四万ヒット記念SS・人形寄生 left life.

人形寄生 left life.

               /1

 ここは、蒼崎橙子の仕事場『伽藍の洞』の一室。壁の色も判らない程暗くて、天井には裸電球が一個ぶら下がっているだけだった。
 ブロードブリッジでの戦いで、藤乃の虫垂炎は式に殺された。しかし、壊死した盲腸はまだ体内に残っていた。その為、藤乃の盲腸を摘出する手術を、橙子が執刀する事になったのだ。
「あの、それは何ですか?」
 手術台に横たわっている藤乃に尋ねられた橙子は、面倒くさそうに答えた。
「何って、全自動盲腸摘出装置だよ。スイッチを入れれば、この装置が後は全部やってくれる」
 そう言って橙子は、ロッカー程度の大きさの黒い鉄製の函を軽く叩いた。
 ドッカーンッ!
 もう爆発。スイッチも入れていないのに。
 薄れていく意識の中で、藤乃は思った。あのまま病気で死んだ方がましだったかなあ、と。

              ◇

 私は、藤乃と戦った報酬として橙子から義手を貰うはずだった。とある事情から一週間程予定が遅れてしまったが、やっと今日義手を取り付ける手術を受ける事が出来た。
「ほら、手術が終わったぞ」
「これでやっと、不便な……」
 左手を見た私は、絶句した。いや、これは左手ではない。
「あ、あの。お久しぶりです」
「おい、橙子」
「どうした、式。折角、霊体も掴めるようにしたんだぞ。新しい左手は気に入らなかったか?」
「どうして藤乃がオレの左手に収まっているんだ!」
 そう、私の左手があるべき場所には、人形サイズの藤乃の上半身が生えていたのだ。しかも、ご丁寧にこれまた人形サイズの礼園の制服まで来ていた。
「まさか、また手術が失敗して藤乃の身体を壊したんじゃないだろうな」
「よく判ったな。その通りだ」
 三秒後、橙子は静かに床に寝そべっていた。私に顔面を殴られて、壁に叩き付けられたからだ。
「式さん、やっぱり強いんですね」
 うつ伏せになった顔の下から血の大河を流している橙子を見下ろしながら、藤乃が感心した。
「おまえ、それでいいのか?」
「え?」
 藤乃は、何を尋ねられているのか判らないという顔をしていた。まるで、今の状況が何の疑問を挟む余地の無い日常であるかのようだ。
「オレの左手になって、それで満足なのかっていうんだ?」
「そうですね。少なくとも、以前のわたしよりは遥かにましです」
「……」
 確かに、藤乃は今までが不幸すぎた。駄目だ。彼女の場合は、比べるべき日常の基準が低すぎる。
 別に、誰がどんな人生の選択をしようと、私は文句を言わない。それが正しいかどうかをきめるのも、また選択した本人だ。しかし、こればかりは私にとって迷惑だ。
 説得は無理と考えた私は、懐からナイフを取り出した。藤乃の顔が青ざめる。
「な、何をするつもりですか?」
「安心しろ、殺すつもりはない。切り離すだけだ。橙子に新しい身体を用意して貰うんだな」
 藤乃の腰にナイフを突き立てようとすると、藤乃も切られてたまるかとナイフを白羽取りして抵抗する。あらぬ所にナイフが刺さるといけないので力をあまり込められないとはいえ、私と藤乃は拮抗した力で押し合った。こいつ、人形サイズだというのに、結構体力がある。
「どうしても、そこにいたいのか」
「もう、わたしの居場所は、ここしかないんです。きっと式さんのお役に立ちますから、ここに居させてください」
「役に立つも何も、これじゃあ不便だろうが」
「お茶碗位なら、わたしにも持てます。お料理だって、多分出来ます」
「こんな手じゃ、幹也に見せられないだろうが」
「ああ、それなら大丈夫です。普段はこれを巻いていますから」
 制服の下から包帯を取り出すと、藤乃は自分の身体に巻き始めた。ミトンのような指先だというのに、意外に器用だ。
「式、手術はもう終わったかい」
 藤乃に気を取られている間に、幹也が手術室に入ってきた。私は、焦っているのを隠しながら横目で橙子を見下ろした。幸い、ベッドの陰に隠れるように倒れていた彼女は、幹也の位置からは見えない。
幹也は、何の疑問も持たずに、藤乃の上半身を手に取った。
