このミステリーを読んでみよう!

         


『あ行』

ある閉ざされた雪の山荘で
東野圭吾 講談社文庫

 山の中のペンションが大雪や嵐で外界から遮断され、集まった男女次々と殺されていくミステリーを、偏に嵐の山荘ものと呼ぶ。そして誰もいなくなったのような、他に人がいないような孤島で殺人が起こる孤島ものと呼ばれるジャンルもあるが、嵐の山荘ものの方が閉鎖性が高く、シャイニングのように、どこかホラー映画に近いものがある。
 この作品で閉ざされた山荘に選ばれたのは、ペンション「四季」。そこに集められた、劇団「水虎」に所属する7人の男女は、泊まった夜から次々と何者かに襲われて姿を消していくことになる。ただし、このペンション「四季」は雪に覆われてもいなければ、電話も切断されていない。それなのに、何故か誰も逃げ出そうとしない。一体、何故このような状況になったかというと、この7人はオーディションに受かって次回作の演出という触れこみで集められたからである。人が消えていくという異常な状況にも関わらず、これは殺人劇の練習を兼ねた、事前演出と信じて、犯人役は誰なのかという推理劇に興じていく。
 そうしながらも、事件が起きていき、劇団のメンバーにも、本当に殺人が起きているのではという疑念が涌き始める。ただし、途中でリタイヤしたり、外部に連絡を取った場合は、舞台から外されてしまうので、うかつな行動を取ることができない。仕方が無いので、犯人役だとしたら誰なのか、実際に殺人が起きているとして犯人は誰なのかと、互いに疑いながらも推理を繰り広げていくことになる。嵐の山荘ものは、登場人物が限定される中、何故わざわざ殺人を犯すのかといった必要性が論じられるが、この作品では、あえてこうした状況を選んだ必然性に誰もが納得させられるはずである。
作品のツボ→ノックスの十戒になぞらえて、登場人物たちが推理小説のタブーをあげていくが、「人間描写もできない作家が名探偵なんか作ろうとするな」、「警察の捜査力をバカにするな」、「フェアとかアンフェアとかがたがたいうな」と、いろいろな意味で耳の痛い禁じ手があげられている。
今はもうない
森博嗣 講談社

 犀川助教授と西之園萌絵の活躍を描くS&Mシリーズ8作目。今回は西之園萌絵が犀川先生に過去に起きた殺人事件を語るという特別な構成になっている。別荘に来ていた西之園嬢は、叔母と喧嘩したことから、別荘を飛び出して笹木という男と出会う。そして、自分の別荘に戻りたくなかった西之園嬢は、笹木が遊びに来ていた別荘に泊めてもらうことになる。その別荘には西之園嬢を含め9人の男女が泊まっていたのだが、入り乱れる恋愛関係の中、密室状態で姉妹の死体が発見される。
 正に嵐の山荘もののシチュエーションの中、密室殺人というミステリーの王道を行く事件の発生。もちろん殺人事件の方も気になるのだが、婚約者がいながらも、西之園嬢に心を惹かれてしまった笹木との関係にもハラハラさせられる。西之園萌絵が犀川に語っている事件ながらも、文章の語り役は笹木の視点となっている。これまで読者は萌絵と犀川の関係を見守ってきたので、この物語の主人公である笹木と西之園嬢がどうなるか気になるところである。突如として自分の前に現れ、突発的な行動をとる令嬢に心を動かされる笹木に感情移入させられてしまう。
 今回は過去の事件であることから、廃線となって放置されている線路のイメージに代表されるように、時の流れというのが作品に流れるテーマの一つ。すでに思い出だけが残されて、今はもうない物語なのだが、ポンキッキは今もまだあるというのが、読み返した時に感じた感想です。
作品のツボ→最後の手段として笹木は、西之園嬢に3回で名前を当てられたら結婚することという賭けに出るが、はたしてこの賭けの結末やいかに。
姑獲鳥の夏
京極夏彦 講談社

 京極夏彦が送る妖怪シリーズ第1弾。物語は昭和27年6月、語り手にして小説家の関口巽が、友人で古本屋を営む京極堂のもとを訪れたことから幕を開ける。世間で噂される20ヶ月も生まれてこない赤ん坊。関口はその真偽について意見を聞くために京極のところに足を運んだのであった。赤ん坊の母親となっているのは、雑司ヶ谷にある産婦人科の久遠寺医院の娘、久遠寺梗子であった。その梗子の夫で1年半前から失踪している男、久遠寺牧郎が関口や京極堂の学生時代の友人であったことから、事件の深みにはまり込んでいくことになる。
 そしてもう一人、梗子の姉の久遠寺涼子から事件を依頼されたことで首を突っ込んできたのが、やはり関口の友人である探偵の榎木津礼二郎。眉目秀麗にして頭脳明晰、喧嘩でも負けたことがないという超人的な男だが、ネジが一本はずれているような人物である。榎木津は人を見ただけで過去を見てしまうという能力があることから、薔薇十字探偵社という探偵社を開業しているが、事件を解決するのでは無く、解体してしまうのが榎木津流である。
 そもそもうぶめはお産で死んだ女性の無念で赤ん坊を人に預けるとされる妖怪。そして姑獲鳥は女児をさらって自分の養女にするという中国の悪鬼である。しかし、いつしか子どもを預けるとさらうという正反対の性質を持ちながら、この二つの妖怪は混同されるようになった。産院で連続する赤ん坊の消失事件。子どもをさらう姑獲鳥の正体は一体何なのか。事件解決に向けて京極堂が憑き物落としの一面を見せることになる。
 ハードボイルドな刑事木場修など、妖怪シリーズの主用登場人物は第1作目にしてほぼ出揃っている。このシリーズは、現在6作目まで刊行されているが、この姑獲鳥の夏以降、彼らは時を置かずして次から次へと奇怪な事件に巻き込まれて行くことになるのである。
作品のツボ→当初、登場人物の中では、まともな人間に思われたが、実に困った人だということが露見し、読者からも同情されることになる関口君。
Xの悲劇
エラリー・クィーン 創元推理文庫

 このXの悲劇から始まり、Yの悲劇Zの悲劇、そしてレーン最後の事件で完結するレーン4部作。作品数では国名シリーズライツビィル6部作など、作者と同名の名探偵エラリー・クィーンが活躍する方が圧倒的に多いのだが、元演劇界の名優であるドルリー・レーンが名探偵となる、このシリーズを指示するファンも多いはずである。
 もちろん、ミステリーベスト10などで常に上位にランクインするYの悲劇は言うまでも無いが、第1作となるXの悲劇も、ミステリーマニアの間で、よく取り上げられる作品である。犯人の意外性や、解決の決め手もそうなのだが、Xの悲劇といえばダイイングメッセージである。殺された人物が中指と人差し指をクロスさせて、Xの形をして死んでいた。果たしてこれは何を意味するのか。この人物が殺される前にドルリー・レーンのダイイングメッセージ論が展開されるのだが、これについては、霧舎巧ラグナロク洞の中で応用して取り上げていた。
作品のツボ→それと特筆すべきは、最初の殺人で使われた凶器。コルクに刺したニコチン針というのは、ミステリで使われた変わった凶器ベスト10に入るかも。
冤罪者
折原一 文春文庫

 1983年6月、駆け出しのノンフィクションライター五十嵐友也は、新人賞授賞式の帰りに女性が暴行された上に殺害される事件に遭遇する。そして、事件は1件だけにとどまらず、中央線沿線連続女性殺人事件として、第2、第3の事件が起こっていくが、最初の事件に遭遇した縁から、五十嵐はルポライターとして事件を調査することになる。しかし、第7の事件の犠牲者となってしまったのは五十嵐の婚約者であった編集者の水沢舞だった。その後、連続女性殺害事件の犯人として河原輝男が逮捕されるが、五十嵐は怒りをぶつけるように河原が起こした犯罪の凄惨さを雑誌に掲載していく。それから12年もの時が過ぎ、一審で無期懲役の判決を言い渡され、二審の裁判が進むころになって、河原は自分は冤罪であると訴え出した。河原のことを婚約者を殺した憎い相手だと思いながらも、それが真実だとすると、真犯人が他にいることになる。五十嵐は真実を求めて事件の裏側を探っていくことになる。
 実際の冤罪事件がそうであるように、本作でも冤罪者を救おうとする河原輝夫を支援する会、犯人に家族を殺された河原輝夫被害者の会、河原を取り調べた元刑事の高山忠義など、河原を無実にしたいものと有罪にしたいものとの間で様々な葛藤が生み出されていく。また、婚約者の死後に結婚した妻の久美子や、死んだ婚約者の妹である水沢みどり、河原の無実を信じて獄中結婚をした河原郁江、間違い電話がきっかけで知り合いになった顔も知らない小谷ミカと名乗る人物など、五十嵐の周りに多くの女性が現れることも、より事件を複雑なものとしている。
 登場人物の誰かが偽りの仮面をかぶっていることから、読んでいて妙な違和感を覚えるのは、叙述トリックを得意技としている折原氏の作品に共通する点。解決まで10年以上に及ぶ事件ということや、現実の冤罪事件を想像させる内容ということもあって、かなり読み応えのある作品に仕上がっている。なお文藝春秋社からは、冤罪者失踪者誘拐者沈黙者行方不明者といった一連のシリーズという形で発行されている。
作品のツボ→恵まれない家庭環境から放火が病みつきになってしまった12歳の少年が、放火現場で偶然にも女性殺害犯と遭遇してしまうのだが、自らの犯罪が発覚することを恐れ、誰にも語ることなく黙してしまう。愛車の自転車を「走れ!隼!走れ! ヒュッ」と叫びながら疾走する、この気弱な少年が、事件に大きく関わることになる。
陰摩羅鬼の瑕
京極夏彦 講談社

 信州の白樺湖のほとりに建つ由良邸は鳥の城と呼ばれるように、館中が鳥の剥製で満たされていた。戦後、華族が没落していく中で、由良家には莫大な資産が残されていた。しかし、そこの当主である由良昴允伯爵に嫁いだ女性は結婚初夜に殺されるという忌まわしい事件が、23年前から4回も連続して起こっていた。密室や死体消失などミステリに付き物の不可解な状況は一切無いが、犯人と思われる人間だけが存在しないという理由で迷宮入りとなった不可解な事件であった。そして昭和28年夏、5番目の妻として地元の教師であった薫子を迎えることになり、今度こそ花嫁を失いたくないと思った由良伯爵は探偵の榎木津礼二郎を呼び寄せることを決意する。
 箱根のお寺を舞台にした鉄鼠の檻では禅問答が繰り広げられたが、本作では儒教朱子学が一貫したテーマとして語られる。そこから、日本人の先祖の供養のし方などに話が派生していくが、憑き物落としの中禅寺秋彦が禅の話以上に難解な話を語って読者を煙に巻いてくれる。探偵の榎木津はいつものように破天荒に動き回って事件を掻き回してくれるが、由良邸に着く前に病を患ったことから、一時的に視力を失ってしまう。その旅先で目が見えなくなった榎木津を迎えにいくという役目を仰せつかったことから、哀れ我らが関口巽は、またもや奇妙な事件に巻き込まれることになるのである。
 東京を離れた白樺湖の事件だけあって、いさま屋、待古庵、鳥口などの準レギュラーのサブキャラは、今回はほとんど登場せず。京極堂、榎木津。関口、木場といったメインキャラだけで、ほとんど話が進められる。由良家以外の登場人物で物語にからんでくるのは、かつての由良家の殺人を担当した元長野県警の刑事である伊庭銀四郎今昔続百鬼−雲−に収録されている出羽のミイラ事件で京極堂と関わりを持った人物である。陰摩羅鬼とは屍の気が変じて生まれた鶴のごとき形をした妖怪。拝み屋と名探偵は、鳥だらけの屋敷の中で、23年前からの因縁を果たして断ち切ることができるのか…。
作品のツボ→関口君は前作の塗仏の宴の事件のショックで鬱状態に陥っていたのだが、ある探偵小説の大家と出会えたことがきっかけで、少し立ち直り今回の事件に首を突っ込むまでにいたっている。このプロローグにあたる部分は金田一耕介に捧ぐ九つの狂想曲が初出となっている。
『か行』

解決まではあと6人 5W1H殺人事件
岡島二人 講談社文庫

 私立探偵の神山謙一の前に現れた平林貴子と名乗る女性は、カメラを取り出して、この持ち主が誰か探してほしいと奇妙な依頼を持ちかけてきた。依頼とあらば、どんな奇妙なものでも引き受けねばならないということで、神山はカメラの持ち主を突き止めるが、その持ち主は死体となって発見される。そして、彼女の奇妙な依頼は、それだけにとどまらなかった。ただし、依頼を持ち込んだのは全く別の興信所。こうして、それぞれの興信所が、お互いに奇妙な依頼を持ちかけられているとは知らずに、調査に動き回ることになったのである。
 神山に持ちかけられた「カメラの持ち主は誰か」のほかの依頼は、「Vではじまる単語が2つ入る喫茶店は、どこにあるのか」「盗難車から後部座席だけ盗まれたのはなぜか」「意味不明な音楽が入っているテープから、どのようにして情報を引き出すのか」「吉池礼司はいつ戻るのか」といった、いずれも奇妙なものばかり。それぞれの依頼を探偵たちが解決していくが、こうして届けられた全ての調査報告をまとめて平林貴子は何をしようとしているのか。
 そんな平林貴子と探偵の動きを探るのは、警察の中でもはみ出し者として知られる副島英樹刑事と、それに振り回される若き堀之内勲刑事。堀之内刑事は先輩である副島刑事の方法を真似て捜査を進めるが、果たして事件の真相にたどり着くことはできるのか。
作品のツボ→平林貴子の調査を受けて動くことになる5つの興信所の探偵たちは、いずれもシリーズ化されてもおかしくないほど魅力的な連中ばかり。それぞれの調査活動を短編として楽しむこともできるが、それがつながって一つの長編になった時に、事件の全貌が見えてくる。
怪盗グリフィン、絶体絶命
法月綸太郎 講談社

 講談社が送るミステリーランドの第9回配本作品。かつて子どもだったあなたに送るための作品であることを意識してか、昭和20年代に多く書かれた冒険活劇を意識したような作風となっている。とはいうものの、昭和の冒険活劇とは一味違ったタッチで、主人公というのもニューヨーク在住の怪盗グリフィン。彼に怪盗グランプリに出場しないかという手紙が届いたことから、物語はスタートする。そんな怪しげな誘いにのっていられるかと、一笑に付すグリフィンだが、今度は芸術センターからゴッホの自画像を盗んでくれとの依頼が飛び込んでくる。怪盗グリフィンの信条は、いわれのない盗みは働かないことにあるが、飾られているゴッホの自画像は贋作で、それを本物にすり替えてほしいという依頼内容に盗みを承知する。
 しかし、この絵画盗難の仕事を引き受けたことがきっかけで、カリブ海のボコノン共和国に潜入して、呪いの土偶を盗み出すという厄介な事件に巻き込まれていくことになるのである。この呪いの土偶というのが曲者で、共和国大統領のフェデリコ・ガンバルゾーと革命の立役者であるエンリケ・パストラミ将軍にまつわるものだった。2人は永久の信頼を誓うため、お互いに呪いの土偶を作り、相手の土偶を人質代わりに身近に置くことで、絶対的な絆を作り上げたのだ。この2体の土偶が、本物か偽者か、呪いは本当にあるのか無いのかのだまし合いが物語の核となってくる。
 芸術センターから絵画を盗み出すための手腕や、ボコノン共和国での潜入捜査など、軽快に物語が進んでいき、実に読んでいて楽しい作品。ミステリーランドは、子どもでも読める作品というコンセプトでありながら、実際には子どもに読ませるにはどうかと思う作品も多いのだが、本作は中学生ぐらいなら、十分に楽しめる作品になっているのではないだろうか。
作品のツボ→グリフィンと一緒に行動することになるのが、A級エージェントのアグネス・ブラウン。グリフィンを監視しながらも、彼を助けてくれるアグネスが、物語に花を添える存在となっている。その他にも、CIAの作戦部長であるロバート・F・オストアンデルや、高度な暗殺テクニックを持つ、将軍の娘婿のコルヘネ・モゲラ大佐など、味のある登場人物が次々と出てくるので、スピードが売りである冒険活劇を、一気に最後まで読ませてくれる。
鏡の中は日曜日
殊能将之 講談社ノベルス

 1987年に鎌倉の梵貝荘で弁護士が殺害される。その死体には何故か、1万円札がばら撒かれていた。当時、この2階からしか中庭に下りることが出来ない奇妙な館には、仏文学者である当主の瑞門龍司郎に招かれて、学生や文芸評論家らが火曜会という名の元に集まっていた。そして、この殺人事件は名探偵の水城優臣の推理によって解決されることになる。しかし、水城優臣が解決した事件は、ワトソン役の鮎井郁介の手によって出版されてきたが、この事件だけは名探偵、最後の事件と予告されながらも出版されることは無かった。
 そして時は流れて2001年、出版されなかったことなどから、事件に裏があるのではないかという疑惑が生じ、美濃牛黒い仏の事件で活躍(?)した石動戯作が依頼を受け、調査を開始することになる。物語は87年の事件と2001年の再調査が交互に描かれていき、事件の当事者達のその後の様子が浮き彫りにされていく。その中でワトソン役の視点と現実の差異も見えてきて、事件の真相が次第に明らかにされることになる。
 鎌倉という舞台、幼くして死んでいる娘、閉じられた中庭などの設定からも分かるように十角館の殺人に端を発する綾辻行人の館シリーズのオマージュ的な意味合いを持つ作品となっている。相変わらずストレートなのか、変化球なのか、あるいは暴投なのか、どちらに球を投げてくるか分からないのが殊能作品の特徴だが、読んでいる方は、またしても裏をかかれてバットを振らされてしまうのである。
 ちなみに、2001年の7月の前半は、本当に猛暑だったのを覚えているが、この作品では石動戯作が、しつこいくらいに異常な暑さに対して愚痴をこぼしている。
作品のツボ→石動戯作がブラウン神父のような頼りない名探偵なのに対して、水城優臣は典型的なキザな名探偵タイプ。この二人の対比が実に興味深いが、二人の名探偵が出会った先に待っているものとは…。
影の告発
土屋隆夫 光文社文庫

 修学旅行の生徒達でごった返す東都デパートのエレベーターの中で、一人の男が毒物を注入され殺される。男は「あの女がいた…」と言い残して息絶える。千草検事はデパートで開催されていた書道展を見に来ていたことから、偶然にもこの事件に首を突っ込むことになる。犯行現場に落ちていたのは1枚の名刺。持ち主に確認したところ、その名刺は5人の人間にしか渡していないという。このことから、すぐに犯人に辿り付けるかと思われたが、5人は未だに名刺を所持しているか、完璧なアリバイを持っているかのいずれかだった。
 殺された男の過去にまつわる事件の謎を探りながら千草検事と野本刑事は、事件の真相に迫っていく。しかし、犯人にあと一歩というところに迫りながらも、崩し切れないアリバイが、彼らの前に立ちはだかってくる。そのアリバイを崩すきっかけとなる告発とは何なのか。昭和30年代に書かれた推理小説としては、鮎川哲也のりら荘事件と双璧をなす作品と言えるだろう。
 土屋氏は、危険な童話もそうなのだが、子どもの儚げな心理描写を、実にうまく書き出していく。それがあるからこそ、単なるアリバイ崩しのミステリーに終わらず、アリバイ作りの裏に潜む犯人の心理が浮き彫りにされていくのだろう。ちなみに、地方から出てきて初めてエスカレーターやエレベーターを体験する学生たちというくだりを読むと、この作品が昭和38年のものだと思わず実感させられてしまう。
作品のツボ→各章の冒頭に挿入される少女のエピソードが、どこで本編と繋がってくるのか、読者の期待を誘う。折原一がよく使用するようなこうした手法が、話に深みを持たせている。
上高地の切り裂きジャックNEW
島田荘司 文春文庫

 表題作である「上高地の切り裂きジャック」のほかに「山手の幽霊」の2本の中編を収録した御手洗潔シリーズの作品。近年、御手洗潔は活動の場を北欧に移してしまったが、2000年に起こった「上高地の切り裂きジャック」では事件解決のアドバイスを電話で送る役割として登場。1990年に起こった「山手の幽霊」はワトソン役の石岡和己が過去の事件を振り返るという形で記述されている。
 「上高地の切り裂きジャック」は、2000年8月、龍臥亭事件で知り合いとなった犬吠里美磯子署の蓮見刑事を連れてきたことから始まった。なお、2000年当時の犬吠里美は女子大を卒業して、法律事務所で働いている。蓮見刑事は石岡を通じて御手洗から協力が得られることを期待して、相談を持ちかけたのだが、石岡も語るように陰惨でやり切れない事件であった。長野県上高地で絞殺死体として発見されたのは女優の細川みどり。ドラマのロケで上高地を訪れていたのだが、自分の出番を撮り終えたみどりは、一足早く横浜に帰宅しているはずだった。その上高地にいないはずのみどりが、腹の一部を切り取られ、代わりに石を詰められた死体となって発見される。ドラマのスタッフや共演者には完璧なアリバイがあったが、そんなことよりも死体には性的な暴行を受けた痕跡があり、DNA鑑定の結果から、横浜に住む医学生の牧原信吾が暴行を加えたことは確定していた。犯人が分かっているので簡単な事件かと思いきや、牧原は横浜から移動しておらず、車の免許も持っていないので、みどりの死体を上高地に遺棄するのは不可能と思われた。みどりを殺したのは、本当に牧原信吾なのか、それならどうやって横浜にいる信吾がみどりを殺して、上高地に死体を捨てることができたのか、解決不可解な事件と思われたが、御手洗は石岡から事件の概要を記したメールを受け取ってから数分で真相にたどり着いている。
 「山手の幽霊」の事件が横浜戸部署の丹下警部から持ちかけられたのは、1990年4月のこと。横浜の山手の新興住宅地である正木幸一の家の地下には核シェルターのような施設が設けられていた。地下室は正木が家を買い取る前からあったものだが、正木は地下室を利用することなく、釘付けして封印してしまった。しかし、この封印された地下室から前の家の持ち主であった大岡修平の餓死死体が発見される。釘付けする前に、地下室に誰もいないことは確認したはずだったし、封印後も大岡の姿は横浜で何度も目撃されていた。第一、助けを求めれば餓死する前に正木が気がつくはずであった。この幽霊のように現れた死体の謎に御手洗は挑んでいく。さらに、根岸線の運転手が山手から石川町まで向かうトンネルの中で女性の死体を目撃する事件も発生する。電車を止めた運転手は死体を発見することはできなかったが、これがきっかけとなって精神を病んでしまった。こうして運転手が目撃した幽霊の謎も解くことになった御手洗だが、地下室の幽霊とトンネルの幽霊の謎が重なりあっていく。
作品のツボ→山手の幽霊の事件では、この地で少年時代を過ごした御手洗が、関内や根岸線に関する知識を披露している。かつて海や川など水に囲まれていた一帯が関内と呼ばれており横浜港すなわち関内であること、根岸線が開通したのは昭和39年で、磯子〜洋光台間は昭和45年、洋光台〜大船間に至っては昭和48年にやっと開通したことを教えてくれる。

