こら!む、

俺はドラマ−になる!

その1.「疑似ドラムセット。」

第1回目は、ドラムを始めた頃のことでも書いてみます。

もう25年、、俺は人生の半分以上もこんな事をやっている。 途中でサラリーマンをやったりしてて、音楽から離れてしまった時期もあったが。

飽きないのか!? ぜんっぜん飽きない。1度も飽きた事がない。 たぶん自分の中で、年代によって聴く音楽やスタイルが変わってるからやと思うけど、、

できればこれで人生を全うできればなぁ、と思う。そしてこんな俺にも「スティック握った第一日目、僕ちゃん今日からドラマー!」という日があったのだ。

中学生の頃はフォークギターをやっていた。主にアリスのコピーをやっていたが、どうも俺はギターには向いてないのだと思った。左手の薬指の先が痛いのだ。

ギターの弦を押さえると指の先が痛い。というか痛くてちゃんと押さえられない。それは小さい時に、リンゴの皮を剥いていた母親のそばでナイフで遊んでたら

指先を切り落としてしまい、その縫合のあとが残っているからです。だから薬指の指先だけ力が入らない。でも「楽器を弾く楽しさ」を知ってしまったのだから

仕方がない。 ちょうどうまいこと、野球を諦めた所に良いもんを見つけたんかも知れない。 最初、「俺が音楽なんてー!?」と思ったものである。

中3の時、文化祭でバンドをやろうって事になった。「ギターの弦は押さえられんけど、ドラムやったら叩けるかも知れん。」 と思った俺は、見よう見マネで

ドラムを始めた。同じクラスに塩崎くんという和菓子屋の息子がいて、彼にドラムを教えて貰った。その時思ったのは、「なんじゃこれは〜!頭おかしなる!」

だった。 海の生き物で「蟹」というのがいるが、(知っとるわ!蟹ぐらい誰でも!)それだ!と思った。両手両足全部動かすんかー!?今まで生きてきた中で

まず、ありえん動きだった、という事である。たぶんドラマーというのは、普通の人間の脳ミソの未だ使った事がない神経細胞のニューロンが発達しているはず。

四肢(両手両足)がそれぞれ独立して異なる動きをする。サーカスだと思った。ジャグラ−なんかに近いかも知れない。例えて言えばキャベツの千切りしながら

右足でサッカーボールをドリブルし、左足で習字をする様なものかも知れない。(まさか、、そんなん出来ませんが!)

ドラムという楽器を簡単に説明すると、バスドラム(足で踏むやつ)スネア(左手で叩くやつ)ハイハット(右手で叩くやつ。左足で踏んで鳴らしたりもする。)

大抵はこの3つの楽器でリズムを作り、その上で曲に展開が欲しければ、タム(右左の手を両方使う)やシンバル(リズムや曲にアクセントを付ける)を使って

カッコいいフィルイン(オカズ)を入れたりする。人によってそれぞれだと思うけど、タムやシンバルは何個並べても良い。

最低限、楽器を鳴らす技術は必要だが、「しょせん音楽、娯楽なのだ!」と思った俺は 基礎練習もろくにせず、家に帰るととにかくレコードを聴きまくった。

家にはもちろんドラムセットも無かったし、レコード聴いてイメージするしかない。実はこれが得意だった。妄想癖が幸いしたのか、そのうち自分の部屋の中に

疑似ドラムを作った。押し入れの戸を開け、そこに絵の具のバケツをガムテでキメ、足元には母親のミシンの足漕ぎの部分を、天井からヒモで鍋のフタを吊った。

今みたいにビデオも無かったし、レコード聴いて「ここはこうやろ〜!たぶんこうやろな。」と、想像だけでドラム(ちゅうか、押し入れ!)に向かっていた。

そして、当時テレビの「ザ・ベストテン」に出てたゴダイゴや世良公則とツイスト、サザンなんかの曲を耳でコピーし、早速バンドを作って学校の文化祭に出た。

文化祭は何とも言えんくらい楽しかった。俺はこの先もこれが続くのだと思ったが、他のメンバーは文化祭が終わるとそのエネルギーが受験に向かって行った。

でも俺は延々、あんな事をやっていたかった、、結局まだやってるが!

中3も後期になると、さすがにウチの親も部屋にあったレコードやカセットテープを取り上げた。 ところが1本だけ、「キッス」の「地獄からの脱出」という

アルバムを録音したカセットテープが残っていた。俺は毎晩 勉強するフリをして、夜食に母親が用意してくれたカップヌードルの箸をスティックがわりにし、

夜中にバレないようにヘッドフォンをかぶり、ラジカセで爆音のキッスを聴きながら、布団を叩いてドラムの真似ごとをしていた。

おかげで高校受験に失敗、、公立高校に落ちてしまった。


俺はドラマーになる!

その2.「コンテスト。」

高校に入学してまず思ったのは、「今の俺の実力っちゅうのはどれくらいのもんか?」だった。俺にはライバルが居なかった。決して天狗だった訳じゃない。

俺が育った石川県の小松市という所には、当時 楽器屋が一軒しかなく、ドラムをやっている人間も ほとんど周りに居なかったのだ。

そんな田舎町で競争心が芽生えるはずもなく、「金沢に出てバンドやろう!」と俺は決心する。(するもなにも!受験に失敗して金沢行くしか無かってんけど!)

