第二十五回  センター試験


1)対策とその成果
 予備校の後期の講義が終了し、冬期講習を終えれば、すぐに大学入試センター試験が待ち受けていた。冬期講習では、夏期講習のときのように難易度の高い講座を受講せず、自分の弱点を補ってくれる講座を選択するようにした。苦手な化学は他の予備校でも講座を受けるなどして、受験科目すべてがバランスの取れた学力となるような方針を打ち立てたのである。
 国立大学の志望校は既に前期はH大学と定めていたが、志望する学部、学科の受験には物理、化学の二科目を必要としており、化学についても怠りなく勉学を続けていたということもあって、センター試験でも物理と化学の両方を受験することに決めていた。また、この時期の勉学において、センター試験以外の対策は、冬期講習の教材やこれまで勉強してきた問題集を反復して勉強することで補うこととし、当面のセンター試験の勉学に負担があまりかからない程度に控えていた。センター試験がある一定以上得点できなければ、念願の国立大学合格が難しいからである。

 センター試験対策は、予備校の講義以外でも独自に行うように心掛け、十月頃から問題集を個人的に購入して勉学を行っていた。センター試験で選択した社会科の科目は、高校時代得意としていた世界史であったが、この科目は幅広い知識を必要とするため、高得点は難しいことを覚悟しなければならなかった。それでもセンター試験向けの問題集を二、三回は解き、なるべく得点できるようにするなどして、配慮は怠らなかった。他の社会科の科目に切り替えるより、ある程度知識のある科目の方が、他の科目の勉学に負担がかからないという考えでもあった。予想通り本番では世界史は平均点前後の得点しか取れなかったが、最低限の得点は取得できたので、必ずしも間違った選択ではなかったと思っている。
 物理・化学の二科目は、実はセンター試験向けの問題集はあまり解くことが出来なかったが、センター試験直前に予備校の講座を受けるなどによって、練習不足をなんとかカバーしていた。また、この判断は、冬期講習ではほとんど物理、化学関連の講座ばかり受講しているなど、物理、化学については他で十分勉強をしていたので、センター試験の出題傾向を知っておく程度で大丈夫であろうという根拠があっての判断であり、そのためセンター試験の過去問を数年分解く以外はそれほど特別に対策を講じなかったのである。本番では物理、化学ともに平均点前後の得点は取得できたが、物理は多少くいの残るミスをしてしまい、五、六点損をしてしまうという事態が発生してしまった。しかしながら、テストの点数は予想通りの結果ではあった。

 センター試験で重要なカギとなる科目は、英語、数学、国語であり、ほとんどの国立大学ではこの三科目の配点が高いため、三科目平均で八割程度得点しなければ、出願しても受かる見込みがほぼなくなるということは、以前から肝に銘じていた。この三科目についてのセンター試験に向けた勉強は、予備校の後期が始まってから少しずつ行っていたが、特に英語と数学については多少甘く考えていたので、冬休みに入り年が明けてから、ようやく必死になってやるようになったということもあった。英語と数学は、ある程度の点数は取れるだろうとタカをくくっていて、これまではセンター試験のスタイルに合った問題を本格的に練習することをやや怠っていたのである。しかし、センター試験直前の模試で良い結果が出なかったことでようやく目を覚まし、年が明けて残りの二週間は、冬期講習などの各講座の勉強以外は、英語、数学のセンター試験対策用の問題集を購入し、少し厚めの問題集を短期間に二度ほど一気に解いてしまうなどして、何とか心を入れ替えるように努力した。センター試験の過去問も含め、とにかく量をこなし、テスト形式になれるように心掛けたのである。国立大学の二次試験の時もそうであったが、試験直前に一気に分量をこなして感覚的に本番のテスト形式に慣れておくことで、試験に対する自信を養い、各科目について落ち着いて試験を受けられるようにしたのである。
 国語は、訓練の成果もあって、現代文に限っては八割弱は取れる確信は持っていたので、残るは古典でどれだけ得点できるかという課題をいかにクリアーするかであった。この古文、漢文が半分ずつの配点となっている古典で、特に気がかりであったのが古文でどれだけ得点できるかであった。高校の頃、古文は比較的真面目にやっていたこともあって、ある程度の文法的な知識には問題なかったのだが、文書を読解して解答する形式の問題では、問題文を誤訳することによって、なかなか正解にいたらないということが、模試ではよくあった。漢文はほぼ意味が読み取れるので、古典全体で七割得点することを目指し、古文は半分ぐらい正解できればよいと割り切るしかなかった。
 センター試験前の予想では、国語は全体で七割を目指し、数学で八割五分以上、英語で八割前後得点できれば良しと思っていた。理科、社会が平均して六割五分前後取れれば、目標のH大学に出願し、二次試験で挽回しようと計画していたからである。

 試験とは意外性も兼ね備えているらしく、センター試験本番の結果においても、予想外とは異なる結果となった科目がいくつかあった。理科、社会については既に述べたように、ほぼ予想通りすべて平均点前後の得点であった。物理が八割に届かない程度(この年は物理の平均点が高かった)、化学が六割弱、世界史が五割五分前後、それぞれ得点できたのだが、予想外の結果となったのは、数学、国語、英語であった。
 英語は、前半の発音などの問題でかなりミスをしてしまい、後半の読解問題ではほとんど間違えなかったにもかかわらず、目標の八割に届かず、七割五分強にとどまってしまった。また、数学も、平均点の低かった数学Uでは、八割程度得点したのだが、数学Tで、ミスをしてしまい、全体では八割に満たないという残念な結果となってしまったのである。しかしながら、国語で予想外に得点でき、数学での失敗を補える得点(八割)を取れたのである(既に前回述べたと思う)。全体的には予想通りではあったが、もう少し得点できればよかったのではないかという悔いの残る結果でもあった。
 本番のセンター試験は、英語、数学、国語が二百点満点、理科、社会が百点満点の配点では、合計して六百点以上は得点できたという結果に落ち着いた。この年のセンター試験の結果としてはそれ程よいとは言えず、志望しているH大学もかなり難しいことは、各業者が行っているセンター試験結果の調査などで明らかとなったが、これまでの模試の結果が散々であった割には、ほどほどの結果であったといってよかった。