麻耶雄嵩 幻冬舎

 現代社会において完全に外界から隔絶され地図にも載っていない村が存在する。そこでは電気も無い江戸時代のような生活が営まれていたが、弟の死にまつわる謎を探るべく珂允(かいん)は、その異郷の村に潜入する。しかし、村に入ったばかりの珂允を襲ったのは無数の鴉だった。その村では半年前から夕方になると凶暴な鴉が人を襲うようになっていたのだ。かろうじて一命を取り留めた珂允は、助けてくれた千本頭儀の家に世話になることにした。そこを拠点に、かつて弟の襾鈴(あべる)が生活していた村のことを調べ始めるが、想像以上に普通の村とは違うことが分かってきた。
 村を支配しているのは絶対的な神とされている大鏡様。大鏡の教えに背くことは、誰にも許されない村の中で、弟の襾鈴は庚と名乗り、大鏡に仕える存在となっていたというのだ。この村では外の世界に出ることは許されず、人を殺したものは、大鏡様の罰により手に痣が浮かび上がるとされていた。そのため、何十年もの間、誰も人を殺さないという状態が保たれていたが、珂允が村を訪れてから連続して殺人事件が発生する。最大のタブーを犯しているのは何者なのか。村で起こる殺人と弟の死は関係しているのか。村人から異端視される中、珂允は捜索を続けることになる。
 村を調べるうちに珂允が出会ったのは、麻耶作品ではお馴染みとなった名探偵(いや銘探偵だったかな)のメルカトル鮎。このタキシードを着て、シルクハットをかぶった探偵は、協力者と呼ぶには、あまりにも不審な人物。誰も頼るものがいない常識が通じない世界で、殺人犯の疑いをかけられながらも、村の秘密を探っていくことになる。
作品のツボ→本来ならばありえない世界を創りだした上で、殺人事件を描いていく麻耶雄嵩の能力には脱帽するしかない。現実とは異なるところから生まれる差異は、これまでの常識を覆し、ミステリーに新たな法則を生み出していく。主人公と弟の名前が珂允(かいん)と襾鈴(あべる)となっていることからも分かるように、兄弟の愛憎は物語の重要なテーマ。弟の死に縛られ続ける珂允がたどり着く謎の真相とは…
カレイドスコープ島 あかずの扉研究会竹取島へ
霧舎巧 講談社ノベルス

 デビュー作のドッペルゲンガー宮で館ものにチャレンジした作者が次いで孤島ものに挑戦。前作で連続殺人事件に遭遇した開かずの扉研究会のメンバーが、八丈島のさらに先に位置する竹取島に招かれることから事件の幕が開く。
 わずかばかりの島民が生活している竹取島と、その島民たちの権力者である月島幻斎が住む月島。その竹取島にユイの友人である金本鈴の誘いで向かうことになった開かずの扉研究会のメンバー。しかし、鈴はかつてユイをいじめで苦しめた過去のある少女であり、島には鈴以上にユイを苦しめた鈴の姉の恐子もいるという。そしてメンバーから一足遅れで島に渡ったワトソン役のカケルは、月島の崖から人間らしきものが投げ落とされるのを目撃することになる。
 本当に現代なのかと思うばかりに、古くからの因習が残る月島と竹取島。次の月島幻斎を襲名すれば、強大な権力を受け継ぐことができる。かくして、一族に伝えられた秘宝を使って、月島一族の者が次々と殺される連続殺人事件に発展していく。霧舎版の獄門島と作者本人が標榜している、この作品では懐かしの横溝ワールドが、現代風に多少アレンジされて甦ってくるのである。
 また、名探偵の後藤悟の父親が殺された殺人事件について、この作品でわずかながら触れられている。こちらの事件もいずれ解き明かされることと思われ、期待が募るところである。
作品のツボ→開かずの扉研究会の一人である咲さんの予知能力は、この作品でも健在で「犯人はドラえもん」と予言するが、これだけでは相変わらず意味不明である。
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危険な童話
土屋隆夫 光文社

 長野県上田市で一人の男がキューピー人形を握ったまま殺害されていた。その男、須賀俊二は傷害の事件で投獄されており、彼が出所して間もなく起こった事件であった。上田市署の刑事たちは、ある人物を犯人だと目星を付けて捜査を進めて行くが、凶器であるはずのナイフは見つからず、容疑者を逮捕してからも、犯人しか知り得ない情報が書かれた手紙が届き続ける。この手紙の投函人は一体何者なのか。そして、犯行の動機はどこにあるのか…。
 真犯人が幾つものトリックを仕掛けている難事件にも関わらず、名探偵は登場せず、解決に挑むのは木曾俊作ら普通の刑事たち。地道な捜査の中で、一つずつ可能性をつぶしながら真相に近付いて行く。この事件解決に必要であったのは、幾つかの閃きと、幾つかの幸運であった。山での滑落事故ニセ札事件など、複雑な要素がからみながら、思わぬ所から事件の真相が解かされることになる。そのような中で、全編にわたり、幼い娘に寄せる母の想いが感じ取れる作品にもなっている。
 ちなみに、昭和36年の作品なので、現代のような感覚で読んでいると、100円札が出て来たり、子供が隣の家にテレビを見に行ったりと、微妙な感覚のズレに捕らわれることになる。
作品のツボ→狂気に駆られて自殺した同人作家の伊原道人が残した「月女抄」。この作品は物語の冒頭に登場したまま事件には、ほとんどからまないにも関わらず、ここに書かれた月への想いが事件全体を大きく包みこんでいる。
キマイラの新しい城
殊能将之 講談社ノベルス

 しかし、石動戯作はどうして奇妙な事件ばかり依頼されることになるのか…。剣と魔法のファンタジーランドである江里アミューズメントの最大の売りといえば、フランス北部にあった中世の古城を移築して、そのまま再現したシメール城の見学ツアー。しかし、その行いが災いしてか、テーマパークの社長である江里睦夫は、750年前にシメール城で謎の死を遂げた稲妻卿ことエドガー・ランペールの霊に取り憑かれてしまった。自分が稲妻卿だと信じこんでいる社長を元に戻す手段は、750年前の事件を解決すること。かくして石動は被害者だけが存在して関係者は全て死亡している事件に取り組むはめになってしまったのである。
 中世には名探偵など存在しないことから、石動に振り当てられた役は魔術師のイスルギー。しかも、扮装までしなければならないのだから、情けなくて泣きたくなる気持ちも分からないではない。しかし、どうせ昔の事件だから適当な解決をでっち上げてしまえば良いと考えてしまうところが、石動が名探偵になれない所以なのであろう。しかも、750年前の事件の解決に頭を悩ませているうちに発生する現実の殺人事件。石動の手に余る事件は、果たして本当に解決するのか。
 事件が事件だけに、ユーモラスな展開ではあるのだが、作者は何と言ってもあの殊能将之である。油断していると、どこから背負い投げを食らわしてくるか分かったものではない。はるか昔の事件の謎を解くといえば、高木彬光の成吉思汗の秘密など、他にも幾つか存在するが、殊能将之がどんな調理をほどこしたか、それは読んでのお楽しみ。ちなみに現実の事件解決に乗り出した千葉県警捜査1課の、心配性の紅林刑事と楽天家の古根刑事も、なかなかの名コンビである。
作品のツボ鏡の中の日曜日から登場している水城優臣は、今回も活躍することになる。名探偵に振り回される迷探偵という構図が実に見ていて愉快である(まあ、石動は水城に振り回されても仕方が無いことを、かつてやっているからな)。
狂骨の夢
京極夏彦 講談社

 妖怪シリーズ第3弾。骨・骨・骨、話の全編を通してどこまでも骨が付きまとってくる。狂骨は井戸の中に現れる骸骨の妖怪。この古井戸に現れる骨の妖怪がキーワードとなる、この物語には、首無し死体をはじめ、様々な骨やしゃれこうべにまつわるエピソードが描かれている。事件の舞台となるのは、神奈川県の鎌倉。前作の魍魎の匣で、問題を起こした木場刑事は、逗子湾に現れる金色の髑髏の調査という、とんでもない事件の捜査を振り当てられていた。さらに、榎木津の幼馴染みで、かつて精神科医であった降幡修は、死人が何度も訪れるという奇妙な体験をする宇田川朱美と名乗る女性に出会う。すでに精神科医から足を洗っていたにも関わらず、降幡は成り行きから、彼女を診断することになる。しかし、そこから事件は奇妙な方向に進んでいく。そもそも降幡が精神科医を目指したのは、フロイドの呪縛から逃れるためであったのだが、これは古井戸の妖怪の狂骨とフロイドをかけたシャレなのか…。
 また、榎木津の軍隊時代の部下であった、いさま屋こと伊佐間一成は、鎌倉に釣りに出かけた際に体調を崩したことから、朱美の家にやっかいになるハメになる。美女の家で二人きりでどうなることかと思いきや、いさま屋なる人物は、榎木津から老人のような男とからかわれるように、どこか枯れていて、とても行きずりの女性に手を出すような男では無かった。
 さて、これだけ、知り合いが事件に関わっていれば、京極堂榎木津関口巽といった連中も、事件に乗り出さずにはいられない。と思いきや、関口が小説家の宇田川と顔見知りであったことが、事件に関わる本当のきっかけであったというのは、どこまでいっても関口くんは、巻き込まれ型の典型的な人物であることを感じずにはいられない。
 戦時中に長野の諏訪から始まった、奇怪な事件は、利根川を下る形で、鎌倉で意外な解決を見ることになる。様々な人物の思惑が絡み合った事件は、それに巻き込まれた何人かの不幸な人物を生み出すことになる。妖怪シリーズの中でも、地に足の着いた事件かと思ったらトンデモ無い。その背景には、シリーズ中でも最も無茶と言える恐るべき思想が隠されている。分量もシリーズの中では少なめと思ったら、文庫版で書き足されて一気に倍増してしまった
作品のツボ→子供の時に見た血塗れの神主の影におびえる白丘神父に向かって榎木津が言った、「僕も神だ」は、すさまじいまでの名ゼリフ。
霧越邸殺人事件
綾辻行人 新潮社

 アングラ劇団「暗色天幕」のメンバーは、信州を旅行した帰りにホテルの送迎バスがトラブルを起こしたことから、歩いて帰ろうとしたが、途中で猛吹雪に巻き込まれ、その避難先として逃げ込んだのが、湖のそばに建つ霧越邸と呼ばれる屋敷だった。暗色天幕のメンバーは劇団を主宰する演出家の槍中秋清を筆頭に、名望奈志甲斐倖比古榊由高芦野深月希美崎蘭乃本彩夏ら男優や女優で構成される全部で7名。それに槍中の友人で小説家の鈴藤稜一が、一緒に旅行していたところ災難に巻き込まれたのだ。そして、同じく吹雪から逃れるため霧越邸に避難した開業医の忍冬準之助が、屋敷にとっては思わぬ来客となったのだ。
 そして、こうした来客の他に霧越邸には、元々住んでいた人たちが存在する。屋敷の主人である白須賀秀一郎を除けば、執事の鳴瀬孝、料理人の井関悦子、主治医の的場あゆみ、使用人の末永耕治といった感じで秀一郎に雇われた者ばかりだが、秀一郎が来客の前に顔を出そうとしない上、もう一人謎の人物も霧越邸に潜んでいると思われることから、暗色天幕のメンバーは不審を募らせていく。
 雪は容赦なく降り積もり、霧越邸に閉じ込められてしまった暗色天幕のメンバーだが、電話線も切断され、いわゆるミステリーでは吹雪の山荘ものと呼ばれる孤立した状況に陥っていく。そのような極限状況の中、殺人事件が発生し劇団のメンバーが殺害されるのだが、殺害現場には北原白秋の詩集赤い木履が残され、死体には如雨露で水が降り注がれるという奇妙な工作がなされていた。北原白秋の雨という詩には「雨がすります。雨がふる。遊びにゆきたし、傘はなし、紅緒の木履も緒が切れた」という一文があるが、これはその見立て殺人なのか。そうだとすると、どうして見立て殺人にする必要があったのか。謎が深まる中、第二、第三の事件が発生していく。
 十角館の殺人で新本格の先陣を切ってデビューした綾辻氏が、練りに練って作り上げた本格ミステリーの大作。1990年の週刊文春ミステリーベスト10の国内編では、師匠とも呼ぶべき島田荘司氏の暗闇坂の人食いの木や、芦辺拓の殺人喜劇の13人を抑えて、見事1位に輝いている。事件の流れから北原白秋に関する記述も多く紹介されているが、童謡で有名な白秋の意外な一面が垣間見えておもしろい。
作品のツボ→80年代後半に巻き起こった霧越邸の惨劇だが、物語は事件から4年がたち90年代に入ってから、登場人物の一人の回想によって締めくくられる。霧越邸を訪れた暗色天幕のメンバーの耳に、最初に飛び込んできたのは、大島三原山が噴火したというニュースだったが、それから4年の間に昭和が終わり平成となり、事件の記憶が薄れるとともに、一つの時代が終わったということを感じさせてくれる。
霧舎巧 傑作短編集
霧舎巧 講談社ノベルス

 ドッペルゲンガー宮カレイドスコープ島で、あかずの扉研究会の活躍を描いた霧舎巧が、かつて本格推理などに書いた作品など、短編6作品が収録されている。
 「手首を持ち歩く男」は新幹線の車内で起こった殺人事件を、次の駅に到着するまでに解決する物語。「紫陽花物語」は、かつて子供の死亡事故が続いた地域での謎にまつわる物語。この2作は霧舎巧が本格的にデビューする前の作品だが、あかずの扉研究会で名探偵として活躍することになる後藤悟が登場している。作者がまえがきで書いているように、多少キャラ設定が異なっているが、それもまた一興である。
 「動物園の密室」は、御手洗パロディサイト事件2に収録されたものということで活躍するのは、御手洗潔と石岡和己の黄金コンビ。霧舎巧が島田荘司の大ファンだけあって、本物の御手洗のようにうまく書けている。事件自体もいかにも島田荘司が書きそうなもので、島田荘司の短編を読んだような気分にさせられる。時代は暗闇坂の人食いの木の事件を解決した直後だが、この時代設定も後に生かされてくるところがうれしい。
 「まだらの紐、再び」は、二階堂黎人の呼びかけで密室殺人大百科に書いたもの。タイトルから分かる通り密室物だが、日本では飼っている人も数少ない沼毒蛇ことスワンプ・アダーが事件に使われる。この沼毒蛇はコナン・ドイルのまだらの紐で使われたインドにいる毒蛇だが、実際には存在しないヘビのようである。
 「月の光の輝く夜に」は、メフィストに収録されたものだが、甘くてせつないラブストーリー。あかずの扉の研究会の事件にしろ、霧舎作品には妙な甘ったるさがあるのだが、この作品も甘くはあるのだが、それは極上の甘さとなっている。
作品のツボ→最後に収録されている「クリスマスの約束」は、この本のために書き下ろした作品だが、この作品により収録作品が、また一味違ったものとなってくる。あかずの扉研究会シリーズ霧舎学園シリーズまで、見事に結び付けてしまったうまさには、思わずニヤリとさせられる。
金田一耕助に捧ぐ九つの狂想曲
京極夏彦、有栖川有栖ほか 角川書店
 平成14年は横溝正史生誕100周年。横溝と言えば、獄門島などでお馴染みの風采の上がらない名探偵金田一耕助である。そこで、9人の作家が金田一耕助をモチーフに書き上げたアンソロジーが本書である。その9人の作家とは、赤川次郎、有栖川有栖、小川勝己、北森鴻、京極夏彦、栗本薫、柴田よしき、菅浩江、服部まゆみ。それぞれの作家が、金田一の隠れたエピソードや、金田一が年を取ってから遭遇する事件などのアイディアを絞り出している。
 感想としては。横溝本人を話にうまくからめている京極夏彦や有栖川有栖の話がお気に入り。また、小川勝己や栗本薫も、金田一への愛着の深さが伺え、小川氏は横溝正史賞受賞作家だけあって横溝本人が書いた短編と言ってもおかしくない出来だし、栗本氏は幽霊座というマイナーな作品をもとに、金田一と伊集院大介という2大探偵の共演を成し遂げている。
 また、柴田よしきと菅浩江は京都を舞台にした作品を書いているが、金田一と京都は、あまり合っていないような気もするのだが…。
作品のツボ→京極作品は、陰摩羅鬼の疵から抜粋という設定となっており、京極の作品世界と横溝を見事にリンクさせている。
黒い仏
殊能将之 講談社ノベルス

 前作の美濃牛に続き、名探偵石動戯作が登場する。今回の依頼は福岡の安蘭寺に隠されている秘宝を探し出すこと。どうやら、美濃牛で財宝を探し当てたので、宝捜しの名人と思われたらしい。
 それと同じくして、那の川のアパートで男性が殺害され、その謎解きも石動は迫られることになる。だが、この作品は一筋縄で行くような作品ではない。デビュー作のハサミ男で、叙述トリックをしかけ、美濃牛で本格推理を披露したかと思えば、さらに、この作品で読者に背負い投げをくらわしてくれる。常に前作を期待して読んだ人を、裏切り続けて行く。途中には読者への挑戦状のような文章が挟まれるが、先を読んで衝撃を受ける読者に向けた覚悟のすすめのようなものである。その先には、石動戯作が名探偵であったがゆえの、皮肉な結末が待ちうける。
 美濃牛のラストで登場した、探偵助手のアントニオは、今回は全編にわたり登場するが、意外な能力を見せ付けてくれることになる。しかし、この作品を読むと、大生部という登場人物がいるせいもあって、ガダラの豚を連想するのは自分だけだろうか。
作品のツボ→福岡が事件の舞台となるだけあって、登場人物たちが、ダイエーホークスの話題で盛りあがっている。野球に詳しくない中村警部補は、置いてけぼりの状態だが、その気持ちがよく分かる。
くらのかみ
小野不由美 講談社

 透明人間の納屋子どもの王様とともに発行されたミステリーランド第1回配本作品。夏休みに田舎に泊まりに来ていた子どもが、同じく田舎に集まっていた従兄弟たちと一緒に事件に巻き込まれるという設定が、かつて子どもだったあなたと少年少女のためというミステリーランドのコンセプトに、しっくりとハマっている。夏休みに親戚の子どもたちが集まってやることといえば、晦-つきこもりではないが、怪談話と相場は決まっている。父親と一緒に泊まりに来ていた耕介が行った四人ゲームも、そんな怖い遊びの一つ。真っ暗な部屋の四隅に4人が立って肩をたたいて回っていくというものだが、実際にやってみれば分かるが、本当ならば5人いなければ成立しないはず。ところが、全員の肩が叩かれて明かりをつけた時には、最初は4人しかいなかったはずなのに、いつのまにか子どもは5人に増えていた。確実に1人増えているはずなのに、最初から全員いたとしか思えない。どうやら、耕介、音弥、梨花、真由、禅の5人の子どもの誰かが座敷童子のようなのだが、一体誰が座敷童子なのか…。
 そもそも、親戚一堂が集まったのは、本家の後継者選びが目的だった。耕介の父親などは、そんなことに全く興味を示していないようなのだが、お金がからむと様々な人の悪意が動き出す。なかなか後継者が決まらないうちに、食事にドクゼリが混ぜられるなど、怪異な事件が発生する。そこで、梨花の弟の光太も入れた6人の子ども達は、誰が座敷童子が分からないまま、犯人探しをはじめることになる。大人たちが後継者選びに翻弄される中、頼りになってくれるのは、自分たちと年が近い三郎兄さんだけ。彼らに事件の謎は解き明かせるのか。
 後継者選びが巻き起こす事件といっても、横溝正史のような陰惨な殺人事件が起きるわけではない。子ども達が探偵活動する、ほのぼのとした雰囲気を漂わせながら、どこかに大人の悪意が流れている怖さがある。本当の妖怪がいるという設定もミステリーとしては珍しく、座敷童子の存在が事件に奇妙な一味を加えてくれる。
作品のツボ→事件の謎解きとともに、座敷童子は誰なのかも解き明かさなければならないが、それは一緒の時を過ごした仲間との別れを意味している。座敷童子は何のために出てきたのか、良い妖怪なのか、怖い妖怪なのか。
警察署長
スチュアート・ウッズ ハヤカワ文庫

 町に潜んで、長年にわたり少年に危害を加えて殺害を繰り返してきた殺人鬼。そして彼を長年にわたり追いつづける歴代の警察署長の物語。
 第1部は良心的で犯罪を憎む正義感の強い警察署長の物語なのだが、この物語の意外なところは第2部に登場する警察署長。黒人差別主義者で自らの功名のために殺人鬼を追い詰めて行く。そのような追跡を掻い潜りながらも、殺人を続けてきた男は、第3部で初の黒人の警察署長と対峙することになる。
 この主人公が変わりつづけるというストーリー展開を聞いて思い当たるように、ジョジョの奇妙な冒険に大きな影響を与えている作品(荒木飛呂彦もお気に入りの作品に挙げている)。殺人鬼のイメージも第4部の吉良義景を髣髴させる。
作品のツボ→この物語はアメリカでドラマ化され、随分昔にNHKで放送された。その時には殺人鬼をキース・キャラダインというじつに味のある俳優が演じていた。
幻惑の死と使徒
森博嗣 講談社ノベルス

 犀川助教授西之園萌絵のS&Mシリーズ第6弾。次作となる夏のレプリカとほぼ同時に事件が発生し、幻惑の死と使徒が奇数章、夏のレプリカが偶数章という構成になっている。とは言うものの、2冊買って交互に読み進める必要は無く、それぞれが単体で完結した作品となっている。
 奇術師の有里匠幻が挑んだ世紀の大脱出。脱出は成功したが、箱から出てきた匠幻の胸にはナイフが突き立てられていた。誰も近付くことの出来なかったステージ上で、衆人環視が見守る中、何者がどのような手段で殺人を犯したのか。犀川創平と西之園萌絵、そして犀川研究室の院生である浜中深志は、このマジックショーを見学に来ていたために、またしても殺人事件に巻き込まれることになる。
 奇術とミステリーは、よっぽど相性が良いのか、数多くの手品がからんだミステリーが残されている。とっさに頭に浮かぶものだけでも手品師探偵マーリニが活躍するクレイトン・ロースンの「帽子から飛び出した死」や、泡坂妻夫の「11枚のトランプ」などが思い出される。また、名探偵コナン金田一少年の事件簿でも手品師が登場する作品があったはずである。これは手品のタネを解き明かすことが事件の解決につながるというシチュエーションや、手品師が仮面で顔を隠すパターンなどがミステリーとして使いやすいためかもしれない。
 森作品としては、比較的ストレートな感じがする作品だが、それはこの作品自体が次回作の夏のレプリカの壮大な複線だからかも知れない。ちなみに、事件に対して意見を求められた国枝桃子の回答が、全部がテレビ局のやらせだったのは、実に彼女らしくて良い。
作品のツボ→いくつかの事件に巻きこまれ、警察関係に知り合いもできた西之園萌絵だが、この事件の頃には愛知県警内にTMコネクションという西之園萌絵ファンクラブが結成されている。それで良いのか愛知県警。
黒死館殺人事件
小栗虫太郎 創元推理文庫

 昭和初期に書かれた探偵小説の中で最高峰とされている1冊。事件は降矢木家で起こる連続殺人事件。解決するのは名探偵法水隣太郎
 作中はペダンティックにあふれ本編とは、あまり関係ない部分で膨大な知識があふれかえっている。ヴァン・ダインの作品をはじめとして、海外では、そのようなウンチク的な部分こそが推理小説の魅力であるとされていたことから、影響を受けて、それを極限まで高めてしまったのだろう。その結果、何が書いてあるか分からない小説が出来あがる結果となってしまった。
 しかし、これが読者に不思議な快感を与え、現在まで残る作品になったのだからわからない。登場人物の中に降矢木家に雇われている弦楽四重奏の楽隊のメンバーがいるというのが、また訳が分からない。ちなみに小栗の作品は完全犯罪などをはじめ、全てがこの調子である。
作品のツボ→いや、読んでみても本当に作品の9割方は何が書いてあるか分からないんだって。
獄門島
横溝正史 角川文庫

 国内ミステリーの第1位にも輝く作品。やはり、戦後間も無い時期にこれだけのエンターテインメントに優れた作品が書かれていることがすごい。本陣殺人事件でデビューした金田一耕助が、戦友の依頼により戦地から戻って初めて出くわす難事件(厳密には短編の車井戸はなぜ軋るがはさまるが…)。
 金田一耕助は、戦地からの引き揚げ船の中で、死に行く戦友の鬼頭千万太から、3人の妹が殺されないように守ってくれと依頼される。その依頼を受けて瀬戸内海の孤島である獄門島に赴いたが、千万太の妹たちは、逆さ吊りにされたり、釣鐘の下に閉じ込められたりするなど、奇怪な方法で殺されて行ってしまう。連続見立て殺人のシチュエーションとアリバイトリックを、ここまで見事に相互作用させたのはさすがというべきか…。太平洋戦争が無ければ起こらなかった殺人事件なのだろうが、それに謎の復員兵をからませ、悲劇的な最後にまで見事に持っていく。
 しかし、東宝で市川崑監督によって映画化された作品は、犬神家の一族に比べて今一つ(金田一はターザンごっこしてるし)、佐分利信は好きなんだけどね…。
作品のツボきが違っているが仕方が無い。推理小説史上最も記憶に残る一言である。
子どもの王様
殊能将之 講談社