もし、あの時 地元の公立高校に受かっていたら、今ここに俺は居ない。人生初のターニングポイントは間違いなくあの時だっただろう。

小松から金沢までは電車で45分ぐらい。私立金沢高校に入学した俺の頭の中には、当時流行ってたクリスタルキングの「大都会」が鳴っていた。しかも毎日。

矢沢永吉が広島から東京に出て来た時とそっくりだと思った。(どこが?!)俺にとって金沢という街はまさに大都会で、全てがショックの連続だった。

しかもレコード店に行けば、好きなレコードが好きなだけ聴けるのだ! それは「試聴」というシステムだった。

あの時代、うちの地元、小松にはそれすらも無かった。

俺はこの画期的なシステム(ちゅうか、試聴です。ただの試聴!)に魅せられ、学校の帰りに毎日金沢のレコード屋に行き、ロックのレコードを聴きまくった。

しかし、今書いててつくづく思ったが、俺は なんて田舎の田吾作だったのだろう。中学生までの俺は坊主頭で、自転車で行ける範囲の世界しか知らなかった。

ある日、いつものように学校の帰りに8番らーめん(金沢では有名)を食い、レコード屋に寄ってデフレパードの新譜を聴いてたら、あるチラシが目に入った。

それはロックバンドのコンテストだった。予選があり県大会があり、更に勝ち進むと今度は「合歓の里」で決勝大会があるというヤマハのコンテストだった。

予選はコピー曲でも良い。その頃、俺はまだ中学の時の仲間とバンドをやってて、小松に帰ってさっそくみんなに知らせよう!(あぁ、なんて田吾作なんだ!)

今、また思ったが、、俺は東京に住んでだいぶ汚れてしまったなぁ。(身も心も、、)

当時やってたバンドは「LED FOX」といい、マルちゃんのカップうどんの「赤いきつね」からとった。(あぁん、ダサイよぅ〜! 穴があったら入りたい。)

赤い=RED だが、頭を「L」にしたのは「LED ZEPPELIN」みたいなバンドにしたかったからで。 でも、レパートリーはクイーンだった。(なんやそれ!)

コンテスト当日、小松の仲間を連れて電車に乗り(俺だけ一人、金沢の学校に通ってる)予選会場に向かう途中、腹ごなしにケンタッキーフライドチキンを食った。

他のメンバーは衝撃を受けていた。俺はすでに経験済みだったが(たかがチキンやろ!)当時、小松にはケンタッキーが無く、「チキンとコーラ」を一緒に食う

習慣など無かったのだ。「その組み合わせはありなんか!」「油と炭酸は腹の中で分離しないんか!?」と聞かれ、「まぁ都会はみんなこうや!」と答える俺。

いや、おそらく上京したての矢沢だってそう答えたに違いない!(あぁっ、書いててこの過去の自分の田吾作っぷりに嫌気が刺してきたよ、、)

余談になるが、この頃のケンタッキーは骨まで柔らかくて全部バリバリ食えた。(うーん自信ないかも、、俺らが食えると思って無理矢理食うただけなのか?)

会場に着き、受け付けを済ますとライバル達がいる楽屋(みんな同じ部屋)へと。 なんか皆、かっこええな。どう見ても 俺らが一番シロートやな、と思った。

何故ならうちのバンド、中学の時は全員ぼうずだったので、この時まだ髪の毛が伸びきってない。「ロックをやる人間」とは一番遠い気がしていたのだ、じつは!

他のバンドはルックスからしてレベルも高く、長髪でエアロスミスをやり、モヒカンの奴らはダムドやセックスピストルズの曲をやってた。

その時 ウチらがやった曲は、クイーンの「Don't stop me now」。だいぶ前からずっと練習してきた自信作だったが、じつはここで大変重大なミスを犯している。

知ってる人もいるとは思うが、この曲はピアノの曲だ。しかしウチのバンドには、そんな人(ピアノ)が居ない。どういう事や! なんか他の曲 なかったんかい!

もちろん、、予選落ちだった。あの会場に居た どのバンドよりも印象うすかったやろな〜。

俺はこの時のテープをまだ持っている。先日ドラム教室の生徒にこれを聴かせたら、大笑いされてしまいました。そして俺も大笑い。あっははー!

俺の初コンテストは不発に終わったが、やがてのちにこの俺にも天狗になる時がやって来るわけで。 それは次回。


俺はドラマーになる!

その3.「ミクスチャ−な80年代初期。」

高校に入った俺は、むさぼるように洋楽を聴いた。木曜の夜を除いては!(ザ・ベストテンの日やから!)

