・・・・・弓つれづれ・・・・・・

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弓に関するとりとめのないことを書いていきます。
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≪話題≫


 弓力と矢の重さの組み合わせ

 ≪人格練磨実践の弓聖 阿波 研造≫

 ≪全日本弓道連盟 段、級の資格基準≫

 ≪全弓連会員管理システム、会員番号制について≫

◆ ≪「座」と「坐」の違いは?≫

◆ ≪全日本弓道連盟の主催する行事において使用できる弓具について≫

◆ ≪30m、色的36cmの遠的 点数制 新登場! 全日本弓道遠的選手権≫


≪30m、色的36cmの遠的 点数制 新登場! 全日本弓道遠的選手権≫

53回を迎えた全日本弓道遠的選手権大会にて、初めての試みとしてこれまでの的中制をやめ、
点数制を導入した新しい試合形式となった。

30m、尺二寸(36cm)  60m100cm それぞれ色的を使った点数制。
男女とも30m、60mそれぞれ4射、その合計点数で一次予選48名。二次も同様で24名。

決勝戦は再度各4射、1次、2次、決勝戦の総得点で決定。
ちなみに優勝者は24射で男子161点、 女子144点。

男子優勝者   30m 12射11中 89点
           60m 12射11中 72点   合計24射22中 161点

女子優勝者   30m 12射10中 70点 
           60m 12射10中 74点   合計24射20中 144点

この競技内容の変更の趣旨は?
狙いのあり方の重要性を改めて考えさせられたことでしょうか・・・。
常に正鵠を期する・・・
昔から「雪の目付け」など狙いのあり方、心の持ちようが伝えられています。

確かに金的、6寸まとで引いたとき矢所に尺二寸的を合わせて見ると、ほとんどの人が8割以上の的中
しているのは多くの人が体験していると思います。

確かに自分を振り返って見ると、漠然と的全体を狙いがちになっています (^^ゞ

当然早気など起こる訳ないですね・・・・・


≪全日本弓道連盟の主催する行事において使用できる弓具について≫

(平成7年4月1日施行)
◆ 弓について
   7尺3寸(221cm)を基準とし、3寸(9cm)詰まりより4寸(12cm)伸びの間で若干の長短は認める。
   ただし、いずれの場合も握りの位置は上部から約3分の2の所にあること。
◆ 矢摺籐の長さについて
   矢摺籐の寸法について
   矢摺籐の長さは、籐頭から上部へ6cm以上とする。
◆ 矢羽根について
   近的矢の羽の長さは4寸5分(13.6cm)〜5寸(約15cm)程度とする。
   遠的矢の羽の長さは、3寸(約9cm)〜4寸(約12cm)程度とする。
◆ 板付(矢尻)の形状について
   近的矢は<平題(現在最も一般的な形)、遠的矢は椎形(砲弾型)とし、いずれも危険の予防措置の
   一端としてカブセ式とする。


≪「座」と「坐」の違いは?≫
 
一般的に「座」はその位置を示しており、「坐」はすわる動作を表している。
   座 ・・・ 本座、定めの座、上座、下座
   坐 ・・・ 正坐、跪坐、坐射礼


≪全弓連会員管理システム、会員番号制について≫
 ・平成15年4月から日本弓道連盟会員全員に会員番号が付与されます。
 ・会員番号は一生ついて回ります。
 ・登録は現在所属している弓道会、連盟、大学、学校から登録されます(確認してください)。
 ・今後審査受審時には、会員番号が必須となります。
 ・会員番号は後日、所属団体より通知がありますので忘れないよう何かに記入保存して下さい。
  (弓具などに記入しておくと良いかも知れません)
 ・今回卒業やどこにも所属していない方は、今後所属し会員登録した時点で付与されます。
 ・登録にあたって、現取得段位、称号、ならびに取得年月日、取得場所(市町村)、生年月日の記入が必須
  となります。


≪全日本弓道連盟 段、級の資格基準≫

段・級位を受ける資格の基準は、次に掲げるとおりとする。

五級 弓道修練の初歩的段階にある者
四級 秩序のある指導を受けており、弓矢の扱い方に進歩があると認められる者
三級 射の基本動作及び弓矢の扱いが整い秩序のある指導の下に修練を経たと認められる者
二級 修練の程度が三級に比して進歩していると認められる者
一級 射の体型(射型)及び体配が概ね適正であると認められる者
初段 射型・体配及び射の運行共に型にかない、矢所の乱れぬ程度に達した者
弐段 射型・体配共に整い、射術の運用に気力充実し、矢所の乱れぬ者
参段 射型定まり、体配落着き、気息整い、射術の運用が法に従い、矢飛び直く的中やや確実な者
四段 前項の要素に加え気息正しく、離れ鋭く、的中確実の域に達した者
五段 射型・射術・体配共に適って射品現れ、精励の功特に認められる者
六段 技術優秀にして精錬の功更に顕著な者
七段 射型・射術・体配自ら備わり、射品高く錬達の域に達した者
八段 技能円熟、射品高雅、射芸の妙を体得した者
九段 弓道の真体に達した者
十段


≪人格練磨実践の弓聖 阿波 研造≫

平成15年1月26日 河北新報 記事

 <西欧に知れ渡る>
 夜気の向こうを見つめる四つの目があった。 弓を引き絞る気配がして甲矢が弦を離れた。
発止、と的中した様子である。
続いて、乙矢が闇に吸い込まれた。 大柄な射手は、的を確かめてくるよう弟子を促した。
的場に明かりがともる。
青い目の弟子はその場にへたり込んだ。

