CARO DIARIO   TOKI日記

 

 

ごぶさたしてしまって申し訳ありません。

 

 

 

 

みてね

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2002年8月アップTOKIの放送大学卒業研究

  修羅能における成仏の構造

 

 

 

 

2002年12月31日(火)

いいわけめきますが、日記をながいあいだ、更新しなかったのは

ひとつ理由があって、

あまりにもマイナーなことを書きすぎて

自分でもいやになってしまったからである。

多方面で、インターネットの活動をなさっている方々の日記を拝読していると、

もちろん、弱音や、苦しさの告白はところどころあるものの

どこかあたたかさや、他者に対する視線のやさしさ、

そして、なにより、書く事で、すこしでも灯をともそうとする

思いがみえてくる。

それにひきかえ、わたしの日記は、あまりにも、愚痴が多く

なんとなく、げっそりとしてしまって。

。。。。。。

という状況だったのだが、

だから書かない、というのも、よく考えたらだだっこのようで、

なんだか、笑えてしまうほど、おとなげない、ので、

また、こうして、大晦日に書いています。

 

2002年。

不況といわれる世の中で、我が家もその波をかぶっているけれど

ともかくも、

細い糸で平和憲法につながりながら、日本は、軍隊による人殺しをせずに、暮れた。

こんなことをいうと、御大層で、ひょっとしたら誇大妄想かもしれないのだけど

大人として、いきている、この国が、平和であること、

これほど、ありがたいことはないのではないかな、と、思う。

またひるがえれば、日本が軍隊による人殺しをせずにすんでいる、という

たまさかの恵みというようなものが、かえって、ほかの場所のひずみを生んでいるのでは

ないかな、とも思う。申し訳ないことだ。

ほんとうに人として生きていくって苦しいよね、とKOJIと、朝御飯のとき話していて

「そういえば、お釈迦さまも人生は苦なり っていうてはるやん」、と、あらためて言って

ほわ〜と、ためいきをついたりしていたのだが、

どうなんだろうか。人間が、この「世」に生きていく意味って、

やはり、どこからか、あたえられた(その どこ は「自分」と考えてもいいんだけど)しごとを

やりはたすことではないかなあ、と、思う。

そのしごとが、なにであるかは、ほんとうに、わからないのだが、

ともかくも、眼前にあること、そして、その時々に、いまやるべきだ、と、思ったこと

それを、かたずけかたずけ、してゆくことなんだろうか。

で、いつが「やりはたし」たときかは、それは、自分では、ほんとうにわからない。

たぶん、そういうことは、「天」とか、「自然」とか、「神様」とかが、きめてくれて

「はい、やりはたしましたよ」って、寿命をかぎってくれるんではないかなあ、とか思う。

 

そんなことを思いつつ、今年も黒豆を炊いています。

手許がすべって、耳掻きいっぱいぶんいれるべき重曹が

ちょっと多めにはいってしまったけど、まずまずの味に煮えてきた。

今年も、あと数時間でおわり。

今年のしごとは、やりはたせたのだろうか。。

たぶん、これが、やりはたせた、、ということなのだろう。。

また来年には来年の仕事が、明日には明日のしごとが待っている。

 

みなさま。

本年もお世話になりありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

2003年、平和でよい年でありますように。

 




2002年10月01日(火)

台風がらみの雨のあと、夜の街がかぐわしく香る。

金木犀と、もうひとつちがう香り。

なんだろう。

花屋さんの前にくると、ひときわ百合が高くにおっていたので

思わずひきよせられて、白いゆりと紅花を買う。




2002年09月18日(水)

連休のある週は密度濃く働かなくてはいけないのだが、

その密度のさなかに、「放送局から質問がきてますよ」という第一報。

原稿とアナウンスがちがっているのだけど、それでいきますか。。。という質問。。

らららららららら。。。。。。

それからが大変だった。

なにしろ、全国十数局で放送している番組のポカミスが、直近、三日前に

発覚したので、おそろしくて冷汗三斗。

一日、釈迦力でうごいて、訂正〜再送稿。

やっとまにあったけど、、

ほんとうに各方面に御迷惑をかけた。

私の全面的なミスである。

みなさま、申し訳ありませんでした。


2002年09月14日(土)15日(日)16日(月)

