このSF・ファンタジーを読んでみよう!

         


『あ行』

アルジャーノンに花束を
ダニエル・キイス 早川書房
 人体実験により、知恵遅れの成年ゴードンは、次第に高い知能を身に付けていく。しかし、頭が良くなるにつれ、純真な心の持ち主だったゴードンは、それまで周りの人間が自分をバカにしていたことに気づき始めることになる。そのうち彼の頭脳は実験をほどこした教授すら上回るほどになる。だが、ゴードンより先に実験で高い知能を身に付けていたネズミのアルジャーノンには、再び知能の低下が見られ始めた。
 その後、24人のビリー・ミリガンなど、多重人格関連の著書で話題を集めたダニエル・キイスだが、彼の最高傑作はやはりこのアルジャーノンに花束をだろう。古典的な名作であるこの作品は、ダーティーペアスペクトルマンなど、様々な場でモチーフとして、取り上げられている。
 昔、「まごころを君に」(ちなみに、エヴァンゲリオンの映画のサブタイトルと同じ)というタイトルで映画化されているが、こちらの評判は原作と比べて今一つとなっている。
作品のツボ→この作品の最大の成功は全編を日記形式でつづったこと。ゴードンの知能が上がるにつれ、本文の文章もしっかりしたものとなってくる。そして再び知能が低下するにつれ、文章の方も後退が始まる。最後の一行を読んだときには涙、ひたすら涙…。
アンドロイドは電気羊の夢を見るか
フィリップ・k・ディック ハヤカワ文庫
 主人公のリック・デッカードの仕事はアンドロイドを退治するバウンティ・ハンター。核戦争後の荒廃した世界で、人々は平穏な生活を営もうとしているが、放射能を含んだ灰は、絶え間無く人々の上に降り注いでいる。そして、この世界での最大の贅沢は生きている動物を飼う事。そうしない人間は、周りから情緒的に問題の有る人物と見なされてしまう。主人公のリックも以前は羊を飼っていたが、不慮の事故から死なせてしまい、今は本物そっくりの電気羊を、周りには本物と偽って飼っている。本当は、もう一度本物の羊を飼いたいのだが、生きている羊は高価なため、5体ものアンドロイドを倒さなければならない。電気じかけのペットというアイデアだが、現在ではAIBOという名の電気犬が本当に存在していることを考えると興味深いものがある。
 リックが倒すべきアンドロイドは、人間と区別が付かないくらい精工に出来ている。彼らは人間が惑星移住する際の協力者として作られたものに過ぎないが、自らのアイデンティティを求めて地球に逃亡してくる。その中でも最近開発された8人のネクサス6型は、人間との違いが全く見うけられず、リックの仲間も返り討ちにあって再起不能にさせられている。その完璧さは、アンドロイド自身も自分を人間と思いこんでいるほど。リックも、アンドロイドが、もしかしたら本当の人間かもという疑念から破壊を躊躇してしまう。人間との判別方法は特別な心理テストを行うこと。アンドロイドは他者への感情移入が出来ないため、動物の死などのキーワードに対して、一瞬だけ反応が遅れるのである。
 しかし、人間とアンドロイドとのあまりにも薄い境界線は、次第に自分もアンドロイドでは無いのかという疑念をリックに抱かせる。人間そっくりのアンドロイドを殺すことは殺人とほとんど変わらないのでは無いか、そして冷静にそんなことが出来る自分は本当に人間なのか。疑問に捕らわれながらも、リックはアンドロイドの破壊を続けていく。電気じかけでは無い本物の動物を飼うことを楽しみにして…。
作品のツボ→この作品を映画化したものが、ご存知リドリー・スコット監督ブレードランナー。サイバーな未来世界が描かれた傑作である。
オズの魔法使い
ライマン・フランク・ボーム ハヤカワ文庫
 この作品が20年以上前、飛び出す立体映像を売りにテレビドラマ化されたことを覚えている人はどれだけいるのだろうか。しかし、それ以前に、大ヒットしたミュージカル映画を、音楽のオーバー・ザ・レインボーとともに記憶している人も多いだろう。
 カンザスで平和に暮らしていた少女ドロシーは、愛犬トトとともに、竜巻に巻き上げられ、不思議な住人達が住むオズの国に飛ばされてしまう。元の世界に帰る方法を、オズの国の中心に住む大魔法使いから教えてもらうために、黄色いレンガの道をたどって、冒険の旅に出る。ドロシーとともに旅をすることになった知恵の無いかかし、勇気の無いライオン、心の無いブリキの木こりというキャラクターの成長ぶりと、オズの魔法使いの意外な正体、そして元の世界に帰るための意外な手段と、短い作品の中に、物語を盛り上げるエンターテイメント性がふんだんに詰めこまれているのが分かる。
 しかも、この1作品で完結するのではなく、オズの虹の国オズのオズマ姫とシリーズが続き、それぞれの作品に登場する人物たちが見事にリンクし合って、より楽しめる作品となっている。また、シリーズを通した宿敵となるノーム王の存在も重要な要素。全14作のうち、まだ半分も読んでいないが、長い時間をかけて、この連中と付き合って行きたいと思えるようなシリーズです。
作品のツボハングリータイガーというレストランがあるけど、元ネタはオズシリーズの登場人物だったのね。

