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『あ行』

あずみ
北村龍平監督 2003年
 ビッグコミックスペリオール連載中の小山ゆうの人気漫画あずみ、金八先生で性同一性障害で悩む女子生徒を演じて話題となった上戸彩の主演で映画化した作品。基本的には原作を忠実に映像化しており、独特の特撮技術で恐ろしいまでのスピード感を生み出している。山里で9人に仲間とともに爺(原田芳雄)に育てられたあずみは、その幼さの残る美しい外見からは想像できない無敵の剣客であった。あずみ達は、徳川の世を守り、再び戦乱を起こさせないために、浅野長政、加藤清正、真田昌幸ら3人の首を取る様に命ぜられる。浅野長政を見事に討ち果たしたあずみだったが、次ぎの標的である加藤清正は、部下の飛猿に命じて恐るべき刺客を次々と送りこんでくる。
 原作の加藤清正と、それを演じた竹中直人のイメージは、正にピッタリ。佐敷三兄弟ら刺客の異常さも原作通りに、というか原作以上に再現してくれた。最近はハリウッド映画でも、トゥームレイダーやチャーリーズエンジェルなど、女性が大活躍する映画が人気だが、そんな肉弾戦や銃撃戦の映画とは、また違って剣技で敵を倒すあずみは、瞬時に敵が絶命するだけあって、また違った迫力を見せてくれる。敵が圧倒的な数と強さを誇りながら、一人の少女の登場で総崩れとなる様は、正に圧巻である。
 原作にはキリシタン国家壊滅や、伊達正宗抹殺宮本武蔵登場などのエピソードもあるので、続編の製作が期待されるところである。
作品のツボ→最後は最上美女丸との決戦となるが、オダギリジョーが見事なまでに美女丸の異常性を再現してくれた。
アタック・オブ・ザ・キラートマト
ジョン・デ・ベロ監督 1978年
 馬鹿馬鹿しいものを、真剣に作る事ができるということはすごいことだと思う。全編すさまじいまでのB級映画の乗りで作られているこの作品。ある日、突然トマトが人間を襲い始めるという信じられない展開。しかも、この襲ってくるトマトの映像が、役者が普通のトマトにおびえて大騒ぎしているようにしか見えない。巨大トマトが動いてくる場面では、確信犯的に下に台車が見えているし…。
 さらには、トマト退治のために編成された特別部隊がまたすさまじいメンバー。トマトに変装して敵地に潜り込むという変装の名人スキューバダイビングの名人(トマト退治に何故)、オリンピックの体操女子選手(だから、トマト退治に何故)、そして、ちょっといっちゃっている人(何故か背中にパラシュート)。
 いったい撮影中にいくつのトマトを無駄にしたのやら、かつて、ドリフが食べ物を粗末にしていると問題視されたが、それの比ではない。最後に勝利した人達が、嬉々として大量のトマトを踏み潰している場面にまでいくと爽快とさえいえる。最後に、トマトを殲滅させることになった切り札というものがこれがまた腰砕けなのである。
作品のツボ「さあ、次は俺たちの番だ!」、これはホラー映画の定番ですな。

溺れる魚
堤 幸彦監督 2001年
 ケイゾクトリックで独特の世界を生み出している堤幸彦が、送り出す怪しげなおバカな映画。警察内部の犯罪を追及するための部署である特別監察室(トッカン)。怪しげなクラブに出入りする石巻(伊武雅刀)を探ることを命じられた相川(仲間由紀恵)は、御代田室長(渡辺謙)の指令で、女装癖から制服泥棒を働いた秋吉巡査(窪塚洋介)と、犯人を射殺してお金を着服した白州警部補(椎名桔平)の二人を使って捜査を進めて行く。
 石巻は賭博で莫大な借金を背負ったことから、金欲しさで企業脅迫の犯人捜索を私的に引き受けていた。脅迫犯人の岡部(IZAM)は、幼い時に熱帯魚を溺れさせる男に出会っていた。その男は魚を溺れさせるだけでなく、彼の両親と姉も、無残に殺害して姿を消していた。岡部は、その時のトラウマを引きずっていたのだった。このあたりのイタズラに人を殺害するといったキャラクターはケイゾクでも見せた堤監督の得意とするところである。岡部はDTP現像のチェーン店を展開する企業に対して、店舗の現像液に不純物の入った液体を混入すると脅しをかける。彼の目的は金では無いので、企業役員に対して、銀座でストーリーキングをやらせたり、渋谷でモーニング娘。のハッピーサマーウェディングを躍らさせるなどの愉快犯的な犯行を繰り返す。
 登場人物の大半が、異常な人物というのは堤監督らしいと言える。仲間由紀恵が演じる相川は、美しい顔立ちからは思いもつかない、大食いで空手の達人である。そして、椎名桔平の白州は、エースのジョーに心底惚れ込んでいるという困った刑事である。現金の受け渡し現場で、収録されていたパパさんクッキングに宍戸錠が出演していたことから、気持ちはそっちに飛んでしまった。「料理を作るなんてエースのジョーじゃねーよ」と嘆く白州がおかしい。しかし、流れ弾がオムライスに当たったことから、宍戸錠がエースのジョーに変身してしまう。弾丸1発でヤクザ3人を倒してしまうのは、さすがエースのジョーと言うべきであろう。(このときオムライスにケチャップで開と書かれているのがツボ)。
 物語終盤は敵も味方が入り乱れての、ドタバタ騒ぎになだれ込んで行く。エンディングの最後の最後まで堤監督の細かい遊び心が入っているので要チェック。
作品のツボ→振興宗教の教祖を演じるのは、トリックで仲間由紀恵の母親を演じる野際陽子。崇めていたパンゲアの石を壊されたことから、逆上して拳銃を乱射するという迷演技。
『か行』

海底軍艦
本多猪四郎監督 1963年
 太平洋戦争が終わって20年近くたち、人々が平和な生活を送っている中、突如として地上侵略をたくらむムウ帝国から脅迫フィルムが届けられる。ムウ帝国の機動力の前に為すすべも無い地上人たちだが、それを阻止する最後の切り札が、太平洋戦争の敗北を認めず、米国と戦いを続けようとする神宮寺艦長とその仲間たち。そして必殺兵器である海底軍艦「轟天号」だった。
 世界を再び戦争に巻き込みかねなかった、国粋主義者の大バカ者たちが、世界を救うことになるとは、皮肉な話である。また神宮寺艦長を演じる田崎潤がハマリ役。娘に説得されて、あっさり標的をアメリカからムウ帝国に変えてしまうところに男気を感じる。ちなみに轟天号は後に惑星大戦争で宇宙にまで飛び出してしまう。
 なお究極超人あーるの自転車の名前はこれが元ネタとなっている。
作品のツボ→ムウ帝国の守護神マンダが轟天号の冷凍攻撃で、あっという間に撃退されてしまうぐらい弱すぎるんですけど…。
ガス人間第一号
本多猪四郎監督 1960年
 東宝の特撮にはゴジラなどの怪獣物の本道とは別に、SF的な要素を持つ特殊能力を持つ人間シリーズが存在する。獣人雪男透明人間美女と液体人間電送人間、そして、このガス人間第一号である。ゴジラと違い、レンタルされている所も少なく、テレビで放送される事も少ないので、普段目にする事もない作品群であろう。しかし、その中でもガス人間第一号は、自分が子どもの頃には年に1回ぐらいはテレビで放送されていたので何度か見る機会に恵まれた(他の人間シリーズはまず放送されず、特撮の関連本でその存在を知るのみであった)。
 そして、子どもの時に見たガス人間は、かなり怖い作品として記憶に残っているのである。宇宙時代の到来に備え、どんな環境にでも耐えられるための訓練を受けた水野(土屋嘉男)は、自分の体を自由にガス化できるようになる。そして、水野はその能力を使って犯罪を犯していく。このガス化した状態というのが、顔に霧がかかった状態に変化するようになるのだが、今の合成技術に比べればはるかに稚拙ながらも、それがかえって恐怖を演出する。