連休中に生理になったので、よし、いたみどめをのむのを

やめようと、決意。

いやはや。

こんなに、痛いのかということをあらためて自覚。

さいごは、気が狂った。

人間は肉体の動物で、意思の力ではどうしようもない肉をかかえていて

それで、生にひっぱられている、、、などということは

いたんでいる途中にはすこしも考えられなくて、

ひたすら、うなったり泣いたり叫んだりしているだけ。

なんにも食べられないし、眠れないし、

いいダイエットになった。

 

もっとも、初期の目標、ひとつぶも薬は飲まないは

あっけなく潰えて、日曜の昼に飲んだ鎮痛剤のありがたかったこと。

うむ。鎮痛剤のない時代に生まれてたら、

完全に発狂しているか自殺しているだろうな。


2002年09月12日(木)

祗園で、詩と俳句と愛のおはなしなどをちょっとだけ。。


2002年09月10日(火)

KOJIと夜の木屋町をちょっと散歩。

さいきん先斗町にも若向けのお店ができてきて

京都の風情もだいぶかわった。

まだ荒廃というほどではない、

ゆるやかな退廃の雰囲気がいい。

 

「大阪うどん」でカレーうどん。


2002年09月09日(月)

東京の友人K子さんが、おそい夏休みの旅行で

上海に船ででかけて、その帰りに京都によるというので

半休をとって、DIVO-DIVAでまちあわせ。

たっぷり上海のおはなしをきかせてもらった。

彼女も、私達夫婦も、10ねんくらいまえに上海にいっているので

その時の感じとどうちがうかというお話。

ともかく、いま、資本主義化がすごく、

人民元と兌換券がわかれていたころの、あの、野暮な感じは

すっかりなくなりつつあり、資本主義の国の都市とかわりないとか。

裏町に放し飼いされていた鶏たちは、どうなったのだろう。

絹のドレスが5000円ほどでオーダーメードできるとか。

うむ、これはいまのうちにいかねばなるまい。

 

夕方、彼女の新幹線の時間までに

青蓮院に案内する。

みどりが、きらきらと美しい。

たっぷりとした御殿づくりの建物でくつろいで、

冷やし抹茶をいただいて、

秋草がぼつぼつ咲きはじめたお庭を歩いて、

こころよい気持ちでかえる。


2002年09月08日(日)

昼間、あたまを染めて、午後から大阪へ。

会社の後輩の結婚式の二次会によばれてたのだけど

その前に、お友達のお友達のアーティストの個展へ。

遊上(ゆかみ)陽子さんの個展。

小さなビルの一室にぽんぽんと並べられた作品。

新聞紙をはり、まっくろにぬり、等間隔にマスキングテープをはり

黒えのぐのうえから鉛筆の質感をいかして線描し、

そしてさいごにテープをはがすと、そのはがれぐあいによって

下の新聞紙の色がでたりでなかったりして、

予期しない作品になる、、というもの。

雨のすだれからむこうをみている感じ。

あるいは、貝の成長線。

 

ひとめで作品をみわたせる部屋のすみっこで、

作家や観客とワインのみながらお話し。

現代美術家たこやき屋さん夫妻、や、作家の若きBF、

いけばな作家、モダンダンスの先生らとしりあう。

遊上氏って、この世界のキイパーソンのような性格のようで

いろいろな方が集まってこられるようだ。たのしかった。

 

結婚式の二次会は、心斎橋のカフェを借り切って。

このごろの若い人って、パーティー上手で、

あまりみだれず、かといって退屈もしない、ちょうどよい程加減の

集まり。

花嫁さん、、くびかざりに野の花のチョーカーをつけて、かわいかった。

花婿さんが、会社の後輩なのだが、花嫁のドレスとおそろいの色調の

お衣装で、こちらもかわいい。

おめでと♪

 

おわってから、、、ひ〜さび〜さのカラオケ。


2002年09月07日(土)

