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宇宙のしくみ |
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素朴な疑問としてパラドクスといわれていることを考えてみると シュレーディンガーの猫(認識は生物以前にもある=素粒子が稼働する世界観は物質が稼働する世界観の内界で稼働している) 量子力学では素粒子は様々な状態が重なりあった状態で存在し観測機器により粒子を観測することでいずれかに収束するらしい。光の単位(相反する不変の距離に同時に到達する)は物質の発生から物質の終焉までという、前の宇宙に完結し今の宇宙に生まれ出た世界観(設定量の総体=原因と結果が同時にある=量子という形態=内界に未結果の総体から、相反する、結果の総量へ到達するという時空間=素粒子に到達する)があるとしている。そして、すべては相反するもので一対であり相反する結果のどちらかを選ぶまでは相反する両方のどちらかに生まれ出ようとする物質(結果)はすでにあるともしている。ひとつの素粒子(結果=質量)には、その結果を生み出す原理世界(目的=概念量と、表裏一体にある、存在=演算量)という原因(到達すべき結果の総量=未結果量の総体=量子の形態)があり、物質発生という原理世界の完結以前には未結果の総量という無数の角度に生まれ出るであろう結果の総体が同時(多世界)にあり、そして意識が有した、ひとつの目的(結果)に収束(認識=今)する。素粒子の世界では誰かが観測(認識)するまではあらゆる結果が同時にあることになる。しかし、それはひとつの素粒子(光の単位という原理世界)が完結しようとする世界だけにあることが前提にある。 猫は身体は無数の細胞が相互作用し、その総体(同時)で猫の身体を生み出している。細胞の根源は原子であり原子は素粒子で構成されている。猫の身体は素粒子の相互作用が根源的にあり無数の素粒子は自己(素粒子=内界)と、相反する、他者(素粒子=外界)の認識の上に成り立っている。人間が認識しようとしまいと素粒子と素粒子が相互作用を有すれば、そこには認識があり相反する結果のいずれかに収束する。 猫は素粒子(光の単位という世界観)の外界にある原子(物質という世界観)にあり、猫を作り出す素粒子のすべては、もう認識に収束している。すべての意識は結果(質量)を認識(物質)するにあり、その認識とは生命以前の物質(命=意識)にもある。仮に人間が観測しなければ猫が生きているのか死んでいるのか観測するまで分からないとするならば、今の宇宙に生命が誕生する以前は、すべての物質が相反する状態が重なりあっていることになる。それでは宇宙に物質はなく、そして物質宇宙は稼動せず生命も生まれ出なかっただろう。宇宙に生命が誕生する以前のも宇宙の活動はあり、そこには物質(命)という意識の認識がある。 また多世界とした場合。箱の中を見ることができない観測者は箱の蓋を開けるまで猫は死んでいるか生きているかわからないとするならば。では箱の中にテレビカメラを入れてもう一人の観測者が猫の状態を見ていたら。箱の中を見ることができない観測者は猫が死んでいるか生きているか分からない、しかし箱の中を見ることのできる観測者にとっては猫が死んでいるか生きているかの結果を知っている。箱の中の猫は生きている状態と死んでいる状態が重複し、そして生きているのか死んでいるのかが決定している。仮に猫が生きていたとしたら、箱の中を見ることができない観測者が猫は生きている状態と死んでいる状態と重複していると言っても猫は生きている。多世界とは、ひとつの素粒子が認識に収束(原理世界に完結)するまでの間にあり、そしてひとつの世界観(認識)に収束し、そして原理世界の完結に到達するまでの結果量はひとつの素粒子(結果の総体=質量の総体)の一部となる。 