 実はこのガス人間第一号、東宝特撮屈指の恋愛映画だったりする。それというのも水野が犯罪を犯すのは私利私欲のためではなく、八千草薫演じる踊りの師匠、藤千代に発表会を開かせるための資金作りのためなのだから。東宝特撮の名脇役である土屋嘉男さんが主演を張ったこの作品。ガス人間の歪んだ愛情と、それゆえに迎える悲劇の結末に涙しろ。
作品のツボ→ラストでガス人間とともに燃え落ちる劇場。最後に花輪が倒れる音に一番ビックリしたりする。
ガメラ大怪獣空中決戦
金子修介監督 1995年
 平成に甦ったガメラシリーズ。ゴジラ以上にお子様向けだった昭和のガメラシリーズを、よくぞここまで作り変えたといえるリアルな怪獣映画で、現代に怪獣が現れたらこうなるであろうという緻密な作りがなされている。物語はガメラ復活にからむ藤谷文子演じる草薙浅黄と、ギャオスの謎を探る中山忍演じる長峰真弓の2つのパートが交錯して物語が進んで行く。
 ギャオスといえば昭和ガメラの中でも最も人気の高かった怪獣で、コウモリをベースにデザインされたような吸血怪獣。太陽の光が苦手とか、人間の血を好むといった悪のイメージが子どもにも受けた原因であろう。平成ギャオスでは、そんな昭和ギャオスの特徴や弱点を見事なまでに設定に生かしている。必殺技の超音波メスは、昭和ギャオスはノドの骨が音叉のようになっており、それを震わせて発射していたが、平成ギャオスでは、それも科学的に見事に再現。
 ガメラもギャオスも空を飛ぶ怪獣だけにタイトル通り、空中戦が派手に展開される。やっぱりバルゴンギロンのような飛べない怪獣ではこうはいかなかったんだろうなあ。
作品のツボ→夕暮れの東京タワーで、卵を温めるギャオスの場面は最高のカット。
ガメラ2 レギオン襲来
金子修介監督 1996年
 前作のガメラでは、昔のガメラで人気の高かったギャオスを復活させたのだが、2作目では新たなるオリジナル怪獣としてレギオンが登場。大量にしてひとつなるものレギオン。映画の中で怪物にこの名前を命名したのは自衛隊員だったが、随分と変な知識を持っていたものである。
 レギオンの名前はゲームの世界では女神転生デジタルデビル物語悪魔城ドラキュラ月下の夜想曲で敵キャラとしてお馴染みだが、いずれも複数のものが集合して一つの巨大な生き物となっているのが基本的なデザイン。映画のレギオンもまた群体レギオンが集合して巨大なレギオンとなる。電磁波を敵とみなす、酸素を大量に発生させ大爆発して子孫を撒き散らすなど、レギオンという一つの生物の習性を徹底的に突き詰め、それに対する対策を追いつづけた映画という印象が強い。
 必然的にレギオンの側にスポットライトが当たるので、ガメラの影は薄かったかな(ん、そうでも無かったか)。北海道に飛来し、仙台を壊滅させ、東京到達寸前に食い止め、埼玉と群馬の境目あたりが決戦の地となったのは、前作が西日本中心だったので、今回は東日本にスポットをあてたのだろう。
 ときに唐沢なをきのうらごし劇場に収録されているがんばれレギオンくんのくだらなさが実に良い。
作品のツボ→しかし、ガメラにウルティメートプラズマをやられちゃレギオンもたまるまい。
ガメラ3 邪神(イリス)覚醒
金子修介監督 1999年
 平成ガメラ3部作の完結編。第1作のガメラ大怪獣空中決戦で倒したギャオスが再び襲いかかってくる。映画冒頭の渋谷でのギャオスとの戦闘は怪獣映画屈指と言える都市破壊を見せてくれる。
 この映画のテーマは、正義の怪獣の闘いでも罪の無い人が死んでいるという、これまで描かれることの無かった問題。第1作のギャオスとガメラの闘いの中で、親を失った少女(前田愛)が、ふとしたことで見つけるギャオスの卵。少女のガメラへの復讐心とともに成長したギャオスは、進化を遂げイリスへと変わっていく。このイリスのデザインが秀逸。飛行場面で見せる昆虫とはまた違う優雅な羽の美しさに感動。
 最後の闘いの舞台も特撮映画では、あまり馴染みの無かった京都というミスマッチが生きている(よく考えたら、京都駅のデザインは特撮向きだよなー)。
 また、この映画は完結編だけあって、どうしてガメラやギャオスが誕生したのか、そして何故日本にだけ現れるのかも説明している。しかし、多少テーマを詰め込み過ぎて描き切れなかった気もしなくはないのだが…
作品のツボ→監督の趣味なのか、前田愛とイリスの関係は、どことなくエロチックな感じがするんですけれど…。
ギャラクシークエスト
ディーン・バリソット監督 2001年
 かつて全米で大人気を博したテレビシリーズであるギャラクシークエスト。それに登場した役者達は他のドラマではパッとしなかったものの、いまだにSF大会では人気の的である。ところがギャラクシークエストを本当の物語だと思った宇宙人が、自分たちの星を救ってと役者達に頼みこんだという物語。
 なんか日本でもありえそうな人物設定で、見ていてちょっと痛いところをつかれる部分が有る。だけれど、役者達が戦っているうちに本物のヒーローになっていく様が、感動するんだこれが。ギャラクシークエストを見た宇宙人が70年代のSFドラマを、変なところまでリアルに実現させているところが、また笑える。
 しかし、決してB級映画というわけではなく、特撮技術は超一流の作品なのである。宇宙から戻った役者達がSFファンから拍手喝采を受けるラストでは思わず涙。
作品のツボ→必見の作品だよ。トカゲ頭の名にかけて。
吸血鬼ゴケミドロ
佐藤肇監督 1968年
 松竹らしくないけれど、それでもどこか松竹らしい怪奇SF映画。とことんまで人間のエゴを書き出した実に後味の良くない映画。そういう意味ではマタンゴに近い作品だが、独特のB級映画のセンスが全編を覆い尽くした作品。
 暗殺者に乗っ取られて、不時着する飛行機。暗殺者の手によって助けを呼ぶこともできず孤立する生き残った10人。これだけでも大変な状況なのに、その暗殺者は宇宙から飛来した液状の吸血生物ゴケミドロに寄生されてしまう。本来ならば全員でゴケミドロと立ち向かわなければならない状況なのに、生き残った連中ときたら事態を悪化させる行動しかとりゃしない。
 生き残った10人の中には爆弾魔もいれば(こいつは暗殺者とは別人)、見ていて本当に腹が立つわがままな悪徳政治家、そいつにつるんでいる武器商人、そいつの妻でありながら政治家の情夫になっている女、実に無責任な発言しかしない宇宙生物学者、クリスチャンで人の命の大切さを訴えながらも、ついにはエゴを剥き出しにする外人女性(この外人のおねえさんは怪奇大作戦の20話にも登場)と、そのすさまじさはゴケミドロの存在を忘れるほど(というのはウソ、ゴケミドロのインパクトは強烈すぎる)。ゴケミドロは宇宙からの侵略者のくせに、どちらかというとゾンビ的な襲い方をしてくる。でも、それがかえって恐怖をあおる。
作品のツボ→オチのネタ晴らしになりますが、こんな連中ですら生き残れたゴケミドロに、なんで人類は滅ぼされてしまったのかが分からない。
恐怖奇形人間
石井輝男監督 1969年
 基本的にはパノラマ島奇憚孤島の鬼をベースに、その他人間椅子などの江戸川乱歩作品を散りばめて映画化した作品。
 主人公は自分の過去を探るべく、他人に成りすまして資産家の家に潜り込むことになるのだが、そこの父親が孤島で奇妙な実験をしているらしく島に渡ることになる。というような内容なのだが、最初はまともな映画かと思ったら、他人に成りすまして乗りこんだ主人公の身元がバレルかバレナイかの珍妙なやり取りのあたりから、普通の映画とは微妙にずれ始め、孤島に乗り込んでからは完全に暴走を始める。
 それというのも父親役の土方巽の前衛舞踏としか思えない怪演ぶり。そして、一般の映画館では上映されることも無く、ビデオ化もされない理由となった、この親父の奇形人間を実験で作り出して楽しむというとんでもない悪行。「お前を何で東京の大学にやったと思っているんだ、医者の技術を身に付けさせ、馬頭観音のような奇形人間を作らせるためだぞ!」って、そんな親いないよ普通は。