夕方まで、ごろごろしてたが、やっぱりジムへ。

ゆくと、きぶんがいい。

水って、どうしてこう、ひとのこころを休めるちからが

あるのだろう。

プールにうかんでいると、すこ〜しだけ、若やいだきもちになる。

細胞にお水をやってるかんじ。

夏、しんどかった効用で、すこ〜しだけ、体重が減った。

このまま維持できるといいんだけど。


2002年09月06日(金)

よんだ本の記録を別ファイルにつくろうかなあと思ったのですが。

いまちょっとここにあっぷ。します。

 

堀辰雄文がたみ 高原

内山登美子 

宝文館出版

1969.3.30

堀辰雄の評伝、作品評。堀辰雄自身のもつ端正さからもあるだろうが、この著者の精緻で柔らかく、品格のあるまなざしでとらえられた作家の姿は、静かで深く文学に沈潜した、文学者としての完成、理想の姿をあらわしている。堀は、継父にかわいがられて幸福な少年時代をすごした。私は、作品から伺える高貴さからブルジョアの出身と思っていたのだが、彼の品格は下町の彫金師の家で、市井の人々のまっとうさに磨かれたものであったのだ。大学在学中に芥川龍之介の知己を得、私淑するが、まもなく芥川は自殺、堀の卒業論文は「芥川龍之介論」であった。師の恋愛に素材をえて、堀は初小説『ルーベンスの偽画』を書く。独自の詩的な世界を小説ロマンにもりこむ個性はこの小説に十分に発露している。堀が芥川から得たものは<悲劇的な死からの回避>であったと筆者 内山登美子はいう。肺結核から療養を余儀なくされ、そのことがますます彼の文学的土壌をゆたかにしてゆく。生命力あふれるものにひかれながら悲劇的な美に心かたむく堀を筆者は<生の恢復を切なく希求すればこそ生のこちら側で耐えている、純粋で高揚した詩人の姿>と、品高くとらえている。



人はなぜ働かなくてはいけないのか

小浜 逸郎

洋泉社

2002.6.21


人間の身体を「個人の座」であり、また「社会にむかってひらかれている装置」としてとらえる視点で書かれた独自の『生の哲学』の書。網羅的な知識と、自分のために自分で考えるという態度が徹底していて、ここちよい。ただ、宗教は救いのためにひとつの巨大な物語を与えるだけの装置というとらえかたをしているので、「エロス的な他者との関係がうまくたもたれ」「社会的な評価空間のなかで確実によい報いを受けていると実感できること」ができれば『本当の自分』はおのずからあらわれる、という論点先取り的な論理におちいってしまっている。考えることの愉しさと、その有用を説いた本である


2002年09月06日(金)

苦労の日。

15年間、苦労してきたのは、KOJIのほうで

わたしはわがままいっぱい、思秋期まっさかり。。???

いやほんと、本気でおわかれしていただこうと思ったのが

都合2回。ほか、大小けんか、口論、多数。

それでもここまでふみとどまれたのは。

KOJIのあったかくて辛抱強い性格と、

まわりのみなさまの、支えのおかげです。

ありがとうございます。

15年前の大谷本廟は、雨あがりのそらが高く青くひろがっていましたが、

今日は、しっとりした秋の雨が、夕方までふりみふらずみ。

すてきな結婚記念日でした。


2002年09月05日(木)

D社のH総務課長と、きれいになる計画(謎)。結果をおたのしみに。

。。。。

♪さんぞ〜〜〜〜ほーし〜〜〜〜♪

♪ぎぃりしゃのひつぎひつぎひつぎ……♪(謎謎謎)

ぽぷら21の掲示板でご紹介いただいた、

探偵小説替歌集 【歌う白骨】http://www.asahi-net.or.jp/~JB7Y-MRST/kai/hk/hk0.htm に

かんぜんにはまってしまいました。。

みなさまご自身で、ごらんになり、お歌いくださいませ。。


2002年09月04日(水)

仕事中、KOJIからメールがはいってたのを

二時半ごろみて、おどろいた。

「日本海をみてる。おみやげはなにがいい?」だって。

バイクで、日本海までいけるね、という話はしていたが、

今日いくとは思ってなかった。

「愛」って返信したら、「ちょうど、いま恋愛の神様のところにいるの」だそうな。。

いっしょにおしごとしているミキサーのM君と、いいないいなと騒ぐ。

それに触発されてか、なぜか宗教番組の編集中にM君と

愛のお話しでもりあがった。

、、、その、つい2時間後、KOJIから電話。

「いま朽木村のあたり?」と聞いたら、なんと「御所」!!