『か行』

火星人ゴーホーム
フレドリック・ブラウン ハヤカワ文庫
 ある日突然、火星人はやってきた。もし火星人がやってきたらという書き出しで小説を書こうとしていたSF小説家のルーク・デバァルウの目の前に、そして彼以外の、その他大勢の地球人の目の前に、UFOも使わずに突如として目の前に表れた。
 地球にやってきた火星人は、なんと10億人(バルタン星人か!)。一体、彼らは何のために地球にやってきたのだろうか。地球を侵略するためか、はたまた地球人との友好を結ぶためか。いや、彼らは何もしないのである。突然、目の前に表れたかと思うと、休むことなく、くだらないことをしゃべり続け、人を馬鹿にしたような態度を取り続けるのである。文中の言葉を引用するならば、火星人は一人の例外も無く、口が悪く、挑戦的で、こうるさくて、胸糞が悪くなるようで、横暴で、喧嘩好きで、辛辣で、無作法で憎ったらしく(以下略)といった次第である。そして彼らを追い出そうにも、地球人側からは、彼らに触れることもできない。
 とにかく、火星人の遠慮の無い態度に、パニックに陥る地球人の様子が、ひたすら描き出される。彼らの存在の前には、秘密など存在せず、自分の手をばらされてしまうので、ギャンブルもできず、国家的な軍事機密も、彼らを通して知れ渡ってしまう。火星人の存在のうるささに狂気に陥る人が続出するが、肉体的な暴力を加えられなくても、うるさいやつが、そばにいるのが、どんなに苦痛であるか、切実に伝わってくるのである。
 そして、突如として火星人はいなくなる。ある者は自分の研究の成果だと思い、ある者は自分の祈りが通じたのだと思う。とにかく、みんなが共通して言えることは、うるさい奴がいなくなって清々したということなのである。
作品のツボ→主人公のルークは、あまりのショックに火星人の存在を、脳が無意識的に排除するようになってしまう。目の前に火星人がいても見えないし、他の人が火星人がいるといっても、その人の方がおかしいと思うようになる。ここらへんは、安部公房人間そっくりあたりと読み比べてみるとおもしろい。
虚構船団
筒井康隆 新潮文庫
 まずコンパスが登場する。彼は気が狂っていた。といった書き出しで始まる、この物語の登場人物は全て文房具にして全て気が狂っている。自分を天皇だと思いこんでいる巨大な消しゴムや、全ての行動をカウントしなければ気がすまないナンバリングなど…。
 これらのメンバーが文具船という宇宙船に搭乗している。そして彼らは指令を受けてイタチが文明を築き上げた惑星クアールに、彼らを殲滅すべく乗りこんで行くことになる。登場人物を文房具にした場合に読者は感情移入できるのかという試みがなされた作品だが、この無機物の文房具たちに思いきり愛着が持てたりするから不思議だ・・・。
 第1部が文房具たちの性癖の紹介。第2部がイタチの住む惑星の歴史で、地球の歴史の中で戦争史などの部分を誇張させて、実際の地球の歴史の2倍の早さで進んでいく。そして第3部では、クアール歴999年、恐怖の大王のごとく宇宙から攻め込んできた文房具たちとイタチの攻防戦が描かれる。戦いの果てに次々と倒れて消えて行くイタチや文房具たちが、読者にすさまじいカタルシスを与えてくれる。
作品のツボ「僕はね、これから夢を見るんだよ」。このコンパスとイタチの間に生まれた子が語るラストのセリフに全てが帰結する。
キョウコのキョウは恐怖の恐
諸星大二郎 講談社
 暗黒神話でおなじみの諸星大二郎先生の初の小説集。「狂犬」「秘仏」「獏」「鶏小屋のある家」「濁流」の5編が収録されているが、メフィストに載った「狂犬」「鶏小屋のある家」「濁流」の3編はともかく、「秘仏」「獏」は10年以上前に書かれた作品で、ここにようやく日の目を見ることができたわけである。いずれの作品も、諸星先生の漫画作品と同様の雰囲気を漂わせていて、日常世界が少しずつ異常な世界に侵食されていく様子が、ジワリジワリと恐怖を誘う。
 タイトルにあるキョウコは、「狂犬」「秘仏」「獏」の3作品に共通して登場する人物で(同一人物かどうかは定かでない)、各話の主人公を異常な世界に導く案内人の役割を果たしている。ちなみに「狂犬」では凶子、「秘仏」では恐子、「獏」では狂子になっている。なお、「鶏小屋のある家」にも、キョウコとおぼしき女性が登場している。
 「狂犬」は、さびれてしまった旧農業技術試験場への使いを頼まれた、職員が体験する物語。化学と呪いの融合の書かれ方が怖いのに加え、飛びかかるのではなしに、ゆっくりと近付いてくる狂犬が怖い。そして、救いの主なのか、諸悪の根源か分からない凶子の存在が怖い。
 「秘仏」は一般には公開されないお寺の秘仏を見ようとしたばかりに、巻き込まれてしまう恐怖の物語。その地域に伝わる神事に首を突っ込んだばかりに、ひどい目に遭うというのは、諸星先生のもっとも得意とするところである。
 「獏」は、動物園で飼われている獏は、すでに野生の獏では無く、別の何かになっているという恋人の狂子の言葉から、その世界に引きずり込まれていく男の物語。悪夢を食べてくれるはずの獏が生み出す悪夢が描かれている。
 「鶏小屋のある家」は、一軒家を買った中年サラリーマンが、そこに以前から建っていた鶏小屋によって、体験する異常な物語。卵を食べることを気にする人はいないが、この話を読むと生卵が生物が産んだ物体だと実感させられて食べにくくなる。
 「濁流」は、久しぶりに会った知人と話しているうちに、自分が忘れようとしていた過去を、次々と思い出していく話。知人は、ほんとうに自分が知っている人間なのか、そして何故、このような現象が起きているのか…。読んだ後に奇妙な寂しさが漂う物語になっている。
 いずれの話も、夢の中で体験する出来事のように、主人公の体が思い通りに動かず、時間や空間が奇妙な繋がりを見せる。そこには、どこかユーモラスな感じが漂わないではないが、やはりそこには背中にじっとりとした汗をかくような恐怖がある。
作品のツボ→各作品には、それぞれ1枚ずつ諸星先生の挿し絵が描き下ろされている。この挿し絵が、物語のイメージをより膨らませてくれる。
ゲド戦記T 影との戦い
アーシェラ・k・ル=グウィン 岩波書店
 幾つもの島が浮かぶアースシーの世界に、類まれなる魔法の才能を持つ少年が生まれた。かじ屋の息子として生まれた少年は、最初はまじない師のおばから簡単な呪文を教わる程度だったが、その才能を見抜いた師匠であるオジオンからゲドという真の名を授けられ、真剣に魔法の修行に取り組むことになる。この真の名だが、アースシーでは人や動物、あるいは物体の真の名を知ることで相手を支配できるという法則がある。そこで、親しいものの間でも互いに真の名を知られないように、あだ名で呼び交わすというのが慣わしとなっている。もちろんゲドも通常は他の人からハイタカさんと呼ばれ、真の名を知られないようにしていた。
 成長したゲドは、より多くの魔法を学ぶために学院があるロークに向かうが、自らの力を過信し、ライバルであるヒスイに妬みを覚えたことから、禁じられた魔法を唱え災いをもたらすを呼び出してしまう。この影はゲドの命をおびやかすが、真の名を持たない存在のため、倒すことができないものとされていた。影の存在におびえるゲドだが、自分が呼び出してしまった影と真っ正面から向かい合う覚悟を決め、アースシーで誰も訪れたことが無いさいはての地へ向け船を漕ぎ出していく。
 作者のル=グウィンはアースシーの世界を小さな島にいたるまで詳細に作り上げて地図を完璧なものとしている。影との戦いではゴント島で生まれたゲドが、学院のあるロークに渡り、ペンダーに住み着いた竜を退治し、テレノン宮殿のあるオスキルで影に襲われ、ハヤブサに姿を変えゴントに戻り、イフィッシュで友人の魔法使いであるカラスノエンドウことエスタリオルに再会し、東の果てのアスタウェルの先まで影を追い詰めるまで、広大なアースシーの世界を見事なまでに書ききっている。
 この影との戦いはゲド戦記のシリーズ第1作目にあたり、その後こわれた腕輪さいはての島へ帰還アースシーの風と続く全5巻のシリーズからなり、その他にも5つの物語を収めたゲド戦記外伝が発行されている。
作品のツボ→宮崎駿監督はゲド戦記に大きな影響を受けており、真の名が大きな力を持つということは千と千尋の神隠しで、呪いを打ち払うためには旅に出なければならないというモチーフはもののけ姫で取り入れられている。
ゲド戦記U こわれた腕輪
アーシェラ・k・ル=グウィン 岩波書店
 エンタットの西に生まれた少女テナーは、アチュアンの墓所を守る大巫女の生まれ変わりとして生きていく定めを背負わされることになる。その者が亡くなった同時刻に産まれた者を、生まれ変わりとして据えるのは聖者ダライ・ラマを彷彿させるが、先代の大巫女が亡くなったのと同時に生まれたテナーも、普通の少女の生き方を捨て、絶大な力を持つ大巫女アルハとして育てられる。
 テナーが大巫女として仕えることになった名なき者たちは、大王以上の絶大な力を持つ者とされたが、それにふさわしい教育がテナーに施されていく。彼女を見守るのは双子の兄弟神に仕える第一巫女のサーと、大王の第一巫女であるコシル、そして彼女の身の回りの世話をつかさどるマナンである。マナンは親身となってテナーを世話してくれるが、サーやコシルは、あくまでも大巫女としてテナーに接してくる。こうして絶大な力と引き換えに自由を奪われたテナーは、アチュアンの墓所に広がる地下迷宮の管理を任されることになる。誰も踏み込むことのできない暗い地下迷宮は、テナーにとって唯一の心安らぐ場所である。そんな余所者が入り込むことができないはずの地下迷宮でテナーが出会ったのがゲドだった。
 前作の影との戦いで影から逃れる旅を続けていたゲドは、孤島で二人の老人から、半かけの腕輪を受け取ったが、その腕輪の残り半分が、この地下迷宮にあることを突き止めて、立派な青年に成長したゲドが乗り込んできたのだ。その腕輪こそエレス・アクベの腕輪で、これを一つに戻せば、世界に平和な統治をもたらすとされていた。しかし、テナーにとってゲドは不審な侵入者にすぎない。神聖な地下迷宮を汚したものとして、テナーはゲドを迷宮の中に閉じ込めるが、即座に殺してはいけないと思わせる不思議な魅力をゲドは持っていた。次第にゲドを助けたいと思うようになるテナーだが、それはアチュアンの大巫女として許されることではない。ゲドの言葉に耳を傾けているうちに、少女テナーとして生きるか、大巫女アルハとして生きるか、彼女の心は大きく揺れ動くことになる。
作品のツボ→墓所に広がるのは巨大な地下迷宮は、踏み込んだものは二度と出ることがかなわぬほどの大迷宮だが、作者のル=グウィンは細かい部分まで迷宮の構造を描き出している。迷宮は明かりをともしてはいけない玄室から始まり、その中央には壁画の間があるほか、底なし地獄の向こうにはゲドが求めていた腕輪が眠る大宝庫が控えているのだ。物語の大半は地下迷宮を舞台に展開されるが、その入り組んだ通路が、読んでいて目に浮かぶようである。
ゲド戦記V さいはての島へ
アーシェラ・k・ル=グウィン 岩波書店
 前作のこわれた腕輪でエレス・アクベの腕輪を復活させ、世界に安定をもたらしたゲドは魔法学院があるロークで大賢人としての生活を送っていた。そこへエンラッドを治めるモレド家の血を継ぐ若きアレンが訪ねてくる。アレンによるとエンラッドでは、魔法を唱えることができなくなった魔法使いや占い師が増えているという。そこでロークの賢人たちの助けを借りるために派遣されてきたアレンだが、この異常な事態はエンラッドだけではなく全世界に広がろうとしていた。そこで世界のバランスが崩れ、人の頭がおかしくなっていく現象の原因を突き止めるため、ゲドとアレンの2人は旅に出ることを決意する。
 アレンは大賢人であるゲドと共に旅が出来ることを誇りに思うと同時に、魔法も使えない自分に何ができるのかという不安もあった。それでもゲドはアレンを暖かく見守り、今回の旅に欠かせない存在としてホート・タウンなどの国々を連れて回る。アレンが海賊船に連れ去られたりするなど、人々がおかしくなっている世界において、旅は楽なものではなかったが、1巻の影との戦いの時ですら訪れることがなかった南海域西海域にまで船を漕ぎ出していく。ゲドが船を進める先には死が感じられたことから、アレンは恐怖し、ゲドへの信頼も揺らぎそうになるが、それを乗り越えた末に、一つの真実が待ち受けていた。
 世界のバランスを崩してしまったのは、たった一人の魔法使いクモだった。あまりにも気軽に死人を呼び出す魔法を使うクモに腹を立てた若き日のゲドは、死の世界の入口を見せ付けてやったのだが、それから死を恐れるようになったクモは、不死の存在となるため、死の世界への扉を開いてしまったのだ。それが原因で世界のバランスが崩れてしまったわけだが、ゲドの旅は世界の西の果てにあるセリダーから黄泉の国に向かい死の世界の扉を閉めるための旅だったのだ。死の恐怖に取り付かれたクモは世界を滅ぼしかけたが、死の恐怖を乗り越えてゲドとともに旅をしたアレンは成長し、故郷に帰ってから王となる。死の世界への門を閉めたことでゲドの魔法の力は失われてしまったが、それよりも貴重なものを今回の旅は生み出したのである。
作品のツボ→今回の物語で欠かせないものとなったのが竜の存在である。人の心が乱れていく世界において、知恵を持つ竜たちも言葉を失い、共食いをはじめるようになってしまう。そこで竜がゲドに協力してくれたわけだが、オーム・エンバーカレシンなど竜の助け無くしては世界を元に戻すことはできなかったと思われる。
ゲド戦記W 帰還
アーシェラ・k・ル=グウィン 岩波書店
 2巻のこわれた腕輪で、ゲドによりアチュアンの墓所の巫女という役目から解放され自由になったテナーだが、当初はゲドの師匠であるオジオンの元で魔法をならっていたものの、まじない師として生きるよりも普通の女性としての幸せを求めて、百姓と結婚する道を選んだのだ。そして時は流れ、夫のヒウチイシは亡くなり、息子のヒバナと娘のリンゴも大きくなって家を出て、一人で暮らしていたテナーは、ゴロツキ連中によって体に大火傷を負ったテルーという女の子を養女として育てることになる。そのゴロツキ連中の中には、テルーの両親もいたのだが、自分の子供をいたぶって、始末するために焚き火の中に投げ込んだのだ。人のやる事とは思えぬ所業だが、時代的に前作のさいはての島へにあたる時期で、クモが世界のバランスを崩したことで、人の心がおかしくなってしまっていたのだ。
 それから一年後、オジオンが危篤に陥ったと聞いたテナーはテルー連れて、オジオンの住むル・アルビへと向かう。テナーが着いて、しばらくしてオジオンは亡くなるが、「待っててごらん」というオジオンが亡くなる前に言い残した言葉に従って、ル・アルビに残っていたテナーのもとに、竜のカレシンの背中に乗ってゲドは帰ってきた。世界の果てまで旅をして世界を救ったゲドだが、そこで全ての力を使い果たし、生きているのが不思議なぐらい憔悴しきっていた。そして大賢人とまで言われたゲドは、力を出し尽くしてしまったことで、魔法が使えなくなり普通の人となっていた。これまで、当たり前のように魔法が使えていたゲドが、普通の人として生きるには大きな不安が残されていた。冒険をともにしたアレンが王になるにあたり、戴冠式に出てほしいという招待を受けることもできず、大賢人のゲドを求める人たちから隠れるように逃げ続けなければならなかった。
 これまでシリーズを読み続けた読者にとって、力を無くしたゲドの姿はあまりにも痛々しくつらいものがある。ゴロツキ連中を追い払うのに、熊手を振り回すゲドを誰が想像できたであろうか。しかし、魔法の力を失った代わりに普通の男となったからこそ、これまでの旅では決して得ることができなかった幸せをゲドは手に入れることになる。
作品のツボ→大やけどを負ったテルーは幼いながらも物語の重要なカギを握る人物である。誰もが彼女を恐れるのは、その姿が醜いからではなく、彼女の真の姿が大きく関係している。本書ではゴロツキ連中以上に吐き気のするアスペンという魔法使いが登場するが、女性の力を全く認めようとしないアスペンは、テルーが本当の力を出す時、己の無力さを思い知らされることになる。
ゲド戦記X アースシーの風
アーシェラ・k・ル=グウィン 岩波書店
 全ての魔法の力を失い、妻のテナー娘のテハヌー(テルー)と平和な生活を送っていたゲドのもとに、ハンノキと名乗る一人のまじない師が訪ねてくる。ハンノキは壊れたものを直すことを得意としていたが、愛する妻を失ってからというもの恐ろしい夢をみるようになったというのだ。その夢とは死んだ者がたどり着く石垣のある丘で死者たちが自分を呼んでいるというもの。石垣のある丘とは、さいはての島への冒険の中で、ゲドがレバンネン(アレン)とともに、世界に秩序を戻すため踏み込んだ世界である。そこでクモを倒し、死の世界への扉は閉ざされたはずだったが、ハンノキの夢を通じ、再び死の世界が開こうとしているのか。
 魔法の力を持たないゲドは、彼の苦しみを救ってあげられるのは自分ではないと、いまや王となったレバンネンがいるハブナーにハンノキを送り出す。ちょうどテナーやテハヌーもハブナーに行っていることから、ハンノキの助けとなる者も多いだろうとの配慮だったが、ハブナーでは多くの問題が発生していた。レバンネンの妃として差し出されたカルカドの王女セセラクは、言葉も通じず顔も見せてくれない状態だったし、これまでおとなしくしていた竜が暴れて家畜などを襲うようになったというのだ。ハンノキが見る悪夢も含めて、様々な問題がレバンネンの頭を悩ませることになるが、それらの問題を解決すべく、テナーやテハヌー、ハンノキ、セセラク、そして竜の化身であるアイリアンとともに、レバンネンは魔法使いたちが住むロークに向かうことになったのだ。
 これまでゲド戦記はシリーズを通じて、まことの名が持つ力や、死者たちが行く世界などが語られてきたが、それらの法則はアースシーという多島海の中で正しいこととされてきた法則にしかすぎないことが明らかとなってくる。セセラクが暮らしたカルカドには全く別の伝説があり、竜たちからすれば人間が約束を破ったために起きた問題というものがあった。これまで信じていたものが最終巻で崩れ去っていく感覚には目まいを覚えるが、古い何かが壊れることにより、アースシーは大きく変わろうとしていた。変わることで失われてしまうものもあるが、消失が滅びを意味するわけではなく、これまでとは違うアースシーの物語りが、これからも続いていくのである。
作品のツボ→ハンノキが悪夢にうなされないようにするには、寝ているハンノキの手を誰かが握ってあげるしかないのだが、常に誰かが付き添っているわけにもいかないので、一匹の子ネコを飼うことになる。獲物を引きずっていく様子からヒッパリと名付けられた子ネコは、ハンノキにとって欠かせない存在となるのだ。