 「かつて子どもだったあなたと少年少女のための」を謳い文句に出された、ミステリーランドの第1回配本として発行された3冊のうちの1冊。ミステリーランドの多くの作品がそうであるように、子供の視点から見た世界を描き出し、大人でも楽しめる内容の書き下ろしミステリーとなっている。
 本作の登場人物もカエデが丘団地に住む小学生のショウタトモヤなど、どこにでもいるような普通の小学生である。作者があとがきで、自分の子どもの頃に少し似ていると書いているように、読んでいる人の多くは(特に団地に住んでいたことがある人は)、自分が子どもの頃も、こんな感の小学生だったなと思うのではないだろうか。
 そんなどこにでもいるような子どもたちだが、物語を語るのが得意なトモヤが語る子どもの王様とは、子どもをつかまえては殴ったり蹴ったりする暴君的な存在。髪は長い茶髪で、よれよれのトレーナーとジーンズを着ているという王様とは思えないような格好である。あくまでもトモヤの作った物語にも関わらず、子どもの王様は現実味を帯びた存在となり、ショウタの生活に影を落とすことになる。この物語には名探偵も出てこないので、襲い掛かる災難は、自分の手で解決をしなければならない。そこで、ショウタも子どもながらに頭をしぼって問題に立ち向かっていく。なお、マヤマックス氏が描く装画や挿絵が、かなりインパクトのあるものなので、余計に子どもの王様の存在が恐ろしいものとなっている。
 作者の殊能将之が寡作なこともあり、2010年現在、デビュー作であるハサミ男から7冊しか小説を出していない。しかも、2003年に本書を出してから、2004年にキマイラの新しい城を出したきりである。そういった意味でも、貴重な殊能作品の一冊なのである。
作品のツボ→時代設定は明らかにされていないので、物語の舞台がいつになるのかハッキリしないが、テレビのバラエティ番組に出てくる罰ゲームが学校で流行したり、特撮物の神聖騎士バルジファルに熱くなるなど、近年のことのように思われる。しかし、そういった意味では、70年代の子どもと今の子どもの生活は、ゲームを除けばあまり変わらないということに気づかされる。
今昔続百鬼−雲− 多々良先生行状記
京極夏彦 講談社ノベルス

 俺はその時、相当頭に来ていた…という書き出しでいつも始まるように記述者である沼上蓮次は、常に妖怪研究家の多々良勝五郎先生に振りまわされてばかりいるのである。そんな不快な思いをしてまで、なぜ沼上君が多々良先生と行動をともにしているかというと、彼もまた妖怪の事になると周りが見えなくなってしまう妖怪馬鹿だからである。実はこの二人は座談会本の妖怪馬鹿に登場している京極夏彦の友人である多田克己村上健司がモデルとなっている。
 本書には「岸崖小僧」「泥田坊」「手の目」「古庫裏婆」といった中編小説を4編収録。地方の妖怪伝説を集めに旅に出た両名が、無計画な旅行のためいつも死にかけるような窮地に陥り、あまつさえ殺人事件にさえ遭遇してしまう。とはいったものの多々良先生には事件を解決するような卓越した推理力など持ち合わせてはいない。というか妖怪のことで頭がいっぱいで事件のことなど考えてもいない。しかし、トンデモないキャラであるがゆえに、犯人すら振りまわされ自滅していくというパターンをたどっていくのである。
 そんな二人を手助けしてお金まで出してあげる奇特な人が、「岸崖小僧」の事件で知り合った妖怪好きの作佐衛門老人と孫娘の富美ちゃんである。富美ちゃんは15歳にも関わらず、大人二人よりも、よっぽどしっかりしている。ちなみに本書書き下ろしの「古庫裏婆」こそ、姑獲鳥の夏で解剖医の里村先生が言っていた出羽山のミイラを解剖した事件。ようやくここで事件の内容が明かされることになる。
作品のツボ→この本には収録されていないが、沼上君は、「五徳猫」の事件で薔薇十字探偵社シリーズにも登場。雨シリーズの語り手と並んで巻き込まれ型タイプ2大キャラ夢の競演である。
『さ行』

最後のディナー
島田荘司 角川文庫

 御手洗潔が平成6年にフラリと外国に旅立ってからというもの、一人で横浜での生活を続けるようになった石岡和己だが、その後、巻き込まれた龍臥亭事件では、郵便と電話で御手洗からヒントをあおぐことで、どうにか連続殺人事件を解決することに成功している。本書は龍臥亭事件より後の石岡を描いた作品になるが、彼が平成8年4月から平成9年4月にかけて遭遇したエピソードが3篇収録されている。相変わらず名探偵である御手洗がいないので、難解な殺人事件などが起きたら石岡の手に負えなくなるところだが、本書に収められている3篇の作品が、いずれもちょっとした騒動やエピソードであるところがおもしろい。
 「里美上京」は龍臥亭事件で登場した犬吠里美が、平成8年4月に横浜の大学に合格して岡山から上京してくることから始まる物語である。父親と娘ほどの年齢差がある里美に石岡が翻弄される以外は、これといって事件が起こるわけではないが、横浜の町を里美と歩いているうちに、異邦の騎士の事件で関わった女性のことを思い返す石岡を見るにつけ、時の流れを感ぜずにはいられない。そして、これ以降、犬吠里美は御手洗シリーズに欠かせない重要な登場人物となっていくのである。
 「大根奇聞」は里美が上京してから1ヶ月がたった平成8年5月に、里美が通う大学の御名木教授から聞いた歴史上の謎を解き明かすエピソードとなっている。天保9年、後に西郷隆盛の友人となる酒匂帯刀が、養父である寂光法師とともに旅に出て、薩摩で飢饉に巻き込まれ危うく飢え死にしそうになるのだが、老婆により桜島大根を恵んでもらい一命を取り留めることになる。しかし、大飢饉の中、作物を勝手に収穫することは厳罰が科せられることになっており、畑から老婆の家まで大根を引きずった跡が残っている状況では、犯行をごまかしようがなかった。しかし、書物によると老婆が罰せられるようなことはなかったようである。大根を盗んだことがどうして発覚しなかったのか、御名木教授とともに石岡も頭を悩ますことになるのだが、自分は3篇の中では、この「大根奇聞」が最も気に入ったエピソードである。
 「最後のディナー」の事件に遭遇する平成8年の夏には、石岡は軽いうつ状態に陥っていた。そんな状態なのに里美に強引に誘われて英会話教室に通うハメになる。そこで出会った大田原知恵蔵という老人と親しくなった石岡は、その年のクリスマスに里美とともにディナーに招待される。そこで大田原老人が取った行動は実に奇妙なものだった。その数日後の平成9年の正月に大田原老人は死体となって発見されるが、御手洗からのアドバイスを頼りに老人の死を解き明かしていくことになる。3篇の中では、この事件だけ殺人が発生するが、御手洗にとっては石岡からの電話だけで解決できるような事件だったようだ。
作品のツボ→最後のディナーの事件で英会話教室に通うことになった石岡だが、彼の英語恐怖症があまりにも痛々しい。名前を英語で聞かれても答えることができず、4歳の子供や86歳のおばあちゃんと一緒に英語を習う石岡がかわいそうで仕方がない。なお、石岡と里美が通ったのはNOVAなのだが、石岡がとことん嫌った英会話教室が消滅してしまったことを考えると感慨深いものがある。
樒/榁(しきみ・むろ)
殊能将之 講談社ノベルス

 講談社のミッシツボン企画で出されたうちの1冊。初版の時点では、他のミッシツボン同様に、本が丸ごと袋とじとなっていた。そして、ミッシツボンの統一テーマとして、この作品は密室をテーマに書かれたものとなっている。
 ストーリー構成もちょっと変わったものとなっており、前半の樒の部分で活躍することになるのは、前作の鏡の中の日曜日で登場した稀代の名探偵である水城優姫。1986年2月、ワトソン役の鮎井郁介とともに、崇徳院ゆかりの地である四国の飯七温泉を訪れた水城は奇妙な事件に遭遇する。閂のかかった旅館の部屋の中で、神社に奉られていたはずの天狗の斧で頭を割られた死体が発見されたのである。そして、水城は事件解決に向けて動き出すことになる。
 そして後半の榁のパートでは、16年後の2002年に、稀代の迷探偵である石動戯作が飯七温泉を訪れる。16年ぶりに友人に会うために、この地を訪れた石動だが、そこで奇妙な事件に遭遇することになる。16年前の事件が起こった同じ部屋で、同じような現象が繰り広げられる。しかし、閂を外して中に入った部屋には誰もいなかったのだ。どうして犯人は誰もいない部屋を密室にしなければいけなかったのか。
 1986年と2002年で同じように起こる密室事件。そこで事件解決に向けて動き出す2人の名探偵(というか一人の名探偵と一人の迷探偵)。この16年の時の流れの中で、変わっていく町の様子や人の姿が、見比べてみるとなかなかおもしろい。
作品のツボ→16年の時の流れで変わっていく人の様子はおもしろいが、中でも石動戯作は、16年前に何をやっていたんだよと、思わず突っ込まずにはいられない。
失踪者
折原一 文春文庫

 埼玉県久喜市で連続して月曜の夜になると女性が行方不明になる事件が発生する。やがて一人目の犠牲者である北沢香織の死体が発見されるが、その傍にはユダの息子と書かれた謎のメモが残されていた。そして久喜市では15年前にも3人の女性が行方不明となっていたが、北沢香織の死体が見つかってから間もなく、15年もの間行方不明となっていった3人の死体が相次いで発見される。そして、その3人の犠牲者の傍にはユダと書かれた紙片が残されていた。15年前と現在の事件をつなぐユダとユダの息子のメモ。それぞれの犯人は同一人物なのか多くの人に不安を与える中、またもや次の女性が謎の失踪を遂げることになる。
 事件を追いかけて本に残そうと動きまわるのは、ノンフィクションライターの高嶺隆一郎。助手である神崎弓子とともに、15年前の事件で容疑者とされていた不良の下柳栄治、理髪店に勤めていた玉村光男、そして15年前は未成年ということで名前が出なかった少年Aの動向を調べ上げていく。久喜という埼玉の片田舎で、いったい何者が女性を襲い続けるのか。15年前と現在の事件が一つに繋がったとき、全ての謎が解き明かされることになる。
 折原氏が得意とする叙述トリックにより、どれが15年前の出来事で、どれが現在の出来事が混乱するように仕向けられている。そして、頻繁に挿入される父からの手紙は、捕まった息子に対して父が送ったものだが、この父親が誰で、息子が誰にあたるのか読者の頭を悩ませることになる。なお、この作品を読んでいると身内が殺されて死体が発見されるのもショックだが、それ以上に死体が発見されず生死不明という状況が、いかに関係者を不安に陥れるかが実感できる。
作品のツボ→事件をノンフィクションライターが追いかけるという構造は、同氏の作品である冤罪者を彷彿させるが、この失踪者はシリーズ第2弾にあたる。冤罪者で登場したノンフィクション作家の五十嵐友也も、高嶺隆一郎と同じ出版社に出入りし、本作にも登場している。
詩的私的ジャック
森博嗣 講談社ノベルス

 犀川助教授と西之園萌絵のS&Mシリーズ4作目。S女子大でT大学の女子学生が密室で殺害されて発見された。そしてT大学でS女子大の女子学生が、やはり密室で無残な死体となって発見される。彼女たちの体にはナイフで刻まれた文字が…。森博嗣が描く切り裂きジャックの正体は誰なのか、犀川の生徒であった、ロックミュージシャンの結城稔は事件に関与しているのか…。
 今回、犀川先生は事件の途中で中国に出張に行ってしまい、日本では萌絵が孤軍奮闘することになり、彼女の不安定さゆえに、見ているほうとしてはヤキモキさせられるのだが、よく考えてみれば、犀川は事件に興味を示すこと自体がまれなので、いつも萌絵の孤軍奮闘であった。それでも犀川が近くにいるのと、そうでないのでは、こうも安心感が違うものなのだろうか。
 また、シリーズを通して萌絵の一番の友人となる牧野洋子も登場。さらに後に定番となる萌絵の貧血も初めて出てくるなど、シリーズの方向性が、この作品からはっきりしてきたように思われる。
作品のツボ→今回またもや、萌絵は命を落としかねない危険に陥るのだが、シリーズの前半の作品は、これがお約束だったのか。それとも、萌絵の学習能力が足りなかったのか…。
邪魅の雫
京極夏彦 講談社ノベルス

 昭和28年夏、江戸川の河川敷で一人の男が死体となって発見される。その通報を受け付けて現場に駆けつけたのは、塗仏の宴の事件でペナルティをくらって派出所勤務に回された青木刑事であった。最初は単なる殺人事件で終わるかと思いきや、事件は神奈川の大磯や平塚に飛び火して、次から次へと死体が発見されていく。一つ一つの事件の関連性が見出せないまま、事件は混迷を深めていくが、事件に使われたと思われる特別な凶器が、無関係と思われる事件を一つに結び付けていく。
 姑獲鳥の夏から始まる一連の妖怪シリーズでは、残酷な連続殺人を扱いながらも、その犯人は邪悪というよりは哀れと思えるようなものが多かった。そうした中、本作では人の心に潜む邪な気持ちとは何かをテーマの一つとして取り扱っている。自分の生き方に自信を持てない関口巽は理由も無く他人に後ろめたいものを感じているし、管轄を乗り越えて事件の捜査にあたることになった青木刑事も身の置き所をなくし、探偵助手の益田にいたっては榎木津にナイショで捜査を進めているものだから心に疚しさを覚えている。そんなサルとコケシとロイヤルバカオロカデリシャスを恫喝する名探偵の榎木津礼二郎も、いつもと少しばかり様子が違っている。ポトリと落ちた邪悪な雫が多くの人の心の中に黒く染み込んでいくのである。
 さらに、この事件のもう一つのキーワードとして、自分と世界との関係というものがある。世界は自分を中心に動いていて、自分が存在しなければ、この世界が存在しないのではないかという感覚。それを端的に表しているのが、自分が描く絵の中にこそ真実があるのではと考える画家の西田新造になるのだが、その他にも自分の体の中に鉛が詰まっているようで淀んだ目でしか世界を見ることができない江藤徹也や、陰摩羅鬼の瑕の事件でショックを受けて長野県警を辞めて大磯まで流れ着いた理論構築というものが全くできない大鷹篤志など、普通の人間とは感覚が異なる人物が多く存在しているので、事件の全貌がつかみにくくなっている。そんな複雑怪奇な事件でありながら、憑き物落としの京極堂は邪魅を祓って黒い雫をぬぐいさることができるのか。
作品のツボ→大磯・平塚で連続する殺人事件の捜査を仕切るのは、鉄鼠の檻で坊さんや名探偵に振り回された山下警部補。箱根の山では事件を引っ掻き回すだけだった山下警部補だが、人の心まで思いやって捜査にあたれるようになり確実に成長の跡がうかがえる。
十角館の殺人
綾辻行人 講談社文庫

 長年の間、日本の本格推理小説は冬の時代が続いていた。江戸川乱歩横溝正史が探偵小説で活躍した時代は遠い昔。それから島田荘司泡坂妻夫などが、頑張っていたものの名探偵が活躍するような小説は、ほとんど出版されることが無かったのである。しかし、1冊のミステリーの登場によって、その壁が崩されることになった。1987年に出版されたこの作品こそ、新本格ミステリーの第1号となり、この後、多くの本格推理小説が登場してくることになる。
 作者の綾辻行人は京大の推理小説研究会の出身。後輩には法月綸太郎我孫子武丸摩耶雄嵩らがおり、後に相継いでデビューしてくることになる。元々はサークル内の企画で書いた犯人当ての小説がデビュー作のもとになっている。そのため本格ミステリーマニアにとっては、たまらないシチュエーションとなっている。孤島である角島を訪れのは、推理小説研究会のメンバーである、エラリィルルゥポゥヴァンカーアガサオルツィの7人。もちろん全員あだなで、ご存知の通り有名な推理小説作家から由来している。そして島での宿泊先となったのが、10個の台形の部屋から成る十角形の形をした館、つまり十角館だったのである。こんな奇妙な館を建てたのは建築家の中村青司。しかし中村は、半年前に奥さんと使用人夫婦とともに島で殺害されている。そして、中村青司の一人娘であった千織は、この推理小説研究会に所属していたのだが、コンパの時に急性アルコール中毒で死亡している。そんないわく付きの島に渡ったメンバーたちを襲ったのは、当然のごとく一人ずつ順番に殺されていくという連続殺人であった。あのクリスティの名作「そして誰もいなくなった」を彷彿とさせる事件の裏には、どんな真相が隠されているのか…。
 推理小説研究会のメンバーには、島に渡らなかった人物として、ドイルこと江南孝明がいて、彼も事件の裏にある謎を解こうとして本土で動き回ることになる。同じく推理小説研究会のメンバーである守須恭一や、中村青司の弟である中村紅次郎らと連絡を取って行く。そんな江南の前に現れたのが探偵役となる島田潔である。この紅次郎の大学の後輩であった、やせたカマキリのような男は、今後のシリーズでも探偵として事件に関わっていくことになるのである。
作品のツボ→十角館を建てた中村青司は、有名な建築家で、全国各地に奇妙な建物を残している。その建物で起きる事件が、これから館シリーズとして続いていくのである。
絡新婦の理
京極夏彦 講談社ノベルス

 憑き物落としの京極堂が活躍する妖怪シリーズ第5弾。あなたが――蜘蛛だったのですねと、いきなり物語りの冒頭から犯人と京極堂が対峙しているところから始まる異色のミステリー。
 箱根山中で巻き起こった連続僧侶殺人事件である鉄鼠の檻からおよそ半年、昭和28年5月に起きた平野祐吉による目潰し殺人は、4件目の被害者を生み出していた。被害者が全員女性ということを除けば共通点は無く、平野の行方は要として知られぬまま、舞台は東京から千葉の勝浦へと移っていく。そして平野の友人で警察に先駆けて、その後を追う川島新造が榎木津の知り合いだったことから、いつものメンバーが次第に事件に巻き込まれていくことになる。そう、まるで蜘蛛の糸に絡め取られるように…。
 一方、目潰し魔の3番目の被害者であった山本純子は、房総半島の端に建つ聖ベルナール女学院の教師であったことから、学院の生徒たちの間でも、事件のことがささやかれていた。しかし、生徒たちにとっては願えば人を殺してくれる黒い聖母のウワサの方が、重大な関心事であった。学院の生徒たちの頂点に立つのは、織作紡織機で莫大な富を築き上げた織作家の四女である織作碧。そして、ついに呪いをかけられた学院の教師である本田幸三が絞殺体として発見される。はたして織作碧が、学院内で悪魔的儀式を行う「蜘蛛の僕」のメンバーで、事件に関係しているのか。
 その織作家は、現当主であった織作雄之介が心筋梗塞で急死したばかりで、混迷を極めていた。先々代当主の嘉右衛門の妻で90歳を越える織作五百子や雄之介の妻であった織作真佐子など、残されたのは女性ばかり。四姉妹の長女であった織作紫も前年の春に亡くなっていたことから、次女の織作茜と結婚し、聖ベルナール女学院の理事長をつとめる織作是亮が当主となると思われていたが、あまりにも当主として相応しくないということで見送られていた。それなら次の三女の織作葵に婿養子となるところだが、葵は革新的な男女同権論者で、とても結婚など望めそうになかった。そんな織作家の人々や、学院の教師や生徒、目潰し魔に絞殺魔など、多くの人が動き回る糸の中心で蜘蛛は、エサがかかるのを待っている。果たして蜘蛛は一体誰なのか。
 今回の事件では、たまたま千葉まで釣りに来ていた伊佐間一成、伊佐間に呼ばれて骨董品の鑑定のために足を運んできた古物商の今川雅澄、平野祐吉を診察していた精神科医の降幡修など、妖怪シリーズの脇役が総登場するサービス振りもファンにはうれしい限りである。ただし肝心の小説家の関口巽先生だけは、ほとんど出番が無いのだが…。
作品のツボ→前回の鉄鼠の檻の事件で刑事として現場で動き回った神奈川県警の益田龍一が、自分には刑事は向いていないと考え、榎木津事務所の門を叩いて、探偵助手に納まってしまったのだが、まさかその後、榎木津にあんなヒドイ扱いを受けることになろうとは。
水車館の殺人
綾辻行人 講談社文庫

 綾辻行人による館シリーズ第2弾十角館と同じく建築家の中村青司によって建てられた水車館。4つの円筒の部屋とそれを結ぶ回廊によって構成され、その内部には中庭を抱く長方形の建物である水車館。岡山に建てられた、この水車館の最大の特徴は、建物の西側で回転を続ける巨大な3連水車である。
 こんな奇妙な建築を中村青司に依頼したのは、幻想的な作品を世に多く残した画家の藤沼一成。彼はすでに故人となっており、館の主人は彼の一人息子である藤沼紀一となっていた。紀一は不幸な事故から車椅子を使うようになり、顔をゴムの仮面で隠して生活していた。そして、紀一の美しい妻である藤沼由里絵は、一成が残した多くの美しい絵画とともに、水車館に閉じ込められていた。そうした美しいものを一人占めしていることに対して後ろめたさを覚えてか、藤沼紀一は年に1度、父親の命日に藤沼一成の絵の信奉者たちを館に招待していた。招待客は美術商の大石源造、大学教授の森滋彦、医師の三田村則之、住職の古河恒仁の4人。彼らは一成の幻の作品と呼ばれ、館のどこかに隠されている「幻影群像」を、いつか見ることを夢見て集まってくる。そして館には、もう一人、かつての一成の弟子で放浪生活を送っていた正木慎吾も生活していた。
 そして1985年に事件は発生する。家政婦の根岸文江が館の塔から墜落死を遂げ、正木慎吾と思われる焼死体が焼却炉から発見され、古河恒仁が行方をくらましてしまったのである。そして、1年後の1986年に事件の関係者が再び水車館に集まってきた。作品は1985年の過去の事件と1986年の現在の事件が交互に書かかれるという構成を取っている。過去と現在はどんな形でつながるのか、その果てにはどのような真相が待っているのか。館シリーズの中では、もっともストレートな本格ミステリーとなっている作品と言えるかもしれない水車館だが、中村青司が建てた建築物で一番すんでみたいのが、この水車館である。
作品のツボ→この作品でも探偵役を務めるのは、十角館の殺人で中村青司の建築物に興味を持つようになった島田潔。寺の息子でもある島田は、偶然にも住職の古河恒仁との知り合いであったことから、またもや事件に首を突っ込むことになる。
数奇にして模型
森博嗣 講談社ノベルス

 犀川助教授西之園萌絵が活躍するS&Mシリーズ第9弾。俗に模型マニアと呼ばれる人間は、自らの魂を込めるように、戦車や飛行機、モビルスーツ、あるいはアニメに出てくる女性キャラのミニチュアを作り上げる。寺林高司も、そんな熱狂的な模型マニアの一人だった。寺林は那古野市公会堂で開催されるモデラーズスワップミートというイベントに出展する予定だったが、その前日、何者かに襲われ、目が覚めると密室の中で、女性の首無し死体と一緒にされているというとんでもない状況に陥っていた。さらに、同じころ寺林と付き合っていた上倉裕子も密室の中で扼殺されているのを発見されるが、カギを持っているのは寺林だけという状況で、寺林は一気に二つの殺人事件の容疑者となってしまう。
 犀川と喜多北斗は中学・高校と同じ学校に通った友人である。大御坊安朋も、かつて二人の友人であったが、長年に渡り交流が途絶えていた。しかし、模型という趣味が再び彼らを結び付けることになる。大御坊安朋は模型マニアでありながら、女性的な一面を持つかなり珍妙な人物。しかも、この大御坊が萌絵の親戚ということもあって、主要人物たちが揃いも揃って事件に巻き込まれていくことになる。
 森博嗣先生は鉄道模型と模型飛行機を趣味に持っていて、ミステリを書くこと以上に、そちら方面に重点が置かれているぐらいである。その部分の趣味の要素が作品に反映されるとともに、模型マニアと呼ばれる面々が数多く登場するために、シリーズの中でも一風変わった雰囲気を醸し出している。しかも、そこで描かれる殺人は、密室での首無し死体という古典的なミステリのシチュエーション。模型マニアと首無し死体というアンバランスを、作中で見事に調和させているが、いかにも森ミステリらしい首無し殺人となっている。
作品のツボ→この作品のツボと言えば、萌絵のコスプレになってしまうのだが、それを明言するのは、萌絵に萌えという感じで、いささか恥ずかしさを禁じえない。
すべてがFになる
森博嗣 講談社ノベルス

