遠賀川とバス釣りについて

先日、市の広報誌といっしょに「遠賀川夢だより」なるものが家に届いた。
その中で気になる記事があったのでここに紹介する。

遠賀川夢だより・・・直方川づくり交流会
春先にできあがった、新橋下流の自然に近い川岸。夕暮れ時、わが家の駄犬と歩いてみる。
コンクリートブロツクなど無粋なものがない、なだらかな斜面を水辺に下れば、自然石のまわりに水が渦巻き、そこここに柳の苗木も。当初むき出したった土も、今はかなりの草むらに。水辺で遊ぶ子供「水ガキ」の姿も多く、水に親しむという点では、とりあえず合格かと思う。
もっとも、いったん増水すれば、上流からはゴミまたゴミ。柳の若芽には枯れたアシやヨシが鳥の巣のようにからみつく。重みに耐えかねて、水に沈む苗もあり、当分はその除去が欠かせない。
大人子供を問わず、流行しているのは魚釣り。でも釣れるのは大食いの外来魚ばかり。それを不思議と思わないのもこれまた不思議! 釣っちゃ再放流(リリース)しているそこのお兄さん。そこんとこも考えてよ。
左岸は高水敷きが腰までの草で人が入れない状態に。刈り込んで、すぐ横にある小学校の生徒たちが、気軽に使える状態にしたいものですね。

バス釣りのこと
短い竿に変な餌、落ち着きが無く水際をウロウロ動き回り、川の中まで高そうなボートを浮かべて釣っている。ここ数年遠賀川では、この様な釣り人が増えて来た。
どんな魚を釣っているのかと言うと、北米産の外来魚ブラックバスである。筑豊地区へは1970年代後半に入って来た魚であるので、それ以前の遠賀川を知らない世代にとっては、"入って来た"という実感は少ない。
さてこの「バス釣り」という分野には"バスプロ"と言う職業が存在する。プロが存在すると言うことは、間口が広くて奥行きが深い事を意味している。しかし漁師ではない。たくさん釣って市場に出している訳ではない。つまり食べないのである。釣りの起源が生きるため(食べる)に始まったとするならば、バス釣りは、よりスキーやゴルフに近いスボーツの分野である。
日本におけるスキーやゴルフが山間丘陵地の開発の上に成り立っているのと同様に、このスポーツは河川および湖沼の生態系破壊の上に成り立っている様なものである。釣具業界やSMAPの木村拓哉氏等の芸能界の後押し(ブーム)を受けて益々意気上がる"バス釣り"に対して、もはや打つ手はないのかもしれないが、在来の遠賀川の淡水魚の為にも引き下がる訳にはいかない。

以上が記事内容である。私は、いたってヘタクソだがルアーを使ってバス釣りを楽しんでいる。
釣り上げた魚は「食べたい」と当然思うのだが、周囲の釣り人の目が気になって、ほとんどリリースしている。それでも何度か食したことがある。料理の仕方を工夫すればなかなかバスも美味である。
河川は昔のまま残せればそうした方がいいと思う反面、気軽に川面に降りて、誰もが水と親しめる今風の河川敷もそれなりにいいと思う。
こんな優柔不断な私に、この記事はなにかさわやかな物を残していった。

HOME | 戻る