2)志望校(=受験校)



 各受験生のセンター試験の自己採点結果と出願校のデータを集計して、各大学の学部学科のボーダーラインを予測するリサーチの結果によると、私の志望していたH大学工学部の某学科の判定は、合格圏には達しておらず、二次試験での挽回が必要であると予測されていた。通っていた予備校ばかりでなく、他の業者にも志望する大学のボーダーラインをリサーチしてもらったり、パソコンを使って合格の可能性のある他の大学を検索するなどしていろいろ悩んだが、やはり最終的には当初の予定通り前期日程でH大学を受けることに決めてしまった。
 後期日程に受ける大学は、以前から行きたい大学を幾つか選んでいたのだが、どれも合格は難しいと思われるレベルの少し高い大学ばかり考えていたので、本番のセンター試験の出来具合を考慮すると、これらの大学に出願しても受かる見込みがないことは明白であった。基本的に後期日程は募集人数が少ないのだが、それでも自分の行きたいと思った国立大学で且合格できる可能性のある学部学科をいろいろ調べてゆく内に、後期日程で募集人員が比較的多い、ある大学がひとつ見つかったのである。この大学こそが、私が通う大学となったY大学の工学部であった。
 この大学の工学部で、私の希望しだ学科は建築系の学科と分類されていたが、建築系に当てはまらない少し特殊な分野ということもあって、妙に魅力を感じてしまい、このやや特殊と思える学科に出願することを決意したのである。しかし、何よりこの大学の学部、学科に決意した決定的な理由というのは、この大学の工学部の、後期日程の二次試験では、数学の配点が非常に高く、物理、化学の二科目での得点が少々悪くても、二次試験の記述式の数学の試験に向けた私の勉学の成果が十分発揮できるという利点があったからであった。高校時代にも、この大学の工学部の、建築系の学科に一度興味を示したことを再び思い出したりしながら、この大学であれば私が浪人時代にやった勉学の成果を示すことが出来るのではないかという気持ちが急に込み上げてきたのである。

 大学入試センター試験が終了し、出願する国立大学がようやく決まる頃には、通っていた予備校のチューターと面接をしなければならなかった。この面接は、私立大学を含めた受験校すべてについて報告することが目的で行われる、最後の進路相談の面接であった。私立大学の志望校については、国立大学の出願校を決める以前から十分検討しており、W大学とC大学、それとH大学の三大学の工学部と既に決めていた。学科についても、それぞれの大学で比較的偏差値が低く、且特殊な学科を選択することとし、受験科目である理科は、物理と化学のうちどちらか一科目を選択すればよい大学ばかりだったので、どの大学の受験でも得点を取ることが見込める物理を選択することまで決めてしまっていた。
 偏差値で見れば、W大学の工学部以外は現役時に受験した大学よりも低く、受かる可能性も十分あったが、確実に合格するとは言い切れなかったと言うこともあって、この進路相談の面接の時に、予備校のチューターからも、もう少し偏差値の低い大学の受験を進められたということが事実としてあったことは確かであった。しかし、受験校を絞り、各大学の合格を目指した勉学をするためには、これ以上受験校を増やしたくなかったということもあり、私はチューターの意見には従わず、この三つの大学の工学部しか受験しないという考えを押し通すことにしてしまった。国立大学の出願についても、かなり無理があるといわれたが、私自身は二次試験での挽回が見込めると思っていたので、この意見にも反発して彼の言うことを受け入れなかったのである。
 予備校のチューターの意見はある意味正しく、私も、常識的な判断では当然反対されるということは、予測していなかった訳ではなかった。しかし、彼の意見は、私の精神的な面についてや、どうして成績が残せなかったかという経緯をほとんど知らずに判断していると言うことも出来たのである。私は、彼の意見が世間一般の意見であるということを理解した上で、常識的な軌道を外れた経緯をたどってきた自身を主張するかのように、彼の意見に反発したのである。大学受験はこれまで経験してきた受験とは異質であり、受験校の選択は自分の生き方を決定する選択であったからこそ、自分の意志を通すべきと判断したのである。また、国立大学受験の出願校の決め方について、私の意見が正当化できる一般論として、センター試験で有利な結果であっても、二次試験の記述式の問題に不慣れであったり、その日の体調などによって、不合格となる可能性もあるということも言えたからであった(注:センター試験のみの判定であるから、合格判定の結果は鵜呑みに出来ないという見方も出来るということ)。各大学の学部学科によって、センター試験と二次試験の配点は違うが、ボーダーラインよりやや劣る程度であれば、二次試験の出来次第では十分合格可能であり、また二次試験向けの勉学にも対策を講じてきて、他の予備校の模試などでも徐々にその成果が現れ始めたという事実も考えれば、無謀と言い切れる決断ではなかったのである。
 私は成績がようやく安定し始めたこの時期の自分の力に賭けたのである。センター試験の本番でも成績が上向きであることは実証されていたという裏付けがあったからこそ、本番までにコンディションを整えさえすれば受かるという気持ちになれたのである。

 



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