ゲド戦記外伝
アーシェラ・k・ル=グウィン 岩波書店
 全部で五部作からなるゲド戦記で描かれたアースシーの世界を補足するものとして書かれた5つの短編を収録したものが本書、ゲド戦記外伝となる。まえがきで作者も書いているように年代的には4巻の「帰還」と、5巻の「アースシーの風」が発行される間に書かれたもので、主人公であるゲドは、4話目の「湿原で」を除いて、ほとんど登場しない。
 「カワウソ」は1巻の「影との戦い」より300年も昔の話で、船大工の息子として生まれたカワウソが、生まれ持った魔法の力から数奇な運命をたどり、魔法使いのゲラック海賊のローゼンの下で奴隷として、こき使われることになる。その後、アニエブという女性のおかげで自由となったカワウソはローク島へと向かい、モエサシヴェイルという姉妹に出会い、そこで魔法の学院を築きあげていく。後に物語の主人公であるゲドがロークの学院で魔法を学ぶことになるのだが、そこへとつながるストーリーとなっている。なお、ゲド戦記外伝の中では、この「カワウソ」の物語が、他の作品と比べて圧倒的に長いものとなっている。
 「ダークローズとダイヤモンド」は、魔法の力を持って生まれたダイヤモンドと、幼馴染のダークローズとの恋愛物語。本来なら父親の後を継いで堅実な商売人となるべきダイヤモンドだが、生まれ持った才能を活かすため魔法使いヘムロックのもとへと弟子入りする。しかし、魔法使いとなるものには恋愛は許されない。かといって、魔法使いをあきらめて父親の商売を継いだところで、父親はダークローズを嫌っており結婚は認められない。そこで自分は何になるべきか迷ったあげく旅の楽師となったダイヤモンドの物語である。
 「地の骨」は、魔法使いダルスと、彼に弟子入りした少年ダンマリの物語。町を滅ぼすほどの大地震の予兆を感じたダルスは、一命を賭して弟子のダンマリとともに大地の怒りを静めることに成功する。ここで生き残ったダンマリこそが、ゲドの魔法の師匠となるオジオンで、魔法の教えが師匠から弟子へ脈々と受け継がれていることが分かる。
 「湿原で」は、セメルというアースシーの世界の中でも特に変哲の無い土地に訪れた不思議な男の話が描かれる。メグミという女性の家にフラリと訪れた男は、魔法を使って牛の伝染病を治してまわる。この男の正体はつかめないままだったが、大賢人となったばかりのゲドがセメルにやってきたことで、全ての謎は明かされる。なお、本書においてゲド本人が登場するのは、この話のみである。
 「トンボ」はウェイ島で生まれたトンボという女性の物語。女性が魔法使いとなることは禁じられているが、自分が何者であるか知りたかったトンボは、ゾウゲという魔法使いの手引きにより、掟を破ってローク島へと上陸する。その頃、ローク島は3巻の「さいはての島へ」で、黄泉の国に向かったゲドを心配するあまり、踏み入れてはいけない領域まで入り込み不死の存在となってしまった呼び出しの長トリオンにより支配されつつあった。それが、トンボがやってきたことで運命が大きく動きだすことになる。このトンボこそが、5巻「アースシーの風」で登場するアイリアンなのである。
作品のツボ→5つの物語の他に巻末にはアースシー解説として、アースシーの言語や文字、歴史などが紹介されている。5巻にわたって壮大な物語が展開されたゲド戦記だが、本書を読むことで背景となる部分が見えてきて、より楽しめるものになるのではないだろうか。
『さ行』