 森博嗣のデビュー作にして、第1回メフィスト賞受賞作。もっとも森氏がメフィスト賞に応募したわけではなく、講談社がメフィスト賞を作ろうと決めた時に、編集部に送られていた、この作品を第1回の受賞作にしようと決めたといういきさつがある。
 N大学助教授で探偵役となる犀川創平と、美人で天才の令嬢ではあるが、どこか普通の人とはずれている西之園萌絵が事件に巻き込まれるS&Mシリーズ第1弾。本来、このすべてがFになるはシリーズ第4作?だったのだが、編集者のこの作品を第1作にという意見で順番が入れ替わった。
 孤島の研究所での密室殺人というシチュエーションや、ロボットが登場する異色な設定は、読者の目を引きつけるのに向いていたのであろう。一般に森博嗣のミステリーは理数系ミステリーと呼ばれているが、その所以は作中にパソコン関連の用語が多く出てくることや、算数パズルなどが挿入されることなどに由来する。この作品でも15年前に一人の少女が入ったきり開かないようにプログラムされた密室が、再び開いた時には殺された女性とロボットがいるだけだったという奇想天外な設定で、恐るべし理数系ミステリーと、うならせてくれる。
 ちなみに、シリーズ最大の天才にして最高に魅力的なキャラクターである真賀田四季博士。彼女の存在と思考法だけでも、この作品は一読の価値有り。それにしても登場人物表にロボットの名前があるというのは、やはり異色作の証拠なのでしょうな。
作品のツボ→昔のファミコンのRPGゲームは、何で持てるお金の最大値が65535だったのでしょうか。少しはこの作品の謎を解くヒントになるかな…。
世界の終わり、あるいは始まり
歌野晶午 角川書店

 2001年3月26日、埼玉県入間市で小学校2年生の江幡真吾くんが誘拐されるという事件が発生する。奇妙なことに身代金は200万円という誘拐事件にしては小額なものだったが、現金が入った包みを拾った浮浪者を逮捕してしまったことから身代金の受け渡しは失敗する。その後、真吾くんは心臓を銃で撃たれた姿として発見されるが、殺されたのは誘拐直後で身代金の受け渡しより前だったことが判明する。しかし、悲劇はこれだけでは終わらず、4月25日には埼玉県飯能市で小学校2年生の馬場雅也くんが、5月23日には埼玉県狭山市で小学1年生の赤羽聡くんが、6月20日には東京都東村山市で小学1年生の尾嵜豪太くんが誘拐され、全て銃殺された死体となって発見される。いずれの事件も身代金が小額であることと、誘拐直後に撃ち殺されているという共通点はあったものの、被害者の子供たちをつなぐ接点は見つからなかった。
 しかし、どれだけ悲劇が繰り返されようと、所詮は他人事で自分のささやかな平和をおびやかすものではない。埼玉県入間市に住み東京板橋区の食品加工会社に通う富樫修も、最初の犠牲者である江幡真吾が同じ町内に住み、息子の雄介と交流はあったものの、自分には関係の無い世界の出来事だと冷めた目で事件を眺めていた。彼にとっては妻の秀美と息子の小学6年生になる雄介、そして小学1年生の娘の菜穂の平和が守られていれば、それで良いと考えていた。しかし、息子の雄介の部屋から被害者の4人の父親の名刺が出てきたことから、彼の世界は一変する。まだ小学6年生の雄介は4人の子供を殺した連続誘拐犯なのか。真相を求めて彼の頭は混乱の渦へと落ちていく。
 本書の最大の特徴は普通のミステリーとは、かなり異なる物語の構成の仕方にある。自分が望む世界を何度も作り上げながらも、その世界が完璧なものでないゆえに、何度も世界は破壊され続けなければならない。息子と真正面から向かい合うことを恐れるがゆえに、彼の頭の中で何度も世界は滅亡を繰り返す。自分が望む真相が待っていてくれる世界は本当に存在するのだろうか。ミステリーの結末というのは、読者が待ち望む世界が描かれているに過ぎない。しかし、それ以外の真相など幾つでも存在するのではないかということを考えさせてくれる珠玉の一冊となっている。
作品のツボ→事件の舞台となる世界で子供たちの間で(というか大人の間でも)大流行しているのが、マイティ・マジック・マイスターズ、通称M3カードと呼ばれるカードゲーム。表にはアニメキャラの絵が印刷され、裏にはキャラクターの名前や特徴が書かれ、5枚入りパックが200円で売られているなど、明らかに当時流行していた遊戯王カードが元になっていると思われる。
卒業 雪月花殺人ゲーム
東野圭吾 講談社文庫

 T大学に通う相原沙都子金井波香牧村祥子伊沢華江加賀恭一郎藤堂正彦若生勇の7人は高校時代からの知り合いの仲の良いグループだった。この7人のうち牧村と藤堂、伊沢と若生はそれぞれカップルで、物語の語り手である沙都子も加賀から急な交際を申込まれるという状況にあった。大学では剣道やテニスに汗を流し、青春していた彼らだが、卒業を目前にして就職問題にぶつかり大なり小なり頭を悩ませることになる。
 そんな中、牧村祥子が下宿のアパートで手首を切って死体となって発見される。当初はアパートへの出入りが自由に出来ないことから自殺と見られていたが、事件の当夜、死んだはずの祥子の部屋の明かりがついたり消えていたりしたことから他殺説が浮上してくる。自殺か他殺か、自殺としたら原因は何か、他殺としたら犯人は誰で、出入り不可能なアパートにどうやって入ったのか、沙都子たちは思いをめぐらすことになる。しかし、そんな最中に高校時代の恩師である南沢先生の家で開かれたお茶会の席で、第二の事件が発生してしまう。互いのことなら何でも知っていると思っていたはずの友人たちの間には、隠されていた心の闇が存在したのか。沙都子は友人達を信じながらも、疑念を払拭するために真相を探ろうとする。
 実際の探偵役となるのは、沙都子に交際を申込んでいる加賀恭一郎。父親を刑事に持ち、剣道の腕前も優れている彼は胸に熱い正義感を持っている。親友が事件の被害者であり、加害者かもしれないという状況でありながら、かなり冷静にそして熱く事件解決に挑んでいく。
作品のツボ→第2の事件であるお茶会の雪月花之式のルールこそ、この事件の最大の焦点となっている。出席者が札を引いて、花の札を引いた者がお茶を立て、月を引いた者がお茶を飲み、雪を引いた者が菓子を食べる。実際の茶道にあるルールだが、このルールの中で、どうやって望んだ相手に毒を飲ませることが出来るかがポイントになっている。
『た行』

探偵伯爵と僕
森博嗣 講談社

 ミステリーランドの配本作品として書かれたものだが、主人公の子どもが夏休みに遭遇した事件を、日記に残すという形式で綴られている。物語の記述者である馬場新太くんの身の回りで、子どもの連続消失事件が発生するが、そんな時、探偵伯爵と名乗る不思議な人物と出会う。馬場君が付けていたワッペンの落とし場所を見事な推理であてる探偵伯爵だが、全身黒づくめの服装で公園のブランコに乗っている姿は、誰よりもお前が怪しいという気がしないでもない。その探偵伯爵や探偵秘書のチャフラフスカさんとともに、馬場君は事件の真相を探ることになる。果たして、いなくなった子どもの傍に残されたトランプのAのカードは、何を意味するのか。
 事件の本編の流れもさりとてながら、多少の脱線しながら展開される森博司独特の言葉の言い回しがおもしろい。馬場君と探偵伯爵の間で、やり取りされる密室物などの推理クイズも良いが、最も難問なのは昆虫採集は平気でも同じ事を犬や猫にするのは可哀想なのは何故かという問題である。実は作品の中に、神戸の児童殺害事件や大阪の小学校乱入事件を想像させるものがあって、考えさせられる部分もあるのだが、深読みすれば、どうして小さな命を奪うことができるのかという問題を提起しているように考えられる。
作品のツボ→明確に作中で語られることの無かった事件の本当の動機が理解できた時に、少し暗澹たる気持ちになると同時に、人が死んでいながら、それを楽しい読み物にしているミステリーが、小説として不思議なジャンルでパズル化させることで残虐性を排除しているということを改めて思い知らされる。
沈黙者
折原一 文春文庫

 冤罪者失踪者誘拐者と続く折原一の○○者シリーズの第4弾。冤罪者と失踪者に登場したノンフィクションライターの五十嵐友也は本作にも登場し、事件の概要を追いかけている。事件の舞台は失踪者と同じく埼玉県久喜市となるが、五十嵐によると、事件の衝撃度、結末の意外性からして今回の事件の方が数段上のような気がするということである。
 新聞配達員の立花洋輔は田沼家に新聞を配達した際に妙な違和感を覚えた。後で分かったことだが、妙な違和感とはおびただしいほど流された血の臭いからくるもので、立花が踏み込んだ田沼家では、祖父の田沼竜之介、祖母の田沼房子、父親の田沼繁、母親の田沼光恵の4人が殺害され、孫娘で女子大生の田沼ありさだけが凄惨な殺害現場に取り残されていた。そして17歳で高校2年生の田沼省平だけが行方不明となっていた。これは少年による一家連続殺人事件なのか、それとも少年は犯人に連れ去られただけなのか。少年の行方が分からず混迷する中、事件発生から10日後、立花は再び新聞配達中に老夫婦の変死体を発見する。2つの事件はどのように関連するのか、事件の解決が見えてこない状態で警察は少年を探し続ける。
 この殺人事件と並行して書かれていくのが、タイトルにもなっている通り、沈黙し続ける少年の物語。池袋の大型雑貨店で万引きを咎められた少年は、名前も住所も何も答えようとせず、頑なに沈黙を守り続けた。身分を示すものはポケットに入っていた久喜から乗ったことを示す切符だけ。もちろん万引きぐらいなら、すぐに釈放されてもおかしくないが、どこの誰かも分からない状態では簡単に釈放するわけにはいかない。しかも逃亡しようとして警備員に軽傷を負わせていたため、強盗致傷の罪が問われることになってしまった。少年は検事にも弁護士にも沈黙を続け、被告人39番と名付けられたまま、裁判になっても自分の正体を明かそうとしなかった。
 沈黙者だけに自分の素性を全く明かさない登場人物が1名いるので、彼の正体が何者かということで読者は頭を悩ませることになる。折原一の中でも一晩のうちに一家が惨殺される事件が描かれるのは珍しいが、どれほど暗い情熱が犯人を、ここまで突き動かしたのか、全ての謎は沈黙者の素性が明らかになる時に判明する。それと、やはり見所となるのは沈黙を続ける少年が、拘置所の中で次第に苦境に陥っていく様子で、自分の名前を言うだけで解放されるのに、そこまでして素性を隠す必要があるのかと実にヤキモキさせられる。
作品のツボ→沈黙者がハードカバーで発売された際に、佐野洋が幾ら黙秘したといっても万引きぐらいで懲役をくらうことがあるのだろうかという疑問を小説推理誌上で投げかけたが、それに対して実際の事件をもとに書かれたものだという返事が折原氏からあったことが再び小説推理で紹介された。これらは全て文庫版の巻末に収録されている。
冷たい密室と博士たち
森博嗣 講談社ノベルス

 出版事情で、シリーズ2作目となったが、本来ならばこの作品が森博嗣のデビュー作となるはずだった。そうやって意識して読み返して見ると、冒頭の主人公の犀川創平の登場場面など、いかにも主人公が初登場した場面といった感じがある。結局、密室ミステリーであるすべてがFになるに先を譲った形になったが、こちらの作品もタイトルを見れば分かるように密室物である。その密室とは、まさに冷たい密室なのである。極地と同じ環境を作り出すために作られた大学の研究室。低温を維持するために作られた研究室は、鉄壁の密室を生み出すことが可能だったのである。
 もともとヒロインの西之園萌絵は、ミステリー好きで事件に首を突っ込みたがる性癖があるのだが、この後の作品に比べると、冷たい密室と博士たちではミーハーに事件に関わって、自分なりの推理論を展開し、事件に関わった人や手がかりを一覧にしてまとめたりもしている。そして、それが禍して、凍死しかけるというシリーズ最大の大ピンチを、早くも迎えることになる。シリーズ後半に比べると、この頃の彼女には幼さが見受けられる(もっとも彼女は、永遠に子どものような部分が残るのだが…)。それに引き換え犀川先生は、終始一貫して、この調子であった。
 森ミステリーには、かなり常識外ともいえる天才的な怪人物が登場するのが特徴だが、この作品に登場する人たちは、比較的普通の人に近い、教授や学生たちばかり。その普通の人の中に潜む狂気が、かえって恐ろしかったりする。森ミステリーは理系ミステリーと呼ばれるが、メールアカウントが事件の重要なキーワードとなる、この作品はその色合いが強く表れている。
 しかし、この作品を通じてパソコンを、暖房器具がわりにするというアイディアを知りました。
作品のツボ→最も驚愕すべき出来事は、殺人事件でも萌絵が死にかけたことでもなく、国枝桃子助手が結婚するということなのであろう。
鉄鼠の檻
京極夏彦 講談社

 妖怪シリーズ第4弾。今回、関口巽らが巻き込まれたのは、昭和28年の初頭に箱根山中で起こった僧侶連続殺人事件。お寺が舞台となっているだけあって全編を通して禅問答のような難解な話が展開される。榎木津の軍隊時代の部下であった今川雅澄が、箱根の宿である仙石楼で知り合ったのは、姑獲鳥の夏の事件で舞台となった久遠寺医院の院長である久遠寺嘉親であった。古物商である今川が箱根に来た目的は、小坂了稔という僧侶から明彗寺にある掘り出し物を売りたいという依頼を受けたからだった。しかし、その明彗寺という寺は京極堂ですら知らないといういわく付きの寺であった(京極堂は日本中の寺社仏閣を把握している)。
 そして、箱根に湯治にやってきた京極堂と関口巽、取材でやってきた京極堂の妹の中禅寺敦子と、カメラマンの鳥口守彦。そして、話をややこしくするためだけにやってきた探偵の榎木津礼二郎。彼ら一同を巻き込んで寺の僧侶たちが次々と奇怪な殺され方を遂げて行く。ただでさえ、ややこしい話なのに、登場人物の大半が僧侶なので、気楽に読み流していると誰が誰やら分からなくなってくる。その複雑怪奇なストーリーを代表するように登場するのが十牛図。修行して悟りをひらくまでを、逃げた牛を掴まえることに見立てた十枚の絵。これを見ていると、一瞬でも悟りとは何か分かったような錯覚に陥る。
 鉄鼠とは、比叡山に恨みを持つあまりに僧侶の頼豪阿闍梨が変化した妖怪。経典を食い尽くした妖怪を代表するように仏教の業の深さが、作品に込められている。明彗寺には、あらゆる宗派の僧侶が集められているが、彼らが互いの思惑の中で動き回る中、本物の妖怪のように出没するのが永遠の童女である。この鈴という少女はシリーズに登場するキャラクターの中でも、最も謎に満ちている。ちなみに。この作品では箱根山の描写が、随分リアルに書かれているのだが、京極夏彦が執筆のためのロケをほとんど行わないと聞いて、よくこれだけのものが書けたものだと感心したものである。
作品のツボ→この事件を捜査する警察陣の一員として、益田が初登場するのだが、その後、榎木津の魅力に惹かれて弟子になったばかりに、今ではすっかりカマオロカ扱いである。
天国は遠すぎる
土屋隆夫 光文社文庫

 長野県警の久野大作刑事は、姪の結婚式を返上して法善町で発見された女性の変死体の調査に乗り出すことになる。下宿先で青酸カリを飲んで死亡した砂上彩子は一見して自殺としか思えない状況だったが、久野刑事は買ったばかりの4個のボタンが気になって仕方が無かった。彩子が残した遺書に偶然にも久野様へという名前が書かれていたことから、事件に関わることになった久野刑事だが、それが久野の長い刑事生活の中でも最も頭を悩ますことになる難事件のはじまりになるとは、この時には思いもよらなかったのだ。
 彩子の死に不審を抱いた久野刑事は調査に乗り出すが、事件は警察上層部を巻き込んだ不正事件にまで発展する。その中で、一人の容疑者が浮上してくるが、彼には犯行時にストリップを覗いていたという鉄壁なアリバイを所持していた。さらに、汚職に関わっていた深見浩一の絞殺死体も発見されるが、この第2の事件でも容疑者は犯行現場から自動車で往復して2時間かかる場所にいたというアリバイがあった。久野刑事は2つの連続した事件の謎を解くため、容疑者が持つ2つのアリバイを崩すため奔走する。
 光文社文庫の新装版には表題作である長編の他に、「二枚の百円冊」「孤独な殺人者」「奇妙な再会」「肌の告白」の4つの短編を収録。推理小説としてのおもしろさと、文学としてのおもしろさの合一を目指したと、作者が解説に書いている通り、事件と関わった人間の心理描写が秀逸でおもしろい。そこには殺人という手段をとるしか逃げ場が残されていなかった、弱き者の姿が描き出されているように思う。また、エッセイ3編も合わせて収録されているので、そちらもぜひ一読の程を。
作品のツボ→「天国は遠すぎる」とは東京の公園で自殺した女性が残した自作の詩。この詩に曲をつけてブルースの女王である秋谷由利子が歌ったところ大ヒットになったのは良いが、この歌を聞いた人の中から自殺者が出たことから死を呼ぶ歌と呼ばれるようになる。砂上彩子の遺書にも、天国は遠すぎるの歌詞が書かれていたため、当初は自殺として処理されそうになる。なお元ネタになったのは昭和11年に淡谷のり子が歌った「暗い日曜日」で、ハンガリーでは原曲を聞いた人が何十人も自殺したという都市伝説が残っている。
天井裏の散歩者−幸福荘殺人日記−
折原一 角川文庫

 東京練馬区の東武東上線と西武池袋線の中間に位置する幸福荘推理小説家の小宮山泰三が住んでいることから、小説家を目指す者や編集者などが押し寄せ、漫画界でいうところのトキワ荘のような状況となっていた。しかし、トキワ荘が素晴らしい漫画を生み出していったのに対し、幸福荘が生み出したのは、ちょっと風変わりな殺人事件だった。幸福荘の1階には101号室から106号室、2階には201号室から206号室まであり、101号室には管理人の角川、102号室には幸福荘の核となる小宮山泰三、103号室には小宮山の家族、104号室には公務員夫婦、105号室には小宮山の仕事を管理する編集者の久保田健太郎、106号室には沢口姉妹が住んでいるが、問題は2階の住人たちである。202号室に住むアイドルのような風貌を持つ女流作家の南野はるかの存在が、様々な事件を引き起こすきっかけとなるのである。
 本作は<文書1>不完全な密室、<文書2>あなたの密室、<文書3>最高の結末、<文書4>心の旅路、<文書5>函の神様、<文書6>永遠のアイドル、<文書7>ハッピーエンドの全7章からなるが、それぞれ何者かによってワープロで書かれた文章という形となっている。折原一が得意とする現実と虚構を入れ混ぜる手法なのだが、どこまでが現実に起きた事件で、どこまでが創作されたものかが分からなくなるように仕掛けられている。文章1から文章7まで、それぞれが短編小説のようにもなっており、個々の作品として楽しむこともできるが、その文章を記録したフロッピーが人の手から手へ渡っていくうちに、文章が書き足されていき、一つの小説に仕上がっていく。アパートの住人も次から次へと変わっていく中で、結末を誰が書くことになるか最後まで目を離せない。
 基本的に小説家志望の人間が多いことから、住民の傾向はオタクな方向に偏っている。古本市で誰よりも早くねらった本を手に入れようとする様子や、部屋に本が山のように積み上げられている様子などは他人事とは思えない。なお、小宮山先生宛に送られてくる小説は「薔薇の密室」「赤蛇御殿の怪事件」「三重螺旋密室」「本陣館の惨劇」「水晶屋敷の秘密」など、何となくどこかでみたような小説のタイトルとなっている。
作品のツボ→本作は東京創元社や講談社を中心に活躍してきた折原一が、93年12月に初めて角川書店から出したミステリー。それを利用したちょっとしたお遊びもあり、あとがきまで楽しめる作品となっている。なお、続編にあたる「幸福荘の秘密 新・天井裏の散歩者」では、新たに生まれ変わった第二幸福荘が登場。本作に登場した宅隆一郎が入居したことにより、新たな事件が引き起こされることになる。
天井男の奇想−倒錯のオブジェ−
折原一 文春文庫

 偶然に発見した密室殺人の現場。その瞬間から彼女は密室の魅力に取り付かれ、その密室の謎を解くために全ての情熱を捧げることになる。飯塚時子は自分の家の屋根裏に天井男なる者が潜んでいると思い込んでいる。天井男は天井裏から時子の様子を眺め、時には毒をたらして命をも奪おうとする。どう考えても老女の妄想としか思えないのだが、実際に天井男が存在することが次第に読者にも分かってくる。天井男はいったい何者なのか。そして、天井男は何のために天井裏に潜み続けるのか。
 飯塚時子が住んでいる家は2階建てで天井男が潜んでいるのは1階と2階の中間部分にあたる。物語は1階の飯塚時子のパートと、時子が部屋を貸している2階の白瀬直美のパートに分かれて綴られていく。2階に住む直美は亭主の暴力から逃げ出して、保証人が無くても住まわせてもらえる時子のアパートに転がり込んでいたのだ。1階の時子から見れば天井裏を徘徊する天井男だが、2階の直美からは床下をうごめく床下男となる。異常としか思えない1階の時子の行動、いつ現れるか分からない亭主に怯え続ける2階の直美。その2人の間でうごめき続ける天井男。誰が異常で誰が正常なのか、どこまでが妄想で、どこまでが現実なのか。1階の時子のもとを訪れるうちに2階の直美に心引かれていく区役所の小野寺伸介、探偵まで雇って行方を突き止めようとする直美の夫、何人もの思いが錯綜して最後のスペクタルに向かって突き進んでいく。
作品のツボ→貧乏暮らしを続けている時子だが、実は東十条に幾つもの土地を持っており、直美の友人である竹田光恵が住んでいるメゾン・サンライズも時子が管理する物件の一つ。このアパートは倒錯の帰結など、折原氏の倒錯シリーズの舞台となったアパートでもあり、管理人の田宮も登場している。そういう意味では本作は倒錯シリーズの番外編とも言える作品となっている。
点と線
松本清張 新潮文庫