当時、夜中にAMラジオで「ポップタウンエクスプレス」という、まだ「ベストヒットUSA」をやる前の小林克也の司会の洋楽チャート番組が好きだった。

この年にビートルズのジョンが死んだ。ポールはすでにウイングスになっていた。せまい街で少ない情報を手に入れ、ロック好きの友達にも影響を受けた。

「ミュージックライフ」という洋楽の月刊誌を毎月買うのが楽しみだった。クイーンやキッス、チープトリックがいて、一方では YMOなんかのテクノポップが

大流行し、あの小泉今日子までもがテクノカット(ノーチャリ。もみあげがない)をしていた。 ニューウェイヴ、パンク、ヘヴィ−メタルが混在していた時代。

洋楽の情報源がまだラジオだったりして、FMラジオで 渋谷陽一がレッドツェッペリンの特集をやると、必ずといって良いほどエアチェックをした。

高2の夏頃、突然に「フュージョンブーム」というのがやって来た。フュージョンというのは(当時はクロスオーバーとも呼ばれた)ラリーカールトンとか

カシオペアとか、夏に似合う感じの(勝手に俺がそう思ってるだけかも!)そんな音楽だった。それまで俺はロックばっかし聴いてたが、やがてこの頃からは

フュ−ジョンなんかも聴くようになってくる。(なんせブームやったから!)ここで俺は、ひとつの壁にぶち当たる、、それは16ビートというものだった。

それまでロックといえば「ドン・タン・ドトタン」という感じのリズムだったが、フュ−ジョンブームが俺にもたらしたものは「ドン・タン・ドンツト・タン」

だった。バスドラムの単位は16分音符で、今まで知らんかったファンキーなフィーリング。 あのキッスでさえも「ディスコミュージック」をやり出したのだ。

ロックとは違ってリズムや音色にも丸みがあり、ヤマハのドラムの音が一世風靡をした時代だった。あれは今盛んに耳にする「グルーヴ」という事だったかも。

AW&Fのモ−リスホワイトが「レッツグルーヴ!」と叫び、ポリスのスティングが「ホワイトレゲエ」を唱えた。チャゲ&飛鳥は二人でも「ひとり咲き」だった。

銀蠅一家の中には岩井小百合もいた。「なめ猫ブーム」があり、学校では男女で「交換日記」をするのが流行った。(なんか、、脱線してきたな。)

ドラムを始めて一年が経ち、俺はあらゆる音楽を耳でコピーした。例えばそれは、松田聖子の「青い珊瑚礁」だったり、石野真子の「ワンダーブギ」だったり、

河合奈保子の「けんかをやめて」とか、郷ひろみの「お嫁サンバ」だったり(全部歌謡曲か!)いやいや、なかなかどうしてコイツら、あなどれんのだ。

特に松山千春の名曲、「銀の雨」のドラムは本当に難しかった。(だから全部歌謡曲やん!フュ−ジョンはどこ行ったんや!?)

今でもドラム教室の生徒によく言うことなんですが、「コピーするんなら、その曲のドラマ−のクセまで完コピしろ!」と。 俺は最初から譜面なんかまったく

あてにせず、レコード何回も聴きまくってそのドラマーがやってるフレーズを完璧にコピーした。楽器屋でスコア譜を買ってきて、間違いを赤ペンで直してた。

生意気や。「俺が正しい!売ってる楽譜、ぜんっぜん違うや〜ん!」と思ってた。まぁ実際、市販されているバンドスコア譜なんてゆーもんはそんなもんです。

何年か前にドラムマガジンという雑誌で、俺がレコーディングした曲を許可なく勝手に譜面を使って解説(実は嬉しかってんけど)されていたが、それも微妙に

フレーズが違ってた。やっぱりドラムの譜面というのは便宜上のもので、音符間の「モタリ」や「ユレ」なんかは どうやったって書き記すことが出来んわけで。

「そのドラム叩いた本人にいっぺんなってみろ!」と。まずはそこから始まる、、と思っている。

これは俺の信念なんやけど、「コピーするなら完コピー!!」

そして次回、「ライバル出現!」


俺はドラマーになる!

その4.「キャラクター祭り全盛期 〜 ライバルはキッスだった。」

やがて高校も2年になり、ようやく金沢に馴染んできた田舎もんの俺は、小松の街を捨てて金沢の仲間とバンドを始める。それが人生で2個目のバンドだった。

そのバンドは「ゴールデンチャイナ」といい、当時 金沢の繁華街(香林坊)にあったキャバレーの名からとった。(ダサいバンド名やわ〜。)

そのバンドで目指したのは「キッス」だった。ギターの森という男の家がBarで、店が開くのは夕方。俺らは開店前のBarに機材を持ち込んでバンドの練習をした。

森の家はバンド仲間の溜まり場だった。毎晩 色んな奴らがたむろし、楽器屋で盗んだギターを弾いたり朝までレコード聴いたり、マージャンをやったりしてた。

なのに翌朝、、全員がちゃんと学校に行ってたというのがスゴイ。俺は「そうか、青春というのはこういう時期のことか!」と思った。

1981年、、高2の俺は 去年とは違うバンドで、また一年前に出たあのコンテストの予選に出た。曲はキッスの「ジュース」だった。また予選で落ちたけど!