双子のパラドクス(時間は遅れると観測されるが時計の針は遅れない=すべてが相対性という同時にある) 宇宙空間はひとつで完結するものではなく、未来と虚空間という原理世界(真の物量=結果を生み出そうとする原因=量子の形態)の相互作用を有する集積体であり、ひとつの原理世界が生み出す結果(質量=物質)と、相反する、生み出されなかった未結果(残りの未来と虚空間=相反する真の物量)で一対(同時)という相対性が根源にあり、そして無数の他者どうしという原理世界の生み出す結果との相対性が同時にある。光は速さを有さず距離の総体(単位)としてあり原理世界の完結の連続の積み重ねにより速さを有していると思えるもの。そして物質は宇宙空間を移動するのではなく原理世界の生み出す結果(物質=今)と、相反する、未結果(未来と虚空間)が同時(一対)にあるという静止した世界が連続する積み重ねにより移動したと思えるもの。時間は流れず得た結果量(時間)と、相反する、得ていない未結果量(虚時間)で一対という静止する相反する結果の総体。 宇宙空間のどこかで第三者という観測者があらゆる速さで移動しながら兄弟を観測しても兄弟の時間の経過に変りはないはず。物体の移動する速さと時間の関係は相対する2者間だけに起きるだけのものではなく、あらゆる観測される者と、あらゆる観測する者にとって、あらゆる条件下においても矛盾のない結果が同時に生まれ出る。 仮に地球が静止するという時間にある時、単純計算で考えたとして、兄の乗った光の速さの半分で等速運動をするという宇宙船は、(原理世界10- 自身という距離1=残りの時間の総量1)-物質の得た距離0.45粒÷残りの原理世界の速さ0.9粒=0.5(速さを有する物質と同時に在る残りの虚時間)という小さくなった原理世界(未来量と虚空間量=未未結果量の総体)にある。物体が速さを有し進行方向に空間が縮み虚時間はゆっくり進むように観測され進行方向の反対側の空間は膨張し虚時間は速く進むと観測される、しかし光は相反する距離に同時に到達する。 静止する人間が光速に近い速さで向かってくる人間の姿を見た時、その動きはゆっくり見えて、反対に遠ざかる人間の姿を見る時、その動きは早く見えるらしい。仮に二人の人間の間に等速で移動する人間がいるとする。向かってくる人間が二回手を振った時、遠ざかる人間も二回手を振るはず。向かってくる人間がゆっくり動くとは小さな世界で同じ行動をとり、遠ざかる人間が早く動くとは大きな世界で同じ行動をとること。では双子の兄弟の兄が光の半分の速さを有する宇宙船で旅に出て、そして帰ってきた時、弟は兄より年をとっているのか。また速さを有したロケットの内にある時計は静止する地球にある時計より遅れるのか。静止する地球(真空にある光に速さ)で時計が1秒を刻む秒針の動く速さからすれば、速さを有する有する宇宙ロケット(収縮した光に速さ)で時計が1秒を刻む秒針の動く速さは遅くなる。すべてが大きな世界から、すべてが小さな世界でおきる同じことを観察すれば、すべてがゆっくり進んでいると思える、反対に、すべてが小さな世界から、すべてが大きな世界でおきる同じことを観察すれば、すべてが早く進んでいると思える。しかし、どちらの世界でも時計の針は1秒という時間を刻み兄が地球に帰ってきた時、兄と弟は同じ年を重ねたことになる。 飛んでいる矢は止まっている 原因が結果に到達する。到達した結果とは原因に還ること。原因と結果が同時(ひとつ)にあり、ひとつ(同時)の内界に原因が結果に到達するという時空間がある。時空間の総体にある連続する結果の総量にある、ひとつづつの結果(今)は静止し、今(静止するもの)の連続の積み重ねに時空間がある。結果のひとつ(原理世界の完結)とは、得た結果を意識が認識する(時間=質量=物質=矢)と、相反する、得なかった未結果を意識は認識できない(虚時間=虚質量=未来と虚空間)が一対にあり静止(同時=固定=今)している。