 1月21日の早朝、鹿児島本線の香椎駅から程近い海岸で男女の心中と思われる死体が発見される。二人は青酸カリを飲んで死亡していたが、所持品から男性は中央官庁に勤める佐山憲一、女性は赤坂の料亭に勤めるお時ということが判明する。この死んだ佐山という男が問題で、捜査中だった汚職事件のカギを握る人物とされていた。その取調べを苦にしての自殺かと思われたが、彼の死により事件の全貌をつかむ道が閉ざされてしまったのだ。そして、事件は単なる心中として処理されそうになるが、福岡署の鳥飼重太郎刑事が事件に疑問を持ち始めたことから、完全犯罪の糸はほころんでいくことになる。そもそも疑問を持ったきっかけというのが、特急あさかぜの食堂車で佐山が一人で食事をとったということにある。同じ列車で九州に向かっておきながら、女性が食事に付き合わなかったという点がどうしても納得いかなかったのである。
 鳥飼刑事の疑念は警視庁捜査二課の三原紀一警部補に伝わり、本格的な捜査が開始されるが、佐山とお時が一緒にあさかぜに乗り込むところは、同じ料亭ではたらく女中たちによって目撃されていた。しかし、東京駅の13番線にいた女中たちから15番線にいた二人を見ることができたという偶然が気にかかり、調べてみたところ4分間だけホームに列車が入ってない時間が存在することが明らかとなる。しかし、その4分間で偶然に乗車するところを目撃するのは、あまりにも出来すぎた話ではないのか。そこから、三原警部補の疑いの目は女中たちを東京駅に連れ出した機械工具商の安田辰郎に向けられることになる。
 こうして安田が仕込んだ偽装心中を暴くために刑事が奔走することになるのだが、安田のアリバイは二重三重に固められていた。二人が九州で死んだ日には安田は北海道に出張していたのだ。日本の北と南で大きく離れたところで事件は動き始めるが、安田が北海道にいたという証拠はあまりにも完璧で、三原警部補の捜査を阻むことになる。九州で起きた事件を北海道にいた安田が関与できるのか、何としてでも突き止めようとする三原の執念もすさまじいが、一つのアリバイを崩したと思ったら、また次の壁を用意している安田の用意周到さもすごいものがある。しかし、それ以上に恐ろしいのは安田に時刻表のトリックを気付かせた影の犯人の思慮深さであると言える。本格ミステリーではないので名探偵は登場しないが、日本中を飛びまわりながら犯人が用意した仕掛けを一つずつ崩していく過程が読者の目を引き付けるものとなっている。
作品のツボ→この点と線が発表されたのは昭和33年のこと。もはや戦後は遠くなりながらも、交通が発達した現代とは大きな違いがある。本作のトリックも昭和33年という時代だからこそ生きてくるものであり、それより前の時代なら不可能となるし、それを過ぎて高度経済成長以降となるとトリックに意外性が無くなってしまう。そんな日本が急成長を遂げようとする直前の時代だからこそ起きた事件でもあり、そうした時代の中でトリックを駆使してもがき続けた安田も被害者と言えるのかも知れない。
倒錯の帰結
折原一 講談社文庫

 折原氏がデビュー直後に書いた「倒錯の死角」「倒錯のロンド」に続く倒錯三部作の完結編にあたる作品。前2作が1988年、89年に発行されたのに対し、本作だけが遅れて2000年発行となっている。前2作同様に東京の東十条のアパートの住人を中心に物語が進み、シリーズを通した共通の登場人物も存在する。ただし、作者が書いているように、前2作を読んでなくて本作から読み始めても特に問題はない。
 そして、本作の最大の特徴は一冊の本が前からも後ろからも読めるようになっていることにある。普通に前から読み始めると「首吊り島」というミステリーが始まり、本を引っくり返して後ろから読むと「監禁者」というミステリーが始まるようになっている。そして、2つのミステリーがぶつかる中央部分が袋とじになっており、この袋とじを読むことで全ての真相が明かされることになる。なお、「首吊り島」と「監禁者」のどちらから読み始めても構わないが、作者は普通に「首吊り島」から読むことを勧めている。
 「首吊り島」の方は東京のアパートに監禁されていたミステリー作家の山本安雄が、助け出してくれた清水真弓と名乗る女性とともに首吊り島に渡り、そこで遭遇する連続密室殺人事件について書かれている。どこか横溝正史の獄門島を連想させる事件で、連続殺人に巻き込まれるのは網本の新見家に住む雪代、月代、花代の3姉妹。島に伝わるわらべ歌になぞらえるように起こる殺人事件を、名探偵でもない山本は解決することができるのか。
 「監禁者」の方は東京のアパートで監禁されて無理やりにミステリーを書かされることになった山本安雄の物語り。熱狂的なファンにより執筆を強制されるというのは、ご存知のようにスティーブン・キングの「ミザリー」が元になっていると思われる。このアパートの住人たちが、倒錯の死角や倒錯のロンドを読んでいる人にとってはお馴染みの面々で、古くからの折原ファンにとっては久しぶりの邂逅となった。アパートの203号室の住人であった山本は102号室に閉じ込められることになったが、自分を閉じ込めた女性が満足してくれるミステリー書くまで出してくれそうに無い。202号室の戸塚健一は大音量で音楽を聞いて気づいてくれそうにないし、103号室に住む管理人の田宮は偏屈で住人が何をしようとお構いなしである。101号室には誰が住んでいるか分からないし、唯一の救いは201号室の清水が異常事態に気づき始めていることである。果たして山本は無事に部屋から脱出することができるのか。なお、監禁者というタイトルは折原氏の冤罪者失踪者誘拐者といった一連の作品を彷彿させる。
作品のツボ→部屋に監禁されている山本は作者の分身といっても良い存在だが、江戸川乱歩賞やサントリーミステリー大賞に落選したことを口惜しく思っている。暗闇の教室の原稿を編集部に送る寸前で監禁された山本だが、叙述ミステリーばかりでなくデビュー作のような密室物に挑戦しろと強制されるところが悲しい。叙述トリックも最初の頃は良かったけれど、手を替え、品を替えで、もううんざりというのが自虐的である。
透明人間の納屋
島田荘司 講談社

 かつての子ども向けミステリーを彷彿とさせる装丁で作られたミステリーランドの第1回配本作品。子ども向けミステリーの様相を呈しているのは、装丁とルビ入りで大きく組まれた文字組みぐらいで、内容はしっかりとした大人向けのミステリーとなっている。それでも、島田荘司は、かつて子どもであった大人のためのミステリーを意識してか、主人公を小学3年生の少年にすえている。ちなみに、1977年当時で小学3年ということは、自分と同じ学年というわけで、そういう意味でも感情移入しやすい作品であった。
 主人公の少年は早くに父親を失い、母親との二人暮し。そんな少年の心の支えになっていたのは、主人公の家の隣で印刷所を営む真鍋さんだった。真鍋さんは星の動きから、水平線までの距離まで、幼い少年に対して親身になって何でも教えてくれた。しかし、そんなやさしい真鍋さんが、納屋に隠してある液体にだけは、どうしても触れさせてくれなかった。それは、人を透明人間にしてしまう液体で、とても危険なものだというのだ。そんな、ある日、少年の住む町のホテルから、真鍋さんの妹である真由美が突如として姿を消すという事件が発生する。ホテルの部屋は従業員によって見張られていて、人が抜け出すことなどできないはずだったのに…。人間焼失の秘密と透明人間になる薬とは何かつながりがあるのか…
 作品の大半は少年の視点によって語られるが、それだけだと事件の全貌がつかみにくくなるので、事件を取材した小説家の松下謙三の報告をはさむことによって、客観的にどのような事件が起こったのかが、分かりやすくまとめられている。この時代だからこそ起こった事件を2003年になった今、物語の主人公である少年とともに振り返ってみるのもおもしろい。
作品のツボ→少年期の孤独な心や、その後の大人になった時の変化など、改めて島田荘司は、そのへんの書き方がうまいと感じさせる作品。少年と20歳以上も年が離れた真鍋さんの間に、生まれる友情のようなものには考えさせられるものがある。
時計館の殺人
綾辻行人 講談社

 館シリーズ第5弾にして、綾辻氏にしては珍しく大長編の作品である。中村青司が建築した館の中でも、時計の文字盤と振り子をデザインしたという最も異彩を放つ外見を持つ時計館。十角館の殺人で探偵役の島田潔と関わった江南孝明も久しぶりに登場。彼はいまや稀譚社の編集社員となり、彼が担当するオカルト雑誌「CHAOS」の取材のために鎌倉にある時計館に趣き事件に巻き込まれることになる。
 時計館には幽霊が出るという噂が有り、そのために取材として江南ら稀譚社のものと、瓜生民佐男を会長とするW**大学超常現象研究会のメンバーが、霊能者の光明寺美琴を使って降霊術を行うために時計館に乗り込むことになる。時計館の主は、まだ16歳の古我由希弥。なお彼は後に綾辻氏が監修したRPGのYAKATAで主人公のモデルとなる人物である。果たして幽霊の正体は10年前に14歳の若さで亡くなった由希弥の姉の古我永遠なのか…
 外見が時計の形をしているだけでなく、内部には108個もの時計が時を刻み続けている。何だか住んでいると気が変になりそうな建物だが、取材のために訪れたメンバーは、時計館の内部に3日間も閉じ込めることになる。しかし、閉じ込められている間に、メンバーは次々と殺害されていく。一体何者が何の目的で殺人を行って行くのか…。時計館の殺人が発行されたのは91年のこと。その時には発売を記念して、神保町で綾辻行人のサイン会が行われた。実は、そのサイン会に足を運んだのだが、それから10年以上もたっていると思うと実に感慨深いものがある。
作品のツボ→東京に出てきた島田潔が住んでいる部屋が409号室というのが、後に綾辻氏が409号室の患者という作品を書くことを考えると興味深い。
どちらかが彼女を殺した
東野圭吾 講談社文庫

 愛知県豊橋署の刑事である和泉康正の元に妹の園子から電話がかかってきたが、「あたしが死んだら…きっと一番良いんだろうと思う」と語る園子は何か悩みを抱えているようだった。そんな妹を心配して上京した康正が見たのは、胸に電流を流して死んでいる園子の死体だった。自殺としか思えないような状態だったが、刑事である康正の目は部屋に残る不審な証拠を見逃さなかった。そこから康正の園子を死においやった犯人への復讐が始まったのである。
 大概のミステリーの場合、多くの容疑者の中から犯人を推理していくことになるが、この作品で容疑者となるのは、園子の恋人であった佃潤一親友の弓場佳代子の2人だけ。男と女のどちらかが彼女を殺したと思われるのだが、その決定的な証拠をつかむことができない。さらに、犯人が先に警察に捕まってしまっては復讐が出来なくなるため、康正は殺人の証拠を隠滅しつつ犯人を捜していくという奇妙な状況が発生する。東京で事件の担当にあたった練馬署の加賀刑事は、なかなかの切れ者で殺人を隠そうとする康正の動きに目を光らせているが、加賀刑事に嘘をつきながら犯人の嘘をあばこうとする康正の行動から目が離せない。
 園子の死の真相は明確に記されることなく読者の判断に任せられるが、作者が散りばめた細かい記述まで見落とさなければ、どちらが犯人であるかは分かるはず。ちなみに、自分は分かりませんでしたが…。犯人あて以外にも、妹を亡くした康正の無念や、殺される前の園子の心理など、東野圭吾は心理的な部分の書き込みが、本当にうまいと思う。なお、続編として容疑者が3人に増えた私が彼を殺したがある。
作品のツボ→どちらが犯人かを突き止めるための記述が文庫版では改訂されているので、より難しいものになっている。ただし、西上心太氏の袋とじ解説を読めば、どちらが彼女を殺したかを突き止めるのは不可能では無いと思われる。
ドーバー4 切断
ジョイス・ポーター 創元推理文庫

 史上最低の探偵と思われるドーバー警視下品で、推理力は皆無、何かといううと腹を壊している。おそらく本人も不本意ながら何故か事件に首を突っ込む羽目になってしまうのだが、自分の勘だけに頼って適当な推理を繰り広げ、周りを混乱に落とし入れていく。
 そして事件は迷宮入りになるかと思われながら、犯人もその混乱に巻き込まれている内に自滅するかのように、何故だか事件が解決してしまう。最近では京極夏彦が妖怪研究家の多々良勝五郎を主人公に、こうした感じの短編をメフィストで書いていることを考えると、古典ながら今読んでも新鮮でおもしろい作品といえる。
 シリーズ中では、この4作目となる切断が、最高傑作と言われている。それは切断の意味を理解した時になるほどと思わずうなずいてしまう。
作品のツボ→これで、作者が女性というんだから参ったとしか言いようが無い。
ドッペルゲンガー宮 あかずの扉研究会流氷館へ
霧舎巧 講談社ノベルス

 第12回メフィスト賞受賞作にしてデビュー作。ワトソン役となる二本松翔くんが、大学に入学し、かつて推理小説研究会であったあかずの扉研究会なるサークルに入会することから物語は始まる。
 あかずの扉研究会のメンバーは翔を含め全部で6名。建築物に詳しく、どんな鍵でも開けてしまう通称ジョーマエこと大前田丈、霊感なのか超能力なのか未来の映像を見てしまう通称サキこと森咲枝、自称名探偵の通称ナルミこと鳴海雄一郎、カケルとは凸凹コンビで、いつも元気いっぱいの通称ユイこと由井広美、そして会長にして事件の解決役となる後動悟。このメンバーの個性がどれも際立っている。事件を解決するのは後動さんなのだが、鳴海だって他の推理小説なら充分に名探偵で通る推理力を誇っている。サキさんの能力が魍魎の匣などで活躍する京極夏彦が生み出した名探偵の榎木津礼二郎と似たものとすれば、彼女が最も優れた探偵なのかもしれない。一見、影が薄いように思えるジョーマエさんだって、シリーズに登場する建築物の謎を解き明かすという、おいしい役をさらっている。
 千葉県の流氷岬に建つ氷室流侃の家である流氷館に、彼女の孫娘である氷室涼香が閉じ込められているのではないかという疑いから事件の幕が開くことになる。そこに集められたメンバーが閉じ込められ一人、また一人と殺されていくという、アガサ・クリスティのそして誰もいなくなったのような展開を見せ始める。しかも、あかずの扉研究会だけでも名探偵が二人もいるのに、館に集められたのが推理サークルのメンバーであるため、探偵役が多発するという事態を引き起こしている。
 まさに本格推理小説の王道を行く作品。ミステリーマニアを満足させた上で、驚愕のラストを用意している。また、携帯電話など最新の機器を作品にうまく取り入れているのも、霧舎巧作品の特徴と言える。
作品のツボ→殺人事件の舞台となった流氷館のデザインがイカしている。これを建てた渋谷進平の建築物が、シリーズを通じてあかずの扉研究会に付きまとうことになる。
『な行』

夏のレプリカ
森博嗣 講談社

 犀川助教授西之園萌絵が活躍するS&Mシリーズ第7弾。前作の幻惑の死と使徒と対になっている作品で、幻惑が奇数章なのに対して、本作は全て偶数章で構成されている。ページをめくると、いきなり第2章となっているのは、そのためである。物語の主人公は萌絵の高校時代の友人である蓑沢杜萌。杜萌は前作で久しぶりに萌絵と再会しているが、萌絵と別れてから、すぐに今回の事件に遭遇することになる。名前も微妙に似ている萌絵と杜萌だが、秀才だった杜萌が、どんなに勉強しても萌絵にかなわなかったことが、二人のそもそもの接点だった。萌絵の方は成績の順位なんて全く気にもしていなかったというのが、彼女らしい話だが、それ以来二人は、チェスの好敵手として、友人関係を続けて行くことになる。
 萌絵と別れて実家に帰った杜萌の前に現れる仮面の誘拐犯。その時、すでに杜萌の家族は誘拐犯の仲間によって拉致された後だった。そして事件は誘拐犯の男女の死と、盲目の詩人であった杜萌の兄の消失という意外な方向に流れて行く。この作品の最も意外な部分は、親友が巻きこまれた事件にも関わらず、シリーズの主人公である萌絵が、ほとんど登場しないということである。なにしろ、この事件が起きている時には、奇術師殺人事件から目が離せず、しかも、大学の試験まで重なってしまったのだから致し方ない。7作目ともなると、こうした変則技が使えるのも、シリーズ物の強みである。
 S&Mシリーズの中でも、メンタルな部分でかなり研ぎ澄まされた部分がある作品。読後には、殺人事件の犯人やトリックのよりも、世の中には簡単に解き明かせない、不可解なことでいっぱいだと思わず感じ入ってしまう。
作品のツボ「今年の夏も大変だった。全く毎年、毎年ね……」。物語終盤での犀川先生のセリフだが、推理小説の登場人物は、定期的に殺人事件に巻き込まれるのが仕事とはいえ、2つの事件が同時進行とは、さすがに同情してしまう。
生首に聞いてみろ
法月綸太郎 講談社

 これまでに幾つもの事件を解決してきた作家の法月綸太郎は、高校時代からの友人である写真家の田代周平の写真展に足を運ぶ。その会場で偶然出会ったのが、有名な彫刻家・川島伊作の一人娘である川島江知佳だった。その江知佳の叔父である翻訳家の川島淳志と知り合いだったことから、綸太郎は奇妙な事件に巻き込まれることになる。彫刻家の伊作は人体から直接型取りした石膏像を制作することで知られていたが、顔を石膏で型取りする際にモデルが目をつぶってしまうため、どうしても目をつぶった像になってしまうことに対して限界を感じていた。しかし、自分の余命が幾ばくもないと知った伊作は娘の江知佳をモデルに、再び人体の型取りにチャレンジする。そして、石膏像は完成したものの、それで燃え尽きたかのように伊作は息絶える。結果として、娘の石膏像が遺作となったわけだが、その石膏像の首が何者かによって切断され盗まれるという事件が発生する。これは江知佳の殺害を予告するものなのか。彼女の身の周りにをストーカーするカメラマンの堂本峻の存在も気になるということで、川島淳志の依頼を受けた綸太郎は調査に乗り出すことになる。
 本作の特徴は実に丁寧に事件や登場人物の背景が描かれていることにある。川島伊作展を成功させようとする美術評論家の宇佐美彰甚、伊作のアシスタントで恋愛関係にあった国友レイカ、江知佳の母親で伊作の別れた妻である律子と、その再婚相手である歯科医の各務順一など、多くの人物に事情聴取しながら、石膏像盗難事件を追い続け、殺人事件が発生するのは物語の半分近くになってからである。こんなにのんびりした展開でいいのだろうかと、作者も不安を感じていたようだが、じっくりと物語を進めていったことで、読者は事件の舞台に入り込むことができるようになり、本作を名作となし得ている。
 作者と同名の法月綸太郎は優れた推理力を持ちながらも、名探偵と言うには不完全な部分も多い。特に本作では幾つかミスを犯しており、殺人を防げなかったことに苦悩することになる。また、写真や彫刻など芸術作品に関する論議も楽しめる一冊となっている。なお、文庫版には貴志祐介が聞き手となった著者への巻末インタビューが収録されている。本作がどういうコンセプトで書かれたかが分かるので、このインタビューもぜひ一読してほしいところだ。
作品のツボ→矢継ぎ早に次々と殺人事件が起こるような派手な作品ではないが、登場人物の思惑や行動など、緻密に書き上げた作品で、そのため読者としては本物の事件を追いかけているように、じっくりと楽しめる。物語の細部にいたるまで詳細に描写されているが、事件の舞台となった町田市周辺が、そこまで必要なのかというぐらいに綿密に描写されている。川島伊作の自宅などは、南大谷の静かな住宅街で、玉川学園前と町田の中ほど。桜並木で知られる恩田川が近くを流れていることまで書かれている。巻末インタビューでは、ここまで路線を細かく書いたのは、人々の間で誤解が生まれる過程を、電車の駅を乗り過ごすのと同じような感じで書きたかったからと語っている。
二銭銅貨
江戸川乱歩 創元推理文庫

 江戸川乱歩の記念すべきデビュー作。この作品では、日本一有名な名探偵といえる明智小五郎はまだ登場しない(明智のデビュー作はD坂の殺人事件)。泥棒が残したと思われる暗号文を解いて、大金を見つけようとするストーリー。
 改めて読むと、この知恵を絞って、何とか一儲けしてやろうという主人公にはかなり感情移入できたりする。とにかく暗号解読に対して限りなく力を注いだミステリー。もしかしたら、シャーロック・ホームズ踊る人形あたりに影響を受けたのかもしれない。
 ちなみに、あの有名な我孫子武丸が監修したゲームであるかまいたちの夜の中に出てくる暗号の中に「あの、泥棒がうらやましい」という一行が出てくるが、これは二銭銅貨の最初の出だしの一文。暗号ということで我孫子が乱歩に捧げたオマージュか…。
 もちろん二銭銅貨は戦前の作品なのだが今読んでも決して古くは無い。デビュー作ということもあって、その後の乱歩の特徴ともいえる、怪奇趣味幻想趣味は薄い(というか、ほとんど無い)のだが、乱歩作品を極めようと思う人は、最初におさえておくべき一冊。
作品のツボ→これほどオチの効いている短編推理小説というのも珍しい。あの最後の一言を読んだ瞬間には、思わずニヤリと笑ってしまう。

人形館の殺人
綾辻行人 講談社

 十角館の殺人から続く館シリーズ4作目にして、シリーズ中最大の異色作。物語の主人公となる飛龍想一は、彫刻家の飛龍高洋を父に持つ青年。彼が育ての母である沙和子とともに実家である京都に佇む人形屋敷を訪れたことから事件の幕が開く。この人形館は他の館シリーズに登場する館とは、また一風変わっており、見たところはは普通の日本家屋だが、屋敷のいたる所に飛龍高洋が制作した腕や胴が欠けている異形の人形が置かれている。しかも現在、その一部は緑影荘というアパートとなり、部屋を借りて住んでいる者さえいる。
 緑影荘の住人はネズミを飼っている大学院生の倉谷誠や、盲目のマッサージ師の木津川伸造など、どこか怪しげな人物ばかり。想一がやって来てから人形館の近くで発生し始める幼児連続殺害事件。そして、想一の命を狙っているかのように付きまとってくる不気味な存在。館シリーズではお馴染みの名探偵となった島田潔は、想一の学生時代の知り合いである。果たして彼は事件を解決出来るのか…。
 舞台となるのが、作者の綾辻氏自身が馴染み深い京都だけあって、大文字焼きや哲学の小道などがリアルに描き出されている。そして、改めて読み返してみると、真相にたどり着く部分で、羽虫の音が聞こえてくるなど、綾辻流にドグラ・マグラを意識して作品を書いた節が感じられなくもない。
作品のツボ→緑影荘の住人の一人に、想一の又従兄弟で売れない小説家の辻井雪人がいる。作者の綾辻氏自身を連想させるキャラクターだが、本人はこんな人では無いと思います。多分…。
塗仏の宴 宴の支度
京極夏彦 講談社ノベルス

 全ての発端は、戦後間も無いころ蛇戸村という村が、消滅してしまった話の真偽を確かめるため、関口巽伊豆の韮山に赴くことから始まる。村人の大量虐殺といえば、八つ墓村のモデルにもなった津山事件を連想するが、蛇戸村には一体何が起こったのか。かつて村の駐在を勤めていた光保公平によると、蛇戸村の佐伯家には、不老不死の秘密を握るくんほう様が奉られていたというのだが…。そして関口は女性を殺した罪で逮捕されることになる。関口は殺人現場を目撃しているのだが、彼が見た犯人は関口自身であった。それから先は章ごとに主人公を変えて物語りが進められ、それぞれの物語が複雑に入り組んでいくことになる。
 「うわん」の章の主人公は狂骨の夢に登場した朱美。朱美は首吊り願望に取り付かれた男に出会う。男は何で自殺したくなるのか自分でも分からないという。男と朱美には新興宗教「成仙道」の影がつきまとう。そして事件を終結に導いたのは謎の薬売り尾国誠一だった。
 「ひょうすべ」では、韮山に向かう前の関口と京極堂の前に、自分の子どもを溺死させてしまった女性の相談が持ちかけられる。女性は赤ちゃんを入浴させているうちに、腕が動かなくなってしまったという。女性の祖父は、自分を見つめ直すセミナーである「みちの教え修身会」に通っていた。その活動をいさめていたのが、女占い師の華仙姑処女であった。その華仙姑処女の側には、尾国誠一が付き添っていた。
 「わいら」の主人公は京極堂の妹の中禅寺敦子。雑誌記者の敦子は気孔術を教える「韓流気道会」を探るうちに危険な目に会う事になる。同じく危険な状況にさらされていた女性こそ、華仙姑処女だった。この章では大暴れする無敵の名探偵である榎木津礼二郎を見ることができる。
 「しょうけら」は刑事の木場修太郎の視点で語られる。木場はストーカー行為を受けているという女性の事件解決に乗り出す。何故か彼女の行動の一部始終が男に知られてしまうのである。女性は健康のために漢方薬を駆使する「長寿延命講」に通っていた。それと行動が知られることのつながりはどこにあるのか。そして事件を解決するために登場したのは、少年探偵の藍童子。この藍童子の正体はいったい…。
 「おとろし」の主人公は、絡新婦の理の生き残りである織作茜。茜は羽田製鉄の重役である羽田隆三老人に出会う。老人は企業経営に風水を用いる経営コンサルタント「大斗風水塾」と関わっていた。さらに不老不死を望む羽田老人は「徐福研究会」にも手を出すようになる。老人の依頼で茜は伊豆の韮山に向かうことになるのだが…。茜が旅立つ前に会う事になるのが、妖怪研究家の多々良勝五郎先生である。この多々良先生、後に今昔続百鬼シリーズで主人公をはることになるのだが…。
 新興宗教、精神セミナー、女占い師、気孔術、漢方薬、少年探偵、風水、徐福伝説と、それぞれの思惑が錯綜し、登場人物が絡み合う。伊豆の韮山には一体何が待つのか。関口巽の運命やいかにというところで、塗仏の宴 宴の始末に続くのである。
作品のツボ→ひょうすべの事件解決のきっかけとなったのは、鉄道唱歌。汽笛一声新橋を♪で有名なこの歌が東海道編だけでも24節、さらに山陽編、九州編、東北編、北陸編、関西編と続く壮大な歌とは知らなかった。
塗仏の宴 宴の始末
京極夏彦 講談社ノベルス