俺はこの時のテープもまだ持っている。(なんてモノ持ちが良いのだろう。)最近聴いてみたが、その前のクイーンよりは ちょっとまともだった。ヘタだが。

コンテストが終わり、リーダーでベースを弾いてる川島に「お前、高校 卒業したら大阪に行くやろ?」と聞いた。 何の自信か!予選落ちやったクセに、、

この頃の俺は、この青春時代の挫折なんて、「都会へ出る為のプロローグに過ぎない。」と思っていたのである。

そして 何故「東京」じゃないのかと言うと、うちの地方(石川県)からしてみれば、卒業して県外へ出て就職するにも、東京という街はあまりに遠すぎる。

だから、都会に出て行く感覚っていうのは大阪なのかも知れない。近場の都会と言えば、とりあえず名古屋や大阪に出る奴が多かった。すると、その川島に

「行くわけないやろ!お前プロにでもなるつもりか?!」とフツーに言われた。何故だ!? なぜそんな普通に、サラリとそんなことが言えるのだ!?

今でも覚えているが、その時に俺は「お前、ジーンシモンズになりたくないんか!」と返した記憶がある。若さって一体何?? 俺は何を考えてたんだろうか!?

本気で俺ら(ちゅうか俺!)はキッスみたいになろうと思っていた。 いや、なれると!(なってどうする!) ライバルはキッスだった、、

今だから冷静に思える。そんな〜!キッスなんかになりたくないよ俺は! そんなもんを目指してどうするというのだ!? 若さって、一体何なんだろう。

ましてや、そのキッスの本人達でさえ 最初に目指したものはビートルズだったのに、結果として「地獄のロックンロールファイアー」になっちゃったワケで!

そしてまた矢沢のキャロルが目指したのもビートルズだった。でも結果として「皮ジャン、リーゼント」になっちゃったワケで!! 俺はキッスというバンドの

キャラクターやコンセプトが好きだったのだ。音うんぬんというよりも! 今思ったが、俺がスポーツで感動してしまう原因というのも、多分ここにあると思う。

例えば 団体競技の場合、このチームにはこんなキャラがいる、この人はこんなキャラでこんな役割が仕事、、とか、いつもそんな事を思いながら観ている。

個人競技の場合、K-1なんかだと技に個性があるし。(レミ−ボンヤスキーのフライングニ−とか、イグナショフの毒針ヒザ蹴りとか。)

俺はこの「キャラクター祭り」が大好きなのだ。キッスのコンセプト、、ジーンシモンズは「バットマン」、ポールスタンレーは「スター」(あるいは王子様)

エースフレーリ−は「宇宙人」、ピータークリスは「猫男」というものだった。前回書いたクイーンもそうだが、あの時代は個性的なバンドが多かったと思う。

もっとスゴい究極のバンドがいた!「チープトリック」である。奴等はクイーン同様、日本から人気に火が着いたバンドだった。当時のミュージックライフという

雑誌でも、巻頭グラビアは「京都でお抹茶を飲んでいる所」や「東京タワーを観光している所」等のオフショットの写真が多く、まるでアイドル並みの扱いだった。

このバンドの凄い所はメンバーの容姿がバラバラで、ボーカルのロビンザンダ−とベースのトム ピーターソンは長髪で美形。しかし、ギターのリックニ−ルセンは

常に野球帽をかぶっており、ステージではおどけた動きに加えて 口の中から何枚もピックを出す。(手品師みたいだった)ドラムのバーニ−カルロスという男は

どんな時でも絶対にタバコを吸いながらドラムを叩いている。タバコは切らさない。切らしてる時を見た時がない。(いつ吸い終わってんの?ってくらい。)

俺は最初、フロントの美形2人は兄弟なのかと思った。(他人です)「バランス悪いな〜メンバー全員、美形で統一しようと思わんかったんかな。」と思った。

残りの二人があまりにもコッケイな奴等だったので 同じバンドのメンバーとは思えない。レコードジャケットを見ても、表に 美形の兄弟(兄弟じゃないよ!)と

裏には「手品師」と「ニコチン中毒」の二人、、という組み合わせで写ってるというパターンが多い。

チープトリックは「美兄弟と手品師とニコチン中毒!」 そのバランスの悪さが売りだった。 だからバンドは面白い。

あぁ、なんか、、人の話を書いて終わってしまった。 次回は「三度目の正直。」


俺はドラマーになる!