もちろん、アッシー君をお願いする。

。。。。

お茶のけいこ。桑の小卓(こじょく)、とくさの絵の水指、

盆天のお手前をひさしぶりに。

お菓子は光琳菊の絵の織部まんじゅう。


2002年09月03日(火)

放送大学、今学期は、どうしても気分がのらなくて

放送授業は結局、レポートも提出せず、試験も受けなかった。

その科目のひとつに『アーツ・マネージメント』がある。

美術、演劇、音楽の場において、いかに創作者と受容者のあいだを

つないでいくかということを考える、新しい学問である。

まだ、来学期も試験を受ける権利があるので、いまのうちに勉強しておこうと

ここ何週間か、テープを借りてきて家でみている。

しかし、新興の学問のせいか、どうもものたりない。

その原因のひとつが、「芸術をいかに多くの人にみてもらうかが課題だ」というテーゼだ。

たしかに、多くのひとにみられたほうが、創作者としては満足、という場合はある。

それは、多数意見だろう。

しかし、そうではなくて、ほんとうに縁のあるひとが、たまたま、その創作者のつくるものを

しっかりうけとめてくれれば、それで充分ではないかという考え方もある。

「その『縁』をつくるために、まずは芸術の場に足を運んでもらわなければならない、

そのためには発信者が、これこれこういったことをすると効果的だ」といのが、

『アーツ・マネージメント』関係者のものいいである。

でも、、それって、ちがうんではないだろうか。

たとえば、ある日、ある瞬間に、ある林のあるスポットにしか落ちない

美しい木漏れ日を、できるだけ多くの人に、、みせることができるのだろうか。

その木漏れ日は、天恵のように、それを美しいと感じるひとのまえにおちてくるものだ。

真の芸術も、発信者と受信者の、偶然の、幸福なであいの場にしか成立しないのではないかと、

私は思う。

それは、いかに、発信者と受容者のであいの機会をふやしたところで、

割合がふえるようにふえるものではないと思うのだが。。。どうなのだろう。

そういうこと、そういう芸術の根幹にかかわることから、議論をはじめてくれれば

この学問もおもしろくなると思うのだが、自明とするところが浅すぎて、

私にはつまらなく思える。

。。。。だからさぼっていた、、と、科目のせいにするわけではないけど、、、

、、、、、私の問いが特殊すぎるのかもしれないけど。。。。


2002年09月02日(月)

午後九時ぎりぎりにお得意先の百貨店の事務所に

店内放送のテープをとどける。

その時間、ちょうど外からの扉がしまる時間帯なので

外部のプロダクションの人や、デザイナーたちと

エレベーターに乗り合わせることが多い。

今夜、いっしょになったのは、若い時から

存じ上げているライター。男性。四十代。

むこうはおぼえておられないけど、わたしには鮮明な記憶がある。

2年前になくなった、先輩で、親友のコピーライター、

Y子に紹介してもらった記憶。

十年ほど前の、同じ百貨店の宴会。大広間でわやわや賑やかにさわいでいたのだ。

その男性も、Y子も、わたしも。

そのときに、十年後、あのすばらしく元気で体育会系で聡明で人好きのするY子がなくなり、

めそめそとたよりない腰巾着のわたしが生き残って仕事を続けているなんて、

誰も思わなかっただろう。

百貨店の裏側の古いエレベーターは、高速でわたしたちを運ぶ。

そのあいだによぎった短く鮮烈な思いは、たぶん、下の暗い穴に葬られる。


2002年09月01日(日)

京都連歌の会のお朔日定例の会へよせていただく。

六月にはじまっていた世吉懐紙(四十四句完成)の続き。

連歌の若き権威にして、私の尊敬する古典の先生

日文研の光田和伸助教授も御来駕で、

京都連歌の会のすてきなお兄様お姉様方と、

なごやかに、みやびやかに、時間をすごさせていただいた。

みなさまのお歌の優雅なこと、

ところどころにはさまれる、光田先生の解説の有意義なこと!