 宴の支度の続編にして解決編。伊豆の韮崎を舞台に前作の登場人物が、入り乱れて解決に向かって突き進んで行く。関口巽は、殺しの罪を着せられて収監中。その取調べにあたった警官である村上貫一から、宴の始末の物語りは始まる。前作からも続いているが、物語の全体を貫くテーマの一つに家族がある。家族の絆というのは、考えているほど強固なものなのか。それは、ともすれば、いともたやすく崩れてしまうものでは無いのか。村上もまた、可愛がっていた息子との間に、取り返しのつかない亀裂が入ってしまった。この村上の問題は、これまでの宗教団体と、どのように繋がってくるのか…。
 関口が捕まって、ただでさえややこしい事件なのに、刑事である木場修は失踪し、京極堂の妹の敦子も、行方をくらましてしまう。そんな騒動の中、何故そろいもそろって、新興宗教の成仙道、精神セミナーのみちの教え修身会、女占い師の華仙姑処女、気孔道の韓流気道会、長寿延命講の条山房、少年探偵の藍童子、風水の大斗風水塾、徐福伝説を追う徐福研究会は、韮山の佐伯家を目指そうとするのか。のっぺらぼうがいるという、そこには一体何が待つのか…。
 新興宗教や気孔道場などの怪しげな人物もたくさん出てくるが、レギュラー陣も京極堂榎木津関口木場といったいつものメンバーに加え、京極の妹の中禅寺敦子、そして青木刑事、探偵助手の益田、編集者の鳥口といった敦子をめぐる3人組。魍魎の匣に登場した増岡弁護士に、絡新婦の理で疑惑を持たれた川島新造、そして前作から引き続き妖怪研究家の多々良勝五郎先生。さらには、木場の失踪とからんで、熱血刑事の河原崎松蔵も登場。河原崎はこの事件がきっかけで、ついに彼も榎木津の取り巻きの一人に加わってしまった。
作品のツボ→ついに京極堂の宿敵である白衣の男、堂島が登場。太平洋戦争が残した、この怪物とどう対峙して行くのか、妖怪シリーズの今後の展開が気になるところである。
ネジ式ザゼツキー
島田荘司 講談社

 日本を離れてスウェーデンで自分の好きな研究を悠々自適に続ける御手洗潔のもとに、エゴン・マーカットという男が連れてこられる。エゴン・マーカットは感じの良い男性であったが、彼の記憶は70年代のある時期からストップしていた。子供の頃や若かった頃の記憶はあるのに、それ以降の記憶は全く蓄積されることができず、出会った人間も次の日には忘れているという状態だった。どうやら一人の人間の脳を破壊してしまうような出来事がエゴン・マーカットを襲ったらしいが、彼の身に何が起きたか解き明かす唯一のヒントは、彼が書いた「タンジール蜜柑共和国への帰還」という一冊の童話に残されていた。
 童話として出されただけあって、「タンジール蜜柑共和国への帰還」は、現実にはありえないようなことばかりが書かれている。特に主人公のエッギーの目の前で少女ルネスの首が外れ、その首はネジ式で体にハマっていたというラストは衝撃的である。しかし、この1冊の童話から御手洗は、エゴン・マーカットの身に何が起こったのか推理していくのである。自分の研究室から一歩も動くことなく推理を展開していく御手洗の手法は見事としか言いようがない。しかも、エゴン・マーカットの記憶を探っていくうちに、30年以上前に起こった殺人事件の謎にまで迫っていくのである。童話のラストと同じように、首と体にネジを埋め込まれた死体が発見された奇妙な殺人事件の真相を解き明かすことで、御手洗はエゴン・マーカットの失われた30年間を取り戻していく。
 占星術殺人事件斜め屋敷の犯罪など、日本で幾つもの事件を解決した御手洗だが、探偵への興味を失い、今では研究者としてスウェーデンで生活を送っている。日本で暮らす友人の石岡和己から事件を解決してほしいとの依頼があればヒントぐらいは送るものの、殺人事件を積極的に解決する気はないらしい。しかし、今回の事件は御手洗が研究を進める脳科学と密接に関係しているため、彼にとって興味深い事例であったようだ。たった1冊の童話からエゴン・マーカットの脳内を推理していく御手洗は、殺人事件を解決する時以上に冴えわたった活躍を見せてくれる。
作品のツボ→エゴン・マーカットが書いた「タンジール蜜柑共和国への帰還」は、作中作という形で物語りに挿入されているが、童話というよりSFに近い奇妙な作品である。足の代わりに車輪が付いているクマや、背中に羽根が生えた妖精のような人が次々と登場し、巨大な蜜柑の木の上で人々は生活している。そんな奇妙な世界で主人公のエッギーは、ルネスという少女に出会うのだが、この荒唐無稽な話の中にこそ、全ての謎を解くヒントが隠されているのだ。
『は行』

ハサミ男
殊能将之 講談社ノベルス

 第13回メフィスト賞受賞作品。女性をハサミを使って殺害する連続少女殺人魔「ハサミ男」。ところがハサミ男が次に狙ったターゲットは、便乗犯によって殺害されてしまった。
 本物のハサミ男は、その殺人犯人を探し始める。事件を解決しようとするのが連続殺人魔!。このシチュエーションを思いついた時点で、この作品の成功は半ば以上決定していたようなもの。しかし、殺人鬼が探偵役なので、うかつに読者に感情移入させない危うさもある異色作。自殺願望すら持ち合わせているという、推理小説史上最も問題のある探偵だったかもしれない。
 読後感の後味は、決して良いものとは言えないが、脳を麻痺させられるような不思議な感覚を味合わせてくれること請け合いである。
作品のツボ→文章から妙な違和感が感じられたので、(これは折原一の作品でも感じられる)何か仕掛けられているとは思っていたのだが、それでも予想以上の結末が待っていた。
葉桜の季節に君を想うということ
歌野晶午 文藝春秋

 平成14年8月2日、全ては成瀬将虎が地下鉄のホームから飛び降りた女性を助けたことから始まった。反射的に人助けをしてしまった成瀬だが、そこから麻宮さくらと名乗る女性とのつきあいが始まった。どこか女性を冷たく突き放す傾向にある成瀬だが、自分に好意を寄せるさくらに次第に惹かれていくようになる。そんな折、同じスポーツジムの後輩であるキヨシと一緒に、ジムを休んでいる久高愛子を見舞いにいった成瀬は、愛子から家族が蓬莱倶楽部によって殺されたことを聞かされる。蓬莱倶楽部とは健康食品や羽根布団を法外な値段で売りつけるインチキ会社。久高隆一郎も被害者の一人だったが、詐欺に気づき裁判で訴えようとしていたから蓬莱倶楽部に殺されたというのだ。とはいうものの証拠が無くては、蓬莱倶楽部を訴えることもできない。そこで、かつて探偵事務所で働いたことがある成瀬に白羽の矢が立ち、蓬莱倶楽部の秘密を探ることになったのだ。
 基本的に「出会い」「再開」「交際」などの奇数章では成瀬の蓬莱倶楽部の調査とさくらとの関係が描かれていき、「ヤクザ探偵成瀬将虎」「千絵ちゃん」などの偶数章では、成瀬が探偵事務所に勤めていた際にヤクザ事務所に潜入捜査した事件や、成瀬がパソコンを教えている老人の娘を探す話など、サブエピソードのようなものが書かれている。そして、これらのサブエピソードのような話も、蓬莱倶楽部の事件に負けないぐらい読者を引き込むほどの魅力がある。
 主人公の成瀬は探偵事務所に勤めていたことがあるとはいえ、半人前のうちに辞めてしまったので捜査のノウハウは身についていない。にもかかわらず無茶な捜査をするので読んでいる方はハラハラさせられ通しである。どこか捨て鉢なところがあり、とっつきにくい主人公であるものの老人を食いものにしようとする蓬莱倶楽部のやり口には、読者としても怒りを覚え、成瀬を応援せずにはいられない。どこか繊細でふとしたことで崩れ去ってしまいそうな歌野ワールドを堪能できる1冊となっている。
 作品のツボ→2004年版「このミステリーがすごい!」第1位、2004「本格ミステリ・ベスト10」第1位を獲得した作品。「長い家の殺人」でデビューした頃の作者は書き手としても未熟な部分があったが、「ROMMY」あたりから確実に読み手の心を引き付けるようになり、本作ではそれが見事なまでに花が開いた。小説としてもミステリーとしても秀逸で、読後にはこれが1位を獲得した理由に思わず納得してしまう。そして、何と言っても「葉桜の季節に君を想うということ」というタイトルが、見事なまでに作品にマッチしている。
Pの密室
島田荘司 講談社

 御手洗潔といえば占星術殺人事件斜め屋敷の犯罪などの難事件を解決した島田荘司が生んだ名探偵だが、彼の過去は謎に包まれている。ワトソン役である石岡和己ですら、彼の過去については皆無と言ってよいぐらい知らずにいたのだが、思わぬことから御手洗の幼少時代を知る機会を得て、読者にも御手洗が過去に遭遇した事件が知らされることになったのである。
 本作に収録されているのは鈴蘭事件と、表題にもなっているPの密室の2編であり、どちらも小説現代の増刊号メフィストに掲載された作品である。そもそも御手洗の過去が語られることになったきっかけは、龍臥亭事件で石岡が知り合った犬吠里美が、子供時代の御手洗が写っているアルバムを発見したことにある。里美はセリトス女子大に通っているのだが、かつて御手洗は女子大の敷地内に住んでいたことから、アルバムが残されていたというのである。そこから、まだ幼稚園に通っていた御手洗潔が遭遇した過去の事件について調べていくことになるのだが、それが当時5歳だった御手洗が解決したという鈴蘭事件である。事件を解決した御手洗自身は外国に行ってしまっており、事件について知るには当時の事件の関係者に話を聞くしかないのだが、事件を担当した馬夜川巡査などから話を聞いて、事件の真相に近づいていく。それにしても驚くべきは5歳でありながら、周りの大人以上に聡明な御手洗の存在であり、どうして彼が女性に対して冷淡な部分があるのかも、垣間見えてくる。
 続くPの密室は鈴蘭事件から2年後に小学校2年生だった御手洗潔が解決した事件である。鈴蘭事件で知り合った橘えり子が、小学校に入ってから御手洗と同級生であったことから、この事件を知ることになるのだが、絵画コンクールの審査員であった土田富太郎画伯が愛人の天城京子と一緒に殺された密室殺人を御手洗がいかにして解決したかが明かされる。しかし、8歳の御手洗にとっては密室殺人を解決することよりも、事件を解決することで関係者に及ぼす影響の方が頭を悩ませる問題であったことは実に感慨深い。
作品のツボ→鈴蘭事件もPの密室も御手洗が子供の頃に遭遇したものなので、かなり昔の事件となるのだが、鈴蘭事件は昭和29年、Pの密室は昭和31年の事件となる。余談ではあるが京極夏彦の鉄鼠の檻などは昭和28年の事件なので、ほとんど同じ時期ということに妙な違和感を覚えてしまう。京極が描く昭和28年からは戦後間もない感じがするのだが、この2つの事件は舞台が横浜のせいか、今の時代に近い感じがする。なお、今回の事件から逆算すると御手洗は1948年生まれということになり、現在は60歳前後だと考えると、時の流れの恐ろしさを感じずにはいられない。
びっくり館の殺人
綾辻行人 講談社

 かつて少年少女だったあなたと少年少女のためのミステリーランドとして発行された作品として、館シリーズ8作目にあたる作品。十角館水車館を建てた稀代の建築家である中村青司の建てた館で、またもや惨劇が繰り返される。子供が読むことがキーワードになっているミステリーランドでは、島田荘司の透明人間の納屋、小野不由美のくらのかみ、森博司の探偵伯爵と僕など、子供の視点からとらえた作品が多いが、本作も物語の語り手が子供時代に遭遇した事件という書き方がなされている。
 物語の語り手である永沢三知也が10年前、兵庫県のA**市に住んでいた時に遭遇したのが中村青司が建てたびっくり館と呼ばれる建物。子供たちの間のウワサでは、びっくりユーレイが出るとか囁かれていたが、実際には壁一面に七色のびっくり箱が28個も並んでいるという奇妙なものだった。その、びっくり館に住む古屋敷俊生という少年と出会ったことから、三知也は奇妙な事件に巻き込まれることになる。二年前にも殺人事件があったとされるびっくり館で、発生した密室殺人の真相とは…
 物語は2005年の時点で三知也が事件を回想することから始まるが、実際の事件の舞台となるのは94年で、シリーズ7作目の暗黒館の殺人の3年後にあたる。他の館シリーズから時代をおくわけにいかないので、こうした手法がとられているが、そうしたことから新本格ブームから随分と時が流れたことを感じさせてくれる。子供の視点を用いたことで、大人を主人公にした時より、殺人事件や奇妙な人物に対する恐怖が浮き彫りにされるので、ミステリーランドの企画自体が綾辻行人の作風に合っていたのではないかと思われる。
作品のツボ→三知也が事件を回想することになったきっかけは、古書店で迷路館の殺人を手に取ったことにあるが、この迷路館の作者である鹿谷門実も、この事件に顔を出している。
百鬼徒然袋−雨
京極夏彦 講談社ノベルス

 姑獲鳥の夏でお馴染みの榎木津礼二郎とその一味である薔薇十字探偵社の連中が活躍する中編小説集。語り手となるのは、榎木津いわく、いつかの何とかいう人で、榎木津が名前をちっとも覚えないので、最後の方まで名前が明かされることは無い。この語り手氏の名前の伏せられ方は、徹底しており、榎木津ときたら彼を呼ぶたびに、富田林君、四万十川君、北紋別君、門前仲町君と名前が変わっていく。さらに、京極堂待古庵、はては、いさま屋にまで偽名を名乗らされて、こんな扱いまでされて、どうしてこの連中と付き合おうとするのだろうか。榎木津を中心に物語が進むせいで、本編の妖怪シリーズよりも、全体的にユーモラスな感覚(というかドタバタ)で話が進んで行く。全部で3話を収録。
 第一番「鳴釜」こそ、その語り手君が、彼らに関わるきっかけとなった事件。彼の妹が金持ちの道楽息子連中に陵辱されたので、やり場の無い怒りを覚えて、探偵事務所に乗り込んだのである。もちろん榎木津のことだから、まともな解決は望めない。キーワードはカマ。京極堂の恐ろしさを思い知ることになる。ちなみに、探偵助手の益田は、この話からカマオロカのあだなをちょうだいすることになる。
 第ニ番「瓶長」。前作で事件が解決したのだから、語り手君は榎木津に会う必要も無かったのだが、この時にはすっかり榎木津に魅了されてしまったようである。キーワードはカメ。逃げた亀の千姫探しと、壊れた瓶の代用品探しを父親から依頼されることになる。骨董品がらみの事件ということで、待古庵の登場である。榎木津礼二郎の、ちぎっては投げの暴れっぷりのすざまじさ。
 第三番「山颪」。性懲りも無く語り手君は、京極堂の所に足を運んで関口巽先生にご対面。鉄鼠の監で知り合った僧侶から町田の寺を探ってくれるように依頼されることになる。榎木津はトゲトゲのヤマアラシ見たさに事件の解決を承諾してしまった。それにしても、この時の関口君は、可哀想すぎである。
作品のツボ→鳴釜の事件が始まりでは、塗仏の宴が解決された直後。鳴釜の終わりで榎木津は白樺湖に出かけて行くが、これが陰摩羅鬼の瑕の事件である。瓶長の始まりでは、陰摩羅鬼の瑕が解決されており、榎木津が大変な状況に陥っていたことに触れている。そして山颪では、さらに次の大磯海岸の事件の顛末を聞くために、語り手君が足を運んでいる。妖怪シリーズが出ないうちは、このシリーズで断片だけでもつかむことが出来る。
百鬼徒然袋−風
京極夏彦 講談社ノベルス

 榎木津礼二郎が活躍する(というかメチャクチャにする)薔薇十字探偵社シリーズの第2弾。よせば良いのに、薔薇十字探偵社に足を運んでは事件に巻き込まれることになる語り手の本島君。京極堂から榎木津と関わるとだんだんバカになると注意され、本人も榎木津と関わるのは、もうこりごりと言っているにも関わらず、事件に首を突っ込んでくるのは、根っからのワトソン役なのであろう。
 第四番「五徳猫」。本島が友人の近藤と世田谷の豪徳寺を訪れたことが事件の始まり。招き猫発祥の地と言われる豪徳寺だが、この事件には招き猫がからんでくる。何年か振りに生家を訪れたら、母親が自分のことを全く覚えていなかったという女中の依頼を、薔薇十字探偵社の面々は解決してあげることができるのか。この事件には今昔続百鬼-雲の語り手である沼上くんも登場。二大巻きこまれタイプの揃い踏みである。
 第五番「雲外鏡」。いろいろと事件に巻き込まれてきた本島だが、ついに何者かによって拉致監禁されてしまう。本島は駿東という男の手引きによって脱出に成功するが、駿東は死体となって発見される。本島が疑われても仕方が無い状況であったが、なぜか別の容疑者がすでにつかまっていた。一体、この事件の裏には何が隠されているのか。そして事件の解決を賭けて榎木津に挑戦状を叩きつけたのが、関西の霊感探偵である神無月鏡太郎。この榎木津の劣化コピーのようなパチモン探偵が異様におかしい。
 第六番「面霊氣」。鉄鼠の檻で明けた昭和28年も、この事件では年の瀬を迎えようとしている。巷で頻発する奇妙な連続窃盗事件。本島と近藤が住む長屋も、その被害を受けるが、事件の後に奇妙なお面が近藤の部屋から発見される。お面の謂れを探るため古物商の今川に鑑定を依頼する本島だが…。一方、榎木津ときたら榎木津家に伝わる鬼退治の儀式を復活させようと、盗難事件なんてどこ吹く風といった感じである。
作品のツボ→前作の最後でようやく榎木津に苗字を覚えてもらった本島君だが、今度は名前を覚えてもらえず、権太郎、弦之丞、牛五郎など、相変わらずメチャクチャな呼ばれようである。
百鬼夜行−陰
京極夏彦 講談社ノベルス

 姑獲鳥の夏をはじめとする妖怪シリーズの外伝的な短編集。1995年から1999年にかけて小説現代に連載されたものを1冊に収録している。これを読み解くことで、それぞれの事件の裏側の部分が見えてくる。
 第一夜 小袖の手は、絡新婦の理絞殺魔のエピソード。彼の隣家に魍魎の匣に登場した美少女柚木加菜子が住んでいたことが悲劇の始まりだった。彼が姿を消したのは昭和27年8月31日のことであった。
 第ニ夜 文車妖妃は姑獲鳥の夏で舞台となった久遠寺医院の美人姉妹の姉の久遠寺涼子の物語。思えば姑獲鳥の夏は一通の手紙が悲劇の始まりであった。昭和25年晩秋、彼女の中で何かがはじけた。
 第三夜 目目連は絡新婦の理の目潰し魔の方のエピソード。絡新婦の理の中では、以前あった事実として書かれていた、降幡修が彼を診療する様子を書き出している。覗き見る興奮と覗き見られる恐怖に取り憑かれた彼が、姿を消したのは昭和27年5月のこと。
 第四夜 鬼一口は魍魎の匣で登場した作家の久保俊公が登場する。彼に接触したことで昭和27年に始まった鬼ごっこは、2040年まで続くことになる。
 第五夜 煙々羅鉄鼠の檻の後日談。煙好きの消防士の棚橋祐介が、寺が燃えた時に体験した不思議な出来事を描いている。
 第六夜 倩兮女は絡新婦の理で連続目潰し魔の被害者の一人となった山本純子の物語。彼女は自然に笑えないことを悩んで、必死に笑おうと努力する。
 第七夜 火間虫入道塗仏の宴藍童子を使って出世しようとした岩川刑事が主人公。火間虫入道は怠け者がなる妖怪。子どもの時から怠け者だった自分は火間虫入道が怖かった。怠け者とは、どういう人間かが何となく分かる話である。
 第八夜 襟立衣は鉄鼠の檻で寺の呪縛に捕らわれた僧の一人でった円覚丹のエピソード。この話を読んでから鉄鼠の檻を読み返すと、確かにそれらしき話が語られている。
 第九夜 毛女郎は木場の同僚の木下刑事の物語。何故彼が売春婦を毛嫌いするのかが解き明かされる。
作品のツボ→最終話となる第十夜 川赤子は、我らが関口巽くんのエピソード。この物語のラストが、シリーズ第1作である姑獲鳥の夏の冒頭につながっていく。
封印再度
森博嗣 講談社

 犀川助教授と西之園萌絵のS&Mシリーズ第5弾。香山家に伝わる二つの家宝。無我の匣天地の瓢。無我の匣は鍵がかかっていて開かず、その鍵は壷である天地の瓢の中に入っている。しかし壷の口は狭く鍵を取り出すことは不可能である。果たしてどうやって壷の中に鍵を入れたのか、そしてどうやって取り出すのか、その鍵で無我の匣を開けると何があるのか。50年前には確かに壷の外に鍵は出ていたそうである。しかし、香山家の当主であった香山風采は、鍵を壷の中に入れて自殺してしまったという。さて、この話を聞いたパズル好きの萌絵は黙っていられない。同じ建築学科の浜中深志を引っ張って、現物を見るために香山家に乗り込んだ。
 S&Mシリーズ最高の謎と言っても良いほど傑作な壷と匣のミステリー。しかし、その謎は風采の息子の香山林采が父親と同じような状態で殺されるといった悲劇となって襲ってきた。さらに、同時刻に林采の娘で漫画家である香山マリモは自動車事故を起こしていた。殺人と事故はどのようにからんでくるのか。そして萌絵も持病である貧血に襲われる。萌絵の体の状態に焦る犀川助教授は彼女と急接近するまでに至るのだが…。
 林采の孫の祐介くんと犬のケリーとロボットの幻魔大将軍が良い味を出している。しかし、祐介くん萌絵をおばちゃんと呼んじゃいかんな。はたして犀川先生は無我の匣を開けて謎を解くことができるのか。
作品のツボ→何故か犀川先生、作中でツインピークスにはまっている。ただし、感想はドーナツがおいしそうだったとのこと。それに対する萌絵の反応が、あれは子どもの時の作品というのが、時の流れを感じさせる。
放課後
東野圭吾 講談社文庫

