序章
卒業論文テーマを決定するにあたって



 私の家族は、縁あって新潟県中頚城郡妙高村赤倉温泉で、毎年の正月を過ごすことになっている。妙高村及び、隣接する中心地、妙高高原町は、行政区分上は新潟県に属するが、川(関川)を渡れば、すぐに長野県であり、長野市まで、約30分という立地条件である。東京生まれ東京育ちで、故郷を持たない私は、妙高高原と、そこから最も近い長野市を、住んだことは無いが、故郷だと思っている。

 さて、1997年は、長野県にとって、大きな変革の1年となったであろう。1998年の冬季オリンピックを目前に控え、県北部では大規模な工事が続いている。そして、交通網の整備も進んでいる、陸の孤島気味であった長野県にとっては、1996年度の上信越自動車道の小諸IC以北への延長、及び更埴JCでの長野自動車道との合流、1997年度の信州中野IC〜中郷ICの開通と、高速道路網の発展は、大きな意味を持っていた。そして、1997年10月1日の北陸新幹線開通は、何よりも大きい。かつて、父の車で関越自動車道の前橋ICから、R18を延々妙高高原まで辿ったり、信越本線の特急「あさま」で3時間半かけて通った私にとっても、大きな変革である。これが、ただ単純に便利になっただけであるならば、喜ばしいことではあるが、今回の場合は、そう簡単には喜べず、複雑な思いでいる。勿論喜ばしいことには違いはないが、大きなものを失ったのも事実なのである。それは、信越本線横川駅〜軽井沢駅間の廃止・分断、軽井沢駅〜篠ノ井駅間の第三セクター化である。

 わが国で初の電化区間であり、またJR線内で最も勾配の大きい碓氷峠(横川駅〜軽井沢駅間)が、今回廃止されることになった。これは、山形新幹線の開業時に奥羽本線板谷峠のスイッチバックが廃止(もっとも山形新幹線は板谷峠を通過はする)されたのと、全く同じケースである。しかし、私は個人的に、板谷峠の時とは比べ物にならない程の、鉄道文化が失われると思っている。その最も大きな理由は、碓氷峠の廃止と共に、「峠のシェルパ」と呼ばれたEF63型機関車も姿を消すことである。板谷峠でもEF70型といった専用機が存在したが、普通列車のみで、特急列車は自走して板谷峠を通過していた。ところが、碓氷峠では、、普通・急行・特急の区別無く、全ての列車がEF63型機関車を連結して通過していたのである。コストを考えると効率は悪いが、横川・軽井沢両駅に停車というのは、今のJRが失ってしまった、古き良き国鉄時代の面影を残していたような気がする。横川駅の釜飯が、板谷峠の力うどんとは比べ物にならないほどの知名度を誇っているのも、EF63型機関車の連結時間というものが大きく作用している。

 しかし、このEF63型機関車の存在、というよりも、碓氷峠の急勾配が、今回の決定に大きな影響を与えたことは疑いない。廃止される一番の理由は、機関車接続と、急勾配運行によって生じる多大なコストなのである。私も何度か横川駅で、機関車連結作業の様子を見たことがあるが、連結器に1人、ホームに1人、運転士1人と、人件費を考えたら、非常にロスが多い。とは言え、新幹線の開通と共に、廃止されるには、惜しいだけの旅情を持った線区であった。

 卒業論文を考えたときに、私がこの問題を、真っ先に思い浮かべたのは、当然の事かもしれない。当初、「碓氷峠の廃止」に焦点を当てるつもりだったが、この論文制作のために取材に当たった人達の話を聞くと、この種の問題は、何も碓氷峠に限った事ではなく、今後予定されている、整備新幹線の予定地全てに関係する問題だとわかってきた。そこで、テーマを急遽「整備新幹線と平行在来線」に変更することにした。大都会中心に考えられた整備新幹線と、それに伴い、廃止される地方交通網である、平行在来線の問題を考察していきたい。


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