 甲矢は黒点の中央を正確に射抜き、乙矢は甲矢の筈を砕いて軸を削り、黒点の中心に並んで
立っていた。
 「あなたはこれをどう説明しますか」と師は語りかけた。
 「こんな暗さで的が狙えるものでしょうか。この矢は私が放ったものではなく、私が中てたもので
もないのです」
 この一晩の体験で私は別人のごとくになった。 矢が当たる当たらぬに心煩わされることはなく
なった・・・・とドイツ人哲学者のオイゲン・ヘリゲルは回想した。
 1936年のベルリン。この講演会で弓聖、阿波研造の名は西欧にも知れ渡った。

 オイゲン・ヘリゲル
 カントの流れをくむドイツ人哲学者。ハイデルベルグ大で神学と哲学を学ぶ。同窓のヤスパース(実
存主義哲学者)と激しい論争を繰り広げた。1924年、法文学部の充実を図る東北帝大の招きで来日、
哲学やラテン語などを教える。
また、阿波研造に弟子入りして、弓道と禅を研究した。
29年に離日する際には、研造から五段の免状を授与されている。帰国後はエルランゲン大の教授とな
り、日本思想を講じた。55年肺がんのため71歳で死去。
 著書(述作)に「日本の弓術」「弓と禅」などがある。

<新団体を旗揚げ>
 少年期の研造は、宮本村の武蔵(たけぞう)を地でいく悪童だったという。それが人がましくなれたのは、
学問のおかげだった。 寺で漢学を学び、十八歳で私塾を開いた。よほどの精進だったろう。

 1899年、二十歳で石巻の阿波家にむこ入りし、家業の傍ら、弓術の修行にいそしむ。3年を経ずして免
許皆伝に達し、1909年、弓で身を立てる決心で仙台に転居した。
 翌年、京都で開かれた大日本武徳会(全日本弓道、剣道、柔道連盟の前身)の演武大会に出場して好
成績収める。
 旧制二高、仙台医専(後の東北大医学部)、在仙の諸官庁が争うように研造を師範に迎えた。

 このころの研造の弓は百発百中を期すものだった。332人の精鋭が集まった17年の演武大会で、研造は
弓術日本一の栄誉を手にする。
 四日間の射技が全射的中という空前の成績だった。これは同時に、的中主義の限界を意味した。
 20年のある夜更け、研造は月光が照らす的前に独り立った。
 肉体も滅びよと射続けた果てに、自己が粉みじんに爆発する感覚に襲われる。弦音高く放たれた矢は、幾
千里のかなたに走ったかと思われた。
 弓によって宇宙と自己が合一する神秘体験を経て、23年に禅を根幹をおく弓道の新団体「大射道教」を旗
揚げする。
 心酔する門弟たちの期待は大きく、「大射道教」は全国に百余りの支部を擁する堂々たる弓団に成長する。
 後に、研造は武徳会武道専門学校の教授就任を打診される。武道家にとって大変な名誉だが、研造はこ
れを謝絶し、終生仙台を動かなかった。
 彼の薫陶下で大いなる射の道を歩んだ者は東北、北海道、関東を中心に一万四千人を数えた。
 
 24年、オイゲル・ヘリゲルが東北帝大の招きで来日する。日本的芸道を習得しようと、人を介して研造に弟
子入りを申し出た。
 研造は教えた。弓は腕力で引いてはならない。筋肉を緩め、心で引きなさい。完全に無我となるならば、お
のずと正しい射方が出来るものです。
 ヘリゲルを最も悩ませたのは次の言葉だっただろう。「人物が正しければ、的があなたに近づいてきて一体
となる。それは摂理と人が一体になることを意味する。矢は的の中心にあることになり、外れることはないので
す。」
 そんなことを言われても、弓を引くには力がいる。私が無になったら。誰が矢を射るというのか。弟子は西欧
の知性で師の言葉をとらえようとし。技術上の模索を繰り返した。
 師は弟子の心の中に「不信」を見た。
 不信を打ち砕くため、研造は暗夜の道場にヘリゲルを呼ぶー。

 ≪阿波研造≫
1880年、宮城県河北町の麹製造業佐藤家の長男として生れ、20歳で石巻市の同業者阿波家の
むこ養子に入った。
雪荷派弓術師範の木村時隆と、竹林派弓術師範の本田利実に学ぶ。
仙台市に転居したのは30歳の時で現在の青葉区一番町一丁目、ついで五橋一丁目に弓道場を
開設、旧制二高で指導すること30年に及び、薫陶下から各方面で活躍する人材が育った。
1939年、60歳で没した。墓所は石巻市門脇の称法寺にある。



≪弓力と矢の重さの組み合わせ≫

(但し、下記の組み合わせより、重めの矢の場合は差し支えありません。)

新作樹脂弓、カーボン内蔵弓
弓力 並寸85cm 伸寸90cm
10kg  22g  21g
11  23  22
12  24  23
13  25  24
14  26  25
15  27  26
16  28  27
17  29  28
18  30  29
19  31  30
20  32  31
21  33 (8.8匁)  32
22  34 (9匁)  33
23  35 (9.34匁)  34
24  36 (9.6匁)  35
従来の竹弓(樹脂弓、にべ弓)
弓力 並寸85cm 伸寸90cm
10kg  19g  18g(4.8匁)
11  20  19 (5匁)
12  21  20 (5.34匁)
13  22  21 (5.6匁)
14  23  22 (5.9匁)
15  24  23 (6.14匁)
16  25  24 (6.4匁)
17  26  25 (6.67匁)
18  27  26 (6.94匁)
19  28  27 (7.2匁)
20  29  28 (7.47匁)
21  30  29 (7.74匁)
22  31  30 (8匁)
23  32  31 (8.27匁)
24  33  32 (8.54匁)