至福。

終わった後、八坂神社門前の二軒茶屋でおしるこ。

ここは室町時代の洛中洛外図屏風にも描かれている老舗。

四五〇年ばかりはつづいている。

お手洗いは、本館の大料亭『中村楼』でかしてくれるのだが、

こちらもまた、古風なつくり。。。。お手洗いも、クラシック。

。。。。。

おわったあと、ひとりで大丸へ。ふらふら。

あんまり高いものよう買わない。

ステーショナリーをちょっと。

200円引きのお弁当を買って帰る。これがまた美味。


2002年08月31日(土)

このあいだから、いかなくちゃ、、と思いつづけていた

スポーツジムへ。カルテ見たら、半年ぶりだった。

持久力を25分ばかりして、マシントレーニングは軽く、

ジムは早々にきりあげてプールへ。

うちのジムのプールは、180度の展望。

東山は比叡から大文字、稲荷桃山まで一望。

濃い緑に、秋の空が高くひろがって、目の快楽。

流れるプール、ジャグジー、ミストサウナでからだの快楽。

レストランでは、1980円飲み放題食べ放題の

ビアバイキングが、会員10%オフで、おなかの快楽。

、、、、ローマは滅ぶ。。


2002年08月30日(金)

昨夜KOJIはカレーをつくったそうで、ひとりで食べるときも

10人前くらいはつくる彼のお料理のおかげで

今朝は朝からスペアリブ入りカレーライスとヨーグルト。

お昼は、老舗のイタリア料理店『タント・タント』のパスタセット。

(冷製スパゲッティ美味でした。パスタ入り魚介のマリネというおもむき)

そして、夜は、かの坦々面で有名な北白川『如意(じょい)』

坦々面はいうにおよばず、おこげ料理のおいしかったこと!

うmm。。馬肥える秋ならずや。


2002年08月29日(木)

タレントプロダクションの美人マネージャーT氏と

しゃきしゃきアナウンサーT氏の三人で、木屋町三条タイムズビルの

『cento-cento(チェントチェント)』へ。

ビュフェスタイルのアンティパスト(チーズ含む)と

プリーモ(麺類)、セコンド(メイン)、デザート、コーヒーで2000円は安い。

京都駅の駅ビルのお店も同じお値段。お味は駅ビルのほうが、おいしいと思ったが。

30代40代の姦しいおはなしは、マッサージ、エステ、スーパー銭湯情報。

恋のおはなしはまった〜くな〜〜し。

、、、、からだが資本だからねえ、わたしたち。


2002年08月28日(水)

夕方、寺町の三月書房でKOJIとまちあわせ。

ここにくると、かならず、3000円ばかりは

本を買ってしまう。これは、わたしだけでなく

来ているお客さんほとんどが、2000円以上の

買い物をしているように思う。

(お近くの革堂境内で生まれ育った友人もそういっていた)

ふつうの本屋さんにおいてある本でも

ここの棚に並ぶとつい手がでてしまうのだ。

それと、新本の割引が魅力的。

今日も60%オフの『現代歳時記』と

50%オフの中村真一郎の随筆集『暗泉閑話』を買った。

大きいご主人のパイプの香りが、魔力のように購買欲を

ひきだすのかと思っていたが、今日は夕方だったので

小さいご主人のお店番だったにもかかわらず、ついつい。。

量販店のように不特定多数に薄く売れる本を揃えるのでなく

本をもとめてやまない人にこだわりの本を提示する、、

それも安い価格にできるものは安くする、

このお商売のしかたは、ひょっとしたら、これからの

本屋さんのひとつの方向をしめしているかもしれない。

・・・・・・

そのあとお隣の台湾料理の店『青菜(ちえんつあい)』へ。

中国のおばちゃまの賑やかな声が階段のしたにまで聞こえてくる。

『すいぎょうざたのむね!』とすすめられて、つい二人前。

ここのは絶品、皮がツルシコ、具はジューシー。

まんぞく。

ほか黄韮と豚の胃いため、とろとろのピータン、ぷりぷりの海老餃子など。


2002年08月27日(火)