 第31回江戸川乱歩賞受賞作にして、東野氏のデビュー作。私立清華女子高等学校の数学教師である前島は、何者からか命を狙われはじめる。淡々と授業を進めることから「マシン」とあだ名をつけられた前島だが、その周辺では、前島に好意を寄せる問題児や、打算的な校長など、いつのまにか複雑な人間関係が出来あがっていた。
 このままだと、いつか自分は殺されると不安を抱く前島だったが、密室の更衣室の中で殺されたのは生活指導担当の村橋だった。男子更衣室と女子更衣室の間は乗り越えていけるものの、女子更衣室の扉には錠前がかけられ、男子更衣室の扉には、しんばり棒があてがわれていた。しんばり棒の長さから外から操作するのは完全に不可能。何故、生活指導の村橋は密室の中で殺されなければならなかったのか。
 高校時代はささいなことで人に好意を寄せたり、嫌悪感を抱いたりする微妙な時期。そんな脆さを持つ女子高生たちの目の前で展開される殺人事件。警察の捜査も慎重にならざるを得ない中、生徒や前島は、事件を解決しようと推理をはじめる。物語の主人公であり、事件を推理していく前島は悪い人間ではないものの、生徒を指導する人間としては問題があると言わざるを得ない。この前島の持つ危うさが、読んでいるものに、ある種の不安感を与えてくる。
作品のツボ→前島はアーチェリー部の顧問であり生徒の指導にあたっているが、東野氏自身も大学時代はアーチェリー部に所属し、キャプテンをつとめた経験もある。精神の動揺が結果に表れやすいアーチェリーという競技が、実にうまく作品に生かされている。
『ま行』

魔神の遊戯
島田荘司 文藝春秋社

 ロドニー・ラーヒムは突如として絵を描かなければいけないという衝動に襲われ、自分でも何が起こったか分からないうちに絵を書き上げてしまうのだが、そうして出来上がった作品は彼が幼い頃に滞在した村の風景を忠実に再現していた。ロドニー自身が、どこを描いているか全く理解していなかったにも関わらず、ロドニーが描いた作品は、まるで写真のように細部に至るまで実在する村の様子と完全に一致していた。ただし、奇妙なことに彼が描く絵には、時おりありえないはずの赤い肌の半裸の巨人が描かれていることがあった。驚異の記憶の画家として有名になったロドニーだったが、次第に彼の作品には首だけの女性など、奇妙なものが描かれるようになる。ロドニーは未来から送られた映像を、自分は描いていると考えるようになるが、彼の不安が現実に染み出してきたように、実在する村でも奇妙な事件が発生することになる。
 事件の舞台となるのはネス湖畔にあるティモシーという小さな村。これまで警察が介入するような事件すら起こらなかった平和な村に、オーロラが発生した夜、犬の胴体とつなげられた女性の首だけの死体が発見される。しかも、死体は鋭利な刃物で切断されたのではなく、強い力で引きちぎられたかのような惨状を呈していた。まるで、強大な力を持つ魔神が、ちっぽけな人間をあざ笑うかのような想像の粋を超えた事件の始まりであったが、この奇妙な死体の発見を皮切りに、村のあちこちでバラバラ死体が発見されることになる。そこで、事件の解決に向けて動き出したのが、スウェーデンのウプサラ大学で自分の研究に没頭していた御手洗潔であった。日本を離れ外国に渡った御手洗潔は、日本において難事件を幾つも解決した頃とは、環境もガラリと変わって、殺人事件よりも自分の研究の方に完全に興味が移っていたが、今回は自分の研究対象と事件がシンクロしたことから、久しぶりに殺人事件に乗り出すこととなったのだ。
 今回の事件の重要なキーワードとなるのがユダヤ教の存在。ロドニー・ラーヒムもユダヤ人であることから、周りから迫害を受けてきたが、自分を信じるユダヤ人だけを助けてくれる荒ぶる唯一神ヤーヴェが暴れまわるかのように、平和な村で陰惨な事件が続いて発生する。ある事件では死体のそばにユダヤ教のシンボルであるダビデの星が残されていたが、本当に魔神が暴れて事件を起こしているのか。はるか異国の地で探偵から研究者になったはずの御手洗潔の活躍を拝むことができる作品となっている。
作品のツボ→外国が舞台であることから、いつものワトソン役である石岡和己は本作では登場しない。その代わり、事件の記述者役を務めたのは、アル中でいつ倒れてもおかしくない酔いどれ作家のバーニー・マクファーレンである。常に酔っ払っているので、その観察力ときたら、はなはだ怪しいところがあるのだが、なかなかどうして事件の核心に食いついていたりするのだ。幾つものバラバラ死体が発見されるという陰惨な事件でありながら、どこかユーモラスな感じを受けるのは、彼の存在によるところが大きいのである。
まほろ市の殺人
有栖川有栖、我孫子武丸、倉知淳、麻耶雄嵩 講談社

 まほろ市という架空の町を舞台に4人の作家が書いた推理アンソロジー。春の事件である倉知淳「無節操な殺人」、夏の事件である我孫子武丸「夏に散る花」、秋の事件である麻耶雄嵩「闇雲A子と憂鬱刑事」、冬の事件である有栖川有栖「蜃気楼に手を振る」の4編でまほろ市の1年を描き出す。書いている作家が違うので、4作とも雰囲気が全く異なるが、全てまほろ市で起こった事件だけあって、まほろ市名物の蜃気楼など全ての事件に出てくる共通したキーワードのようなものは存在する。
 トップバッターを飾った倉知淳「無節操な殺人」は、著者本人も前書きで書いているように、春に起こった事件らしい、どこかのほほんとした感じの作品。春の季節風が吹き荒れた翌日、幽霊に痴漢されたという彼女の話から始まり、マンションのベランダから転落しながらも消失した男の謎を探ることになる。倉知氏の作品は猫丸先輩シリーズにしてからそうだが、こうした日常に起こった不思議な出来事を書くのが得意である。
 我孫子武丸「夏に散る花」は4作の中でも最も重厚な雰囲気を持つ作品。伸び悩んでいる作家の君村義一が、ファンの四方田みずきと知り合いになるが、ちょっとしたスレ違いが思わぬ悲劇を巻き起こす。一つの街を舞台にした競作中編というおもしろさもあるが、この「夏に散る花」単体で見ても、十分におもしろい作品となっている。
 麻耶雄嵩「闇雲A子と憂鬱刑事」は、憂鬱とあだ名をつけられた天城憂刑事と、女流推理小説作家で探偵の真似事が好きな闇雲A子のコンビが、連続殺人を起こす真幌キラーを追う。十一件も連続した殺人の共通項は、被害者の傍らに犬や牛のぬいぐるみなどの小物が置かれていることと、左耳が燃やされているということ。連続殺人鬼の奇妙な行動を推理するうちに怪盗ビーチャムまで現れて、事件は混迷を深めていく。こうしてあらすじを読んで分かるように相変わらずの麻耶節である。ふざけているように見えて、真相が分かると妙なモヤモヤ感と悲しさが残される。
 競作の最後を飾った、有栖川有栖「蜃気楼に手を振る」は、3つ子の2人が殺人事件の加害者と被害者になるという物語。刑事コロンボや古畑任三郎でもおなじみの、犯人は読者に知らされていて、いかに完全犯罪が露呈するかが決め手となる。蜃気楼に手を振ると向こうの世界に連れていかれるので、絶対に手を振ってはいけないという迷信がおもしろい。
作品のツボ→2002年に書き下ろしとして刊行されたものの、ノベルスになったのは7年後の2009年である。2002年に書かれた作品ということで、作中に出てくるインターネットやホームページが一昔前のように感じられる(特に倉知淳氏の作品に顕著)。なお、麻耶雄嵩氏はいつものクセで、レストラン「電波なげ」など変なところで特撮関連の言葉を入れ込んでくる。
マリオネット園 あかずの扉研究会首吊塔へ
霧舎巧 講談社ノベルス

 あかずの扉研究会に入部してからドッペルゲンガー宮カレイドスコープ島ラグナロク洞と次々に怪事件に遭遇してきた二本松翔だが、その貴重な体験をもとにして作家デビューが決定する。そして流氷館の事件をもとにしたドッペルゲンガー宮の出版にあたり翔が付けたペンネームは霧舎巧だった。それと時を同じくして純徳学園の生徒である沢入美由紀のもとに流氷館で亡くなった野々原涼子を名乗るものから招待状が届く。どこに行けば良いのかは暗号を解かなければ分からない。そこで開かずの扉研究会のメンバーが知恵をしぼることになるのだが、果たして何者が涼子の名を騙っているのか。
 さらに、今回の事件の舞台となる首吊塔には開かずの扉研究会の森咲枝後藤悟が招き寄せられ幽閉されることになる。この首吊塔は川崎市の工業埋立地に作られたアミューズメントパークであるマリオネットランドの中にあった展望塔。マリオネットランドが廃園になってからも、ピサの斜塔をモチーフに作られたこの塔は残され、そこから自殺するものが相次いだことから首吊塔と呼ばれることになったいわくつきの塔である。ちなみに、川崎のこのあたりは作中にも書かれている通り交通の不便な地で、都心を目の前にしながら異様な空間を生み出している。実際に手塚治虫ランドの建設が企画されたが、ボツとなったほどである。
 この首吊塔は内部の塔と、らせん階段が取り巻く外部からなる二重構造の複雑な作り。ということは、もちろん建設者はシリーズでお馴染みの渋谷進平である。この複雑怪奇な塔の中で起きる連続殺人事件。そして塔の外で繰り広げられる暗号解読の物語。この二つが同時進行で話が進んでいき、やがて一つにつながって行く。そして翔の作家デビューの顛末やいかに。
作品のツボ→今回は暗号がふんだんに登場する。この暗号はミステリーマニア首都圏在住でないと解けないという制限された暗号だが、分かる人にとってはたまらない暗号である。
美濃牛
殊能将之 講談社ノベルス

 メフィスト賞を受賞したハサミ男でデビューした作者の2作目となる作品。もちろん美濃牛はミノタウロスとかけたもの。事件はフリーライターの天瀬啓祐が、岐阜県暮枝にあるという、どんな病気も治す奇跡の泉の取材を依頼されることから始まる。ちなみに暮枝という知名もギリシャのクレタ島にちなんだしゃれである。
 前作の殺人鬼の一人称で語られる叙述トリックとは一転して、本格的なミステリーとなっている。八つ墓村に出てきた迷路のような鍾乳洞や、わらべ歌になぞって殺された首無し死体など、全体的に横溝正史作品へのオマージュとなっている。
 また、この作品から探偵役となる石動戯作が登場。有限会社ダム・オックスの代表取締役にして、ディダクティブ・ディレクターという、人は良いのだが得体の知れない人物である。実はこの石動という男、暮枝をリゾート開発するためにやってきたゼネコンの手先である。しかし、石動自身は大学の先輩に無理やりに押し付けられてやっていることなので、どうもあまりその事を意識していないらしい。この石動戯作、次回作の黒い仏にも登場するが、お茶汲みのアントニオが助手になっているなど、どうにも不可解な人物なのである。
作品のツボ→作中で横溝正史の獄門島の床屋の場面が、夏目漱石の草枕の影響を受けていると指摘しているが、言われてみればなるほどである。
むかし僕が死んだ家
東山圭吾 講談社文庫

 別れた恋人と同窓会で顔を合わせたことがきっかけで始まった一つの事件。同窓会の数日後に彼女から依頼されたのは、松原湖の近くにある1軒の家に一緒に訪れてくれないかというものだった。彼女は5歳より前の記憶を一切持ち合わせていなかったが、亡くなった父親の遺品から出てきた地図に記されていた、その場所に行けば、自分が失っていたものを取り戻せるのではないかというのだ。
 訪れた家は、すでに誰も住む人が無く廃墟と化していた。この家に何が起こったのか、そして彼女は、どのような関係を持っているのかを、家に残されていた子供の日記などから、掘り返していくことになるのだが、そこにはどのような真実が待ち構えているのか。この家は何のため建てられ、彼女の父親が時々、家を訪れていたのはどうしてなのかが、少しずつ解き明かされていく。
 しばらく読み進めていっても、これがミステリーになるのか、ホラーになるのか、それとも感動できる話か、恋愛ものか、そのジャンルすら予想できないという、ちょっと変わった話。記述の多くが、子供の日記だけに、伝わってくる情報が乏しく、もどかしさを覚えながらの主人公と一緒に推測していく楽しみがある。
作品のツボ→実際に登場する人物は、ほとんど主人公と彼女の2人だけと言える変わった構成。家に残されていた日記の中には他にも多くの人物が登場するが、その僅かな痕跡から過去を探るという流れが読者を引き付ける。そして、彼女と2人で家の中を探りながら彼女の過去を探るという展開は、サウンドノベルの弟切草を連想させる。
名探偵 木更津悠也
麻耶雄嵩 光文社

 麻耶雄嵩のデビュー作である翼ある闇には二人の名探偵が登場する。一人は既存のミステリーに登場するような名探偵の枠にハマらず、ともすれば探偵は正義という不文律からも逸脱しかねない銘探偵メルカトル鮎。そして、もう一人がメルカトル鮎よりは推理力は劣るものの、いわゆる普通のミステリーに登場するような型にハマった名探偵キャラ木更津悠也である。本作はその木更津悠也の活躍に焦点をあてた短編集で、ワトソン役の香月実朝は登場するが、メルカトル鮎は出てこない。1年の間に起きた4つの事件が収録された形となっており、春に起きた「白幽霊」は戸梶家の遺産相続を巡る殺人事件、夏に起きた「禁区」は高校の文芸部が殺人事件に巻き込まれていくというもの、秋に起きた「交換殺人」は酔った勢いで見知らぬ男と交換殺人の約束をしてしまったという男の依頼に応えるもの、そして冬に起きた「時間外返却」は1年前に殺された女性の謎を解き明かすものである。
 この4つの短編に共通して現れるのが真っ白な女の幽霊である。ミステリーに登場する幽霊は、実は○○だったと最後に謎が解き明かされて、それが事件の謎につながっているというのがお約束だが、本作の場合は種も仕掛けも無い本物の幽霊なのである。その幽霊が登場人物を取り殺すとか、犯人を指摘するとか、そういうことは一切無いのだが、本物の幽霊が現れたら、普通の人間は100%動揺する。その動揺した人間の起こした行動が事件に大きく影響してくるのである。そういうわけで、本作の仕掛けは殺人事件の現場に本物の幽霊が現れたらどうなるかということになっている。1話目の「白幽霊」はジャーロの2001年夏号に載ったものだが、4話目の「時間外返却」が載ったのはジャーロの2004年冬号のこと。3年越しとなった連作を幽霊というキーワードを維持したまま、破綻することなくまとめあげたのは見事としか言いようが無い。
作品のツボ→ストーリーとは全く関係なしに特撮に関係する言葉が登場するのが、麻耶作品の特徴である。サデスパーという名の喫茶店や、バンデルという名のバー、拳と銀次郎という名の兄弟(元ネタは兄弟拳バイクロッサー)、ヒッポリト星人にタール漬けされたような死体といった具合に、どこかで聞いたような言葉が出てくるが、特撮好きとしてうれしくもあるが、妙な気恥ずかしさも感じてしまう。
名探偵はどこにいる
霧舎巧 講談社

 名探偵はもういないの続編となる作品。前作の最後のタイトルが「名探偵はもういない」であることから分かるように、前作の難事件を解決した名探偵はもういないのである。しかし、前作では少年であった今寺敬二が刑事となり、かつて名探偵が解き明かした謎の跡を追うことになる。本作のタイトルが、第一部「名探偵はどこにいる」、第二部「名探偵は過去にいる」、第三部「名探偵はここにいる」とあるように、本作は今寺敬二の成長物語であり、名探偵の代わりに活躍する物語でもある。
 今寺敬二は、ペンションすずかけで起こった難事件を名探偵が解決するのを目にして以来、彼にあこがれて刑事を目指した。実際に今寺の推理力は優れたものだったが、まだ名探偵には及ばないところがあった。そして今回、今寺が巻き込まれることになったのは、笹後大吾警視監の双子の娘である安奈と甘奈が20年前に教師を殺害したと思われている事件だった。その事件は過去に名探偵によって解決されたが、事件の真相を胸に秘めたまま、名探偵はいなくなってしまう。その20年後に事件をかぎつけた脅迫者を封じ込めるために、今寺は名探偵が推理した真相まで、たどり着かなければならないのだ。
 この名探偵の後を追い続ける刑事という設定が秀逸で、難事件を推理するというよりは、名探偵はどう推理したのだろうかと、名探偵の推理の足跡を考え続ける今寺の苦悩が伝わってくるようである。今寺の高校時代の思い出とともに、20年以上前の過去の事件が掘り返されていく流れは読者を楽しませてくれる。
作品のツボ→今寺敬二が事件に挑むことになったのは1994年のことで、中華航空の名古屋空港での墜落が、事件にも大きく関わっている。前作である名探偵はもういないは20年以上前の事件で、霧舎巧のあかずの扉研究会シリーズは90年代末から始まるシリーズなので、本作はこの二つの間に挟まるものとなる。本書のあとがきによると名探偵を発見する物語をもって3部作となるそうである。ということは、3部作の最後で新たに発見される名探偵というのも、読者にとってはおなじみの人物になるのではないだろうか。
名探偵はもういない
霧舎巧 原書房

 ミステリーにはいわゆる嵐の山荘ものと呼ばれるジャンルがある。大雪や台風によって道路が封鎖され、孤立してしまった山荘で人が次々と殺されていくというものである。ゲームのかまいたちの夜も、このジャンルに含まれるし、霧舎氏自身もラグナロク洞で嵐の山荘ものにチャレンジしている。ただし、ラグナロク洞は山荘とは、少し雰囲気が違うので、今回が初の嵐の山荘ものと呼べるかもしれない。
 大雪に見まわれたペンション「すずかけ」にやってきたのは、犯罪学者の木岬研吾と義弟の敬二少年。犯罪学者の木岬は、いかにすれば毒物を入手できるかや、どうすればカギのかかった部屋に侵入できるかなどの本を出し、当局からにらまれている。そんな義兄にあこがれる啓二少年の夢は、将来は犯罪者になることだった。そして、木岬研吾は訪れたペンションで、オーナーの鈴影さゆみと運命的な出会いをすることになる。さらにペンションには、厳格な態度でペンションを取りしきる東観寺大善や、その命令を愚鈍にも忠実に守ろうとする福永など、一癖ありそうな人物たちが集まっていた。そこに怪しげな外人客まで現れて…。
 第1部のタイトルは「名探偵はまだいない」、第2部は「名探偵は名乗らない」、そして第3部が「名探偵はもういない」。登場人物の中で、誰が犯人かを推理する楽しさとともに、誰が探偵となるのかも、楽しみな謎の一つである。事件の舞台となるのは、昭和40年代栃木県山中のペンション。時おりしも栃木県下では、切手博覧会が開催されようとしている。この事件が、後の霧舎作品のシリーズと、どのようにリンクしてくるかは、読んでからのお楽しみ。
作品のツボ→あとがきは先に読んでもかまいませんが、読者の挑戦は先に読まないでくださいという注意書きが、何を意味しているのか実に興味深いところである。
迷路館の殺人
綾辻行人 講談社文庫

 館シリーズ第3弾。館シリーズの中でも、もっとも奇妙な小説の構造をなしているのが、この迷路館の殺人である。なぜならば綾辻行人が書いた講談社の迷路館の殺人の中に鹿谷角実が書いた稀譚社の迷路館の殺人が入っているという入れ子構造なのだから。ご丁寧にもあとがきから奥付けまで、別のものをきちんと作ってあるという凝り様なのだから驚かされる。
 さて、この迷路館だが、館シリーズの中でも、いや、おそらく全ての推理小説の中でも、もっとも複雑な構造の建物となっている。なぜならば館の名前通りに屋内全てが複雑な迷路になっているのだから。しかも、見取図にもあるように、きちんとした迷路の道筋が設定された上で、物語は進められていく。この丹後半島の突端にたたずむ複雑怪奇な迷路館を中村青司に建築させたのは、推理小説界の大御所である宮垣葉太郎。彼の長編ミステリー「華麗なる没落のために」は、小栗虫太郎の黒死館殺人事件、夢野久作のドグラマグラ、中井英夫の虚無への供物と並ぶ戦後最大の推理小説とうたわれている。
 その迷路館で宮垣が催すパーティーに招待されたのは、清村淳一須崎昌輔舟岡まどか林宏也の4人の推理小説家。そして評論家の鮫嶋智生と編集者の宇多山秀幸と、その妻の宇多山桂子。さらにご存知、探偵役となる島田潔である。迷路館の部屋はミノタウロス、ミノス、ダイダロス、パシパエといったようにギリシャ神話にちなんだ名前となっている。
 そして迷路館で待っていたのは、宮垣が自殺したとの知らせだった。そして宮垣は奇妙な遺言を残していた。4人が館の中で探偵小説を書いて、最も優れていたものに遺産を譲るというものだった。ちなみに登場人物の一人が、自分の使っているワープロがオアシスの親指シフトなのでNECの文豪ではうまく打てないと、文句を言うところが時代を感じさせる。そして推理小説家たちは作品を書き始めるが、自分の書いた作品の内容通りに一人、また一人と殺されて行く。鹿谷角実の迷路館の殺人の結末は、そして綾辻行人の迷路館の殺人の結末やいかに。
作品のツボ→ウソのあとがきにもあるように、迷路館の登場人物の一人が、後に迷路館の殺人の作者である鹿谷角実となる。誰が鹿谷角実なのか、それは読んでのお楽しみ。
魍魎の匣
京極夏彦 講談社

 「魍魎」…形、三歳の小児の如し、色は赤黒し、目赤く、耳長く、髪うるはし、このんで亡者の肝を食うと云。
 憑き物落としの京極堂と探偵の榎木津礼二郎が活躍する妖怪シリーズ第2弾。世間では武蔵野連続バラバラ殺人事件として記録されることになる。事件の発端は、昭和27年8月、武蔵小金井駅で起きた人身事故だった。事故に遭った柚木加奈子は14歳にして、どこか人生を達観した感じを伺わせる美少女。一緒に現場いた同級生の楠本頼子は、黒い服の男が加奈子の背中を押したと証言する。どうにか加奈子は一命を取りとめたものの、今にも死にそうな重体であった。そして、命の灯が消えかけている加奈子が運び込まれたところこそ、巨大な四角形の建造物である美馬坂近代医学研究所であった。研究所を管理していたのは、加奈子の身内である美馬坂幸四郎。その狂気の外科医である美馬坂が作り上げた異様な匣の中から加奈子が瞬時にして消失するという事件が発生する。
 そして、加奈子消失と時を同じくして発見され始めるバラバラ死体。怪しげな振興宗教である穢れ封じ御筥様とそれを信じる人たち、そして、幻想文学の旗手で匣の中の娘の作者である久保俊公の登場。いくつもの事柄が複雑に絡み合って終局へと結び付いて行く。どこか、江戸川乱歩的な雰囲気が漂い、シリーズ最高傑作とも言われる魍魎の匣だが、柴田財閥の登場や、京極堂の戦時中の過去も垣間見えるということで、シリーズの核となる1冊である。
 ちなみにこの作品から月刊実録犯罪の編集者で、「うへぇ」が口癖の鳥口守彦こと、とりちゃんが登場。彼の方向オンチが災いして、小説家の関口巽たちを事件に導いてしまうことになるのである。さらに、次作の狂骨の夢でキーマンとなる、いさま屋こと伊佐間一成も最後の方でちらっと登場する。
作品のツボ→事件の舞台が神奈川県下だけあって、指揮を取るのは神奈川県警本部の石井警部となる。実に嫌味なやつだが、読んでいる内に異常な事件に巻き込まれて、うろたえるばかりとなる常識人の彼が可愛そうになってくる。
『や行』