その5.「三度目の正直。」

さすがに金沢と言えども、しょせんは田舎、、当時は、まだ アマチュアバンドが出演できるライブハウスなんか、金沢には無かった。

コンクリート打ちっぱなしの「地下広場」というレンタルスペースを自分達で借り、チケットも手作りでライブをしたり、夏になると金沢にある「犀川」の

夏祭りのイベントとか、地元のジーンズ店のオープンの余興で演奏したり、という感じだった。なんせ俺らの目指したのは、毎年春に行われている、例のあの

ヤマハ主催のコンテストと学校の文化祭だった。「年にたった2度!」のチャンスの為にひたすら練習スタジオに入り、黙々とバンド練習をするしかなかった。

あの頃はまだ、簡単にハードディスクレコーディングができる時代じゃなかった。まさか今みたいに、自分達だけで手軽にCDが作れるようになるなんて、、

今のこの時代を、一体 誰が想像出来ただろうか!?田舎もんの俺らにとって、チャンスと言えば コンテストに出て注目されて上を目指すしか無かったのだ。

前回、キッスのコピー曲でコンテストに出て、また予選落ちだったところまで書いたが、その時 俺はまた違うバンドに引き抜かれる。

それは小室という男がやってた「パイルドライバー」というバンドだった。小室は、俺ら(ゴールデンチャイナ)の演奏を観たあと、楽屋に来てこう言った。

「お前のバンド見せて貰ったけど、ハッキリ言っていい?(なんやお前、細木数子か!)俺はお前を引き抜こうと思う。なぜなら!俺が見て感動したから。」

何やそれ! 素直に「うちのバンドに入ってください」と言え! 小室は言った。

「どうや?お前、ピータ−クリス(キッスのドラム。またキッスか!)になる気ない?」 、、そして俺の答えはこうだった。

「ええよ、俺で良ければ喜んでピーターになるよ。」(まぁ笑わんといて下さいな!なんせ、田舎もんのアマチュアなんやから、、)

今だからこうして言えるが、なんなら俺はピータークリスには成りたくはない。たしかにキッスは好きだったが、もうすでに飽きていたのだ!(はやっ!)

あの時の俺は若かった、、そこに俺という人間の需要があるならば、ピーターでもペ−ターでも、なんならロドリゲスでも何でも良かったのだ!!

あれから25年。 まさかこの時は思ってなかったが(ちゅうか、その存在すら知らんかったけど!)今 俺は、おそらくそのキッスと同時期に始まったであろう

伝説のロックバンド、頭脳警察でドラムを叩いている。(ちゅうか 今年はもう頭脳警察はやらんのかね。レコーディングが途中でっせ?!)ついでに宣伝すると、

その頭脳警察の復活の時の(2001年6月9日)日比谷野外音楽堂のライブDVDが最近発売されたようです。(俺の頭、とがってますよ。)買ってねーん。

俺はゴールデンチャイナをあっさりと辞め、(川島がプロになる気がないって言うしやろ!)パイルドライバーに加入。(すんません、ローカルな話で。)

新しい環境で俺は燃えていた。このバンドならばもっと上に行けるかも知れん、と確信したのだ。 3度目の正直、、来たるべき来年のコンテストに向けて。

俺らは 毎週日曜日に小室の実家が経営する工場に機材を持ち込んで練習に励んだ。(あぁ青春!)初めてオリジナル曲というのを作り、新しいボーカルも入れた。

土曜日に学校が終わると午後から工場に行き、泊まり込みで練習した。皆で夜中にインスタントらーめんをすすり、将来の夢を朝まで語った。(懐かしいー。)

翌年、パイルドライバーは予選を通過、、県大会も通過、、本選の金沢市観光会館での決勝大会に勝ち進んだ。 そして俺は「ベストドラマー賞」に選ばれた。

次回、「ターニングポイント再び、、まさか俺が板場修行?!」の巻。


俺はドラマーになる!

その6.「ターニングポイント。」

高校時代は全てのエネルギーをバンドに費やし、音楽やドラムに対する欲や興味が尽きることはなかった。

学校が終わると、楽器屋やスタジオやレコード屋に直行し、そのあと親友の竜司の家でロックを語り合い、終電で帰宅する毎日だった。

人生は「時間、場所、タイミングだ!」という事をよく耳にするけど、本当にそうだと思うよ俺は。前もってそのポイントが分かれば良いが、そうも行かない。

極めて自分というものが曖昧で、まぁそれだけ選択肢があったという事か。あれから何度か分かれ道はあったが、その時はまだ上京するなんて知る由も無かった。

俺はこの先、あと何回選択をしていくのだろうか?  あの時、俺は、、「賭け」に出たのだ。

俺は無事に高校を卒業し、金沢経済大学に入学した。でも別に大学に行きたかった訳でもなく、大学入試と共に「ピアノの調律師」の専門学校の試験を受けた。

ピアノが弾きたかった。うちの姉はピアノの教師で家には小さい頃からピアノがあった。

小学校の頃、日曜日は朝寝坊していたかったのに、姉がそれをさせてくれなかった。いつも姉は午前中からピアノのレッスンをしてて、間違ってピアノを弾くと、

隣の部屋の布団の中で俺は「姉ちゃんちがう〜!次の音はその半音上!黒鍵やろ〜!」とか思ってしまい、気になってオチオチ寝てなんか居られんかったのだ!