ひごろ、あそばせていただいている北海道の

俳句グループ「ぽぷら21」さんの掲示板で

半歌仙を巻いた。

富山のかぐら川様が、『おくの細道』の旅を

日を追って、克明にたどってくださっているのだが、

その旅が百日を越えた記念。

かぐら川さまのおかげで、芭蕉が土地土地で巻いた

歌仙を、たくさん読むことができたのだが、

式目や芸術性に、がちがちにとらわれず、

その場その場に応じて、自由にまいていることがわかって、

ちょっと、連句にたいする考え方がかわった。

その御礼もふくめて、進行係をさせていただいた。

たよりない、& 強引な進行だったが、

ちょうど、「ぽぷら21」の一周年記念の夜に巻きあがって、よかった。

↓こちらをクリックして御覧下さい。

歌仙  〜「ほそ道net奇行100日目」記念歌仙〜『百日の旅の巻』   


2002年08月26日(月)

ゆうがた、所用があって吉田山へ。

曾祖母のいえのまえをとおり、

黒谷さんの門前をとおり、

えっちゃんのおうちの前をとおり、

毛利先生のお宅の前をとおり、

真如堂の前をとおり、

築地のくづれが美しい萩の寺の前をとおり、

大文字さんのみえるところまで。

長年生きてくると、ちょっとした道のひとつにも

思い出がはりついている。

かさかさとした時間の埃が舞うなかを、

初秋の日がおちてゆく。


2002年08月24日(土)25日(日)

どうも、鬱っぽくていかん。

KOJIと恋愛のおはなしひとしきり。

ひとを好きになる、って、その「時」の感情を

どこまでもちつづけるか、どうかなんだと思うのだけど、

時間が人間をひっぱっていく以上、感情は

昨日におきざりにされて、「いま」その人が好きかどうか

たずねられたら、「どうかわからない」と、こたえるしかないような気がする。

過去に錘をおろした感情が忘れられなくて「いまも愛しているよ」とか、なんとかいうと

それは「いま」に対しては、うそになってしまう、、ん、、じゃ、ないかな。。とか。

休日の予定を、みんなほっといて、家で、ぐじゅぐじゅ、

こんなはなしばかり。


2002年08月23日(金)

まだ、会社は夏休みモードで、ぼやん としている。

 

詩を書こうとか、フランス語気合いれてやろうとか思うけど

やはり仕事場では無理。

ただ、短歌や俳句は、仕事中のほうがうかんでくる。

家でつくろうと思ってつくるよりも、会社でのほうが、

たくさん(といっても寡作ですが、、わたし)でてきているのではないかな。

そのぶん、ぼんやりしてて、仕事とちったりすること多し。

さいきんつくった歌。。

☆七月  原人の海図 ≪夏≫歌会  詠草

≪夏≫歌会
さらされてま白き砂となりつるは夏の恨みの第二肋骨
<砂浜を掘りエヴァの足跡の化石に 石膏をながしこむ犀>

☆八月 原人の海図 ≪働く≫歌会  詠草

≪働く≫歌会 
・縄紋の働人(はたらきうど)が灯をともし踊りはじめる蹂躙の森
・<ワーニャ伯父さん>
creature (つくられしもの) そういうよりほかなく 「ね。はたらかなくちゃ」

<働く 五連作 「シティ」>
・テノールの草刈男がおらぶ街借方帳簿宙へ宙へと
・刻々とあがる数列今週は4(し)のきつさきが裂くさ矮星
・地下鉄とホームの隙に注意するさすまたが腿を貫かぬやう
・無断欠勤の午後四時蝉時雨に沸騰する明日の腋の下
・夢こぼすデスクトップの水模様約束手形もう過ぎたのに

 


