街道をゆく〜甲斐のみち〜
目的は、昇仙峡の紅葉見物です。ついでに甲府城跡や躑躅ヶ崎館跡の史跡も。
標題は、司馬遼太郎の紀行文「街道をゆく」(朝日文芸文庫)のそのままパクリです。
| 1.甲府城跡 |
箱根の1週間後、「そろそろ昇仙峡がいい感じかな?」と思い、山梨へ遠征することにしました。
昇仙峡は、山梨県甲府市の近郊にある渓谷で、富士川上流の荒川が作り上げた、見事な景観です。
実は、この地を知ったのは、私の前の部署の先輩企画による、「社内有志旅行」で連れて行って頂いたことがきっかけです。この時は、寺の宿坊に泊まるなど、貴重な経験をさせて頂きました。
さて、中央道に乗り、一路甲斐路をゆきます。八王子ICを過ぎた当たりからの、いわゆる山登り区間は、周囲に雄大な光景が広がり、私の好きな景色の一つでもあります。
山々に囲まれた盆地があり、その中央を中央本線が走っている、正に箱庭的風景です。
日本人が好きそうな、「侘び」を感じる風景です。
が、(またこの展開かよ・・・・・)
山梨県に入ると雨・・・・・・・・
え〜い、甲府に着く頃には止むはず。という願望虚しく、甲府に着いても雨。
無理すれば、全然観光できない雨でもなかったのですが、
「明日は晴れるはず」という根拠のない自信を根拠に、昇仙峡観光は翌日にまわすことにしました。
まぁ、この日は甲府に着いたのがすでに昼過ぎだったし・・・・・・・・
というわけで、この日は甲府市街の散策。
かつての名将、武田信玄の育てた街を歩くのも悪くはない。

と思っていたら、JR甲府駅前で、武田信玄像を発見。
さすが甲府。武田信玄の街だけはある。
ちなみに地図を見ると「武田町」なんて町もあったりします。
武田家は、源義家を先祖とする甲斐源氏の末裔で、新羅三郎義光を先祖とする名家でありました。戦国時代となると、信玄の父信虎が甲斐を統一し、信濃へと進出するようになりました。ちなみに甲斐源氏は、源平の合戦「富士川の戦い」で先鋒を務めています。
信虎は、残忍な武将であったといわれています。
信玄は、父信虎を今川家に追放し(信玄の姉が今川義元の妻であった)、甲斐国を掌握、信濃に進出し、信濃をほぼ全土制圧した頃に、越後の上杉謙信と争うことになります。謙信との「川中島合戦」は特に有名です。
この像は、川中島合戦陣中のものでしょうか?
武田家が有名なのは、徳川家康がその軍法を高く評価し、徳川軍団に武田の旧臣を多く抱えたこと、山本鉄以の記した「甲陽軍鑑」や、「武田三代軍記」などの軍記物が江戸中期以降、庶民に広く読まれるようになったことが挙げられます。
う〜ん、信玄については書きたいネタはいっぱいあるのですが、キリがないのでこのあたりまでで。
雨が降っていたので、適当に散策していると、午後3時頃には雨が上がりました。
うむ、明日はきっといい天気に違いない。
しかし、ここから昇仙峡に行ってももう遅いので、甲府城跡に行ってみることにしました。

甲府城についての詳しくはこちらをご覧下さい。
こちらは、甲府駅に近い、梅林門です。
重厚な門構えに、どことなく威圧感を感じます。
こちらは、銃眼(城外を狙撃するための穴)も復元されています。

甲府城の天守台(天守閣跡?)から望む、甲府市街の北側です。
雨を降らせていた雲は薄くなり、次第に青空も見えてくるようになりました。
根拠がないままに、「明日は晴れる」と思っていたのですが、勝手な思いこみから、次第に自信へと変わっていきました。
昇仙峡は、方角で言えば、この光景の、更に西側(左側)になります。

天守台から、城域内を眺めるとこんな感じです。
天守台の西側に当たります。
右手の建物はトイレ。城郭としての建造物は、石垣と門以外、何もありません。左手の塔(?)には、「謝恩碑」と書かれていました。大正年間に建てられたものらしいのですが、碑文として書かれている文章の意味はわかりませんでした(古文か漢文っぽかった)。
ただ、「山縣有朋」という字を読み取ることができました。
山縣有朋は、明治期の陸軍において、法皇とも言うべき存在です。
明治期に、旧城郭のほとんどが陸軍の管轄となっていたことから、明治末年(調べたところ、明治37年)に公園として公開されるようになったことへの謝恩を表す碑ではないかな?と想像してみました。

こちらは、甲府市街南東側の景観です。
遠くの方は、既に日が差しているのがわかりますでしょうか?
明日はきっといい天気になるに違いない。
こうして見ると、甲府市が山に囲まれた、典型的な盆地であることがわかるかと思います。
以前、どこかで書いたかもしれませんが、私はこういう山に囲まれた風景というのが、たまらなく好きです。

城域内を一通り見て、反対側の遊亀門から城を出ました。
甲府城は、現在復元工事の最中のようで、石垣用の石が保管されていたりしました。一日も早い完成を祈りたいものです。
こちらの橋は、復元されてからまだ日が浅いのか、芳醇な木の香りがしました。
どちらかと言えば、こちら側の方が、整備がすすんでいるみたいでした。