 とにかく差別的な要素も強く、絶対に受けつけないという人もいるだろうが、一部のマニアには絶対的な支持を受けている作品。自分も、もしかしたら原作をこれだけ逸脱しながらも、最も江戸川乱歩らしい映画かもしれないと思っている。何故か映画の終了直前に観客から忍び笑いがもれ始める。何かと思っていたら、打ち上げ花火を使い主人公がとんでもない最期を遂げて館内大爆笑。「おかあさーん」というセリフが耳に残って離れない。
作品のツボ→突如として明智小五郎登場。「いやー弾は抜いておきましたよ」のセリフに館内は拍手喝采、どんな映画やねん。
キル・ビル Vol.1
クエンティン・タランティーノ監督 2003年
 ユマ・サーマンが演じる花嫁の結婚式は、彼女のかつのボスであったビルが送りこんだ毒ヘビ暗殺団の刺客によって血に染められた。花婿から親類縁者を含め出席者全員が殺され、花嫁もビルによって頭に弾丸を撃ちこまれ絶命したかと思われた。しかし、一命を取り止めていた彼女は、病院で長い眠りから目覚め、5人への復讐を誓い動き始める。Vol1である本作では、主人公が日本に渡って標的の1人であるオーレン・イシイと戦うことになる。オーレン・イシイにはクレイジー88というカトーマスクを付けた取り巻き軍団が護衛に付いていた。この無法者連中を一刀の元に切り捨てていく、ユマ・サーマンの勇姿には、もはや笑うしかない。そしてイシイの用心棒であるゴーゴー・夕張を演じるのはバトルロワイヤルで活躍した栗山千明。コギャルルックで鉄球をブンブン振りまわす狂暴な女子高生である。
 人がゴミのように切り捨てられ、血が雨のように降り注ぐ。受け付けない人にとっては、目を背けたくなるような映画だが、特定の人にとってはツボを押し捲る何かがある。挿入歌とエンディングで流れる梶芽衣子の「修羅の花」と「怨み節」に燃えろ。
 ちなみに飛行機が変な色の空を飛んでいるのは吸血鬼ゴケミドロ、飛行機の眼下にミニチュアの東京の街が広がるのはサンダ対ガイラと、タランティーノ監督が日本の映画に影響を受けたことが見て取れる。
作品のツボ→主人公は復讐を成し遂げるため、沖縄にわたり服部半蔵に名刀を作ってもらうように依頼する。この服部半蔵を演じるものこそ誰あろう影の軍団でお馴染みの千葉真一。その弟子を演じるのは宇宙刑事ギャバン大葉健二である。この二人のやり取りは実に絶妙。
キル・ビル Vol.2 ザ・ラブ・ストーリー
クエンティン・タランティーノ監督 2004年
 結婚式のリハーサルで新郎をはじめ出席者を皆殺しにされ、自らも頭を弾丸で撃ち抜かれた花嫁。しかし、4年間の昏睡状態から奇跡的に復活すると、自分を死のリンチにかけた5人に復讐を決意する。前作のキル・ビルVol.1ではナイフ使いのヴァニータ・グリーンと、日本のヤクザの頂点に立ったオーレン・イシイへの復讐を果たしたが、完結編となる本作で残り3人への復讐を果たしていくことになる。
 残った標的は、かつての恋人でボスであったビル、その弟で服部半蔵の刀の持ち主でもあったバド、毒使いで片目のエル・ドライバー。中でも花嫁演じるユマ・サーマンとエルを演じるダリル・ハンナという、アクションにおよそ不向きであろう2人の女優の、どこかたどたどしく感じる格闘シーンは、逆に目が離せないものがある。スケバン刑事の南野陽子の演技に思わず注目してしまうのと近いものがあるのだろうか。
 Vol.1ではクレージー88ゴーゴー夕張と大立ち回り演じた花嫁だが、今回はアクションシーンは驚くほど少なめとなり、ビルとの心理的なやりとりや、タランティーノ監督らしい言葉のやり取りが、多く描き出される。死んだと思っていた娘への思い、最も憎むべき相手でありながら、愛していたビルへの復讐など、まさにサブタイトルにもあるように、ザ・ラブ・ストーリーと言える。それと、前作からの登場人物ほとんど全員を、登場シーンとともに映し出すエンディングクレジットは、おもしろい手法だと思う。
作品のツボ→花嫁は刀の技だけでなく、中国でパイ・メイ師匠から拳法も習っていたことが判明。人体5ヶ所のツボを突かれて5歩動くと心臓が破裂する五点掌爆心拳には、思わず北斗の拳を彷彿。
ゴジラ
本多猪四郎監督 1954年
 何も無いところから新しいものを生み出すことは難しい。今ではシリーズ化され、数多くの作品を生み出したゴジラだが、昭和29年という時代に怪獣映画を作り出すということの難しさは、どれほどののものだっただろうか。そもそものきっかけとなった第五福竜丸のビキニ環礁での原爆実験での悲劇。この重いテーマを背負って生まれたばかりに、ゴジラは人類のおごりに対する警鐘として暴れまわる破壊神など、ときに神格化されたりもする。
 しかし、アメリカのキングコングのような映画を、日本でも作りたいという思いから作られたと考えれば、特撮怪獣映画として、これほどエンターテイメント性に優れた映画を、この時代に作ることができたということが賞されるべきではないだろうか。この最初のゴジラ映画の特徴は戦後まもなく戦争の傷が癒えないながらも、力強く戦後復興を遂げている時代の雰囲気が、映画にそのまま塗り込められている点。たとえ名作ではあっても、キングコング対ゴジラ怪獣総進撃では映画を見ても時代を感じることはできない(え、ゴジラ対ヘドラは時代が感じられるって、あれは特別だから…)。
 もちろん本多監督が描き出す人間ドラマの部分も、見せ所が多く、禁断の兵器オキシジェンデストロイヤーの秘密を握る平田昭彦演じる芹沢博士はゴジラ映画における伝説の名キャラクターとなったのである。ときに京極夏彦作品の世界とは2、3年しか違わないので、作中でゴジラのことを語ってくれないかと期待しているのですが…。
作品のツボ「あのゴジラが最後の一匹とは思えない」。まさにその通りだったよ、何匹いるんだゴジラ。
ゴジラVSビオランテ
大森一樹監督 1989年
 1984年に復活して東京の街を破壊しまくったゴジラは、大島の三原山の噴火口に姿を消した。しかし、その後、偶然にも現実世界において三原山が噴火。映画ではその事実をうまく生かして、噴火の衝撃でゴジラが目覚めたことになっている。
 そのゴジラ登場と並行して、新怪獣ビオランテの進化が描かれていく。バラとゴジラと沢口靖子の合成生物であるビオランテ。遺伝子工学の権威である白神博士は、実験中の事故で命を失った娘の英理加の細胞を、永遠に生かすためにバラと合成させて育てていた。そのバラが瀕死の状態になった時に、さらに強い生命力を持たせようとゴジラ細胞を合成させたために植物怪獣ビオランテが誕生してしまう。ストーリー公募で選ばれた小林晋一郎氏は、帰ってきたウルトラマンの「禁じられたいのち」の話を考えた人。こちらも植物と動物を合成させた怪獣レオゴンが登場していた。人間が神の領域を侵して生命を操作する危険性を描くのが、彼の得意領域なのであろう。
 前作で東京を破壊したゴジラは、この作品では大阪の街を舞台に大暴れ。自衛隊をはじめとした人間側も懸命にゴジラと戦いを繰り広げる。84年のゴジラにおいて、活躍した対ゴジラ兵器のスーパーXも、スーパーX2として再登場。スーパーXというネーミングはともかく、鏡を使ってゴジラの放射能火炎を反射するなど大活躍。そのオペレーターとして、ブレイク前の鈴木京香がチョイ役で出ているのは、マニアの間では有名な話。それと殉職した自衛隊員の権藤一佐の「薬は注射より飲んだ方が効くんだよ、ゴジラさん」は名ゼリフ。
作品のツボ→この作品から小高恵美が演じる、超能力少女の三枝未希が登場。平成ゴジラシリーズを飾るヒロインとして成長していく。この作品では、なんとゴジラと生身で戦うという暴挙を見せている。