「自分で包帯を巻いたのかい? 右手だけで出来るわけがないだろう。これじゃまるでミイラみたいじゃないか」
 幹也は、藤乃の顔面をいじり回している事に気付いていない。
「橙子さんは、巻いてくれないんだね。僕でも、もっと上手に巻けるよ」
 そう言って、幹也は包帯をほどこうとした。これはまずいと思った私は、幹也の手を振り払った。
「か、勝手な事をするなよコクトー。まだ包帯を取っちゃいけないんだ」
 何か言いたそうな幹也の背中を押して、私は彼を部屋から追い出して扉を閉めた。
 ドアノブが激しくゆすられ、扉が何度も叩かれたが、私は決してドアを開けなかった。
「ご、ご迷惑をおかけします」
 左手のミイラが、お辞儀でもしているつもりなのか、妙なしなを作った。
「詫びる暇があるなら、おまえも手伝え」
 流石に、右手一本では支えきれない。左手代理の藤乃にも手伝ってもらわないと。
「わ、わかりました。ノブを止めればいいんですね」
 藤乃は、包帯をほどくとノブにしがみついた。驚くことに、あれだけ激しく揺すられていたノブが沈黙してしまった。
「まだ手術が終わっていないんだ。明日にしてくれ!」
 幹也をなんとか説得して帰ってもらうと、私はドアに寄り掛かって座り込んだ。激しい運動と長時間の動揺のせいで、息切れが止まらない。
「あ、あのー」
「何だ、黙っててくれ」
「い、今の人、式さんの……」
「何だ、それがどうした。そういえば、おまえはあいつのアパートに泊まったんだったな」
「えっ。そこまで知ってるんですか? ……やっぱりお付き合いしているんですね」
「そうか、幹也に惚れたか。おまえ、意外に面白い奴なんだな」
「わたしは、面白くありません。そうですか、先輩はコクトー幹也というのですか。鮮花のお兄さんって、あの人だったんですね」
「何だ、名前も知らないのか? アパートの表札も見なかったのか?」
「あの時は、痛みがぶり返して慌てて逃げ出したから、そんな余裕もありませんでした」
 そうか、幹也の前だったから、痛くなっても力を使う事を堪えていられたんだ。
「あ!」
 そうだ、大事な事を忘れていた。
「おまえ、無痛症はどうなった? 力もだ。まさか、新しい身体になったから全部消えたとか、虫のいい事言うんじゃないだろうな」
 今頃になって核心に触れた私に向かって、藤乃は首を傾けて照れ笑いを浮かべた。
「気が付きましたか。実は、わたしの能力は消えていないんですよ。でも、大丈夫です。無痛症になっていますから」
「なっている? おまえ、自分で痛みを消せるのか?」
「ええ。そうみたいです」
 私は、詳しく話を聞いてみた。元々、彼女の無痛症は実父の投薬のせいだった。しかし、薬の効果など、とうの昔に無くなっていた。彼女は、自分でも自覚していないうちに、自分の力を封じていたのだ。無痛症以外に自分を封じる手段を教えられなかったのが、彼女の最大の不幸だった。
 そして、ブロードブリッジの戦いの時、藤乃は式に殺人を楽しんでいる事を指摘された。それから藤乃が力の最大の行使と葛藤の果てに無痛症へと戻ったのは、快楽殺人者の自分を自ら殺した成果だったのだ。
「だから、式さんのお陰なのです。わたしが、自分に打ち勝てたのは」
 そう言って微笑む藤乃を、私は忌々しげに見下ろした。
「……ズルいよ、おまえ」
「え?」
「ズルいって言っているんだ。おまえ、目の前のオレと戦っていたんじゃなかったのかよ。それが、他の奴と戦っていたなんて、酷い浮気だよ」
「ご、御免なさい。わたし、そんなつもりじゃ……」
 藤乃は、落ち込んでうな垂れた。ちょっとからかうだけのつもりだった私は、そんな藤乃を見て鬱な気分になった。
「泣くな。オレは、そんな陰気な奴と一緒に暮らしたくない」
 私の言葉を聞いて、藤乃の瞳が輝きを取り戻した。
「ええっ。それでは、わたしはここにいていいんですね?」
「ちっとも良くない。いいか、おまえはもう藤乃じゃない。オレの左手なんだ。それで、いいんだな? 左手」
「は、はい、構いません。これからわたしは、ずっと左手になります」
 こうして私は、新しい左手を手に入れた。
 床に転がっている橙子の事など完全に忘れて、私は左手を懐にしまいながら家路を急いだ。