残像に口紅を
筒井康隆 新潮文庫
 世界から50音の文字が1文字。また1文字と消えて行くという世界。文字が消えると小説中でもその文字を使用することが禁じられるので、物語が進めば進むほど話を作るのが難しくなってくるというとんでもない実験小説
 また、名前に入っている文字が消えてしまうと、その登場人物も消滅してしまうという設定。主人公の娘も名前の文字が消えて消滅してしまうのだが、まだ目に残っている娘の残像に口紅をひいてやるというイメージから、小説のタイトルは付けられている。
 意地悪な話だが、読み手としては、どこまで物語を成り立たせることが可能なのか興味を持って読み進んでしまう。残り2文字や3文字の状態で、小説が成り立つのかどうかは、読んでみてのお楽しみ。
 ちなみに幽々白書海藤優タブーの能力は、この小説がおそらくモデルになっている。
作品のツボ→どうやら、この小説の主人公は脱走と追跡のサンバ虚人たちと続くメタ小説のシリーズと同一人物らしい。
屍鬼
小野不由美 新潮文庫
 この小説をSFやファンタジーのジャンルに入れてしまうことに抵抗を感じるのだが、ホラーというジャンルを作っていないので(ホラーとも少し違う気はするが)、取り合えずこのコーナーで紹介させていただきます。
 村は死によって包囲されている。渓流に沿って拓けた村を、銛の穂先の三角形に封じ込められているのは樅の林だ…という書き出しで始まるように、人口1300人ばかりの外場村は周辺の村から隔離された環境にあった。隔離されていると言っても、隠れ里のようなものではなく、よくある田舎町同様に、村の外から働きに来る人もいれば、村外の会社や学校に通うものも少なくなかった。しかし、少し手を加えるだけで、周辺から断絶されるだけの要素は多分に持ち合わせていたのだ。
 そんな外場村の山入地区で、夏のある日、3人の老人が死んでいるのが発見される。老人だから、周りに助けを呼ぶことができず次々と死んでいったものとして処理されたが、これこそが村を襲うことになる死の連鎖の始まりだった。その日から少しずつ増加していく死者の数。それでありながら、村人達は身内の死以外には無関心で、何となく今年は葬式が多いぐらいにしか捉えていなかった。一体、外場村に何が起こっているのか。村人の中にも、住職の静信医者の敏夫など、この事態を異常だと気付き、対策を練るものも現れる。しかし、異常事態は止まることなく村全体を包み込んでいく。一気に怪奇現象が襲いかかり村がパニックになるのではなく、ジワリジワリと死に侵食されていくところが、かえって恐ろしい。
 いまだに土葬が根付く外場村だからこそ言い伝えられる死体が動き出す起き上がりという現象。自分が不本意にも死体として起きあがった時に、どう認識すれば良いのか、大切な人が死体として戻ってきた時に、どのように対処できるのか。村人たちの各種各様の反応。化け物に襲われる恐怖で終わることなく、本当に恐ろしいものは何なのかを突きつけてくるところに屍鬼の本当の怖さとおもしろさがあると言える。
作品のツボ→文庫で全5巻にもなる大長編作品で、特筆すべきは登場人物の多さ。それぞれの人物が死と向かい合うことになった時、どのように対処し、どのように変容していくかが見どころとなる。
スカイ・クロラ
森博嗣 中央公論社
 おそらく今よりも未来の世界。主人公のカンナミ・ユーヒチ戦闘機の操縦士で、仕事で出撃しては敵機を撃ち落して行く。カンナミたち操縦士は、遺伝子実験の過程で生み出された、老化することの無いキルドレという人間。カンナミは気持ち良く空高く飛びあがり、殺意も使命感も持たずに、操縦桿を握って攻撃を行う。そこに殺伐とした感じは無いが、森氏がすべてがFになるなどのミステリでテーマにする、殺人の動機について別の角度から詩的に書き上げている。
 自然に生きている鯨は殺してはいけないが、食べるために養殖しているブタなどは食べても良い。それと同じように人間は戦ってはいけないが、殺すために作られた自分たちキルドレは、戦いが許される。このキルドレの発した言葉が印象に残る一節。
 作者の森氏は模型飛行機を飛ばすことを趣味にしているほどの、飛行機好き。それが飛行機の上空での動きなど、作品の細部にまで反映されている。ミステリ好きに、飛行機好きに、そして森博嗣好きにおすすめの一冊。
作品のツボ→空をイメージした青の装丁が目にも美しい。しおりの紐の色まで青くなっており、とことんこだわっている。
ゼウスガーデン衰亡史
小林恭二 福武文庫
 1984年、双子の天才、藤島宙一、宙ニ兄弟によって、東京に建設された「下高井戸オリンピック遊技場」。オープン当初はボロボロの回転木馬やゴジラのハリボテしか無く、来場者もまばらという悲惨な状況であった。しかし、あまりのボロさに怖すぎるということで話題を呼んだジェットコースターがきっかけとなり、後にゼウスガーデンと呼ばれる巨大なテーマパークとなっていく。単に繁栄するといっても、この作品がローマ帝国の興亡の壮大なるパロディであるため、描かれる規模も遊園地の枠をはるかに超えた壮大なものとなっている。
 見どころは何と言っても膨大な予算をかけて作り上げられたアトラクションの数々である。自分そっくりに作られたホログラムが、殺人などの倒錯的行為を犯すのをながめる「テレビマン」。512人で施設に入ると、人数が半分ずつに減っていき、最後には一人だけ残されてしまう1年間に8人の発狂者を出したという「恐怖館」。1か月も施設に泊まりこんでロボットで作られた神々のパレードをながめる「フェスト魔踊」などなど…
 そもそも遊園地は夢想家の宙一のアイデアと、経営の天才である宙ニの運営によって成り立っていたのだが、二人の人格が混ざり合って平凡な人間となってしまったため、そこから先の経営は、全て元老院と呼ばれる幹部連中に託されていく。しかし、テーマパークが生み出す収益が国家予算をも上回ることから、役員達の権力争いも、国の天下を取るほどの大争奪戦にまで広がり、謀略の嵐が吹き荒れることになる。下高井戸オリンピック本体を運営するグループと、そこから分かれて富士の裾野に作られた600万坪の大きさでジンベイザメと泳げる鮫入りプールを運営するグループ。次第には鮫入りプールにも下高井戸に負けないほどのアトラクションが作り上げられていく。そして、大地震に襲われ壊滅状態に陥った2つのアトラクションが合併して作り上げられた楽園こそゼウスガーデンだったのである。
 人間の想像力が許す限りの壮大なアイディアを、遊園地に注ぎ込むというコンセプトはそこから生まれてきたのだろうか。ある意味バカバカしいと言えるほどの領域に踏み込みながら、衰退していくまでの100年にも渡る歴史を描ききったことに敬意を評したい。
作品のツボ→狂乱の施設であるゼウスガーデンにふさわしく、施設内のレストラン「迷妄館」のメニューもすさまじい。プランクトンから西遊記でもお馴染みの人参果を生み出してしまうほどである。
『た行』

