前を歩く医師の背中に話し掛けた。
「どうなんだ、奥森かずい。それとも、マインドアサシンと言った方がいいかな」
患者の席に橙子を促したかずいは、いつの間に用意していたのか緑茶を客人に勧めた。
「何もかも、ご存知のようですね」
「まさか、この国に作られた能力者の末裔がいたとはな」
第二次世界大戦中、ナチスドイツによって造られた暗殺のための超能力者『マインドアサシン』。 マインドアサシンとはその名の通り、命を奪う暗殺者ではなく「記憶と精神を壊す者」である。
かずいは、日独クォーターの三代目マインドアサシンだったのだ。
戦時中、世界の能力者や魔術師達は戦争に直接関わらなかった。ルーズベルト大統領が戦時中に他界したのは、呪い殺されたという噂もあったが、あれは只の自然死だ。日本の能力者も、原爆を止められたかもしれないが力を行使しなかった。そういった力が戦争に用いられれば、アラヤの抑止力に飲まれる事になると判っていたからだ。
しかし、ナチスの科学は能力者を作り出してしまったのだ。そのせいで、心を操る魔法使いが魔術師に格下げになった事を、橙子は小耳に挟んだことがあった。
「安心して下さい。ボクは、あなたには力を使っていませんから。それで、マインドアサシンに何のようなんですか?」
「どうしても腑に落ちない事があってな。湊啓太が不良達を殺した罪で起訴されている事を、知っているか?」
「湊啓太? それが、不良の生き残りの名前なんですか。そんな事になっているとは、知りませんでしたよ」
橙子はタバコを取り出したが、ここが診察室なのを思い出して緑茶のほうに手を伸ばした。マインドアサシンの能力を知っていた橙子は、毒も薬も彼には不要だと知っていたので特に警戒はしていなかった。
「湊啓太を起訴したのは、この期に及んで藤乃を侮辱したあいつに腹を立てた一人の警察官だ。しかし、どうにも解せない事が一つあった。藤乃の形跡が完全に消えているのだ」
現場に残っていた藤乃の頭髪等を処分したのは、その警察官だった。しかし、藤乃の存在を目撃した者までいなくなっていたのだ。黒桐幹也が湊啓太を探した時には、確かに目撃証言があったというのに。しかも、湊啓太を探し回った時の藤乃までも、誰も見ていないというのだ。
湊啓太を起訴した警察官もその事は不思議に思っていたが、藤乃の事を考えたらむしろ好都合と考えて深追いしなかった。
そして、バーの四人は湊啓太が殺した事になり、路地裏の一人は転落による事故死となった。後の二人は、交通事故で片付けられていた。
「お前、目撃者の記憶を消したな」
橙子ににらまれても、かずいは表情を変えなかった。
「それから、彼の仲間達の記憶も消しましたよ」
かずいは、橙子の質問に付け足しをする事で肯定した。
「彼は、藤乃をレイプした事を、自慢げに仲間たちに言い触らしていたんです。その仲間達の記憶からも、藤乃の存在を消しました。彼女に関する噂は、全部殺しました。彼女がレイプされた事を知っているのは、もう何人もいないでしょう」
これで全て合点がいった。橙子の推測は、正しかったのだ。
「それは、藤乃に頼まれたのか?」
「それは、違います。ボクは確かに、彼女に頼まれて彼女の記憶も一部消しましたが、それは『マインドアサシンに相談した』という記憶だけです。藤乃は、自分の罪は忘れてはいけないと思っていましたから。彼女は、ボクを必要としていなかったという事です」
淡々と、かずいは真相を語った。
「それでは、全てお前の一存というわけか」
「はい、その通りです」
橙子は、お茶で一度喉を潤してから、話を続けた。
「お前のせいで、やってもいない殺人罪で起訴されている者がいるというのに、何とも思わないのか?」
「それでも、一人の少女の未来の方が大事だという考えに変わりはありません。彼には、そんな目に遭わないで済んだ道がいくらでもあったのですから。選択の余地をずっと奪われ続けていた少女とは、立場が違います。彼女は、人殺しになったのではなく人殺しにさせられたのですよ」
かずいの言葉が、橙子の気にさわった。
「まさか、知っているのか? 黒幕の存在を?」
「ええ、荒耶宗蓮ならここにも来ましたよ。あの時点ではまだ精神科医だった筈ですね」
やはり、彼はかずいにも会っていたのだ。考えてみれば、かずいと式も人工的に作られた能力者で「暗殺者」だった。それでいて殺せるモノは全くの別モノ。似て非なる存在を、荒耶が見過ごすわけがなかった。
「彼の協力は拒みましたが、変わりに彼のやる事には一切邪魔しないように約束させられました」
そう言ったかずいの顔は、困ったような泣いているような顔をしていた。その約束のせいで、藤乃の為に何も出来なかった事を後悔しているのかもしれなかった。
「そろそろ、タバコが恋しくなったな」
そう言って、橙子は立ち上がった。謎はもうなくなった。彼女はここにはもう用は無いのだ。
診察室から出る時、橙子は虎弥太とすれちがった。どうやら、患者が来たらしい。
「まだ三時を回ったばかりか」
そろそろ、ブロードブリッジの戦いも決着がついた頃か。どうせ式達は今日は事務所には来ないだろうと踏んだ橙子は、今夜はあいつに会いに行こうと決めていた。
事後外典/了
[後書き]
以前から考えていたクロスオーバーでしたが、事後祭典のリニューアルに合わせてやっと実現しました。
感想、一応募集しています。
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