               /2

 左手との新しい生活が始まって、数日が経過していた。
 この左手が、自分が犯された事とか人を殺した事とかをどう考えているのか私は知らないし、聞く気も起きない。
 罰っていうのは、その人が勝手に背負うものなんだという幹也の言葉に私は反対しない。だから、自分を罰するのが嫌だったり怖かったりするなら、別にしなくてもいい。それは罪ではなく卑怯でもなく、間違いでもないのだから。
 この左手は、自分がした事の結末はとっくに体験してしまった後だから、死のうが生きようがもうどうでもいい。私を巻き込んでいるのは、反則だけど。

 幹也の前では、今でも私は左手に包帯を巻いている。私も左手を見られたくなかったが、それは幹也のためでもあると、橙子は言っていた。
 左手が寝ている間に橙子から聞いた話だと、幹也は自分の罪に気付いていないからだそうだ。藤乃にとっては他人に知られたくない過去を、幹也は本人に無断で長野まで行って調べ上げた。しかもそれは、藤乃の為なんかじゃなく私に人殺しをさせない為にした事だ。私が人殺しをしなければ結果的に藤乃が助かるとはいえ、幹也はそんな言い訳はしないだろう。
 再会は、罪に思い至る切っ掛けになりかねない。間違いなく藤乃は許してくれるだろうが、折角気付いていない罪なら、最後まで気付かせない方が幸せだという橙子のアドバイスに、私は素直に従った。
 左手の方も、不思議と幹也に悟られまいと注意してくれていた。もしかしたら、橙子と話していた時に寝たふりしていたのだろうか。

              ◇

 事件というのは、唐突に起きるから事件なんだとわたしは思い知った。
 幹也さんが突然寝込んでしまったのだ。
 こんな時でも、式さんは冷静に自分が出来る事を探して実行していた。橙子さんは、生きる事の実感が無いから動揺も出来ないだけだと言うけど、そう言われても式さんが立派に見える。
 だから、わたしもこれから自分が出来る事をするだけです。
 巫条ビルの屋上で浮かんでいる幽霊に向かって、式さんはわたしを突き出した。
「今です!」
 これが、わたしの今出来る事です。わたしの今の身体は、霊体も掴める。式さんの左腕の動きに合わせて、わたしは両腕で中空に何かがあるかのように抱き付いた。
「えいっ、えいっ!」
 ミトンのような両手で、わたしは必死になって幽霊をたぐり寄せた。チャンスを見逃す事も無く、式さんは幽霊の胸にナイフを付き立てた。
 幽霊も死ぬのかどうかは知らないけれど、これが幽霊の最期でした。
「おまえ、中々やるじゃないか」
 式さんが、屋上から帰るエレベーターの中で、わたしを誉めてくれた。
「いえ、それ程でも」
 わたしも、式さんや何も知らないだろうけど幹也さんの役に立てて、とても嬉しかったです。
 この事件で自信を持ったわたしは、このまま左手で生きていく生活に希望が沸いた来た。

               /3

 式さんは、何を考えているのだろう。
 あろう事か、幹也さんがいるというのに式さんは初対面の男を自分の部屋に連れ込んだのだ。式さんの性格が性格だから別に男と女の関係にはならなかったけど、別れ話が出るまでの一ヶ月間、わたしは気が気でならなかった。
 それにしても、あの少年は全然私に気付かなかったのだろうか? まあ、彼の身体はわたしに似ている所があるような気がしたから、そのせいかもしれない。