ゴジラ対ヘドラ
坂野義光監督 1971年
 ゴジラ映画の鬼っ子的な作品が、このゴジラ対ヘドラである。破壊神として戦後の東京を破壊してきたゴジラは、いつのまにか正義の味方として、キングギドラガイガンなどの悪の宇宙怪獣と戦うようになり、親子で安心して楽しめる映画となっていた。平成ゴジラシリーズでは、その点を反省して再び破壊の象徴として甦ることになる。しかし、この作品だけは、どの流れにも属していない異色作なのである。
 71年という時代を象徴しているのか敵のヘドラは、空を飛ぶだけで猛毒をまきちらす公害怪獣コンドールマンといい、やはりこの頃の特撮のテーマに公害問題は欠かせないものだったのだろうか…。そのヘドラとゴジラは戦うことになるわけだが、ゴジラが何故ヘドラと戦わなければならないかは不明。しかし、ヘドラのヘドロ攻撃で目をつぶされる姿は見ていてかなり痛々しい。
 このゴジラ対ヘドラ、唐突にアニメーションが挿入されたり、ヘドラが猛威をふるっている中、富士山のふもとで百万人ゴーゴー計画を企画されたりするなど、一歩間違えればトンデモ映画になりかねない異色作。坂野監督には2度ほどお会いしたことがありますが、いまだにヘドラが代表作として紹介されていた。
 ゴジラが空を飛ぶということで、話題に取り上げられることの多い作品だが、一度、時代背景を感じながら見てほしい作品である。めまいを起こすこと請け合い。ちなみに、この時の自衛隊はゴジラ映画史上最弱の自衛隊だと思う。
作品のツボ→この作品を見た人が必ず語るのは、オープニングの「返せ!太陽を」のすさまじいインパクト。「水銀、コバルト、カドミウム。クロム、マンガン、オキシダン♪」って、本当にすごい歌詞とリズムだな。

ゴースト・オブ・マーズ
ジョン・カーペンター監督 2002年
 西暦2176年、火星に入植を始めていた人類は、古代遺跡を発見する。その古代遺跡に封じ込められていたものこそ、火星の先住民族の亡霊だった。封印を解かれた亡霊たちは、次々と人々に乗り移っていく。そして火星人の亡霊に取り憑かれた人達は、自らの体を金属で傷つけ、殺した相手の顔の皮をかぶり、化け物のように変貌して人間を襲いはじめるのである。
 監督・脚本・音楽の全てをカーペンター監督自らが取り仕切っていることからも分かるように、カーペンター節炸裂の映画。遊星からの物体X、ザ・フォッグ、クリスティーンと、カーペンター監督の映画に対する姿勢は20年前から全く変わることは無い。怪物は怖い、でも勇気を振り絞って戦え、機転を利かせて大逆転、でもヤツらは再びやってくる。このパターンは火星に舞台を変えても相変わらずであった。
 火星の亡霊に取り憑かれた人達と戦うのはメラニー・バラード警部補を始めとする火星警察のメンバーと、閉じ込められていた囚人たち。彼らがヘビメタのリズムに乗せて、化け物に変わってしまった人達を容赦無くブチ殺して行く。しかし、亡霊は死なないので、宿主が死ぬと今度は、こちらに乗り移ってくる。乗り移られた仲間は容赦無く切り捨てる。アジトから駅まで、敵の猛攻を掻い潜りながら戦っていくのだが、100mの大戦争と評されたのが良く分かる。妙にきれいにまとめられた最近のハリウッド映画に馴れた人にはショックを受けるほどの荒削りな作り。今どきCGも使わない日本映画以下の特撮技術も逆に新鮮に映る。
作品のツボ→主人公たちと一緒になって戦う囚人の一人は、非常に凶悪で要注意人物とされていたジェームス。最後の最後まで活躍して何だかおいしい所を全て持っていってしまった。
『さ行』

鮫肌男と桃尻女
石井克人監督 1998年
 原作はドラゴンヘッド座敷女で有名な望月峯太郎。ヤクザのお金を持ち逃げして逃亡するのは浅野忠信が演ずる鮫肌。そして、その逃走劇に巻きこまれたのがホテルで叔父に監禁同様の生活を強いられている桃尻トシコだった。この事件をきっかけに、監禁生活から抜け出そうとするトシコだが、叔父のソネザキは知り合いの殺し屋の山田くんを差し向けてきた。
 逃げる鮫肌たちと、追いかけるヤクザ集団や山田くん。ヤクザ集団の殺し屋の中には、無表情で確実に相手を仕留める岸部一徳とか、犬のように鼻がきく組長の息子の鶴見辰吾、バットを振りまわす極楽とんぼの加藤など、味のある連中が集まっているのだが、そんな連中を全て食ってしまったのが山田くんである。演じているのは我修院達也と言うよりは若人あきらと言ったほうが分かる人が多いかも…。まさか彼が、こんな演技力を身に付けているとは驚きである。ドジなのか腕が立つのか、全く分からないところがスゴイ。
 独特のリズム感とスピードで流れて行く映画。その急激な流れの中で、お互いに殺し合っていくのだが、果たして最後まで生き残っているのは誰なのか。
作品のツボ→殺し屋の岸部一徳の趣味がホーロー看板集め(大村昆のオロナミンCとか、由美かおるのハイアースとか)というところが、マニアックというか何というか…。
39/刑法第39条
森田芳光監督 1999年
 刑法第39条、心神喪失者ノ行為ハ之ヲ罰セス 心神耗弱者ノ行為ハ其刑ヲ減軽ス。犯罪を犯した青年は、本当に心神喪失状態にあったのか、それとも狂気を装っているのか。鈴木京香が演じる精神鑑定人は、容疑者の青年の心の内側を探ろうとする社会派ミステリー。
 近年、残酷な事件が起きるたびに精神鑑定が行われるようになり、この問題が取り沙汰されるようになったが、現実の事件を念頭に置かない方が映画を楽しめるのではないかと思う。何といってもミステリー映画として1級の出来といっても良いだろう。ちなみに鈴木京香と容疑者の青年を演じた堤真一を取り持った映画としても話題になった作品(でも、その後別れてしまったようだが…)。
 実は刑法第39条といえば、往年のテレビドラマ怪奇大作戦の狂気人間の話を思い出さずにはいられない。
作品のツボ→何故か容疑者だけでなく、鑑定人の鈴木京香や、その母親など、周辺の人物もちょっとおかしな人に見える。黒い家もそうだけれど、その点は森田監督の特色といえる。
サンダ対ガイラ
本多猪四郎監督 1966年
 フランケンシュタイン対バラゴンの最後で、フランケンシュタインの怪物は、バラゴンとともに地中深くに没して亡くなった。しかし、何故かフランケンシュタインの怪物が海から現れ、人を襲い始める。フランケンシュタインの細胞が生き残っていて、分裂して成長したのだった。この海の怪物はガイラと名付けられるが、映画の冒頭で海面から見えるガイラの映像は本当に怖い。そもそもフランケンシュタインの怪物には人を襲う習性は無かったのだが、過酷な自然環境で育ったガイラは人を食べまくる恐ろしい怪物となっていた。とにかくガイラは、人を食いまくる。これほど遠慮無く人を食う怪物は、ガメラに出てきたギャオスぐらいのものである。
 暗い海の底で育ったガイラは、光が苦手であった。その弱点をついて自衛隊はガイラの撃退を開始するが、その時、もう一匹の怪物が現れてガイラを助け出してしまった。フランケンシュタインの細胞からは、もう1匹の怪物が生み出されていたのだ。この山で育った怪物は、サンダと名付けられるが、サンダはフランケンシュタイン同様におとなしい性格だった。サンダはガイラに、やさしく接しようとするが、ガイラの人食いの習性は止まらなかった。ついには銀座に出てきて大暴れし、かつてフランケンシュタインを育てた助手のアケミ(名前も役者も前作と変わっているが、気にしてはいけない)すら食べようとする。
 やむなくサンダはガイラと戦いを始めるが、自衛隊もガイラを悪と見なして、ガイラのみに攻撃を集中する。そこへ、自衛隊の攻撃で海底火山が爆発して、二匹をあっという間に飲みこんでしまう。飲みこまれる場面も無く、ただセルフによる説明のみ。前作以上にあっけないラストだが、良い映画なのに、何故ラストをこだわらないのだろうか。
