街道をゆく〜桜のみち〜

目的は、近所の桜見物です。
標題は、司馬遼太郎の紀行文「街道をゆく」(朝日文芸文庫)のそのままパクリです。


1.桜川

各地の桜を見に行きつつも、最近、全然見に行くことがなくなった桜を思い出した。

この桜こそが、私の風流な趣味形成をなしているといっていい。

私個人の原型を探るべく、この桜を見に行くことにした。

                                    〜司馬遼太郎「街道をゆく」の文体をパクッてみました〜

 

その桜とは、決して「Tokyo Walker」や、「Hanako」で紹介されることもない、マイナーな桜です。
私がかつて住んでいたのは、東京都板橋区桜川。その名の通り、桜の季節には、満開の桜が迎えてくれます。
現在、住所は変わりましたが、こちらまでは歩いていける距離です。

 

桜川緑道
こちらは、桜川緑道です。元々、田柄川という小川だったのですが、現在は埋め立てて、遊歩道となっています。「桜川」という地名の由来は、ここから1kmほど先の、田柄川と石神井川の合流地点で、川沿いの桜の花びらが、渦を巻いていたことに由来しています。

この遊歩道は、かつて私の通学路でもありました。
緑道は、練馬区まで続いていますが、同じ道を板橋区側では「緑道」と呼び、練馬区側では「グリーンベルト」と呼びます。なぜでしょう?

東武東上線上板橋駅南口から、道なりに約1km程です。

 

桜川中学校方面
遊歩道に沿ってではなく、更に南へ。

こちらは、城北公園テニスコートから、桜川中学校へと進む道です。その先には、我が母校、桜川小学校(下記参照)があります。

ここの桜は、夜でも街灯がライトアップの役目を果たし、とても綺麗です。右側も城北公園の域内で、こちらにも数多くの花が咲き誇ります。

 

 

毛呂山公園

さらに南へ。こちらは板橋区立毛呂山公園。小学校1年生の時の、遠足コースです。よく見ると、桜の花が散っているのがわかります。

丘のような公園ですが、域内はほとんどが桜の木。

春には地元住民の花見で盛りあがります。

 

 

石神井川
来た道を少し戻り、石神井川沿いを歩きます。こちらが、川沿いの桜の花びらを集めた石神井川。

護岸工事がなされ、かつての田柄川との合流地点も今は無く、「桜川」の由来となった光景を見ることは出来ませんが、その面影を偲ぶことはできそうです。

この石神井川、都民にもあまり知られていませんが、かつて「矢ガモ」が出現し、一時期だけ、有名になりました。

 

 

 

桜川小学校
石神井川沿いにある、板橋区立桜川小学校。私の母校です。
桜川緑道(一番最初の写真)はこちらにつながっています。左側に少し見えているのが、緑道です。
2番目の道を進んで行っても、やはりこの先の交差点にでます。

私が今のような、風流な趣味を持つようになったのも、環境のなせる業でしょうか?

ちなみに写真の場所の手前側に、かつての田柄・石神井川の合流地点があります。

 

 

城北公園

桜川小学校の前を過ぎ、交差点を左折して、桜川中学校の前を通ります(2番目の写真の道)。

こちらは、桜川中学校の道路を挟んだ反対側、城北公園です。

桜の他、牡丹、椿も咲き乱れています。道路のように見えているのは、サイクリングコース。小学生の時は、ここでレースをしていました。また、桜川小学校のマラソンコースでもありました(今はどうか知らない)。

 

 

城北公園
2番目の写真の地点に戻り、城北公園テニスコート横の坂道を登ります。東京都立城北公園は、道路によって分断されているので紛らわしいのですが、こちらも城北公園。

城北公園は、かつて立教大学のグラウンドでしたが、東京都によって、公園となりました。その時に、当時立教大学サッカー部員であった、私の祖父も尽力したそうです。

今でも年配の方には、城北公園のことを、「りっきょう公園」と言われることがあります。

 

 

こんな環境で育ってしまったからには、桜を愛して、西行法師のようにさすらってしまうのも、無理がないという結論に達しました。