              ◇

 式さんの夜歩きに付き合いながら(付き合うしかないんだけど)、わたしは風邪で寝込んでいる橙子さんの話をした。
「あの、橙子さんのお見舞いに行きませんか?」
「見舞い? どうして、オレが?」
 式さんは、素直じゃないだけで優しい人だとわたしは思う。面倒くさそうな口調で嫌がっていた式さんだったけど、次の日見舞いに行く事になった。別にお土産なんかいらないと式さんが言うので、それなら身体にいい料理でも作ってあげましょうと、わたしは提案した。
「そうだな。おまえもオレの足を引っ張らない程度に料理が出来るようになったし、お粥位なら作ってやってもいいか。
「まだ、式さん程じゃないですけどね」
 わたしも早く、式さんの役に立てる位に料理が上手くなりたい。幽霊退治からこっち、勉強の手伝い程度しかわたしは役に立てていないし。その勉強も、殆どしていないから。

              ◇

 まさか、あの男にまた出会うなんて。マンションに別れた筈の少年が訪ねて来ると、式さんは少年と一緒に小川マンションに向かった。そこに、荒耶宗蓮と名乗る魔術師がいたのだ。
 彼が、わたしを人殺しにした張本人だったなんて。親切でわたしを治療したわけではないと、判っていたけど。
 一度は戦いに敗れて変な空間に閉じ込められた式さんだけど、右手一本で見事に元のマンションに戻って来る事が出来た。幹也さんが持って来た刀を手にして、式さんはエレベーターに乗り込んだ。
 怒りの形相で、式さんは魔術師に向かって戦いを挑む。わたしも、式さんの右手に合わせて日本刀を抱きかかえた。
 わたしはもう、わたしの為には戦う事はしない。式さんの為に、わたしは戦いたい。
 式さんに押された魔術師は、マンションから逃げ出した。式さんは、ためらう事なく魔術師を追いかける。
 マンションから飛び降りた式さんを信じて、わたし達は一気に日本刀を振り下ろした。魔術師は、止めの一撃を受けて遂に沈黙した。
「わたしたちの、勝利ですね」
 式さんは、わたしに返事もせずに倒れこんだ。わたしも、目が眩みそうだった。
「そうだった、幹也さんが来てたんだ……」
 包帯を巻き直す時間も無く、わたしは意識を失った。どうか、幹也さんに見られないで済みますように。

 どうやら、橙子さんが事後処理をしてくれたようで、幹也さんにわたしは見られないで済んだみたいだった。やっぱり、見舞いはしておいて良かった。
 あの少年は、魔術師に殺されてしまった。式さんと幹也さんの間に割って入らないでほしいとは思っていたけど、暫く同居していた人が死んでしまうとやっぱり寂しい。

               /4

 橙子の奴は、ちゃんと藤乃の身体を再生させていたみたいだった。しかし、左手は今もこうして包帯が巻かれているわけで、余った身体は浅上家に送り返されていた。

              ◇

 魔術師の勉強をしに事務所に来ていた鮮花が、学校での出来事を幹也に話していた。私は、ソファーに横になって何となく耳を傾けていた。
「……それで、夏休みが終わってから藤乃の様子がおかしいんです」
 理由は、私には判っていた。橙子は余った身体に、簡単な人格を与えていたのだ。いや、行動パターンといった方がいいだろう。
「元々行儀のいい子だったんですけど、今ではただハイハイ言うだけのつまんない人になったんです。先生やシスターからの受けは良くなったんですけどね」
 それは、そうだろう。そんな藤乃を喜ぶ人もいるとは思わなかったが。
「藤乃には、失望しました。他人の顔色うかがって生きるなんて、そんな心の弱い人は願い下げです」
 心って本当に強さなんてあるのだろうか? あんな事を言っている鮮花にだって、幹也というどうしようもないアキレス腱があるくせに。どうでもいい事を考えていた私が気が付くと、左手の包帯が濡れていた。
「おまえ、泣いているのか?」
 私は、懐に濡れた左手を突っ込んで事務所を後にした。