そして更なる目的(概念量=未来)が、表裏一体にある、存在(演算量=虚空間)と相互作用を有して生まれ出た結果を意識の連続に認識を積み重ねるという時空間では止まっている矢の連続は飛んでいると思える。 ガレージのパラドクス 速さを有した自動車(物体)の存在する虚空間は縮む。縮んだように見える自動車の長さと同じ静止するガレージの長さに、その自動車は入れるのか。得た結果(認識=質量=物質=今)は、相反する、失う未結果量という残りの小さくなった未来と虚空間と同時(表裏一体)に認識(完結)される。速さを有し縮んだように見える自動車は得た結果量(質量の連続)と同時にあり認識(今=見かけ上の質量)となる。見かけ上の質量(今=速さを有した結果)とは、静止する物質という概念(過去)の内界に連続するものであり、今とは過去の総体と同時に在り、速さを有し縮んだように見える自動車は縮んでおらず、縮んだように見える自動車と同じ長さの静止するガレージ(小さな原理世界)の中に静止する自動車は入れない。 速さを有する自動車から静止するガレージを見ると縮んで見え、静止するガレージから速さを有する自動車を見ると縮んで見えるのが相対性らしい。しかし速さを有する自動車(虚空間が縮み虚時間は遅れる)からすれば静止するガレージ(大きな虚空間にあり虚時間は早く進む)にあり、静止するガレージ(大きな虚空間にあり虚時間は早く進む)からすれば速さを有した自動車((空間が縮み時間は遅れる)。どちらから見ても空間が縮み時間が遅れるのは速さを有する自動車の方のみであり、見え方は相対性かもしれないが空間と時間は同じように相対性とはならない。 アキレスと亀 アキレスが亀の居た地点の到達した時には亀はアキレスが到達するのに要した時間の分だけ先に進んでいる。いつまでたってもアキレスは亀を追い越せない。原理世界は世界観(進化=結果の総量)の連続の積み重ねであり、進化とは前の世界観を内界に有し、しかし更なる同じ原理上に稼動する。アキレスが亀を追い越せないとは小さな世界に連続し同じことを繰り返していることであり、しかし宇宙空間がひとつの真空で完結していると仮定すればこのような矛盾が出てくるということなのだろう。原理世界には原因と結果が同時(ひとつ)にあり、ひとつ(同時)の内界に原因から、相反する、結果に到達しようとする時空間がある。宇宙空間とはその原理世界の相互作用を有する集積体。仮に宇宙空間(真空)というひとつで完結する中に物質があるとすれば、すべての物質は静止し宇宙の活動はない。 探求のパラドックス 探求の対象が何であるかを知っていなければ探求はできない(さもなくばそれは顔も名前も知らない人を探すようなものである)。しかし、それを知っているならばすでに答えは出ているので探求する必要はない。 顔も名前も知らない人を探す。探し出せないかもしれない、しかし探し出すという答えは存在し、その答えに向かい探求の積み重ねがある。そして知っているならばすでに答えはあり探求する必要はない、しかし知る以前には探求の連続の積み重ねが存在する。原理世界は過去と未来の間に今があり、過去がなければ今に到達せず、そして未来がなければ今は稼動しない。到達すべき答え(結果の総体=同時)がなければ、その内界に過去という結果の始まりはなく、そして未来に連続する結果の積み重ねもない。光速度不変(相反する不変の距離に同時に到達する)という物質の始まりから物質の終焉という光の単位(虚距離の総体・虚速さの総体・虚時間の総体=同時=到達すべき結果の総量のある世界)の内界に生まれ出る、得た結果(質量)と、相反する、、失う未結果量で一対という原理世界と同じ。 あらゆる事象(結果量=質量=認識=虚空の物質=無いもの)には、未来量と、表裏一体にある、虚空間量という原因(未結果量=到達すべき答え=真の物量=在るもの)がある。誰かが何かを思う時、それは存在する。宇宙の真髄に迫る探求は只今も進行中です。
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