作品のツボ→自衛隊の秘密兵器は、東宝特撮の兵器を代表するメーサー車。メーサーによる攻撃がガイラの体を焼いていくが、怪物に与えるダメージがリアルに伝わってくる。
シックス・ストリング・サムライ
ランス・マンギア監督 1998年
 1957年、核弾頭が落とされたことで、アメリカはソ連の支配下に置かれていた。そんな中で唯一の自由都市であるロスト・ベガスを支配していたのは、キング・エルビスだった。しかし、エルビスが亡くなった後、次のキングになるべくロックンローラーたちが全米から集結してきた。
 主人公のバディもロスト・ベガスを目指すロックンローラーの一人であるが、そのスタイルは、ボロボロのスーツ姿にメガネをかけ、背中にエレキギターを背負い、刀を手に持つという異様なものである。そして、いざ戦いになると目にも止まらぬ早さで、ロックをBGMに敵を切り倒して行く。核で荒廃した世界で、旅の途中で助けた孤児のキッドを連れて、イカれた悪人連中を無敵の強さで倒して行く姿は、北斗の拳を連想せずにはいられない。ほとんど自主制作映画のノリで低予算で作られた映画。しかし、アクション場面での主演のジェフリー・ファルコンの動きには、あまりのカッコ良さに釘付けになってしまう。
 最強の敵となってテッドの前に立ちはだかるのは、ヘビメタ・ロッカーのトップ・ハット・デスとその一味。こいつらの最後って一体…。
作品のツボ→劇場でポスターを買って、部屋にはってあるが、しりあがり寿が墨で描いたバディが異様にカッコ良い。
ジャズ大名
岡本喜八監督 1986年
 原作は筒井康隆。江戸時代に漂流したアメリカ人の黒人3名。その黒人達の面倒を見ることになった駿河の国の小藩の藩主が音楽好きだったことから、黒人達の奏でるジャズのリズムに興味を持ち始め、彼らと共にジャズのリズムに乗り始める。
 この映画のすごさは、とにかく終盤30分ぐらいの狂乱の乗り。一人、そしてまた一人とジャズのリズムに参加して、琴や鼓を持ち出して、腰元や家老、お姫様から侍達が城をあげてのジャズフェスティバルが展開されることになる。みんなでジャズに乗りまくり、最高にヒートアップしたところで映画も終わる凄まじさで、ストーリーなどあって無きがごとし。
 最後の方は音楽が鳴り響くのみでセリフも無しという独特の作り。筒井と岡本の最強のタッグによって生み出された日本映画の異色作。
作品のツボ→映画の細かい部分をよく見てみると、チョイ役ゲストでミッキー・カーティス細野晴臣山下洋輔タモリが登場している。彼らが何の楽器を演奏しているかは見てのお楽しみ。
12人のやさしい日本人
中原俊監督 1991年
 日本でも陪審員制度が取り入れられたという設定で、選ばれた12人が殺人事件の犯人を有罪にするか無罪にするかを話し合う。最初は正当防衛で無罪に決まりかけていた判決が、陪審員の一人が疑問を呈したことから紛糾し始める。陪審員制度は全員一致するまで結論が出せないという決まりのため、有罪にしろ無罪にしろ、どちらかに全員の意見をまとめなければならない。
 そして、ほとんどの人間が有罪の方向に傾きかけた時、トヨエツが名探偵のごとく立ち上がり、被告を無罪にすべく意見を述べ始める。ここから絶対に有罪であると思われた被告人を無罪にするため、ほとんどこじつけとしか思えない無茶な論理がトヨエツから展開されていく。特に「死んじゃえ」という言葉は「ジンジャーエール」と言っていたことにしまうののは驚かされる。
 場面は一つの部屋からほとんど動くことなく、12人による言論劇が繰り広げられるが、ここらへんは三谷幸喜脚本の真骨頂。登場人物の名前も陪審員1号、陪審員2号としか表記されず一風変わった映画である。
作品のツボ→「だから俺は最初から言ってただろう、無罪って」。トヨエツ以上に良い味出してるよな梶原善は。
砂の器
野村芳太郎監督 1974年
 最近、ハンセン病の訴訟問題で話題となったが、この作品を見るとこの頃の松竹は良い映画を作る力を持っていたと、しみじみ感じる。原作は松本清張だけれど、推理小説としては佳作のでき。これを映画として名作にまで持って行ったのは松竹の脚本家達の力だろう。
 蒲田の鉄道線路で見つかった身元不明の死体。手がかりは被害者の男性が、おそらく犯人であろうという男と交わしていた「カメダは変わらない」という会話のみ。カメダを求めて被害者の身元を判明させるために刑事が捜査を進めていく。この事件の解決に向けて努力する刑事を丹波哲郎が演じ、相棒の若い刑事を森田健作が演じている。原作の不要な部分を削り取り、その代わり犯人の過去を必要以上に描きこんで、犯行の動機に重みを持たせることに成功している。
 犯人が少年時代にハンセン病の父親とともにお遍路さんとなって諸国を巡った過去を描くラストの30分こそ、まさに原作には無い映画版ならではの独壇場。バックに流れる芥川也寸志の音楽とあいまって見るものの涙を誘わずにはいられない。ちなみに、この数年後に映画化された八つ墓村と登場する役者がかなり重複しているので見比べてみるのも一興。
作品のツボ→原作にあった犯人が愛人を殺す時に使った音による殺人トリックは、映画化にあたって削除されているが、これは削って本当に正解だったと思う。
スリーピー・ホロウ
ティム・バートン監督 1999年
 物語の舞台となるのは1799年のアメリカ。ジョニー・ディップが演じるイカボット捜査官は、母親が魔女の疑いをかけられ殺された過去を持つことから、あらゆる迷信を信じず科学的な捜査で事件にのぞんでいた。しかし、あまりにも科学を信奉しすぎることから、ニューヨーク市長の命令で、オランダ移民の村で起こっている連続首無し殺人の捜査を命ぜられる。この市長を演じているのは、吸血鬼役者でお馴染みのクリストファー・リー。映画での出番は短いものの良い味を出している。
 そして村に乗り込んだイカボットは、首無し騎士の伝説を聞かされることになる。独立戦争の最中に多くの人を殺害した凶暴な騎士を、どうにか追い詰めて首をはねて仕留めたものの、その騎士が自分の首を求めてさまよい歩くという恐ろしい言い伝えだったが、イカボット捜査官は耳を傾けようとしない。しかし、そんなイカボットをあざ笑うかのように、首無し騎士は姿を現し、殺害を繰り返していくのだった。最初は首無し騎士を騙った何者かによる殺人かと思いきや、本物の首無し騎士が暴れまわることに驚かされる。それでは、ホラーなのかと言うと、どうやら事件の背後には、首無し騎士を使った何者かの策略が見え隠れするのである。
 亡霊など存在しないということを信条にしていたイカボット捜査官は、アイデンティティーを崩されボロボロに打ちのめされる。そんな彼を支えてくれるのは、村の娘であるカトリーナ。彼女を演じているクリスティーナ・リッチは、アダムス・ファミリーやキャスパーで子役の頃から活躍していた女優。今回は見事に成長した女性を演じきっている。ジャンルとしてはホラーに大別されるも、それほど恐怖を感じる作品ではなく、光を抑えた映像が独特の雰囲気を生み出し、ティム・バートンとジョニー・ディップの組み合わせは、やっぱり絶妙だと感じさせてくれる。
作品のツボ→物語の中核をなしているスリーピーホロウの首無し騎士の伝説は、アメリカでは教科書にも載っているという有名な話。このアメリカでは誰もが知っている物語を使って、ティム・バートン監督は、ファンタジックなミステリーを完成させている。
007カジノロワイヤル
ジョン・ヒューストン監督ほか 1967年