 マンションに帰って包帯を解くと、やはり左手は両目を真っ赤に貼らして涙を流していた。それどころか、鼻まで赤くなっている。
「わ、こら、汚いぞ」
 私が懐紙を差し出すと、藤乃は顔を押し付けて壊れた掃除機のような音を立てて鼻をかんだ。
「お、おかしいですよね。こうなるのは判っていた筈なのに、今更泣くなんて」
 私は、懐紙と一緒に鼻水で塗れた包帯を丸めて屑篭に投げ捨てた。
「わたしが初めて式さんに会った時に背筋を伸ばしていたのも、鮮花の気に入る人間を演じていただけです。本当は、わたしは鮮花が嫌いなタイプの人間だったんです……」
 私が新しい懐紙を渡すと、左手は涙を拭きながら鼻をかんだ。
「悲しかったら、オレに構わず泣いていいんだ。どうせ、オレはずっとおまえと一緒でいるしかないんだから」
 私は、左手の泣き顔を胸の中で包み込んだ。

               /5

 今年の正月は、式さんと幹也さんと一緒に過ごせて幸せだった。勿論、わたしは一言も話すことなく式さんの懐の中に隠れていただけなんだけど、二人の幸せを垣間見るだけでわたしの心も温かくなってきた。

              ◇

 わたし達の正月は、三箇日で終わってしまった。
 まさか、再びあそこに行くなんて。
 事務所に呼ばれた式さんが橙子さんから依頼を受けて、礼園に数日だけ入学する事になったのだ。当然、わたしも同行する事になった。
「あの、礼園について事前に聞きたい事はありませんか?」
「ない。オレが詳しすぎたら、鮮花に怪しまれるからな。知りたい事は、あいつから聞く」
 それは、もっともだ。こうなったら、現場で役に立つ事をしよう。
「言って置くけど、オレの仕事は妖精を見る事だ。オレにも見えないってんなら、おまえの目に頼るけど、今回は里帰りのつもりでのんびり構えていろ」
 そう言って式さんは、橙子さんから受け取った礼園の制服に着替えだした。やっぱりこの人は、何を着せても似合う。

              ◇

 世の中には、似ている人っているんだと思った。まさか、幹也さんに似ている先生が礼園にいるなんて。式さんも一瞬絶句してしまった程、良く似ている。どうやら、わたしと入れ替わりに学院に来たらしい。
 幹也さんも、あと何年かしたらあんな感じになるのかな?
 そんな事を止めども無く考えていたら、式さんが突然走り出した。今は聞き込みの最中だった筈なので、ビックリした。
 林を抜けて使われていない校舎に入った所で、誰もいないのを確認したわたしは式さんに話し掛けた。
「し、式さん、どうしたんですか?」
「おまえにも、聞こえるだろう?」
 制服の袖の奥に引っ込んでいたわたしが顔を出して耳を澄ますと、確かに妖精の声が聞こえた。
「……可愛くない」
 ここに来る前に予習していたから、神秘のかけらもない悪戯者の妖精もいる事は知っていた。だけど、古びたドアの軋みのような声で鳴くとは思わなかった。
「式さん、妖精って……。式さん?」
 式さんは、何か考え事をしていた。独り言から察するに、さっきの先生のことを考えているらしい。式さんは、先生が哀しげに笑うと言っていた。先生は、笑ったことが無いと式さんに応えた。笑顔ってなんなのだろう? 楽しくない笑顔があるというなら……。
「え?」
 突然、式さんはわたしをうなじへと持ち上げた。式さんを狙う妖精がそこにいるのが、わたしにも見えた。
「えい!」
 気持ち悪いのを我慢して、わたしは妖精を抱きかかえた。わたし達は感覚を共有しているので、式さんにも妖精の触感が伝わっている筈だ。
 式さんが妖精をどうしたいのかは、判っていた。思い切り腕に力を込めると、妖精は白い液体となって潰れた。
 式さんがわたしを思い切り振るうと、白い液は綺麗さっぱり払い落とされた。
 他の妖精達は逃げ出したらしく、式さんは校舎を後にした。
 校舎に戻ると、鮮花は式さんを待っていた。式さんと鮮花は元々うまが合わないけど、今の二人は全然会話がかみ合っていない。どうやら、妖精使いに鮮花は記憶を取られてしまったらしい。