闇のなかの赤い馬
竹本健治 講談社

 かつて子どもだったあなたと少年少女のためのミステリーランド第三回配本作品。カトリック系の厳格な聖ミレイユ学園の中でも、ちょっと異質な連中が集まっている汎虚学研究会。その主要メンバーとなるのは、語り手となる室井環ことタマキ、女性でありながら質実剛健をモットーとする福田悠里ことフクスケ、冷静で理論家の寺堂院正宗ことマサムネ、ちょっと過激な性格の但馬睦夫ことタジオの4人。その4人の目の前で、ウォーレン神父が校庭の真ん中で雷に打たれて絶命する。その落雷こそが全ての事件の始まりだった。
 それから数日後、今度はベルイマン神父が密室のサンルームの中で、黒こげ死体となって発見される。同じような黒こげ死体ということで、2つの事件の関連性が、取り沙汰されるが、ウォーレン神父の方は自然現象としか思えず、ベルイマン神父も何が原因で黒こげとなったのか謎のままだった。そこで、汎虚学研究会のメンバーは独自に事件のことを推理しはじめるのだが…。そしてベイルマン神父の事件と時同じくして、タマキは赤い馬が怒って暴れまくる夢を見るようになる。夢に出てくる赤い馬は、一体何を意味するのか。
 匣の中の失楽でお馴染みの竹本健治が、自分が子供だった頃に読みたかったものをという依頼に合わせて書いた作品。ただし、とても子供向きと思えないような内容だが、あとがきを読むと、作品と同じようなミッションスクールに通って、友人と軟体動物同盟を作っていたという、かなり変わった子供時代だったようなので、これが竹本流の子供向け作品だと思われる。
作品のツボ→自然発火としか思えないようなベイルマン神父の死。その真相を究明するために、汎虚学研究会のメンバーが、ああでもないこうでもないと展開する推理が、かなりトンデモ系で楽しめる。
誘拐者
折原一 文春文庫

 冤罪者失踪者に続く折原一の○○者シリーズにあたる作品。ただし、誘拐者は1995年に東京創元社の黄金の13シリーズから発売されたもので、先の2作品より前に発行されている。それが一連のシリーズとして文春文庫のラインナップに改めて加えられたのである。そのため冤罪者と失踪者に共通して登場したノンフィクションライターの五十嵐友也は本作では登場しない。文庫ではシリーズ3作目にカウントされているが、本作を○○者シリーズの第1作と考えるのが妥当と思われる。
 全ては宇都宮の産院から一人の女の赤ちゃんが連れ去られたことから端を発する。父親になったばかりの堀江幸男は赤ちゃんを誘拐されて絶望の底に叩き落されるが、さらわれた子供を捜し求めて妻のチヨまで失踪してしまう。それから2ヶ月して唐突に赤ちゃんは返されるが、それでも失踪した妻は戻ってこなかった。こうして一つの誘拐事件によって狂った歯車は多くの人を巻き込んで、20年後へと物語りはつながっていく。
 フリーカメラマンの布施新也は偶然に芸能人のスキャンダル写真をものにするが、それが雑誌に掲載されてから写真の後ろの方に写っているカップルの男性の方の住所を知りたいとの手紙が届く。その男性はたまたまフレームに収まったもので布施新也にとっては単なる背景に過ぎなかった。それでも写真に写っているのは失踪した夫だという手紙を無視するわけにもいかず、偶然にも男性の住所を知った布施は、その住所を手紙の女性に伝えることにしたのであった。しかし、その余計なおせっかいが写真に写っていた2人に思わぬ災厄を呼び寄せることになる。
 20年前の誘拐事件に関係した人物が、現在の誰にあたるのか読者を迷わせるのは折原一の得意とするところ。最初に堀江の娘を誘拐した犯人は誰か、あすかと名前がつく子供を次々と誘拐していく女性は誰か、アパートの一室で猟奇的な行動を繰り返す女性は誰か、そして20年前に誘拐された女性は成長してどうなっているのかなど、バラバラになったパーツがどこに当てはまるのかは、物語の終盤になるまで全く見えてこない。同じ年頃の女性が何人も登場するので、誰が誰なのか混乱するように物語が構成されているのだ。おまけに占い師ミュージシャンなど、脇を固める人物も多く登場するので、○○者シリーズの中でも、かなり複雑な作品に仕上がっている。
作品のツボ→事件を複雑にしているのは佐久間玉枝という悪女の存在。彼女の半生が子供の頃から細かく描かれているが、人を殺すことすら躊躇しない彼女が物語りの歯車に組み込まれたことで、事件は猟奇的な様相を呈していく。
四万人の目撃者
有馬頼義 中公文庫

 セネタースの四番打者である新海清はスランプに悩まされていたが、その日の試合では第一打席で三遊間を抜くヒットを放ち、続く第二打席でも右中間を抜く大きなあたりを繰り出した。何としてでも三塁打にしようと三塁に突っ込んだ新海だったが、そのまま四万人の観客が見守る中、動かぬ体となっていた。新海の死は心臓死と診断されたが、それに不審を覚えたのは、セネタースのファンでその日も球場で試合を観覧していた東京地検の高山正士検事だった。
 確たる証拠も無いということで、警察も大掛かりに動くことができないという状況で、高山検事は笛木刑事と協力して事件の裏を探り始める。セネタースの茂木オーナー、新海の妻の菊江、新海がいるため代打の位置に甘んじていた矢後七郎、矢後の恋人で菊江の妹である長岡阿い子など、新海の周辺の人物を探る高山検事だが、なぜ新海が死んだのか一向に見えてくる気配がない。新海の後を任されて4番を打つことになった矢後の苦悩とともに、事件は混迷を深めていくのである。
 この作品は昭和33年に書かれたものだが、油断していると現代の小説かと錯覚してしまうほど、時代のズレを感じない。もちろんパソコンや携帯電話も無く、東海道新幹線すら開通していないのだが、そうしたものが出てこなくても小説において何ら問題は無い。プロ野球というシステムが時代が流れても大きく変化していないというのも原因なのだろうが、昭和28年の事件である京極夏彦の邪魅の雫が戦後間もない雰囲気を漂わせていることを考えれば、この5年間で現代の生活様式に一気に近づいたということであろうか。ただし、運送屋の車がオート三輪だったり、軍隊の頃のエピソードが語られると、急に一昔前の小説ということを意識させられる。セネタースのキャンプ地が熱海なのだが、これも今では考えられないことだろう。
作品のツボ→作者の有馬頼義は野球に熱中しすぎて高校を中退させられたほどの野球好き。本作も推理小説ではなく野球小説として書き上げたと語っている。そのため日本探偵作家クラブ賞を受賞しながらも、最初は辞退して江戸川乱歩のすすめでようやく受け取ったといういきさつがある。
『ら行』

ラグナロク洞 あかずの扉研究会影郎沼へ
霧舎巧 講談社ノベルス

 ドッペルゲンガー宮で館モノ、カレイドスコープ島で孤島モノにチャレンジした作者が、3作目で嵐の山荘モノに挑戦。ただし、山の中ではなく影郎沼の近くにある洞窟に閉じ込められるという一風変わった嵐の山荘モノ。影郎沼は、岐阜県の影郎村あり、荒ぶる神の影郎様が奉られているという。そんな恐ろしげな洞窟に閉じ込められてしまったのは、あかずの扉研究会の中でも、名探偵鳴海雄一郎とワトソン役の二本松翔の名コンビ。
 洞窟といっても、人工的に加工されており、入口以外にも外部とはエレベータが結ばれていたり、観光化に向けて宿泊施設も整えられていたりする。ただし、入口が崩れてふさがれた上に、エレベータも破壊されたことで、完全に閉じ込められた状態となる。エレベータが壊されるのと同時に村の女子高生の来栖奈々子が殺害され、連続殺人の火蓋が切って落とされる。影郎様の洞窟は拳銃や日本刀まである、かなり物騒な洞窟。そんな洞窟に研究会コンビと一緒に閉じ込められたのは、もう一人の名探偵である後動悟に出会ったことがある日色由香に、結婚を間近に控えた香取つぐみ、そして村の老人の丸谷四郎。閉鎖状態で容疑者が限定される空間でありながら、真犯人の姿は一向に見えてこない。事件の途中から後動悟由井広美も加わり、事件は思わぬ方向に動き出す。
 この事件には、ドッペルゲンガー宮の時に死亡した薬品ブローカーの三倉井端午から毒物を大量に買い取った人物の影が見え隠れする。さらに、この事件とは別に、後動悟の父親殺しの事件も少しずつ語られ始める。そして、またもや登場する建築家の渋谷進平の遺物。こうして3作目ともなると、これまでの作品の縦のつながりが、少しずつ生まれてくるわけだが、今後のシリーズの展開が気になるところである。ちなみに今回の作品では、ストーリーの展開上、森咲枝大前田丈の出番は少ないが、二人とも少ない出番でおいしいところをさらっている。
作品のツボ→鳴海雄一郎によるダイイング・メッセージ講義が付いてくる。Xの悲劇をはじめ数多くのミステリーで扱われてきたダイイング・メッセージ。殺される人物たちは、何らかの形でメッセージを残し続けるが、それは常に、ワトソン役の二本松翔を指し示す。本当に犯人はカケルなのか…。
龍臥亭事件
島田荘司 光文社文庫

 幾つもの難事件を解決した御手洗潔の相棒として、常に事件を記録し続けてきた石岡和己のもとに一人の女性が訪ねてくる。その二宮佳世という女性は自分には悪い霊が取り憑いていて、それを払うためには前世の自分の手首を掘り返すしかないと霊能者に言われたので、石岡に着いてきてほしいというのだ。いくら自分の小説のファンで信頼してくれているとはいえ、普通だったらそんなトンデモない頼みを聞いてあげようとは思わない。しかも手首が埋まっている場所には、岡山から何度も電車を乗り換える必要があるのだ。それでも頼まれたら断れないのが石岡くんの人の良さというか、情けないところというか…
 さて、肝心の名探偵御手洗潔はどうしているかと言うと、すでに日本にはおらず世界中を飛びまわっているというのだ。日本に滞在しているうちは、占星術殺人事件暗闇坂の人喰いの木などの事件を解決してきたが、御手洗にとって日本に逗留する時期は過ぎ去ってしまったようで、これ以降の事件でも日本に帰ってくるようなことはない。今回の事件でも御手洗はノルウェーのオスロに滞在しているので、困った石岡の頼みに対して電報や手紙でアドバイスを送ってくるだけである。
 霊能者の指示通りに動いているという佳代に引きずられるように岡山に来てしまった石岡だが、たどり着いた場所はホテルもないような田舎なので、かつて旅館であった龍臥亭に宿を求めることになる。長旅の果てにたどり着いた龍臥亭は、蒔絵、むかで足、四分板など琴に関する名前が付いた部屋が日本庭園を取り巻くように並び、和の美しさを湛えた素晴らしい建造物だが、石岡が着くや否や、龍臥亭に滞在していた琴の演奏家である菱川幸子が、密室で額を弾丸で撃ち抜かれた姿で発見される。こうして事件の犯人が分かるまで、龍臥亭から離れることができなくなった石岡だが、そこから龍臥亭に関係する人物が次々と射殺されていくことになる。しかも、殺された後に死体は盗み出され、首が切断されたり、目玉がくり抜かれるなど事件は異常な様相を呈していく。この名探偵もいない状況の中で、果たして石岡は事件を解決することができるのか。
 そして、龍臥亭事件を語るにおいて欠くことのできないキーワードが横溝正史の八つ墓村のモデルにもなった津山三十人殺しである。龍臥亭が建つ貝繁村には50年前に村人30人を殺害した都井睦雄の影が色濃く残っていた。そのため今回の事件も睦雄の亡霊が出たのではないかと疑う者も少なくなかった。本作では石岡が調査するという形で架空の龍臥亭事件だけでなく、現実に起きた津山三十人殺し事件の背景にも、島田荘司は深く切りこんでいく。
作品のツボ→この龍臥亭の一人娘が事件が発生した時点で高校3年生の犬坊里美である。島田氏の著作に犬坊里美の冒険があることから分かるように、彼女は御手洗シリーズの中で重要な位置を占める人物となってくる。そういうことからも龍臥亭事件は御手洗潔シリーズのターニングポイントにあたる作品と言えるのではないだろうか。
りら荘事件
鮎川哲也 講談社文庫

 秩父の別荘を訪れた7人の学生が巻き込まれる連続殺人事件。殺害された被害者の傍には必ずトランプのカードが残されている。プロットは新本格でもお馴染みとなるような閉ざされた山荘物だが、この作品が昭和28年に書かれた作品と考えると、後の作品に与えた影響の大きさを感じさせる。読んでいると舞台が外界から遮断されているせいもあり、そんな昔に書かれた作品だということを忘れてしまう。
 もちろん海外の本格推理小説に、このようなシチュエーションの作品があったことが、本作品を生み出すきっかけとなるのだが、現代の本格ミステリーでも、ほとんど変わらず、こうしたシチュエーションが使われているということは、本格ミステリーの読者が(そして作者も)、いかにこのパターンが好きかということが実感させられる。
作品のツボ→探偵役は星影竜三。作者によれば最もいやみな性格にしようと考え出されたキャラクターだが、その後の推理小説の歴史の中でとんでもない探偵が数多く生み出されたせいで、彼が比較的、普通の人間に見える。
ルー=ガルー 忌避すべき狼
京極夏彦 徳間書店

 近未来少女任侠小説と銘打っているこの作品を、どのジャンルで紹介するか迷ったのだが、やはり自分にとってこの作品はミステリーなのである。
 時代設定は2040年頃。少女達はリアルに人と接する機会の少なくなった社会において、連続殺人という、あまりにも現実離れした現実を突きつけられることになる。この近未来社会の設定はインターネットアニメージュの読者から公募したアイディアを京極夏彦が作品に反映させたもの。おそらく現実の未来はここまで変わりもしないのだろう。そのくせ予測もつかない部分が少しだけ変わるというのが現実の未来なのかもしれない。とにかく、予想の範囲を超えて寄せられたであろうアイディアを、苦労しながらもほころびが出ないように作品に取り入れることに成功している。
 作品内には妖怪シリーズの木場をほうふつさせる刑事をはじめ、少女達の性格も京極堂榎木津、そして関口を連想させる形がとられている(この榎木津がのりうつったような少女、都筑美緒カメ型のプラズマ砲を作って暴れまわるのは前世紀の映画ガメラを見て触発されたという設定である)。
 ときに物語終盤に登場した関西弁を話す来生律子はインパクトのあるキャラだけれど、彼女の先祖となる人物が、今後出る京極作品の中に登場するのではないかと予想しているのだが…。
作品のツボ→ある登場人物の名前に聞き覚えが有ると思ったら、京極堂が活躍する妖怪シリーズにもリンクしていることが判明。昭和初期と21世紀半ばを結びつけた手腕に思わず脱帽。
ローマ帽子の謎
エラリー・クィーン 創元推理文庫

 クィーンのデビュー作にして、国名シリーズ10部作の第1弾。探偵役は作者と同名の推理小説作家エラリー・クィーン。そして、彼の父親であるリチャード・クィーン警視が組んで事件に挑むことになる。ちなみに、このモチーフを自分の作品に取り入れたのは、熱狂的なクィーンファンである法月綸太郎である。
 探偵のクィーンのキャラクターは、優秀な推理力を有しながらも、エルキュール・ポワロファイロ・ヴァンスなどの名探偵に比べて、特別にアクが強いといったわけでなく、推理マシーンのイメージも無く、人間味にあふれている。
 事件は多くの人が、舞台を観劇しているローマ劇場で、観客の一人が毒殺されているのを発見されたところから幕を開ける。その男、モンティー・フィールドは悪徳弁護士で、誰に殺されてもおかしくないような悪党だった。劇場にいた観客から俳優すべてが容疑者という、途方も無い状況から、クィーンは事件の解決を迫られることになる。そして、この事件の最も奇妙な点は、殺された男が持っているはずの帽子が紛失していたことである。何故、帽子は無くなったのか、そして警察の厳戒態勢の中、どうやって犯人は帽子を外に持ち出せたのか…。
 驚くべきことに、この事件では探偵クィーンは、推理小説ではお馴染みである謎解きの場面に参加していない。その直前に、前から計画していたことで旅行に出てしまうのである。しかし、この無責任な名探偵も、旅先から事件解決のヒントを出して、その責任はきちんと果たしているのである。
作品のツボ→探偵クィーンは、無類の読書好き。初登場の際も貴重な本を入手する直前に、事件解決のために呼び出されたので文句をたれているほどである。
ロシア幽霊軍艦事件
島田荘司 原書房、角川文庫

 1993年8月8日、御手洗潔の友人でハリウッドの大女優である松崎レオナから寄せられた一通の手紙が、全ての事件のはじまりだった。いや、正確には本作では誰かが死ぬとか、殺人事件が起きるわけではないので、事件のはじまりというのは正しくないのだが、そこにはトリックを用いた連続殺人よりも魅力的な謎解きが展開されている。
 そのレオナから届いた手紙というのは、元を正せば彼女に届いたファンレターだったのだが、84年に彼女に送られたファンレターは、ちょっとした手違いから9年間も放置されていた。レオナにファンレターを送った倉持ゆりという若い女性は、明治生まれの祖父である倉持平八からの強い頼みで手紙を出したのだが、その手紙の内容とはヴァージニア州に住むアナ・アンダーソンという女性に倉持が謝っていたと伝えてほしいというものだった。その平八が老衰で亡くなったことから、無理な願いであると知りつつも孫娘のゆりは、祖父の遺言だと思って手紙を出したというのだ。9年経ってから手紙の存在を知ったレオナは、手紙に書かれていたアナ・アンダーソンに連絡を取ったのだが、アナは84年に亡くなっており、夫のジョン・マナハンも90年に亡くなった後だった。この手紙の内容に興味を引かれた御手洗は差出人の倉持ゆりに連絡を取ったが、彼女も1年前に交通事故で無くなり、身内で生存しているのは平八の息子で、ゆりの父親である倉持寝無里だけであった。そういったわけで謎が動き出した時点で、関係者の大半が死亡しているという特殊なケース。本来なら放置しても問題ないのだが、他に切羽詰った事件に追われているわけではないので、御手洗と友人の石岡和己は、ちょっとした謎解きに挑むことになったのだ。
 この手紙の内容で御手洗が最も気になったのは、箱根の富士屋ホテルに飾られている1枚の写真さえあれば、アナ・アンダーソンさんは理不尽な目に遭わずにすんだというものだった。そこで箱根に向かった御手洗と石岡が見たのは、芦ノ湖に浮かぶ巨大なロシアの軍艦の写真だった。その写真は大正8年(1919年)に撮られたものということだが、山の中にある箱根の芦ノ湖に軍艦が存在するというのもあり得ない話であった。しかも、その軍艦は一晩で消失してしまったというのだ。写真には多くの日本の軍人が写っていたが、そんな写真がどうしてアナという女性を救うことになるのか、湖に浮かぶ軍艦の謎とともに、御手洗は推理を働かせることになる。
作品のツボ→ 実はアナ・アンダーソンという女性は実在の人物である。彼女が何者かと言うと、我こそがボルシェヴィキによって虐殺されたロマノフ王朝の生き残りアナスタシア皇女であると主張していた人物である。あまりにもアナスタシアとアナの風貌が違っており、ロシア語も話せないということで、偽者の烙印が押されたアナ・アンダーソンだが、彼女がアナスタシアと信じる人物は少なくなかった。そこで真実はどこにあるのか、島田荘司は御手洗の視点を通じてアナスタシアの謎を探っていこうというのだ。歴史の謎を推理するミステリーは高木彬光の成吉思汗の秘密などが存在するが、本書も歴史を新たな視点から見ることができる1冊となっている。なお、ロマノフ王朝の莫大な遺産はミステリーとして魅力的なテーマのようで、劇場版名探偵コナン「世紀末の魔術師」でも登場している。
『わ行』

Yの悲劇
エラリー・クィーン 創元推理文庫

 本格ミステリー史上最高峰に輝く作品なのだが、それにしても登場人物が、そろいも揃ってこれだけ怪しい人間ばかりというのも珍しいと思う(隣人の船長も含めて)。
 犯人を目撃した唯一の女性が、目が見えず、耳も聞こえず、口もきけない三重苦という設定で、犯人はバニラの匂いがしたという証言した時点で、自分はこの作品に完全にのめり込んでいた。しかし、海外ミステリー1位となるYの悲劇と、国内ミステリー1位によく選ばれる獄門島が、どちらも死者の意思に引きづられるという点で共通しているのは興味深いことである。
 この難事件に挑むのがXの悲劇に続き、名探偵ドルリー・レーンなのだが、悲劇的な解決が彼に深い影を落とすことになる。彼はその影をひきずったままZの悲劇レーン最後の事件と悲しい道を歩んで行くことになる。生涯、様々な役を演じた名優ドルリー・レーンだが、彼にとって最も演じるのに難しかったのが探偵という役だったのかもしれない。
作品のツボ→さて、何故犯人は凶器にマンドリンを使ったのでしょうか…。
私が彼を殺した
東野圭吾 講談社文庫

 どちらかが彼女を殺したと同じく、容疑者が限定されていながら、最後まで読んでも犯人が明かされないシリーズの第2弾。前作では2人のうちどちらが殺人を犯したかを推理していったが、今回は容疑者が3人に増えて、より複雑なものとなっている。
 小説家で脚本家でもある穂高誠は、若者から絶大な共感を得てベストセラーをとばしている女流詩人の神林美和子との結婚を間近に控えていた。そんな穂高の前に、かつて結婚すると偽って子どもを中絶までさせた浪岡準子が姿を現す。準子の存在を美和子に知られる前に、体よく追い払おうとした穂高だったが、自宅の庭で服毒自殺されてしまう。事をうやむやにするために、死体を準子のマンションにまで運び込んだのまでは良かったが、結婚式当日に準子が飲んだ毒入りカプセルと同じものを飲まされて、穂高は殺害されてしまう。
 穂高を殺害する機会があったのは、たったの3人。美和子の兄でありながら実の妹を愛していた神林貴弘、穂高の仕事のサポートをしながらも愛していた準子の自殺が許せなかった駿河直之、かつて穂高と付き合っていたが利用して捨てられた編集者の雪笹香織。美和子が自殺する前に作った複数の毒入りカプセルが、人の手から手にわたって物語りは混迷を深めていく。最終的に穂高に毒入りカプセルを飲ませたのは、いったい誰なのか。
 前作が三人称で書かれていたのに対し、今回は神林貴弘の章、駿河直之の章、雪笹香織の章といったように、容疑者の一人称視点で交互に物語が語られていく。容疑者の視点で書かれているのだから、犯人が分かりそうなものだが、その点は巧妙に(そして、あくまでもフェアに)、決め手となるものをぼかすようにして書かれている。捜査にあたるのは、前作でも犯人を突き止めた切れ者の加賀刑事。はたして読者は加賀刑事のレベルにまで、たどりつけるのか。
作品のツボ→前作同様に文庫版では、西上心太氏による推理の手引きによって、犯人の決め手となるヒントが書かれているのだが、今回は推理の手引きを読んでから、もう一度はじめから読み返さないと、とても犯人が分からない。
笑わない数学者
森博嗣 講談社ノベルス

 犀川助教授と西之園萌絵のS&Mシリーズ3作目。天才数学者である天王寺翔蔵博士三ツ星館には一つの大きな謎が存在する。庭にあるブロンズのオリオン像を博士が消してしまうことができるのである。12年前、一族の者たちに消失劇を見せて、その謎解きを迫った博士だが、ついに謎は解かれず終いだった。そして、犀川と萌絵が館に招待された時、再びオリオン像が消え去り、それと同時に連続殺人事件が発生する。博士はどうやってオリオン像を消したのか、そして殺人事件の犯人は誰なのか…。
 前作の冷たい密室と博士たちで、危うく死にかけた萌絵だが、今回の事件でも銃撃されるという、とんでもない目に合っている。頭の良い彼女だが、事件に首を突っ込みすぎることが、自分の身を危険にさらすということについては、学習効果が無いようだ。
 森作品の中では、かなりストレートな部類に入るミステリーで、ミステリーマニアならば、メイントリックに気付く人も少なくないだろう(もっとも、それと犯人当ては別の次元なのだが…)。殺人のトリックや動機が変化球となっていく前の、森ミステリの本格振りを楽しめる最後の作品と言えるかもしれない。
作品のツボ→この事件の途中で、萌絵の料理の腕前が殺人的にヘタだということが判明する。それにしても、犀川先生に「彼女が作ったサンドウィッチのようなもの」と言われてしまう食べられないほどのサンドウィッチとは一体…。
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