鉄塔武蔵野線
銀林みのる 新潮文庫
 第6回日本ファンタジーノベル大賞受賞作品。送電鉄塔の一つ一つに番号が振られていることに気がついた少年が、その番号を順番に鉄塔をたどって行く冒険を描いた物語。実際にある送電鉄塔の武蔵野線を使ってファンタジー童話とした異色作(写真入りで紹介されている)。
 男の子なら川の上流を探ろうとか、裏山の防空豪を探検しようとか、小さな冒険の思い出があるはず。しかし、子どもにとっては、その冒険がどれだけ自分にとって大変なものであるのか、全く想像できないという恐怖がある。この物語でも、主人公の男の子は送電鉄塔を順番に辿りながら、本当に終点にたどり着けるか不安を覚えるようになる。時には立ち入り禁止区域に立つ送電鉄塔に入って怒られたり、一緒に冒険をはじめた仲間が、怖くなって途中で帰ってしまうなどのアクシデントに見まわれるので、読み手はハラハラさせられる。
 何故か鉄塔好きの人間は、世の中にわずかながら存在するようで(実は自分もそうなのですが)、そのような鉄塔マニアにはたまらない一冊となっている。
 惜しむらくはラストを無理にファンタジー的にしなくても良かったような気もするが(文庫版では直されているようだが…)。
作品のツボ東電!(ひがしでーん!)と気持ち良く叫びましょう。

東亰異聞
小野不由美 新潮社
 明治二十九年、帝都・東亰に怪しきものたちが跋扈し始める。夕闇の中を怪しく光る物体を運び歩く人魂売り、生首をお手玉のようにさばく首遣いの後に出没しては首を切り落としていく辻切り、人を高いところから突き落としては火達磨にする火炎魔人、鉄の鉤爪で首を切り裂く闇御前。いずれも物の怪のたぐいか、はたまた不埒な輩の悪行かと、人々を脅かしていたが、便利屋の万造と帝都日報の記者である平河新太郎は、怪人たちの正体を探ってやろうと乗り出すことになる。
 子供をさらうという噂だけが先行する人魂売りを除けば、それぞれの犠牲者は闇御前が7人、火炎魔人が4人、辻切りが4人の合計15人。その大半が死亡しているが、闇御前に襲われて一命を取りとめたのが、元摂関家である鷹司家の関係者であったことから、何か有力な証言が聞けるのではないかということで調査に乗り込んでいく。その鷹司家の先代は開国に全力を尽くした鷹司熙通だったが、十年前に熙通が亡くなってからというもの、その跡継ぎ問題は混迷を極めていた。闇魔人に襲われた鷹司常熙が家の主人であったものの次男のため正式には家を継ぐ資格がなく、正当な後継者であるはずの長男の鷹司直熙は先代の正室に疎まれ家を追い出されてから、自由気ままな生活を送っていた。
 そもそも正室に子供が生まれず、それぞれ別の側室に常熙と直熙が生まれたことからややこしいことになったのだが、家に残った常熙は気質が大人しく後継者問題に興味が無く、家を出された直熙も民権運動に手を出し家督なぞバカらしいと思っていることが、より問題を複雑にしていた。当の本人たちの意向を無視して、跡目争いにご執心なのは、周辺の親戚連中ばかり。帝都に巣食う怪人の正体は、邪魔な存在を亡き者にしようとする鷹司家の関係者による仕業なのか。
 怪人の姿を借りた殺人鬼の正体を探っていくということで、ミステリーとして紹介したいところだが、日本ファンタジーノベル大賞の最終候補作にまで残った作品を、ファンタジーとして紹介しないわけにはいかないだろう。実際に怪人たちが跋扈する東亰は、ありありと目に浮かんでくるようにリアルに描写されている。長い武家社会を終えて文明開化を迎え、新しい時代に生まれ変わろうとしている東亰で、残された闇の中をうごめくものどもの息吹が聞こえてくるようである。はたして万造と新太郎は闇御前や火炎魔人を闇の中から引きずりだすことはできるのか…
作品のツボ→架空の都市である東亰を舞台にしながらも、そこで描かれる風景は実際の明治中期の東京に限りなく近い。この作品を通じて明治二十三年に建てられた浅草の十二階の様子がリアルに伝わってくる。
『な行』