              ◇

 今日は、式さんは中々目を覚まさない。わたしが脇腹でもつねればすぐに目を覚ますだろうけど、直後にわたしの首がねじ切れるのは間違いない。
 結局、式さんはノックの音で目を覚ました。幹也さんからの電話を、シスターが伝えに来たのだ。
 式さんは、幹也さんに先生の調査を頼んだ。あの先生に、何か怪しい所があるのだろうか?
 幹也さんからの伝言は早く伝えた方がいいとわたしが提案したら、部屋で鮮花を待つつもりだった式さんは面倒くさそうに廊下を歩き出した。
 鮮花は、廊下に倒れていた。どうやら、妖精使いにまた負けたようだ。
 幹也さんからの伝言を聞いた鮮花は、突然走り出した。どうやら、大事な事に気付いたらしい。
 どうやら、式さんも戦う事になりそうだ。式さんも判っているのか、夕食の席でテーブルのナイフを失敬していた。
 その夜、窓の外で飛び交っている無数の妖精達を見ていたわたし達は、明日が決着の時だと覚悟していた。

              ◇

 次の日、式さんは妖精に襲われそうになって、目を覚ました。妖精は、式さんの狙い済ました投げナイフで貫かれて消滅した。
 これだから、式さんを起こすのは怖いのよね。
 部屋を窺っていた敵の陰を追って礼拝堂に入ると、そこには先生が居た。式さんが何を根拠に推測したのかは知らないけれど、先生はやはり敵だったのだ。
 しかも、先生は荒耶と知り合いだったというのだ。
式さんと先生が何度か言葉を投げかけあった後、遂に戦いが始まった。わたしは、式さんを信じていた。絶対に負けない事、そして絶対に誰も殺さない事を。

 確かに式さんは負けなかったし、殺す事もしなかった。
 しかし、勝つ事も出来なかった。闇に包まれた礼拝堂の中で、式さんは嘆きの言葉を吐きながら倒れこんだのだ。
「式さん、目を覚まして下さい」
 いくら揺すっても、わたしの小さい手では何も効果は無かった。
「さて、次は君の望みを叶える番ですね」
 何も見えない闇の中で、先生の声が聞こえた。今のわたしは、千里眼を使えない。
「君は、人を殺すときの自分の笑顔が、楽しくない笑顔だったのかどうか知りたいんですね。ですが私は、誰が何をしたのか、いつ何が起きたのかまでしか判りません。さっきの式君との会話でも、私には思い違いがありましたし理解出来ない考えもありました。ですから、君が笑顔の時に楽しかったのかどうかは、私には判らないのですよ。それが判るのは、シキ君だけです」
 先生が遠ざかっていく足音が、闇の中に響いた。

              ◇

 妖精使いは鮮花が退治し、わたし達の役目が終わった。
 式さんは、いつもの和服にジャンパー姿で学院の門を出た。門の外に立っていたのは、幹也さんだった。
 道すがら幹也さんと事件の事を話していた時、式さんは先生を可哀相だと言ってくれた。やっぱり式さんは優しい人だと思う。
 今夜のわたし達は、三人で夜の散歩と洒落込んだ。幹也さんはわたしに気付いていないし、式さんはわたしを散歩のパートナーとは見てくれない。それでもわたしは、二人と一緒にいるのが幸せだった。

               /6

 二月一日、式さんは幹也さんと一緒に帰路を歩いていた。そろそろあの事を提案しようと思っていたわたしは、気になる言葉を式さんの口から耳にした。
 家に帰った直後、わたしは式さんに尋ねた。
「あのう。人は、一生に一人しか人間を殺せないって、どういう意味ですか?」
「……。安心しろ、おまえは自分の死を背負って人として死ねばいい」
 わたしの質問に、式さんは答えにならない答えを言いながらわたしの頭をなでた。混乱しながらも、わたしはその手の暖かさに甘えてしまった。
 お陰でわたしは、バレンタインデーにはちゃんと幹也さんにチョコを渡すように言うのを、忘れてしまったのでした。