 007といえば、諜報部員のジェームスボンドが活躍するアクション映画というイメージが強いが、この作品はシリーズの中の異色作。映画の金田一耕介シリーズに金田一耕介の冒険があるように、ゴジラシリーズにゴジラ対ヘドラがあるように、そして必殺シリーズに翔べ!必殺うらごろしがあるように、シリーズを長く続けている内に必ず生まれてくるのが異色作というものである。
 筒井康隆もお気に入りという、この映画はメタ映画といった作りで、その他大勢の一人と思われていた女性が、いきなりヒロイン級に格上げされたりするなど、かなりすさまじい展開を見せる。ロンドンの町にUFOが飛来してきた時には、どうしようかと思った。  オーソン・ウェルズや、ジャン・ポール・ベルモンドといった名優が、数多く出演しながらも、最終的には007の甥役の、ウッディ・アレンの一人勝ちといった感じの目立ちっぷり。小型原爆が爆発してたくさんの007が、みんな揃って天国行き、ウッディ・アレンだけ地獄行きのオチには大笑い。
作品のツボ→一度聞いたら、耳に残って離れないオープニングは、バカラックの「Look of Love」という名曲です。
『た行』

大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン
田中重雄監督 1966年
 バルゴンの虹は、最も美しい怪獣の必殺技だと思う。バルゴンの体から虹が伸び、その辿り付く先に有る物体は消滅してしまう。しかも、このバルゴンは殺人虹光線だけでなく、舌から零下100度の冷凍液を吐くという怪獣の中の優れもの。四足タイプの怪獣のせいか、ガメラ大怪獣空中決戦ギャオスが復活したのに対し、バルゴンは平成版で甦ることが無かったのは、実に残念。しかし、あの虹光線は昔の大映イズムの撮影技術だからこそ、見栄えがするのかも…。
 ギャオスもそうだったが、この頃の大映怪獣は必殺技と並んで弱点がうまく描き込まれている。ダイヤの光に惹きこまれてしまう。水に入ると溶けてしまうなど、その危うさがバルゴンの魅力を高めている。
 実はこの作品、前作で宇宙に追放されたガメラが、ロケットに隕石が衝突して破壊されたために、地球に舞い戻ってくるというガメラの歴史を語る上で、重要な位置を占めているのだが、バルゴンの魅力の前にガメラがかすんでしまっている。しかし、格闘技同様、敵が強いからこそ、琵琶湖でのラストのバトルが盛りあがるのであります。
作品のツボ→バルゴンが卵から誕生したきっかけは、水虫治療用の赤外線だというのが、ちと情けない。
タイム・アフター・タイム
ニコラス・メイヤー監督 1979年
 タイムマシンが公開されたのがきっかけで、この作品に少しだけ脚光が当たっているのがうれしいところである。今年公開されたタイムマシンは、原作者のH・Gウェルズの孫が監督ということで話題となったが、タイム・アフタータイムはH・Gウェルズが本物のタイムマシンを発明したということになっている。しかし、そのタイムマシンを奪って切り裂きジャックが未来にタイムワープしてしまうことから大騒動に発展する。1893年のロンドンから切り裂きジャックが移動したのは、1979年のサンフランシスコだった。
 そして、切り裂きジャックを追ってウェルズも現代にやってくる。ウェルズは社会主義こそ理想の社会と信じていたことから、未来の世界が社会主義になっていないことに失望を覚えたりしながらも、自分の発明のせいで未来にやってきてしまった切り裂きジャックと戦うことを決意する。殺人鬼と戦うのが無敵のヒーローや強靭な精神の持ち主でなく、貧弱なSF作家という設定が素晴らしい。一つのSFを拡大解釈して、ここまで話を膨らませて映画にしてしまうところに拍手を贈りたい。
作品のツボ→切り裂きジャックが現れる前には、必ず彼の持っている懐中時計のメロディが鳴り響く。この音楽を携帯の着メロにしたいと密かに思っていたりする。
太陽を盗んだ男
長谷川和彦監督 1979年
 沢田研二が扮する教師が原発からプルトニウムを盗んで原爆を作り上げる。そして、その原爆で日本政府を脅迫して行く。しかし、何か目的があって原爆を作ったわけでは無いので、とりあえず巨人戦の放送延長を要求したりする。あげくの果てには、ラジオに投稿して聴視者から、原爆があったら何をしたいかの意見を募ったりする始末。
 張り合いの無い毎日をすごしながら、手に入れた原爆という強大な力。こういった危なげな役を演じさせたらTVドラマの悪魔のようなあいつ三億円事件の犯人など沢田研二の右に出るものはいない。しかし、彼は自宅で原爆を作る際に被爆してしまい、白血病により余命幾ばくも無くなってしまう。こうした、線の細いキャラを演じるのも沢田研二の得意とするところである。
 迷った末に、彼が要求したのはローリングストーンズの武道館での公演だった。しかし、いまや原爆が無くてもストーンズの公演は実現しちゃったんだよなあ。
作品のツボ→犯人を追い詰める執念の刑事を演ずる菅原文太のド迫力に注目。
地球防衛軍
本多猪四郎監督 1957年
 自分の星が滅んでしまったため、地球に侵略を開始したミステリアンだが、彼らの詰めの甘さを見ていると、何故滅んだのか分かるような気が…。子孫繁栄のため地球の女性をさらおうとするが、さながら都会に嫁探しに来た村の青年団のようだ。侵略兵器はもぐら型ロボットのモゲラだけど、攻撃兵器があまり搭載されていないのはどうしたものか。
 後半は伊福部防衛軍マーチにのって、小気味良いほどの地球側の逆転劇が展開される。自衛隊の協力もあってか本物の火炎放射器が使われる場面はリアリティ高し。寒さに弱いというのも侵略者としては致命的な弱点だし、ミステリアンに同情を禁じません。
作品のツボ→2台目のモゲラは、いつやられたのか…。もしかして、地面から顔を出した時に倒れてきた鉄塔に当たった時なのか…。もぐら叩きじゃあるまいし…。
トレマーズ
ロン・アンダーウッド監督 1989年
 B級映画だからこそ、感じられる迫力というのはあるはず。地中を地上の音を聞きつけて襲い掛かる巨大生物という設定は、真面目に作ったら砂の惑星デューンのようなSF映画になっていたであろうに。馬鹿馬鹿しい設定だから怪物に無茶な動きをさせることも可能というもの。この音だけが生物を認識する手段というところがミソで、その隙をついて人間側がどう反撃して行くかがポイント。
 公開当時、少年ジャンプの作者コメントで、荒木飛呂彦が、トレマーズを見ておもしろかったと書いていたが、そのすぐ後にジョジョの奇妙な冒険第3部で、トレマーズの怪物をヒントにしたと思われるゲブ神のスタンドが描かれていた。しかし、この怪物の最大の敗因は、襲った相手の中に大量の重火器を所有する武器マニアの夫妻がいたことなんだろうな。
作品のツボ→その後、トレマーズ2では、怪物の能力が体温感知に進化。これはシア・ハート・アタックか。
『な行』

『は行』

WXV(廃棄物13号)機動警察パトレイバー
遠藤卓司監督、高山文彦総監督 2002年
 バビロンプロジェクトの名の下に大規模な湾岸開発が進む東京湾近郊で、レイバー(汎用人間型作業機械)が何者かによって襲撃される事件が多発する。その解決にあたることになったのは、久住&秦の両刑事。当初はテロリストによる犯行の見方が強かったが、事件は思わぬ方向へと動き出す。異常事態が発生した海底基地に駆けつけた久住と秦が見たのは、人を襲う巨大な怪物の姿だった。なぜ、東京湾に怪物が存在するのか。危うく怪物から逃れた秦刑事が調査を進めるうちに行き当たったのは、東都生物医学研究所で秘密裏に進められている南極に落下した隕石から採取された西脇セルの研究だった。その細胞から培養された生物は、地球上の生物とは異なった様相を呈していた。研究の途中で生み出された1号から12号は、長く生命を存続させられず廃棄物として処理されていたが、13号は女性研究員である岬冴子の手によって、人間のガン細胞と融合し強烈な進化を遂げようとしていた。