実は俺には絶対音感がある。たぶんそれは姉のおかげじゃないかと思う。

俺は自分でピアノが弾きたかった。ピアノの調律師の試験というのは、簡単な音階のヒアリングのテストと自由論文だった。 その時、その論文で書いたのは、

うそのようだが、なんと!!「レッドツェッペリンというバンドが、どのようにスゴイか。」という内容だった。もう内容なんかサッパリ忘れてしまったけど、

たぶんまたこのコラムのように、ゴタクを並べて原稿用紙の枚数を稼いだという覚えがある。 結果は大学も調律師の試験も両方とも受かったが、、うーん。

大学を選んだのは何でやろか? 今となってはよく覚えていないし、その時の気持ちにはなれない。あの後、ピアノの調律師になっていたら 俺は上京してない。

大学に入ってやってたバンドは「アウトラン」というバンドだった。ハードロックだった。この頃は金沢にもライブハウスができて、いろんな企画のライブとか

コンテストにも多く出た。その時のリーダーが、「メンバー全員で東京に行ってプロになろうぜ!」みたいな事を言ってた。でも俺はピンと来なかった。

「アウトラン」は地元でちょっとした有名なバンドになった。コンテストでもグランプリをとったりして、その優勝賞品として地元のレコーディングスタジオで

人生初の「レコーディング」というものを経験した。親に大学の学費を出して貰い、好きなバンドをやり、中3の時からつき合ってた女がいた。ぬるま湯だった。

大学へ行くのは授業を受ける為では無く、学食に飯を食いに行ってたようなもんだった。(かーちゃんごめん。)2年生の夏休みに「ホテル サンルート」という

全国チェーンのビジネスホテルの和食の厨房に入ってアルバイトをした。仕事の内容は、板前さん達が懐石料理を作ったあとの鍋や食器を洗ったりとか、従業員の

まかないの準備を手伝ったりした。学校には行かずに毎日厨房に入ってバイト三昧の日々を過ごした。ここの板前さん達は皆 関西人で、とても可愛がってくれた。

厨房がヒマな時なんかは、「なんか食べたいもんある?うなぎ焼いたろかー?」とか「腹減ったやろ。茶そば作ったろか?大根おろしと、うずら入れんねん。」

随分とウマイもんを食べさせてもらった。「あんチャンなぁ、大学なんか行ってもええことないで〜!手に職を持つのはええよ!本気で板前にならへん?」

と言われ、「俺が 二方(親方の次にエライ人)に話したるわ。板前になりーや!」と言われた。 俺は迷った、、

ロックは趣味かも、、「手に職」というか、ウマイもんを人に食べさせることに興味が沸いたのだ。若い時というのは 時々、訳の分からぬ行動に出る。

その時、俺は確かにこんな事を言ったのだ。「新学期が始まって1週間したら厨房に顔出します。その時に頭を坊主にしてたら、板場に入ると思って下さい。」

9月になった。俺は頭を5分苅りにして厨房を訪れ、板前になる決心をした。 (...はずだった。)

次回、「失恋、そして上京。」の巻。


俺はドラマーになる!

その7.「大阪 飛び越して東京へ、、」

たしか このHPのプロフィールで、「20歳の時、プロのドラマーを目指して上京、、」と書いてしまったが、じつはそんな強い決意があった訳でもない。

20歳の秋、、俺は人生で最初の大失恋をしてしまった。今から20年も前の話なのでハッキリとは覚えてないが、おそらくこんなような事だったと思う。

約束の9月になり、坊主頭で厨房に顔を出すと、「お〜!やる気になったんか。俺が教えたるで!」 ところが、板場修行をしていた俺はその時の彼女に言った。

「大学辞めて板場に入ろうかと思うんやけど、でもいつか大阪に出てバンドもやる!」 もしもタイムマシンがあったら、、20年前の俺んとこ行って殴りたい。

覚悟が無かったのだ! 何とも中途半端な男やったと思う。俺はやっぱりドラムを辞める事が出来なかった。(そんな気がしてたが!そんな気がしてたでしょう?)

せっかく頭も坊主にしたというのに、まるで煮え切らなかった。そして、お世話になった吉岡さん、谷さん、森本さん(板前さん達)を裏切ってしまった。

結局、大学は2年の9月いっぱいで中退し、そして気が付くと俺は、翌月10月の半ばには東京都新宿区西落合(最寄りの駅は新井薬師前)のアパートにいた。

部屋の中には布団とラジカセ、衣類、食器、、なんでそんな事になったのだろう。覚えているのは、女にフラレたという事と「スティック」を「包丁」に

持ち替える事が出来なかった。俺は甘い男、ぬるい湯や!(20年経って自分を責めてみました)俺がもし、俺の彼女の父親ならそんな奴に娘なんかやらんわ!

しかも「東京」って、、大阪どうなった!? 板前はどーした! というか、金沢でやってたあのバンドはどーした!? 記憶が無い。もうすっかり忘れてしまった。

とにかく気が付いたら、新井薬師の6畳、3畳、キッチン4畳、風呂/トイレ別4万7千円(20年前これでこの家賃!安かったな〜。)のアパートに俺は居た。

夜行列車に乗り、(すいません、気が付いたらというのはウソです。寝台列車に乗りました!)10時間位かけて上野駅に着いた。人生何があるか分からんのだ!

