「八雲たつ出雲」へ

目的は、初の山陰上陸となる、松江・出雲周辺の観光です。
標題は、須佐之男命(スサノオノミコト)「やくもたつ 出雲八重垣 妻囲みに 八重垣つくる その八重垣を」(古事記)からです。


6.和鋼博物館

松江駅から再び米子空港へと戻る前に、1箇所、寄り道しておきたいところがありました。

安来駅
松江駅から、再び列車に乗って、東へと向かいます。
松江近辺は電化されているものの、その周辺は、まだまだ非電化区間が多いために、ディーゼルカーが多く使われているようでした。

私は11:48発米子行に乗って、12:10に到着した安来駅で途中下車。
そう、ここは「安来節」で有名な地です。といっても、別に安来節に興味があったわけではありません。こちらにある、「和鋼博物館」という、日本古来のたたら製鉄の博物館を見学したかったのが、途中下車の理由です。

安来駅は、特急「やくも」も停車する駅で、長いホームを備えていました。

 

 

 

中海
安来駅から「和鋼博物館」まで、歩いても対して距離はないために、歩いて行ってみる事に。

博物館に向かっていくと、駅からしばらく進むと安来港が見えてきて、更に進むと、中海が見えてきました。こちらは、「海」とは称しても、一部が海と繋がっている、汽水湖と呼ばれる湖です。この写真は、その中海を渡る橋の上から。

湖とは言っても、こうして見ているだけでは、とてもそうは思えません。安来は、港町としても栄えた街ですが、波穏やかで、海のように広大な湖に面しているのは、港としての好条件を備えているので、頷けることではあります。

もちろん、港としての好条件だけではなくて、安来の製鉄業もその背景にはあるのですが。

うわっ、また雨が降ってきたぁ。まぁ、傘を必要とする程ではありませんが。

 

 

 

和鋼博物館
上の写真の橋を渡り終えると、目前に和鋼博物館が見えてきました。入口はこの奥のようですが。
和鋼博物館に辿り付く前に、「和鋼」とは何かということを解説しておきましょう。

現在は、鉄鉱石とコークスを使って製鉄を行っていますが、古来では、砂鉄と木炭で製鉄を行っていました。日本で本格的に鉄鉱石による製鉄が開始されたのは、日清戦争後に建設された八幡製鉄所(現、北九州市)で、それまでは、砂鉄による、いわゆる「たたら製鉄」による鉄生産が行われていました。

この古代以来の製鉄技術を「日本独特の鋼」ということで、「和鋼」と称しているようです。

この「和鋼」は、実は今でも生産されていて、YSS(ヤスキハガネ)というブランドにもなっています。
YSSは、鋼としての品質が高いために、日本刀や、剃刀の刃としての需要が高く、未だに神話時代からの産業が続いてます。

 

 

和鋼博物館
こちらが和鋼博物館の入口です。パンフレットを見ると、平成5年の開館となっています。

しかし、司馬遼太郎「街道をゆく〜砂鉄のみち」にも、「和鋼記念館」として、ここのことが出てきます。和鋼博物館の前身でしょうか?和鋼記念館の方は、昭和18年に日立金属安来工場が建設したと、上記「街道をゆく」本文中に記載されています。

いや、ここの展示は凄いです。今まで、「たたら製鉄」というものが、漠然としか理解してなかったのですが、ここの展示である程度理解することができるようになってきました。2Fの「たたらシアター」が故障中で見学できなかったのが残念でしたが。

古代、出雲地方は強大な勢力を持っていましたが、その背景には中国産地の良質の鉄があり、その良質の鉄を支えたのが、この「たたら製鉄」でした。どうやら、砂鉄や木炭の質が、この中国山地のものが、最も優れていたようです。

 

 

和鋼博物館
和鋼博物館の門前に展示されているのが、「けら」と呼ばれるもので、砂鉄を熔かして固まった物体です。近代製鉄でいうところの、銑鉄に当たるものでしょうか。

この「けら」は、和鋼記念館時代にもあったようで、司馬遼太郎も見た時の感想を記載しています。
以下は、「街道をゆく〜砂鉄のみち」からの引用(P216より)。

人類は大地の砂鉄をあつめてこの※ケラをひねり出したところから、文明を飛躍させてしまったのである。もし、※ケラというものが存在しなかったなら生産というものも飛躍せず、人類の欲望もかぎられ、人類がこのように繁殖することもなく、そして、和鋼記念館の前に立っている私も、存在しなかったにちがいない。
(※「ケラ」は本文中では、漢字の記載。「金母」←を1字にしたもの。)

こうして見ると、たたらの製鉄が古代日本史に果たした役割は、稲作とほぼ同じくらいであるといえそうです。「鉄」について、歴史的に語ると、膨大な量になるので、この辺りで打ち切りにさせて頂きます。(興味がある方は、個別に質問してください)。

 

 

安来駅
一通り見学を終え、安来駅へと戻りました。こちらは、14:19発生山行(伯備線)普通列車。14:28に米子駅に到着します。

米子空港行のバスが、米子駅前から14:30に出るので、どうしてもこの列車に乗る必要がありました。が、米子駅到着後、バスの発着場所がわからずに駅前をうろうろしていたら、丁度、空港行のバスが発車してしまったところでした・・・・・

米子駅は、境線の沿線にあるので、途中まで列車で行こうと思ったら、運行本数が少なく、都合のいい列車がありませんでした。というわけで、結局、米子空港までタクシーで行くことに・・・・・・

くうっ、余計な出費だ・・・・・どうせタクシーなら、後続の特急「いそかぜ」(安来駅14:27発、米子駅14:34着)に乗ってもよかったのに。

 

 

米子空港から飛行機で東京へ。これにて、初の山陰訪問編は終了です。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。またもや、訪問から旅行記完成まで、3ヶ月かかってしまった・・・・・・