 この怪物誕生の着想の原点には、死んだ娘の細胞を保存するためにゴジラ細胞と融合させたゴジラVSビオランテの影響がうかがえる。ロボット対怪物という派手な展開に持っていくことが可能ながらも、そこは抑えて人間が生み出してしまった怪物と、それにまつわる人たちの人間ドラマを描き出す。パトレイバーといえば、後藤隊長が率いる特車2課の連中が主人公のはずだが、この作品では脇役に徹することで、久住刑事たちの活躍を盛り上げることに貢献している。怪物の処理をめぐり自衛隊の石原一佐や、怪物の生みの親である冴子が暗躍する中、はたして特車2課は、どう打って出るのか…
作品のツボ→ゆうきまさみの原作版パトレイバーに収録された特車2課が怪物と戦う「廃棄物13号」の話をベースにしながら、とり・みき脚本により映像化された本作は、怪獣映画としても充分に楽しむことができる。さらに、街のポスターや看板にいたるまで緻密に描かれているので、細かい部分まで見逃すことができない。
バロン
テリー・ギリアム監督 1989年
 「ほらふき男爵の冒険」を映像化した作品。テリー・ギリアムをはじめモンティーパイソンを制作したメンバーにより作られ、そのため独特の皮肉とユーモアに包まれている。
 ほらふき男爵の手下は、お馴染みの早足男射撃の名手怪力男大風男たち。しかし、長い年月のはてに、男爵をはじめ年老いてボロボロになり、活躍の出来ない彼らは本当にただのほらふきに過ぎなくなっている(怪力男なんかオカマになってるし)。
 ギリアム監督の前作である未来世紀ブラジルでは夢を見る力は、厳しい現実の前に敗北しているが、バロンでは、ほらふき男爵の現実離れした行いが、現実の世界をぶち壊してハッピーエンドとなっている。
 原作に書かれていたエピソードが、映画の中に断片的に散りばめられている。また、ほらふき男爵を引っ張って行く少女も良い演技をしている。
作品のツボ→ヴィーナスを演じているユマ・サーマンは、この頃が一番きれいだと思う(後にバットマンでポイズンネイビーを演じることになるけれど)。
バンデッドQNEW
テリー・ギリアム監督 1981年
 モンティ・パイソンで知られるテリー・ギリアムが製作・監督した作品で、モンティ・パイソン同様に独特のブラックユーモアが全編に渡り散りばめられている。主人公のケヴィン少年は両親から相手にされない孤独な生活を送っていたが、そんなケヴィンの前に突如として6人の小人が現れる。小人たちは宇宙を誕生させた創造主の下で働いていたのだが、その待遇に不満を覚え、タイムホールの位置が書かれた地図を盗み出し逃げてきたのだ。この地図さえあれば、時空間を思い通りに行き来することができる。小人たちはタイムホールを利用して、あらゆる時代のお宝を盗んでしまおうというのだ。このトンデモない騒動に巻き込まれたケヴィン少年は、小人たちと一緒に様々な時代を冒険することになる。
 こうして、あらすじを書くと壮大なスペクタクルのように思えるが、テリー・ギリアムのことだから一筋縄で行くわけがない。ナポレオンは自分より背が高いものが許せない小心者だし、ロビンフッドは人が稼いだものを盗んでは勝手に貧しいものに分け与えてしまう困り者だ。そして、タイムホールを記した地図をねらって創造主と敵対する悪魔が動き出すが、この悪魔も実に狂騒的なヤツで楽しませてくれる。ケヴィンの仲間であるはずの小人たちも困った連中であるのだが、こうした問題児たちが引き起こす冒険を描かせたらギリアムの右に出る者はいない。あまりにも無力なケヴィンと小人たちが、強大な力を持つ悪魔に勝てるのか、思わず息を呑んで(と言いたいところだが笑いながら)見守ってしまう。
作品のツボ→悪魔と戦うケヴィンや小人たちの前に創造主が登場するが、こいつの存在はいろんな意味で掟破りと言える。なお古代ギリシャを訪れた際に登場するアガメムノン王は初代ジェームス・ボンドとしてお馴染みのショーン・コネリーが演じている。
必殺3 裏か表か
工藤栄一監督 1986年
 テレビの必殺シリーズの立役者であり、13人の刺客で有名な工藤栄一監督がメガホンを取った作品。前作のブラウン館が結構トンデモ映画だったので、映画化に不安を抱いていた必殺マニアの不安を一掃してくれた作品。
 仕事人4まででレギュラーだった三田村邦彦演じる飾り職の秀の復帰や、松坂慶子川谷拓三のゲスト出演など話題は盛り沢山だが、見どころは、巧みな罠で次第に窮地に追い込まれて行く中村主水と、最後の傭兵軍団との大立ち回り。後期必殺シリーズでは、相手を後ろから不意打ちで刺すことが多かった主水の大活躍は、状況が状況だけに痛々しいながらも胸がすく思い。
 なお、この作品では、京本政樹組紐屋の竜柴俊夫、笑福亭鶴瓶が、次々と凄絶な最後をとげ、実質的な仕事人激闘編の最終回といえる作りになっている。
作品のツボ→「大丈夫、俺はこんなことじゃ死なねよ」。このセリフを予告編で見た時は、もしかしたら主水が死ぬのではないかと思っていた。
必殺4 恨みはらします
深作欣二監督 1987年
 必殺仕掛人で必殺シリーズを生み出す一人となった深作欣二が映画で必殺に帰ってきた。南町奉行に就任した奥田右京亮(真田広之)は、どん底状態から多くの人を犠牲にしながら、南町奉行にまでのし上がった男。策謀家である彼の新たなるたくらみは、出世のためなのか、それとも姉の復讐なのか。
 テレビの必殺シリーズが下火になってきた頃に作られた作品だが、それを吹き飛ばすかのような超一級の作品となったのは、さすが深作監督。深作欣二特有のきらびやかさが、旗本愚連隊や右京亮のお小姓舞台に光っている。
 影の軍団服部半蔵で、時代劇のダークヒーローを中村主水と二分していた千葉真一がゲスト出演。その戦う相手が蟹江敬三というところが、またすごい。長刀を使う右京之助は手ごわく、中村主水も押され気味、果たして勝機はあるのか。岸田今日子成田三樹夫倍賞美津子といった主演者も良いが、ちらっと出てるだけの草野大吾石橋蓮司が良い味出している。
作品のツボ→「おらおら、どうしたおっさんよ。そんなんで俺の首が取れるのかよ」。そう豪語するだけあって、右京亮の腕前はたいしたものだが、よりにもよって便利屋お玉に倒されることになる。
フランケンシュタイン対地底怪獣
本多猪四郎監督 1965年
 第2時世界大戦中に研究が進められた人造兵士計画。それによりフランケンシュタインの怪物が誕生しようとしていた。しかし終戦とともに、その研究には終止符が打たれたかと思われていた。しかし、怪物の細胞は生き続けていた。爆心地の近くで見つかった浮浪児。いたいけな彼こそ、フランケンシュタインの怪物だった。
 フランケンシュタインはおとなしかったものの、その後、急激な成長を遂げて行く。それでも彼を育ててきた助手の季子にはなついていたが、ある時、ペンダントに興味を示して手を出したフランケンシュタインを、季子は襲いかかったと思い恐怖してしまう。そして、テレビ取材に恐怖したフランケンシュタインは逃亡。その後も成長を続け巨大化していく。
 そんな時、人が次々と襲われる事件が発生する。フランケンシュタインの仕業かと思われたが、犯人は地底怪獣バラゴンだった。フランケンシュタインがいる時に、怪獣が偶然に現れる設定もすごいが、この2体は戦いを繰り広げることになる。人間の身勝手で生み出された生命の悲劇と、フランケンシュタインを子どものように慈しもうとする人間の愛が描き出されていく。勝手に命を生み出しておいて、そのあわれな生命を愛したのは良いが、その愛を貫き通すことが出来ない所など、辛辣に人間のエゴを書き出した作品と思われる。