              ◇

 式さんは、街頭で殺人鬼のニュースを見てから一週間、ずっと殺人鬼を探していた。たまに喧嘩をした程度で、何もなかったけど。探し物が出来ない体のわたしは、式さんにただ従うだけだった。
 そして一週間目、路地裏でわたし達はとうとう殺人鬼に出会った。
 式さんと殺人鬼は、どうやら顔見知りのようだった。
 殺人鬼が殺すと言っていた人は、幹也さんに違いない。式さんが本気になる理由は、他に考えられなかった。
 本気の式さんに片腕を殺された殺人鬼は、あっという間に逃げ去ってしまった。

              ◇

 殺人鬼に出会った式さんは、幹也さんに注意を促すために電話をかけた。なのに、二人の会話はこじれにこじれたみたいで、式さんは幹也さんに向かって大嫌いと言って電話を切ってしまった。
 二人には仲直りして欲しいと思ったけど、その前にどうしても聞きたい事があった。
「式さん、あの殺人鬼が久しぶりの外れた相手っていいましたよね」
 喧嘩別れした直後で不機嫌だった式さんは、わたしの顔も見ないで返事をした。
「ああ、おまえ以来だよ」
「わたしって、やっぱり外れてましたか?」
「どちらかっていうと、大外れかな」
 これでも、式さんは親切で言っているのだ。式さんは、本当に素直じゃない。
「それじゃあ、あの殺人鬼も殺さないんですね」
「どうして、そう思えるんだ?」
「だって、式さんはわたしを殺さなかった。式さんは優しいから……」
 全部言えなかった。わたしは言葉の途中で、式さんの右手で思い切り殴られて意識を失ってしまったからだ。

              ◇

 式さんに殴られてから意識を取り戻すまで、何時間が経過したのだろう? もしかしたら、何日間かもしれない。
 目が覚めた時、わたしは草むらの中で鉄のリングに身体を縛られていた。いや、式さんの両手に手錠が掛けられていたのだ。
「やっとお目覚めか」
 妙にうろんな表情で、式さんはわたしを見つめていた。
「おまえ、クスリが回っていないのか?」
 クスリ? そうか、式さんがうろんなのはそのせいか。式さんを手錠に繋いだのは、きっと殺人鬼だろう。式さんを閉じ込めて、クスリを使って……。あんな、あんな……。
「あんなの、殺人鬼ですらありません!」
 そうだ、あんな奴はわたしを犯した不良達の同類でしかない。
「式さん、あんな奴を殺してはいけません! 帰りましょう、式さん」
「そうだ、な。オレも帰りたい。あいつのアパートに……」
 ああ、やっぱり式さんが帰るべき場所は、幹也さんのいる場所なんだ。それは、とっても嬉しくて幸せで、だから力になりたかった。
 だけど、あの変質者が戻って来たら、今の式さんは叶わないだろう。せめて、手錠だけでもなんとかして外さないと。
「うん、うん」
 駄目だ、どうしても手錠はわたしの胴体から外れない。デフォルメされた大きい頭部が、どうやっても引っ掛かるのだ。
「おまえ、なにをやってるんだ?」
「手錠を外したいんです。どうせナイフは取り上げられたんでしょ」
「ああ」
 式さんが呟いた時の唇の動きは、妙に色っぽかった。赤い唇に白い歯が……。え?
「式さん、この手錠は外せますよ」
「本当か?」
「ええ、式さんの口で、わたしの頭を外せばいいんです」
「なんだって? そんな事をして大丈夫なのか? 組み立ててれば元に戻るのか?」
「そんな都合のいい話はありませんよ。ただ、学院に居る元の身体にわたしは戻るだけだから、安心して下さい」
 そんなのは、嘘だ。でも、今のままでは式さんも殺されてしまうだろう。
「わたしは痛くありませんから、思い切って頭からかじって下さい」
 わたしの言葉に納得したのか、それともクスリのせいで思考が鈍いせいか、わたしの嘘にも気付かずに式さんはとうとうわたしに向かって文字通り牙を剥いた。