2002年08月22日(木)

遠近両用眼鏡をあつらえた。

きょう受け取り。

どきどきして丸善へ。

どの眼鏡でもそうだが、できた当日から一週間くらいは

焦点があわせにくく、吐気がするほど、くらくらする。

ことに今回は、二重の焦点があるレンズなので、覚悟していたのだが

不思議なことに、すこぶる具合がよいのである。

たしかに、手元をみるとき、中距離(本棚の本の背表紙くらいの距離)をみるとき

遠距離をみるとき、それぞれ意識して、焦点をあわさなくてはならないのだが、

案外、それがスムーズにゆく。

近視の度を弱くしたせいもあるかもしれない。

丸善の店内を、思う存分うろうろしたあと、珈琲店へ。

おかわり自由の珈琲を三杯のみながら、フランス語の勉強をしてみる。

うれしい!眼鏡をとらずに辞書がみられる。

ほったらかしにしていたドリルを、ほぼ一年振りに埋めてゆく。

おお!これで勉強モードが復活なるか。期待がふくらむ。

夕方、錦通りをまっすぐ西へ。

商店のお魚や、豆や、野菜を、意識的に、つくづく眺めながら、大丸まで歩く。

『A.A.ミルン・E.H.シェパード展  クマのプーさんの世界』  をみる。

うむ。作品も、キャプションも、まずまず、見える、、頭も痛くならない。

この遠近両用眼鏡、なかなか、よい買い物だったかもしれない。

ところで、この展覧会、プーさんもかわいかったけど、(虎のトラーとか、なちゅかし。。)

E.H.シェパードが描いた、『秘密の花園』(1956年版)の挿絵、

鉛筆のスケッチだったが、幼少の頃、岩波少年文庫で読んだときの絵そのままで、感動。

出口の スーベニールショップで、ノリタケが焼いている、プーさんシリーズの食器のうち

5個ぐみの、スプーン・レスト(箸置き。。?)を買おうか買うまいか散々悩む。

レジが混んでいたので結局やめたが、うmmm。。やはりほしい、、かな??


2002年08月21日(水)

つくづく月をみていたら

あまりの美しさに、

わたしはこんなにきれいなものを見る

資格がない人んだという思いがこみあげてくる。

月のしたに、すーっとはけで刷いたような雲。

じっとみていると、五色に輝いていることがわかる。

早来迎の、観音勢至ののりもののよう。

 

今日のお茶のおけいこのお菓子は、空蝉。

半透明のういろうかわに、あんが透けて、きれい。

茶杓の銘は、軒端の萩 ということにした。


2002年08月20日(火)

このところ、なんか、うっとしいことばかりで、

どうにかして、それをはねとばそうとあがいていたのだけど、

やはり、、から元気というのは、つづかない。

きょうは、秋風。

美しい空。

月。

KOJIが平家物語の授業をとってきたので、

彼がごはんのしたくをしているあいだ

うしろで「木曾最期」のところを朗読してあげる。

興がのったので、食後は、

謡曲の『巴』を、全文朗読。

泣く。

 


2002年08月06日(火)

広島原爆忌。

『この子たちの夏』という地人会の朗読劇を思い出す。

学校にいきたがらないこどもを、元気をだしていってらっしゃいと、

送り出したお母さん、

「自分が悪かった、こどものわがままをきいてやっていたら、

あの子はたすかったのだ」と、一生、思いつづける母の、

かなしみを、どうすれば、いいのだろう。

人間ぜんたいの罪を。


2002年08月05日(月)

朝、7度台にさがったので出勤。さがらなくても休めないんだけど、、

ちなみに、最近ずっと微熱。7度4分とかそのあたり。

どうも体温調整がうまく働かないらしい。

出勤すると、とにかく元気になった。(みたい)

今日は7時にきりあげて丸善へ。

本を買ったついでに、遠近両用めがねをあつらえる。。

むむ。はじめての遠近両用。。。できてくるまで、不安&たのしみ。

裏寺に、新しい(たんに名前かわっただけかも)ラブホ発見。

結婚してから一度いっただけ。ラブホいきた〜い熱 発症。


2002年08月04日(日)