73光年の妖怪
フレドリック・ブラウン 創元推理文庫
 自分の星を追放されて73光年の彼方から地球に飛来した知性体。その知性体は他の生命体に乗り移ることができるが、寄生するためには様々な条件が制約されていた。この制約がこの物語のおもしろさと緊迫感を高めてくれる。
 まず、相手が眠っている状態ではないと乗り移ることができない。乗り移りたい相手が知性体の本体から遠くにいる場合は乗り移ることができない。そしていったん乗り移ったら、その乗り移った生命体が死にかけない限り他の生命体に乗り移ることができない。しかも、他の生命体に乗り移っていても知性体の本体(この本体は見た目は亀のようにしか見えない)が破壊されてしまうと死滅する。ここらへんの制約がジョジョの奇妙な冒険スタンドみたいでおもしろい。
 彼の目的は地球の存在を自分の星に知らせて、その功績で自分の星に帰ること。そのためには、より知性の高い人間に乗り移っていかなければならない。この乗り移りを、作中の登場人物は悪霊が乗り移ることに例えて、ガダラの豚を例に挙げて説明している。
 地球のことを良く知らない知性体は、最初は乗り移りの繰り返しもうまく行かず、無駄な自殺を繰り返すだけだったが、思わぬ偶然から物理学教授に乗り移るチャンスを手に入れる。そして、それが成功した時こそ、知性体が自分の星に地球の存在を伝え、地球への侵略が開始されることになる。しかし、教授も知性体の存在に気づき始めるのだが、そこから繰り広げられる知性体と教授の知恵比べは、ジョジョファンには充分楽しめる展開である。
作品のツボ→読み手としては、最初は知性体の乗り移りがうまくいくことを期待して読んでいたのが、地球の危機となると教授に肩入れして読むようになる。しかし、それでも、この知性体は愛すべき存在だったと思う。「かわいそうなやつだったんですよ。あいつはただ、故郷に帰りたかっただけなんだ。しかし、あいつに帰られたら人類のためには良くなかったでしょうね」
夏への扉
ロバート・A・ハインライン ハヤカワ文庫
 あなたは、猫が好きですか。そして、あなたは今の時代に満足していますか。この物語の主人公のダン・デイヴィスは、今の時代1970年に失望して、愛猫のペトロニウス(ピート)ともに冷凍冬眠に入ることを思い付く。彼が再び目覚めることを指定した時代は30年後の2000年。そもそもダンが1970年に絶望し冷凍冬眠に入ろうと思ったわけは、愛する女性に騙され、親友に裏切られたからだった。
 この彼が愛した女性であるベル・ダーキンこそ稀代の悪女だった。ダンは30年後の年老いた彼女の前に、若い姿のまま現れ、溜飲を下げてやろうと思い付く。しかし、眠りに入る前に、全ては彼女の悪巧みと気付き、冷凍冬眠を取りやめ、彼女の悪事をストップさせようと試みる。しかし、皮肉にも彼女から催眠剤を打たれ、自分の意思と反して冷凍冬眠につくハメとなる。
 無理矢理に冬眠につかされたものだから、予定が狂いピートとは別れ別れとなる。預金されているはずのお金も失い。かなりへこたれる状況に陥るダンだが、あきらめず道を切り開いて行こうとする。ダンが目覚めた2000年(12月だったので、すぐに2001年になるのだが…)の世界は、決して科学万能の輝かしき世界でもなければ、戦争によって滅びた暗黒の世界でもない。夏への扉で描かれる2000年は、かなり現実に近いようで微妙にズレが見られる世界。パソコンやインターネットの出現を予測することが、まず難しかったと思われるし、話のカギを握ることになるタイムマシンは、残念ながらいまだ発明されていない。しかし、この作品で描かれた未来を想像する力が、後に多くのSFを生み出すことになるのだから、実に重要なタネをまいた作品と言える。
作品のツボ→実は、この作品が書かれたのは1957年。小説の中の時代の13年前である。つまりハインラインは、まず13年後の未来を想像し、さらにそこから30年後、つまり小説を書いている時から43年後の未来を想像し描いたことになる。彼の想像力に乾杯である。
ナルニア国ものがたりT ライオンと魔女
C.S.ルイス 岩波書店
 指輪物語、ゲド戦記と並ぶ3大ファンタジーの一つが本書から始まるナルニア国物語7部作である。1950年という第二次世界大戦から間もない頃に書かれた本書は、洋服ダンスの向こうに広がるナルニア国という魅力的な世界観が、多くの子供の心をつかみ、世界中で読まれる名作となったのである。現実世界とナルニア国を結ぶのが洋服ダンスであること。その洋服ダンスの先にはファンタジーの世界では異色とも思える街灯が一つだけ灯っていること。冬が終わらないナルニアを救うことができるのは、こちらがわの世界から迷い込んだ4人の子供たちであること。フォーンや小人といったファンタジー世界の住人と混じって、ビーバーやライオンといった動物たちも言葉を話して活躍すること。その全てがナルニアの魅力であるとともに、7作を通して読んだ時に見えてくる歴史の流れが、ナルニア国シリーズを名作とした所以であろう。
 ロンドンから田舎に疎開してきたのは、長男ピーター長女スーザン次男エドマンド次女ルーシィの4兄弟。新しい住まいとなった田舎の屋敷は何の変哲もないように思えたが、末っ子の幼いルーシィが洋服ダンスに入ってみると、タンスの向こう側はどこまでも続いていて、いつの間にか雪の森の中に立っていた。そこで出会ったのが腰から下がヤギのようなフォーンのタムナスだった。ルーシィがタムナスから聞かされたのは、白い魔女がナルニアを永遠の冬にしているということだった。そこから兄弟たちはナルニア国と深く関わっていくことになるわけだが、この物語をおもしろくしているのは、次男のエドマンドの存在だと思われる。兄弟がそろって良い子で力を合わせて白い魔女と戦う物語だったら、ここまで語り継がれる名作にはならなかったであろう。ひねくれ者のエドマンドが兄弟を裏切って白い魔女の側に付いたばかりに、兄弟や良い心を持った動物たちを苦しめることになるのだが、それが物語に深みを与えている。
 白い魔女と対抗できる力を持っているのは、ライオンのアスラン。白い魔女ですら、蹴散らすことができる力の持ち主であるアスランだが、エドマンドの裏切りがアスランをも苦境に落とし入れてしまう。4人の子供と白い魔女との攻防は熾烈を極めるが、彼らの活躍によりナルニア国は救われる。しかし、ナルニア国の物語ははじまったばかり、これから何度も洋服ダンスを通ってナルニア国での冒険が繰り広げられていくのだ。
作品のツボ→ナルニア国の世界観は独特のものがあるが、ここではサンタクロースも存在する。白い魔女の呪縛から解放されて動き出したサンタクロースは、ピーターに剣と盾を、スーザンに弓矢と助けを呼ぶ角笛を、ルーシィに短剣と傷を治す薬をプレゼントする。この贈り物が物語の中で見事に活かされている。
ナルニア国ものがたりU カスピアン王子のつのぶえ
C.S.ルイス 岩波書店
 現実世界から衣装ダンスを通ってナルニアの世界に行き、世界を支配する白い魔女を倒した後は、王となって国を統治したピーター、スーザン、エドマンド、ルーシィの4兄弟だが、ナルニアでは大人になるまで成長したのに、現実世界に戻ってきた時には、何事も無かったかのように子供に戻り、時間も全く進んでいなかった。以上が、前作のライオンと魔女の物語だが、退屈なロンドンでの生活を送っていると、突如として不思議な力が働き、4兄弟は再びナルニアの世界に呼び出されてしまう。しかし、そのナルニアは前に来た時から何百年もの時が流れ、以前はいなかったはずのテルマール人によって支配されていた。言葉を話す動物たちや植物、フォーンや小人は森の奥に追いやられてしまったが、テルマール人とナルニアの住人が友好関係を築くことになるカギが、次の王になる人物とされていたカスピアン王子だった。しかし、自分の子供を王にしようとする叔父のミラースにより、危うく殺害されそうになり、最後の手段として吹いた角笛により、4兄弟はナルニアに呼び出されたのであった。
 こうして再びナルニアを訪れることになった4兄弟だが、同じナルニアでありながら世界が一変してしまっているところがおもしろい。ナルニアにくることになったきっかけも、前作でスーザンが紛失してしまった角笛というつながりも秀逸である。ナルニアにいるのは異世界の住人だけだったのが、いつの間にか人間によって支配され、言葉を話した動物も人間を襲う獣に成り下がり、植物が言葉を話すこともなくなってしまった。人間が介入するだけで夢のような世界が、ここまで殺伐としてしまうのかと思うと実に考えさせられる。ナルニアをテルマール人から取り戻すには、ライオンのアスランも欠かせない存在となるのだが、末っ子のルーシィ以外にはアスランが見えなくなっているという変化も、子供たちの成長とからめたうまい設定である。そして、前作から読み続けてきた人は、倒したはずの白い魔女の存在と、その復活を願う者の登場に驚かされることだろう。
 物語の大半はナルニアにたどり着いた4人の子供たちが、カスピアン王子に会うための道のりに割かれている。映画化された作品では、この道のりを少し短くして、その代わりナルニアをテルマール人から取り返すための戦いのエピソードを増やしているのだが、その辺は映画という娯楽作品にした場合のバランスを考慮してのことであろう。そして、ナルニアに平和を取り戻して、元の世界に帰る際に、ピーターとスーザンは二度とナルニアにくることはできないと知ることになる。これは子供だけがナルニアにくることができるという意味なのだが、登場人物が成長して物語から退場するのは実に寂しい。しかし、ナルニアの時の流れと、こうした登場人物の交代が、シリーズを奥深いものへとしているのである。
作品のツボ→ナルニアに平和を取り戻すために協力してくれる住人たちはアナグマや巨人など、誰も彼も魅力的な存在であるが、前作では白い魔女の手先であった小人も、今回は味方となって戦ってくれる。中でもトランプキンは4兄弟と一緒にカスピアン王子のもとを目指す重要人物となる。また、誇り高きネズミの剣士リーピチープは、あまりにもおもしろいキャラなので、映画化にあたって考えられたオリジナルキャラかと思ったが、原作にもそのままのキャラで登場していることに驚かされた。
ナルニア国ものがたりV 朝びらき丸 東の海へ
C.S.ルイス 岩波書店
 前作のカスピアン王子のつのぶえではカスピアン王子を王位につけさせ、ナルニアをテルマール人の手から取り戻したペペンシーの四兄弟だが、現実世界に戻ってから1年後、次男のエドマンド次女のルーシィ従兄弟のユースチスの家で、海を漂う帆船の絵を見ているうちに、いつのまにか絵の中の世界に吸い込まれていた。なお、本作において、長男のピーターはライオンと魔女の時の疎開先であったカーク先生のもとで試験勉強中、長女のスーザンは両親と一緒にアメリカに行っているため出てこない。そして、エドマンドとルーシィ、従兄弟のユースチスが取り込まれた絵の中の世界は、またもやナルニア国で、航海していた帆船には王になったはずのカスピアンが乗っていた。
 現実世界ではナルニアから戻って1年だったが、ナルニアはカスピアンが王位についてから3年が過ぎていた。そして、カスピアンが朝びらき丸に乗って航海していた理由とは、3年前の権力争いに巻き込まれ、国を追放された7人の貴族を探しだすためだった。レビリアン卿、ベルン卿、アルゴス卿、マブラモーン卿、オクテシアン卿、レスチマール卿、ループ卿の7人が追い出されたのは、誰も踏み入れたことがないとされる東の海。そこで自分をかばって国を追放された7人の行方を探し出そうとカスピアンは決意したのだ。しかし、ここで問題となってくるのが従兄弟のユースチスの存在。これまでナルニアを救ってきたペペンシーの四兄弟と違って、菜食主義者にして禁酒禁煙主義者の両親に育てられたユースチスは、参考書に載っていることしか信じないような頭でっかちで、ファンタジーの世界から最も縁遠いタイプの人間だった。性格もひねくれているため、事あるごとにトラブルメーカーとなって、周りの者の足を引っ張ることになる。
 船で航海を進めるうちに、行く先々の島で様々な冒険に巻き込まれるという典型的なファンタジー作品。冒険の途中で、7人の貴族の消息は一人、また一人と判明していくのだが、無事に生き延びていたものもいれば、過酷な旅の果てに命を落としたものもいた。カスピアンやルーシィたちも、奴隷として売り飛ばされそうになったり、悪夢が現実になる世界に飲み込まれそうになったりしながら、東へ東へと船を進めていく。そんな過酷な航海の先に待っている世界の果ての描写には寂しさを感じるとともに、その美しさに感動を覚える。こうして、エドマンドとルーシィのナルニアでの活躍も本書で終わりを告げ、後はユースチスに受け継がれることになるのだ。
作品のツボ→本書のツボといえば従兄弟のユースチスなのだが、彼とネズミの剣士リーピチープのやり取りは絶妙である。名誉のためなら命も投げ出すネズミの剣士と自分のことしか考えないユースチス。正反対で相性も最悪の一人と一匹だが、ユースチスの精神的な成長に合わせて、その関係も変化していく。また、東の海で出会った数々の奇妙な出来事の中でも、大きな一本足でピョンピョンとびはねる、のうなしあんよは一際異彩を放っていた。
ナルニア国ものがたりW 銀のいす
C.S.ルイス 岩波書店
 前作の朝びらき丸 東の海へでは、周りに迷惑をかけまくったユースタスだが、ナルニアでの冒険で一回り成長したのか、他人のことが思いやれる男の子に変わっていた。こうして元の世界に戻ってきたユースタスだが、困ったことに彼の学校ではいじめが横行していた。特にいじめの標的になっていたのはジル・ポールという女の子で、かつてのユースタスなら、見て見ぬふるをするところだが、成長したユースタスはいじめられている女の子を、そのままにしておくことはできず、試しに学校を逃げ出してナルニアに行けるかどうか、おまじないを唱えてみたところ、いつの間にかユースタスとジルの2人はナルニアの世界に踏み込んでいた。
 こうして2人は自ら望んでナルニアに来たように思われたが、実は2人を呼び寄せたのはライオンのアスランだった。ユースタスにとっては、前に訪れてから数ヶ月しか経っていなかったが、その間にナルニアでは何十年もの時が流れ、若くて勇敢だったカスピアンも、すっかり年老いていた。しかし、彼の後を継ぐべきリリアン王子は、夜見の国の女王である魔女によってさらわれ、行方不明となっていた。そこで、リリアン王子を見つけて連れ戻すため、沼人の泥足にがえもんと一緒に3人で冒険に旅立つことになったのだ。しかし、あまりの崖の高さに目がくらんだジルが、恐怖のあまりユースタスを突き落としてしまうところから、歯車がくるいはじめるのである。ユースタスとジルがアスランから託された王子救出の手順は、最初にカスピアンに挨拶して助力を請い、次に北に向かい巨人族の都の跡を訪れ、続いてそこで記された文字を見つけ、最後に行方不明の王子を見つけろというものだったが、あまりにも年をとったカスピアンに気付かなかったため、手順が全く違ってしまったのである。このような物語の場合、苦労しながらも課題をクリアしていくのがセオリーだが、その法則が本作では全く成り立たない。ちょっと強引だが、ゲームに例えるなら、ある段階までにクリアしておかなければいけないイベントを無視したまま、ゲームを先に進めてしまったような居心地の悪さを覚える。
 タイトルにある銀のいすというのは、さらったリリアン王子を洗脳しておくために魔女が用意したいすのこと。昼間は魔女の言いなりになってしまうリリアン王子だが、夜は正気を取り戻すため、彼を銀のいすに縛り付けておくのだ。こうして、後継ぎを封じておいて、ナルニアに攻め込む予定だった魔女だが、地下に乗り込んできた3人によって野望は崩れ去る。この夜見の国の女王は、ライオンと魔女の白い魔女と同じ存在のようだが、またしてもナルニアの外から来たものによって、滅び去ることになったのだ。途中まではアスランの指示どおりに行動することができず、危うく魔女にナルニアを奪われるところだったが、どうやら運は子供達に味方していたようだ。なお、彼らの冒険の最後には、学校のいじめまで解決できたというおまけまで付いてくる。
作品のツボ→どこかでボタンがかけ違ってしまったようなユースタスとジルの冒険を助けてくれた泥沼にがえもんだが、彼は常に最悪の事態しか考えないネガティブ思考の持ち主である。あまりにも不吉なことばかり言うので、二人からは嫌われていたが、その地に足のついた思考こそが、甘い夢を見させようとする魔女の策略に打ち勝つことに繋がったのだから、何が幸いするか分かったものではない。
『は行』