              ◇

 さようなら、式さん。わたし、痛いです、居たいです。もう、遺体です。
 わたしが最後に考えたのは、バレンタインデーは何処で遊ぼうかという事だった。

              ◇

 事件の後、私は橙子に新しい左手を作って貰う事になった。
 私にかじられた左手は、噛み切られた直後に普通の左手へと姿を変えた。生首も、親指へと姿を変えた。もう、あの左手はいないんだ。
 そして、私には新しい左手がつけられ……。
「あ、あの。お久しぶりです」
「おい、橙子」
 そして、また橙子は壁に叩きつけられた。
 私が白純を殺した事を、左手は当然のように知っていた。しかし、それで何か言う事はなかった。それは幹也の役目だと判っているからだろうか。
 人を殺すのは、許されない事だ。だけど、人を殺した人が救われるかどうかは、別問題だ。私は、幹也に救われた。きっと、自分に打ち勝てた左手もとっくに救われていたのだろう。
 それで左手の方はといえば、バレンタインデーが過ぎてしまったのを残念がるばかりだった。

 ついでに付け足す事といえば、最近の私は幹也の左側に立つ事が多くなったので、右手でばかり手を繋いでると左手はぼやいている事ぐらいだろう。

           /7

 三月に降る雪は、街灯の明かりを反射させて、深夜の街を明るく彩っていた。
 時間は、日付の変わる少し前だった。
「あなたは、式さんではありませんね」
 わたしは、寒いのを我慢して袖口から顔を出した。
「そうね。式は今、眠っているわ」
「もしかすると、あなたがシキさんですか?」
 いつかの、礼拝堂で聞いた名前を思い出した。
「そう呼ばれるのが、一番好きだな。あなたは、わたしに聞きたいことがあったんでしょ?」
「ええ。でも、もう判ったんです。あなたに聞いても意味がないって」
 そうだ、わたしが笑っていた時に楽しかったかどうかは、他人に教えられてはいけない。わたし自身で決めなければいけない事なんだ。
「そうね。楽しかったなら、あなたは快楽殺人者になれる。楽しくないなら、心ない殺人者になれる。どちらを選ぶのも、あなたの自由ね」
 わたしは、もう選んでいた。だから、この話しはもうお終いだ。
「わたしは、あなたにお願いがあるの。これからわたしは、ある人と会わなければいけない。出来れば二人きりで」
「判りました。その間は、わたしは式さんみたいに寝ていますね」
 ありがとうと言って、シキさんは微笑んだ。
「お礼に何か一つ、願いを叶えましょうか?」
「え、願い? 急に言われても、何を言っていいのか……」
「簡単な事でいいのよ。例えば、時間を巻き戻すとか」
「じ、時間ですって?」
 とんでもない事を、シキさんは簡単に口にした。でも、何故かシキさんの言葉は信じられた。
「そうよ、人生の中でやり直したい事はいくらでもあるでしょ? 殺人でも、中学の総体の時でも」
 それをやり直せるなら、わたしは殺人者にならないで済んだだろう。だけど、わたしは逆にシキさんに聞き返した。
「あの、時間を巻き戻せば死なないで済む人が居ると判っていて、それでも時間を巻き戻さないのは、二度殺したことになるのですか?」
 わたしの質問を予想していたのか、シキさんはさほど驚いてはいなかった。
「そんな事はないわ。だって、既に今死んでいるのですもの。これ以上は殺したことにならないわ」
「それを聞いて、安心しました」
「やっぱり、あなたも望まないんですね」
「あなたも? わたしの前にも、そういう人がいたんですか?」
「順番は、関係ないのよ」
 そう言ったシキさんは、それが嬉しいのか悲しいのか、わたしには判らなかった。
「そろそろ、わたしは寝ますね。お休みなさい」
「はい、お休みなさいね」
 わたしは、そのまま和服の袖に潜り込んで、眠気に身を任せた。
 誰かが近づいてくる足音を、夢の中で聞きながら。

/人形寄生・了

[後書き]
今日は、練馬です。
四万ヒット記念SS、なんとか間に合いました。
当初は人形の二人が同居する話にするつもりだったのですが、思いつきでこうなりました。 元ネタが『美鳥の日々』なのは、言うまでもありません。
このSSは、hitoroさんのHP『Pladge letter』で開催された『空衣装祭』に寄稿したSS『少女人形』の続編ですが、独立した内容になっています。
はじめは、噛み切られた藤乃が元の身体に戻って終わりの筈だったけど、玄霧に余計な事を言わせたので、シキとの出会いまで書く事になりました。
感想、一応募集しています。

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