釣っては焼き釣っては焼きという『鮎』バーベキューに安曇川上流へ。

途中越、朽木村へ、バイクで。2時間。

どうちゅう、大粒の雨に降られましたが、無事目的地へ。

さあ、たべよう!という時に、ざんざ降り。雷まで鳴る始末。

テントの中もだんだん水が侵略してくる。

都合一時間ばかり大雨の中にいたかしら。

着替えがなかったので、ウィンドブレーカーの上下を直接肌に着る、

なんというか、アウトドアファッションとしてかろうじて許される状態。

あゆはおいしかったです。てんねん。おなかが甘い。

幹事さんが漬け込んでくれたスペアリブも絶品。ワッフルまで、焼いていただく。

じゃぶじゃぶ川にもはいって御満悦。

帰り際、修学院の山の上からみた夕陽はきれいかった。

日はつれなくも…というような赤さ。

帰宅して38度4分の熱。


2002年08月03日(土)

八月から、生活をかえるぞ〜、

休日はジムにいくぞ〜、と、決心。。。

★決心は転々驟雨襲ひくる★

深夜、一時ごろ、友人の劇団員君より電話。

『もう劇団やめます!!!いま、私物運んでます!!』。。

うむ。『そこにおりや、いま行くから』と、夫婦二人バイクにまたがり

飛鳥井町の劇団へ。無人。『いまどこにいるの〜』の何度目かの

電話にやっとでてくれて、その行く先という修学院駅へ。

いないな〜、と。不安な気持ち30分ばかり。

さすがです。太田省吾主催、転形劇場の『水の駅』とばかりに、

西の方から、青いゴミ袋と、黒いボストンバッグをつんだキャスターを

腰をかがめておしてくる中年男あり。。

それからの深夜のゆくたては省略しますが、二時過ぎくらいにとおりかかった

牛乳屋さんに売ってもらった瓶の牛乳のおいしかったこと。

…てなわけで、一夜あけても、ジムにゆく元気はなく。

結局、だらだらとすごした土曜日なのでした。

 


 

2002年08月02日(金)

お昼をたべていたら、とつぜん、まっすぐ太い雨が

静かに降ってきた。季節がちがうかもしれないが白雨という言葉が思い浮かぶ。

こないだうちからお弁当の量が多すぎると文句をいってたら

今日はちょうどいいくらい。

おまけに生協のウィンナーが久々に登場して、嬉しい。

夕方、京都駅で待ち合わせて、チーズケーキとアイス・カプチーノを食べた

その直後に、こってりしたものを食べたい、、という人あり。

近鉄百貨店に出店している「廣川」に鰻を食べにいった。

嵐山の本店は、亡父がひいきにしていたところ。

東映のスターさんもいきつけだったお店。

(今はどうなんだろう。それに今はスターさんの存在が小さくなってしまった)

しらやき を食べた。。。うううん。もひとつだけど、まあ、これが水準かな。

鯉の洗いの酢味噌が、とてもおいしかった。


2002年08月01日(木)

<急に日付がとんでごめんなさい。>

今日から八月、しゃきっとしようと、

まなじりをけっして出勤、

おひるに、友人の書家 井上優子氏の

展覧会をみようと、岡崎までゆく。

primo piatto という気になっていたイタリアンの

お店で食事、DIVO−DIVAのカレンダーがはってあったので

(おおらか。。よそのお店のを堂々と)その系統かしら。

フェトッチーネはまずまず。スイカのシャーベットもあっさり。

ワインのトレヴィアーノがおいしかったので、ついすごしてしまい

体調が悪くなる。

展覧会は、おめあての書だけ見て、早々に失礼する。

井上氏の作品、うすずみのにじみのぐあいも美しく

いろっぽい。一字書で、ダイナミックな字を書かれる方だが

はねのところが、こんかいは、横ずわりの女性の膝みたいで

お色気を感じた。

午後、仕事にならない。。はやめにきりあげて

KOJIが待っている御所の桃園に。

日が暮れるまで、ぼんやり。


TOKIとKOJIのお茶の間