発狂した宇宙
フレドリック・ブラウン ハヤカワ文庫
 キース・ウィントンはSF雑誌サプライジング・ストーリーズの編集長。彼が編集する雑誌には、水星の怪物や宇宙戦争といった荒唐無稽な物語が満ち溢れていた。そして、キースはこのうえなくついていない男でもあった。打ち上げに失敗した月ロケットが、彼のところに墜落してきたのである。キースが再び気付いた時には、世界は彼が編集するSF雑誌のような世界に変貌していた。地球はアークトゥルスと交戦中で、お金の単位はドルからクレジットに変わっていた。こうした世界は全ては、実はキースの脳内世界が現実となったものだった。
 ブラウンならではのユーモア感覚でハチャメチャな世界が描き出されていく。 自分の脳内世界が現実のものとなっているので、その世界の自分は最高にカッコ良い男となっており、最高の地位を手に入れている。そして、あこがれだった女性は現実の世界よりも美しい存在となっている。それでは、キースが最高の幸せ者かというと、ヒーローとなっているのは、その世界のキースであり、迷い込んだキースはアークトゥルス人と間違われ、命を狙われるハメになる。しかし、ツイていない男を書かせたら、ブラウンの右に出る者はいない。はたしてキースは元の宇宙に帰ることができるのか…。
作品のツボ→そもそも宇宙でのワープ航法が実現したのは、電動ミシンが配線を間違えたため瞬間移動してしまったというのだからムチャクチャである。
光車よ、まわれ!
天沢退二郎 ちくま文庫
 宮澤賢治が描く童話世界はメルヘンとファンタジーに満ち溢れながらも、死というキーワードが、登場人物たちのすぐ近くに存在していた。作者の天沢退二郎は宮澤賢治と中島みゆきの研究者としては第一人者である。その天沢が描くこの作品では、子ども達を容赦無く死の恐怖が襲ってくる。
 突如表れた謎の緑の制服の男たち。そして、裏側の世界から釣り針を使って、水溜りに引きこもうとする「あやかし」。主人公の一郎くんは、仲間たちと一緒に世界を元に戻そうと、隠された3つの光車を探す冒険をはじめることになる。
 子どもは大人がいなければ何も出来ないと思っているのは、大人だけではないのだろうか。宮澤賢治の童話でも、千と千尋の神隠しでも、ハリーポッターでも、鉄塔武蔵野線でも、子どもは自分にとって大事な何かのために、冒険し立ち向かっていく。逃げ方もごまかし方も知らない子どもは、自分がすぐに死んでしまう弱い存在にも関わらず、困難な問題に対して戦うしかないのかも知れない。
 さて、もう大人になって逃げ方もごまかし方も、知ってしまった私たちは光車をまわすことができるでしょうか。
作品のツボ→クラスメイトの女の子の中に、中島みゆきさんがいるのは、好きなのは分かるけれど、どうなんでしょうか。