 戦いの末にフランケンシュタインとバラゴンは、地殻変動で地中深く呑み込まれていく。ただし海外版では、フランケンシュタインがバラゴンを倒した後に、大ダコが出現し、フランケンシュタインとともに、湖に姿を消すといったラストに変わっている。ちなみに究極超人あ〜るで、大ダコのぬいぐるみと戦うベンジャミンを見て、「あ、海外版だ」というセリフは、このラストが元ネタである。
作品のツボ→巨大化したフランケンシュタインの中途半端な大きさが怖い。ゴジラのような怪物と違い、マンションの3階ぐらいの大きさが、妙にリアルで恐怖を感じる。
ブレイド
スティーブン・ノリントン監督 1998年
 現代の世界にも吸血鬼は存在する。彼らは夜の支配者にあき足らず太陽の光も克服して、この世界を支配しようとしている。この映画ほどジョジョの奇妙な冒険の吸血鬼の設定をリアルに再現してくれた映画は珍しい。
 そして悪の吸血鬼を打ち滅ぼすのは、吸血鬼と人間のハーフヴァンパイア。黒人で正義の吸血鬼という設定も珍しい。倒されると同時に灰となって滅びていく吸血鬼の散り際の良さも気持ち良い。刀を振り回して、銀の弾丸を撃ちまくる。一瞬にして灰になって崩れていく吸血鬼軍団。敵側の吸血鬼は、幹部連中による評議会なども存在するが、本当に恐ろしいのは穏便な評議会の連中を無視してまでも暴走して、力を手に入れようとする若き吸血鬼フロスト。彼との最後の立ちまわりは、すさまじいまでのスピード感あふれるアクション。
 それにしても、ヒロインに言い寄っていた情けない男は、吸血鬼に襲われたのは仕方ないとして、吸血鬼になりきれずゾンビに成り下がってしまったのは、みじめすぎる。
作品のツボ→血を吸いたいのを我慢して、人間であろうと揺れ動く主人公と、吸血鬼の帝王たろうとする悪の主人公の対比が最高。
文学賞殺人事件 大いなる助走
鈴木則文監督 1989年
 筒井康隆「大いなる助走」を映画化した作品。主人公を演じるのは佐藤浩一。平凡なサラリーマンだった主人公は、ふとしたことがきっかけで同人に参加して小説を書くようになる。前半では、そうした同人世界のドロドロした世界が描かれていく。他人の書いた作品を酷評する合評会のやり取りや、自分の世界に入りこみすぎて他人が読んでも分からない作品を書く人物など、筒井康隆の実体験から描き出されているのではないかと思われる場面がリアルに再現されている。
 主人公は職場の裏話を作品にして発表したために、会社も辞めさせられてしまうが、後半になると書いた作品が直本賞候補となり、なんとか受賞するように選考委員に根回しするようになる。金を工面したり、女性をあてがったり、はてにはホモの選考委員に自分の身を投げ出しもする。しかし、そんな苦労もむなしく、あえなく落選。ついにブチ切れた主人公は、選考委員を一人一人殺して回って行く。筒井康隆自身も直木賞に何度かノミネートされながら、ついに受賞することは無かった経歴を持つ。原作は読む人が読めば、書かれた選考委員が現実にはどの作家か分かるようで、かなり痛々しい作品。
 落選して絶望した主人公が「俺の金返せ、女返せ、けつの穴の童貞返せ」と叫ぶ場面を見ていると、おいそれと作家なんかになるもんじゃないと、しみじみ思う次第である。
作品のツボ→直本賞の選考委員を演じているのは、天本英世小松方正など、一癖ある役者ばかり。彼らがベートーベンの第九をBGMに銃殺されていく場面は圧巻である。
『ま行』

マタンゴ
本多猪四郎監督 1963年
 インパクトのあるタイトルがきっかけで記憶に残り、子供心に怖そうな映画というイメージを持ちつづけていましたが、ようやく見た感想は、やっぱり怖い映画だった。
 無人島に漂着した若者達が、空腹のあまり島に生えているきのこを食べてしまうとマタンゴになってしまう。もちろん人間がきのこの怪物になってしまうというのも怖いのだけれども、それ以上に人間としての理性を無くしてしまうというのが怖い。ただ一人、水野久美だけはきのこを食べても怪物にならず、妖艶な美しさを増して行くのだけれど、これはこれで怖いよなー。
 ラストの久保明のオチは恐怖映画のお約束だけれど、やっぱり怖い。
作品のツボ→この話と、ウルトラマンタロウマシュラの話は、見たらきのこが食べられなくなるぞ。
『や行』

妖怪大戦争
黒田義之 監督 1968年
 大映が、前作の妖怪百物語が当たったことで作り上げた妖怪シリーズ第2弾。時は江戸時代、バビロニアの古代遺跡から甦った吸血妖怪ダイモンに、日本の妖怪たちが一致団結して立ち向かう。吸血妖怪は伊豆の代官の磯部兵庫に乗り移って、村人の血を吸うなど悪逆の限りをつくす。
 ダイモンに立ち向かう日本の妖怪たちは、ろくろ首二面女など、その特集能力を駆使してダイモン撃退に打って出るが、1対多数の戦いにも関わらず、ダイモンの圧倒的なパワーに押されまくる。青坊主らを参謀に加えて、ダイモン退治の作戦を練る妖怪軍団。最後は、全員でダイモンに飛びかかる総力戦へと流れ込んで行く。京極夏彦のミステリーや水木しげるの漫画などで、妖怪に慣れ親しんだ人にとっては必見の作品。
作品のツボ→日本妖怪たちのキャラの作り方がうまく、その魅力に引きこまれる。油すましが、からかさお化けで空を飛ぶシーンは、なかなかの見もの。
『ら行』

ロケッティア
ジョー・ジョンストン監督 1991年
 1938年のハリウッドを舞台にロケットパックを手に入れた主人公が、スーパーヒーローのごとく大空を駆け巡る。いや、もうとにかく空を飛んでいるというか、吹っ飛ばされている爽快感がすごい。なにしろ、うまくロケットパックを操れないものだから、スーパーマンバットマンのようなヒーローみたいには、うまく空を飛ぶことが出来ない。噴射される炎でお尻が焼けそうになっているし…。
 でも主人公を演じたビル・キャンベルは、これでデビューしてヒロインのジェニファー・コネリーと本当に結婚しちゃうんだから、ラッキーボーイだよなあ。
作品のツボ→頭にかぶっているあれは何?、ウルトラマン?。 
『わ行』

ワイルド・ワイルド・ウェスト
バリー・ソネンフェルド監督 1999年
 時は南北戦争直後のアメリカ。考えも無しに体一つで敵に突っ込んでいく黒人捜査官ジエムズ・ウエスト(ウィル・スミス)と、発明狂の白人捜査官アーティマス・ゴードン(ケビン・クライン)の二人の連邦捜査官の凸凹コンビが、アメリカ支配を企むマッド・サイエンティストのラブレス博士の野望を食い止める物語。ウエストのアクションと、アーティマスのトンデモな発明が、次から次へと息付く暇も無いくらい登場します。
 と、ここまで持ち上げておいてなんですが、この映画、正直言って人にお勧めできるような映画ではありません。さすが、ゴールデン・ラズベリー賞の最低作品賞を受賞しただけの作品ではあります。ストーリーは行き当たりバッタリな所があるし、せっかく名優を揃えたのに生かされていないというのが大半の映画評です。頭の中をカラッポにして、何も考えずに、ハチャメチャなノリで楽しむというのが正しい見方でしょうか。南北戦争の時代に登場してしまう巨大タランチュラメカだけでも、拍手を贈ろうではないですか。
 ちょっと歪んだ角度からの楽しみ方としては、磁石で互いの体がくっ付いてしまうのは、ジョジョの奇妙な冒険第3部バステト女神の実写版になっています。それと地上波で放送された時に、ラブレス博士を広川太一郎が吹替えていたのには、思わず驚きました。
作品のツボ→この映画の評判は、あまり芳しくなかったにも関わらず、オープニングなどに流れるBGMだけはテレビのバラエティやニュースで流用されまくるほど、妙に乗りの良い音楽である。
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