日本名城探訪記〜東北編〜


会津若松城

会津若松城天守閣概要
別名というか、正式名称は「鶴ヶ城」。岩代の中央部に位置する、肥沃な会津盆地の中央に位置し、また、関東から見て東北の入口に当たり、東北諸将への押さえとなっていた。かつては砂金も産出していた。

起源
至徳元年(1384)に、芦名直盛が、東黒川館を築いたのがその起源。その後、芦名盛氏の時代に、城郭建築に改められ、以降「黒川城」と呼ばれていた。その後、文禄2年(1591)に、当時の城主、蒲生氏郷が7層の天守閣を築き、名称を「鶴ヶ城」に改めた。
慶長16年(1611)、会津地方の地震によって天守閣が傾き、加藤明成が改修し、寛永16年(1639)に、現在のような5層の天守閣となった。

構造
会津盆地を流れる、湯川沿いの丘陵を利用した平山城。内堀に囲まれた本丸を中心に、帯郭・天守閣を配置している。内堀の外側に、二の丸・西出丸・北出丸を配置し、更に東側に三の丸を持つ、巨大な造りになっている。各出丸から、内堀内に至る椿坂・梅坂・廊下橋は、防御的思想に富んでおり、本丸へは、堅固な鉄門(くろがねもん)が控えている。

会津若松城では、干飯櫓・南走長屋が木造で復元されている。平成13年完成。

こちらは、本丸東側の廊下橋。防御戦の時は、この橋を落とすことで、東側の防御力を挙げる構想であった。

尚、外堀の石垣は、下部がゆるやかな曲線で、登るにつれて垂直になるという、きれいな扇形を描いている。
本来は、雨水等の排水性を良くするための構造だが、この石垣構造も、防御力に一役かっていた。

 

 

 

 

戦国時代
代々、奥羽の豪族、芦名氏が治めていたが、佐竹家からの養子、芦名義広の代に、伊達政宗が侵攻、摺上原の合戦で大敗した義広は、城を捨てて生家佐竹家へと逃げた。天正17年(1589)、伊達政宗が、無血入城する。
ところが、芦名義広は、伊達軍の侵攻を豊臣秀吉に直訴した。政宗は「秀吉に背くのではなく、父の仇(畠山義継)の扇動者を討ったまで」と返答し、軍事行動は許されたものの、旧芦名領は没収、秀吉旗下の蒲生氏郷に与えられた(92万石)。
蒲生氏郷は、東北の一揆の鎮圧などに功があり、黒川城を改修し「鶴ヶ城」と改めた。しかし、文禄4年(1595)に40歳の若さで亡くなると、慶長3年(1598)に、氏郷の子、秀行の代わりに、上杉景勝が封じられた(120万石)。

麟閣

城内には、麟閣と言われる茶室がある。千利休の門弟で、「利休七哲」の筆頭でもあった蒲生氏郷が、利休切腹後、その次男、少庵を引き取った。

その少庵のために建てられたのが、この「麟閣」であるとされている。

戊辰戦争後、城内の荒廃を憂いた石州流会津怡渓派(いけいは)の指月庵宗久が自宅へと移築し、明治初年の取り壊しを免れた。
平成2年に、城内の元の場所へ移築され直している。

 

 

 

江戸時代
上杉家は関ヶ原で西軍に属した為、会津若松120万石から、米沢30万石に減封された。代わって氏郷の子、秀行が宇都宮18万石から復帰した(60万石)。秀行の死後、後継ぎがなく、伊予松山から加藤嘉明が入封し、その子明成の代に大々的な改修を行い、ほぼ現在の姿である、5層の天守閣となった。
その後、加藤家は改易となり、寛永20年(1643)、保科正之が入封した(23万石)。正之は2代将軍秀忠の庶子で、3代将軍家光の異母弟に当たる。後に松平家となり、幕末へ至る。

幕末
ペリー来航後、京都に諸藩の志士が集まり、不穏な空気になっていった。幕府は会津藩主松平容保を京都守護職に任命し、京都の治安維持を任せた。新撰組もこの会津藩京都守護職預かりの身であり、蛤御門の変においても、薩摩藩と共に、長州藩軍を撃退した。
後、幕府が倒れ、戊辰戦争が起こった時、松平容保は絶対恭順を示したが、長州藩は、昔日の恨みとばかりに攻撃し、籠城1ヶ月に及ぶ激戦の末、新政府軍に降伏した。
会津藩は、戦後斗南へ移封となり、明治後も、賊軍としての差別を受けた。後に西南戦争時に、政府軍に参加し、旧薩摩藩士と戦うのは皮肉である。

会津若松城は、何度か改修が施されており、改修の年代によって、石垣の構造が異なっているのが興味深い。
石垣の構造には、大きく分けて3種類あるが、会津若松城には、この3種類全ての石垣が存在する。
尚、石垣の種類については、浜松城に記載している。

野面積み打ち込みはぎ切り込みはぎ

 

 

 

 

 

左から、野面積み(天守台)、打ち込みはぎ(太鼓門)、切り込みはぎ(鉄門)である。

江戸時代以降
明治7年(1874)、政府の命によって、取り壊される。

陸軍省管轄の土地であったが、旧藩士遠藤敬止らの尽力により、払い下げを受ける。

昭和9年(1934)、国の史跡指定

昭和40年(1965)、天守閣再建。


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