第4章
横川〜軽井沢間の廃止


 ※この章は、発表当時と現在とで、大きく状況が変わっています。発表後に変更があった点は、補記を追加しました。

 信越本線の横川〜軽井沢間の廃止については、これまでに何回か触れる機会があったが、一概にJR、そして国の整備新幹線計画に問題があったからとは言えない。この章では、横川〜軽井沢間の碓氷峠が抱えてた問題について、意見を述べていく。

 群馬県松井田町横川地区は、鉄道と共に発展したといっていい。松井田町の歴史は、信越本線と横川機関区と共にあった。しかし、鉄道から見放された今後、松井田町には、抜本的対策がないと、過疎化への道が待っているだけであろう。

※補記 現在、「碓井鉄道文化むら」が開業しており、週末には鉄道ファンで賑わっている。また、旧線を遊歩道として整備し、旧丸山変電諸の先に、「碓井峠の森交流館 峠の湯」を開設し、将来的には、両施設の間を、旧線を使ったトロッコ列車で結ぶ計画がある。

 碓井峠を挟んだ両町、松井田町と、長野県軽井沢町にとって、碓氷峠の存在意義が違っていた。外国人にも知られる避暑地であり、観光地でもある軽井沢町にとって、東京方面とのアクセスにおいて、碓井峠は邪魔な存在でしかなかった。しかし、南の山梨県に迂回しようとも、八ヶ岳山麓を通過せねばならず、かえって所要時間がかかるため、その交通手段として、碓井峠を使わざるを得なかったのである。

 一方で、松井田町、殊に横川地区は、碓氷峠に依存していた。EF63型機関車を、普通列車・特急列車を問わずに連結していたために、停車時間が長いため、駅弁が売れた。これが、「おぎのやの『峠の釜飯』」であり、その知名度は、全国的に広まっていった。しかし、横川といえば、「峠の釜飯」であり、その他に観光資源がなかったのが、軽井沢と対称的であった。もっとも、観光資源が全くないわけではない。碓井の関所跡や、旧アプト式路線など、あることはあるが、知名度が低く、またPRもさほどされていないのである。正に鉄道に頼りきった状態であり、これは横川地区だけでなく、隣接する磯部温泉に関しても同様なことが言える。

 そこで、今回の北陸新幹線の問題が起こった。新幹線の場合は、勾配上の問題があったため、横川を通過することは、技術上不可能であったが、横川に軽井沢並みの観光資源が存在していれば、新幹線以外の交通機関、例えば、東京〜横川間の直通特急が運行されていたであろう。

※補記 不定期ではあるが、JR東日本のリバイバルトレイン運行の一貫として、「思い出のあさま号」が、上野〜横川間で運行される。
尚、2002年秋は、碓氷峠をバスで越え、「しなの鉄道」区間内でも運行される列車に接続するダイヤとなっている。

 本論とは、多少主旨がずれてしまうかもしれないが、長野県小諸市も、今回の新幹線のルートから外れてしまった。小諸市の場合は、「しなの鉄道」を最大限利用して、都市活性化を図ろうと、決死の思いで取り組んでいる。残念ながら、松井田町は、過去の遺産に縋っており(旧碓氷峠の写真集発売など)、小諸市のような積極的活動は、今のところ聞かれない。

 信越本線横川駅で、長期にわたって駅弁販売を行っていた、「おぎのや」は、新幹線開業によるデメリットを、最も被った企業であるといえるだろう。但し、「おぎのや」の場合は、鉄道と心中するつもりはなく、新幹線開業、信越本線の分断、第3セクター化が決定した時点で、鉄道離れの経営に移っていた。元々、国道18号線碓井バイパスの手前に、大規模なドライブインを展開していたが、ここ数年で、上信越自動車道佐久ICの入口や、横川SAの上り線、中央自動車道の諏訪SAなどで、自動車輸送と密着した経営を始めている。今後、上信越自動車道の長野IC、信州中野ICにも業務展開していく予定であり、鉄道頼りの経営から脱却しているように見える。一方で、新幹線の車内販売の権利を取得するなど、鉄道から完全に離れた訳でもない。

 信越本線横川駅で、密接に繋がっていた松井田町と、「おぎのや」は、新幹線開業後の対策が根本的に違うのが印象的である。


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