たった1ヶ月の間の出来事だった。何が?どうして?どうなって?俺は東京になんか来たのだろう。覚えているのは、父親が「行くんやったら、はよ行け。」と

言ってくれた事と、母親がカツ丼や親子丼や肉じゃがの作り方(レシピ)を 大学ノートに書いて持たせてくれた事だった。父ちゃん母ちゃん、本当に申し訳ない。

貴方のおかげで今 私はここに居ます。あれから20年が経ちました。だから最初の話に戻すと、実際には「20歳の時、上京してからプロのドラマーを目指した」

が正しい。厳密に言えば、「20歳の時、上京してしまったのでプロのドラマーを目指すしかなかった!」という事なのだ。 ...見切り発車だった。

当時の俺はそれを他人や運命のせいにしていた気がする。キツネにつままれたような思いで東京生活が始まってしまった。 あぁ、俺ってホントに無責任な男、、

なんだか、書いてて落ち込んできたよ〜。でも嘆いてる場合やない。その後に色んなものが転がっていくんやから。 次回、「東京でライブハウスデビュー。」


俺はドラマーになる!

その8.「東京でいきなりプログレ!」

東京に出てきた俺は、まず高田馬場にある居酒屋にバイトに入った。 理由は簡単、、食事が付いてたからである。

新井薬師のアパートからは西武新宿線で高田馬場までは1本で、通勤にも便利だった。ものすごい働いた。バンドなんて、、やる気もやるはずも無かった。

人というのはその場その場の環境で生きるしかない。ただ目的も無くバイトに明け暮れていた。年を越して、とある冬の日のこと、、朝方の新宿アルタ前で

当時ラフィンノ−ズだったNAOKIを見かけた。俺が東京に来て最初に見たゲーノージンだった。(ちゅうかミュージシャンか。)さすが東京〜! と思った。

のちにこの男と一緒にバンドをやるなんて、、誰が思うか!?この時の話を NAOKIにすると「あー多分ツバキハウスの帰りやと思うわ。」と言ってたが、、

ラフィンノ−ズと言えばパンクである。俺とは人種が違う。恐かった。でもその時に、たしかこう思ったのだ! 「俺は何しにこんなとこに来たんやろ、、」

俺は池袋のアパートに引っ越し、バイトも渋谷の居酒屋に移った。(何で?遠いよ?池袋と渋谷って!) 渋谷の道玄坂の途中にある「MARUHACHI」という

店の入り口に掛かってる大時計は、当時オープニングスタッフだった俺が掛けた時計である。是非ヒマな人は見に行ってくれ。何の変哲もない普通の時計だが、、

夏になり、ようやくドラムを叩こうかという気になった。池袋の4畳半のアパートの近くに練習スタジオを見つけた俺は(この時点でもう1年ドラム叩いてない)

バイトが休みの日の夜中にそのスタジオにふら〜っと行ってみた。階段にはメンバー募集の貼り紙がたくさんあった。でもその時はバンドを探してたというよりも

長いことドラムを叩いて無かったので、個人練習にでも入ろうかと思っていたのだ。するとスタジオのバイトの店員さんが、「お兄さんバンド探してるの?」と

聞いてきた。「ここ、個人練習出来るんですか?」と俺。「楽器は何?」と店員。「ドラムなんやけど。」と俺。「だったらウチのバンドやらない?」と店員。

「どんな音楽なんですか?」と俺。「お兄さん変拍子叩ける?」と店員。「やったこと無いけど。デモテープみたいなのある?」と俺。「聴いてみる?」と店員。

そのバンドのデモテープを聴くと、それはとても難解な音楽だった。俺はどんな音楽がやりたいとかそんなビジョンがある訳でもなく、ただ一人でドラムの練習が

したかったのだ。そのバンドはドラムが抜けてしまい、もうすぐライブがあるという。「一緒にスタジオ入ってみない?」とその店員に言われたが、果たして、

そんな難解な曲が俺に叩けるんだろうか、、なんせ変拍子だらけのプログレなのである。 おまけに、一年以上も俺は「スティックすら」触っていないのである。

「とりあえず1週間 練習さして。」とその日はスタジオを去ったが、その後、死に物狂いで個人練習をし、いきなりライブを控えたこのバンドに入った。

それは「ローザ」という、プログレ(ヨーロッパで生まれた前衛ロック。イエスとかキングクリムゾンとかの奇数拍子を多様する難解なもの。)のバンドだった。

プログレのドラマ−には、リズムやダイナミクス(緩急)っていう概念だけでなく、メロディックで なおかつパーカッシブなアプローチも必要とされる。

東京でライブをやる、、 俺はドラマーになる!(おお!このコラムのタイトルがやっと出たよ!)

さっそく実家に電話をし、急きょ家に置いてあったドラムセットをクロネコヤマトの宅急便で送ってもらった。だが住んでたアパートは4畳半。置き場所がない!

でもスタジオの店員がメンバーにいたので、そのスタジオの倉庫にセット一式を置かせて貰った。その頃の俺のドラムセットはバスドラムを2個並べ(ツーバス)

スネアが2個、タムが9個、そして何と、シンバルが11枚もあったのだ。(ちなみに今はタムが1個でシンバル4枚ぐらいです。)

このバンドに入った俺は、当時神楽坂にある「エクスプロージョン」というライブハウスによく出演してて、毎回ライブのたびにこの膨大な重戦車のような

セットを持ち込んだものです。「ローザ」は目黒の鹿鳴館や渋谷のエッグマン、そして関西ツアーにも行き、アナログ盤をリリースして精力的にライブをやった。

気が付いたら俺は、、やっぱりまたドラムを叩いていたのだ。 次回、「バンド解散!俺はサラリーマンになる。」の巻。(何でそーなるねん!?)


