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PEACE RUNとは…?




【平和だからこそ…】

ランナーとして、あるいは旅人として、いつも考えること。


走るのも旅をするのも、今、自分が平和な世界に生きて、生かされているから。

平和だからこそ、自由に走ることもできるし、好きなところへ旅に出ることもできる。





【本当に、今、平和な時代なのか…】

今の僕は、戦場を武器を手に持って走る兵士でもなく、空爆におびえながら安全な場所を求めて走り回る民間人でもない。

ただ、世界を見渡せば、今もどこかで誰かが銃声に倒れ、テロや紛争が起こっていて、戦火は絶えない。この日本でもそうだ。誰かが誰かを憎み、妬み、それが元で誰かが誰かの命を奪っている。
働けど働けどなかなか暮らしは楽にならない社会…。年間3万人もの自殺者がいて、精神を病む者もまた少なくはない。

教育のレベルは決して低いものではないはずなのに、人として子どもたちを育てていく社会としては十分な機能を果たしていない。現に、陰湿ないじめがあったり、いじめを苦にして自殺する小学生までいるのが現状だ。少なからず、子どもたちの社会にもいろんな歪みが出始めている。

あるいは、人間のエゴによって本来あるべきはずの地球の環境はどんどん蝕まれ、開発という名の破壊活動が行われている。干ばつによる砂漠化や局地的な大洪水など、理解できないような異常気象も見られる。人間のみならず地球も病んでしまっているのだ。





【今、平和のために…】






平和のために何ができるのか?

自分が出した答えは、「走る」ことだった。と同時に走ることで移動し続けること。移動とは「旅(=Travel)」すること。

旅を通じて人と出会い、語らい、コミュニケーションをとることで、笑顔が生まれる。笑顔には心の安らぎが伴ってくる。心の安らぎがあれば、出会う人にも、自分に関わる様々なものにも感謝の気持ちをもつことができる。そこから小さな平和が生まれてくるわけだ。

一人ひとりの心の平穏が平和をうみだす…。ダライ・ラマ法王の最近の講演で確かそんなメッセージがあったように思う。

誰とも競うことなく、争うこともない…一本の道を自分自身の二本の脚で走ることが大切なのだ。

走るというのは最もエコな活動…健康や環境に配慮した取り組み。

決してあせらない、あわてない、あきらめない…。

ゆったりまったり走ることでみんながつながる、みんなとつながる…地球上にいる70億人の一人でも多くと出会い続ける旅、それがPEACE RUN…。




【PEACE RUN 歴史と変遷】


全く個人的なイベントとして始まったPEACE RUNだが、その始まりは2004年の12月31日(大晦日)

大晦日の早朝から翌年元旦にかけて、自宅のある三重県伊賀市から伊勢神宮まで75キロ走り、さらにそこから名古屋の熱田神宮まで110キロ走るという185キロのマラニックが当初の計画だった。年の終わりと始まりに二つの神宮で世界平和を祈願するというシンプルな目的がそこにはあった。

この年は途中からみぞれが降り、路面はべとべと。シューズの中は氷水状態。荷物を背負って走っていたがために足腰に負担がかかり、伊勢に着く前に膝を痛めたおかげで、ゴールを伊勢神宮にすることを余儀なくされた。

その2年後の2006年には、名古屋の熱田神宮から伊勢神宮まで110キロを走り、翌2007年に同じルートを逆走(伊勢神宮〜熱田神宮)した。


冬の定番となったPEACE RUNだが、2008年8月、初めて夏のランニングの旅を計画した。びわ湖一周180キロを4泊5日で走るというものだ。猛暑の中を走るのは、ある意味厳寒のさなかを走る以上に辛いものがあった。





2008年12月には2004年と同じ伊賀市から伊勢神宮までの75キロ。

この年に考えていたのが、キャンプ装備でランニングの旅をするということ。

デイパックを背負う旅だと、運べる荷物は限られるし、せいぜい3〜4泊の旅までだ。

テントや寝袋を持って長期の走り旅はできないか…。

そう考えた時に、「押す」か「引っ張るか」の二つの選択肢が考えられる。

インターネットで探し当てたのが「エアバギーラン」というジョギング用のベビーカー。

これを早速購入し、「ガンプ号」という名前をつけて、翌年8月、淡路島一周190キロを4泊5日で走ってみた。





予想以上に、楽に走れるというインプレッション。登りはさすがにきつかったが、平地を走る分には全く問題はなく、下りではバギーに引っ張られて加速する一方。下手をすると膝や腰を痛めかねないが…。

2009年の12月も伊賀市から熱田神宮までの130キロを、睡魔や寒さと闘いながら夜通し走った。この時は荷物はデイパックのみだった。





【そして、旅立ち、再び…】


9年働いた職場を辞めたのが2010年3月。そして僕はその4ヵ月後に旅に出た。

日本最北端北海道宗谷岬に向かったのだ。


その104日後、3,443キロ先にある日本最南端沖縄県波照間島にたどり着くために…。







2011年1月17日、僕はプロとして活動することを決断。

「アドヴェンチャー・ランナー」

自分にそんな肩書きをつけて、仲間のサポートを得ながら走り続けることになった。

「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」をサポートするPEACE RUN PROJECTはこうやって生まれた。

そのファーストステップというか第一章がアメリカ横断ランニングの旅。

5月25日にロスアンジェルスをスタートしてからニューヨークシティにゴールする11月24日まで、138日をかけて5,285キロを走った。

その間にPEACE RUNはNPO法人となり、支援していただく仲間もどんどん増えていく。



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2012年は、二度目の日本縦断の旅、「PEACE RUN2012日本縦断ランニングの旅PART2」で北海道稚内から九州鹿児島3482.3キロを96日で走った。

オホーツク海と太平洋岸に沿って南下。

東日本大震災の被災地を訪問、被災地の方々を激励すると共に、その後東京以西では被災しなかった人たちに被災地の現状をできるだけ伝えるようにした。

この旅では自身の「RUN×10(らんばいてん)運動」を連動させると同時に、応援いただいている皆さんにも「PEACE RUN×10(ぴーすらんばいてん)」もお願いした。

ただ、日本縦断については世界五大陸4万キロにはカウントしていない。









2013年9月には「PEACE RUN2013 オーストラリア横断+ニュージーランド縦断ランニングの旅」へ。

「共存共走」をテーマに、競わない、争わない…あらゆるものと共存していく生き方を理想に掲げながら走る。









2013年4月27日から5月12日にかけて、そのプレイベントとして「PEACE RUN 2013 SPRING 環瀬戸内海ランニングの旅」を走った。

多くの仲間、サポーター・スポンサーに支えられ、16日間で714キロを走破。

PEACE RUNの精神をひとりでも多くの人と分かち合い、今後も大陸と大陸を走る合間には日本の未踏ルートを積極的に走り続けようと考えている。


飽くなき夢を追い求めて、アドヴェンチャー・ランナーの旅はどこまでも続く…。








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「PEACE RUN2012日本縦断ランニングの旅PART2」

PEACE RUN 2011 アメリカ横断ランニングの旅

PEACE RUN 2010 日本縦断ランニングの旅

PEACE RUN公式サイト