ホビットの冒険
J・R・R・トールキン 岩波少年文庫
 ロード・オブ・ザ・リングの原作となる指輪物語のプロローグにあたる作品。指輪物語が大人に向けたファンタジー作品なのに対し。ホビットの冒険は完全に子供向けの作品となっている。それも、そのはずで作者のトールキンが自分の子どもに向けて読んで聞かせるために考えた話だからである。主人公はホビットのビルボ・バギンズ。そして、彼の甥のフロドが指輪物語の主人公となる。ホビットとは、人間とは異なる異種族で、何よりも平穏な生活を好み、ほら穴のような自分の部屋で快適な生活を営んでいる。ビルボもまた、そんなおとなしいホビットの一人だったが、ある日、13人のドワーフがやってきて、彼の平穏な生活はブチ壊されてしまう。ドラゴンによって奪われた宝を取り返すために一緒に冒険に出ようと持ちかけてきたのである。
 ビルボは、何だか分からないうちに過酷な冒険の旅に出ることになる。そもそも、何でビルボに白羽の矢が立ったかというと、魔法使いのガンダルフが彼を一流の忍びの者だと推薦したから。しかし、ビルボは自分が忍びの者だなんて思っていなかったし、ドワーフたちも何でこんなホビットを連れて行かなければならないのかが分からなかった。実際、ビルボは戦いに向いていないし、冒険の足を引っ張ってばかりだったのだから。しかも、頼みの綱のガンダルフときたら、他の用事があって、途中でいなくなっていまうのだから、ビルボとドワーフたちの苦労がしのばれる。ビルボも冒険の途中、早く家に帰りたいと思い続けてばかりである。
 そんな状況も、ビルボがゴクリという怪物から、魔法の指輪を手に入れてから一変する。この指輪こそ、後の指輪物語において世界の運命を変える指輪となるのだが、この作品では姿を消すことができる指輪といった程度の扱いである。映画では、あっさりと指輪を手に入れたことになっていたが、この物語では、ゴクリとのなぞなぞ合戦の末に手に入れている。とにかく、この指輪を手に入れたことで、ビルボは本当に忍びの者となったのである。そして、ビルボは精神的にも成長し(戦いの腕はいつまでも、未熟だが…)、ドラゴンの洞窟を目指して行くのである。
 ちなみにグラムドリングオルクリストといった名剣の名前は、女神転生などのゲームでよく目にするが、この作品でトロールから手に入れた剣がもとになっている。
作品のツボ→ドラゴンから名前を聞かれたビルボが、ごまかすために挙げたでたらめな名前は、指輪ひろっ太郎運のよしおたるにのるぞうといった感じで、随分と調子にのって答えている。
『ま行』

マイナス・ゼロ
広瀬正 新潮文庫
 国内SFにおけるタイムマシンものでは金字塔となる作品。昭和38年からタイムマシンを使って昭和9年タイムスリップする予定が、昭和7年に飛んでしまったことから巻き起こる物語。
 昭和45年に書かれた作品ながら、タイムパラドックスなど、その緻密な組み立て方は見事なもの。何にもまして作者のタイムマシン、そして時間移動に対する思い入れの深さが、ここまでの作品を作り上げた。
 最初、ラジオドラマで聞いた時に、そのラストに衝撃を受け、すぐさま本書を購入した。読後感は決して後味の良いものではなく、痒いところに手が届かないようなもどかしさを感じるが、そこがまた…。
作品のツボ→なんと言ってもラストでのタイムパラドックス。すると僕の母親は…、そして僕の父親は…。
迷宮1000
ヤン・ヴァイス 創元推理文庫
 男が目を覚ました場所は、1000のフロアから成る天にそびえる塔の階段だった。記憶を無くしている男は、持っていた封筒から自分が探偵ピーター・ブロークであること。失踪したタマーラ姫を探し出すこと。姫を助けるために塔の主であるオヒスファー・ミューラーを倒すのが使命であることに気付く。まるでRPGゲームのような設定の、この物語をチェコスロバキアの作家であるヤン・ヴァイアスが書いたのは1929年のことだった。
 支配者のミューラーがガス室などの手段を用いることから、大戦を予見している作品とか、1000階の巨大な塔は資本主義社会を表しているなどと評論される作品だが、これだけ巨大な架空の塔を想像した能力に、まずは脱帽である。
 世界観も分からず、自分の正体も敵の素性も分からないままに、塔の中を突き進んでいく奇妙奇天烈な作風。全知全能のミューラーに対抗するために、ピーターに与えられたのは透明な体。塔の中には多くの住人が住んでおり、街も存在すれば、怪しげな薬を売っている店もあり、証券取引所すら存在する。そんな広大な迷宮の中でミューラーを見つけて倒すことができるのか。そしてミューラーを倒した果てに待っているものは何なのか。
作品のツボ→塔の100階は図書室になっているが、そこの蔵書は「不滅のミューラーを賛える賛歌と頌詩」「千の顔を持つオヒスファー・ミューラー」など偏った本ばかり。
『や行』

薬菜飯店
筒井康隆 新潮文庫
 筒井康隆の短編集。表題ともなっている薬菜飯店とは、体の悪い部分を改善させる料理を出すお店のことで、このような店は実在するが、健康増進に重きが置かれているため、漢方などが料理に混ざり、味の方は今一つだといわれている。
 しかし、この作品に出てくる薬菜飯店は味の方も超一流。ただし、体の反応が尋常ではない。とにかくの出る量が半端ではない。どうも作者は、この作品ですさまじいまでの新陳代謝を書きたかったのではないかと思われる。筒井康隆が得意とする、体から出る汚れ系の作品ではあるが、不思議と俗物図鑑など、ほかの作品に比べて気持ち悪さは感じない。  ちなみにジョジョの奇妙な冒険第4部トニオさんの元ネタである。
作品のツボ→もちろん、シェフは怪しげなイタリア人ではないし、お店に不良はたむろしていない。
『ら行』

『わ行』

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