俺はドラマーになる!

その9.「サラリーマン。」

この頃、世間では「おニャン子クラブ」が全盛だった。 そしてローザは解散した。(関連性なし) しかし 変拍子の魅力に取り憑かれてしまったオイラ。

神大(神奈川大学)の奴等と次なるプログレバンドを始める。神大の軽音楽部の部室にドラムセットを置かせてもらい、毎週日曜にその部室でバンド練習をした。

髪も切ってサッパリした。ちなみにローザの頃は髪の毛が腰まであった。(その時の様子はフォトギャラリーで。日記のどこかに入り口がありますだいぶ前から!)

散々色んなバイトをやったが、この21の時にやってたバイトは写真製版の会社の営業だった。その後は社員になり、毎日朝8時半から夜の11時までよく働いた。

だからバンドは週一の日曜だけで、ライブのペースも月に一回ぐらいやったかな。俺は普通の仕事もやろうと思えばできるのかもしれん。(もう無理やけど!)

お金をためて上板橋のマンションに引っ越しをした。そこは防音設備のしっかりした部屋だった。なんせマンション名が「サンクススタジオ」というぐらいである。

部屋にはドラムの練習パッドを置き、夜中に仕事から帰ると毎日、CDに合わせてドラムの練習をした。ちなみに世の中にCDというものが出始めた頃のこと。

この頃はドラムが上手かったな〜。むやみに手数が多かったと思うわ。ボーカリスト泣かせというか、、グルーヴ 無視! みたいな。

でも、すっかり本業はサラリーマンだった。忙しくて 時間が無いので、ニチレイのピラフ(冷凍食品)をよく食べたなぁ。毎日それだった気がする。

東京で、めでたくサラリーマンになった俺は、いつしか「バンドは趣味程度。」になって行ってしまった。 とにかく毎日、、仕事で疲れ果てていたのだ。

俺は 何をしとんのじゃ〜!

わからん! この頃の事もサッパリ覚えてない。 その後、俺は気分を変えて原チャリを購入し、更に西武池袋線の東長崎という所に引っ越しをした。

人生、時として なんか知らんが「導かれる」という現象がある。気がつけば俺はサラリーマンを辞め、ソイソース ソニックスという、プログレでもなんでもない

ファンキーな16ビートのバンドで「山瀬まみのバックバンド」としてプロの道を歩んでいたのである。

24歳の時の事だった、、。


深夜の学園祭。

先週、俺は旅に出た。秋といえば、旅のひとつやふたつしたくなるのが人情というものである。ところが!!これがまた大変なことになってしまった。

俺は夏に強く、秋や、寒さが厳しくなる冬に弱いことは自分でも承知していたが、例外にもれず、今年もこの秋口にはちゃーんと一度風邪をひいている。

だから恒例の秋の儀式(風邪をひくということ)も終わった、、と思っていたのだ。

しかし その旅先で俺は、何の悪気もない「無垢な学生たち」の手によって、あの地獄絵巻を味わうことになる、、秋といえば学園祭だからだ!(ん??)

旅先で俺は、とある大学の学園祭に足を運んだ。軽音の主催するライブを観たり、サークルの学生たちが作る屋台(露店)のやきそばを食べたり。

昼間からビール片手に「おお!これがキャンパスライフねんな〜。」「俺、大学の頃に部活もサークルもやらんかったし、今日取り戻そう。」(何を?)

結構楽しかったわけで。 だが、その日の夜中、、 急に胃がムカムカし、ものすごい悪寒に襲われ、腹も壊し、何度も嘔吐した。上から下から派手にやった。

まだ、、学園祭は終わってなかった!

俺の身体の中で「ミッドナイト学園祭」が始まったのだ。(キャンパスライフ)

その後、3日3晩と唸り続け、食事も採れずにグッタリ。2日目の晩、、この年齢にして41度近い、40.8度 の高熱を記録。(す、すごい記録だ〜!)

なんとか病院に行って点滴を受けたが、ウイルス性の腸炎と風邪の併発、、みたいなことだった。何だ!? 俺は何を食ったのだ!?その日の行動を思い出す。

もしや、昼間食ったあの無垢な学生たちによる(無垢かどうかは知らんが!書いてる俺のサジ加減だが!)ほとんど「生」に近かった3個 200円の餃子と、

フライパンで「5秒」ぐらいしかあぶってないタコスの皮だったかもしれない。(推測)

この歳でこんなに高熱を出してしまった俺、、脳細胞のかなりの数が死んでしまったのだ。(しらんけど!) かけ算の7の段が危うい。(前からやけど!)

だから、高熱とキャンパスライフは、若いうちに済ませておく事を是非!!お薦めする。


モード。

俺は何故、ここに居るのだろうかと、、このコラムを書いてて、ふとこんな素朴な事を思ってしまった。

そもそも 俺は田舎もんで、おまけに保守的な性格の人間だったから、都会に憧れるという事も全く無かった。今だって「東京の水はまずい!」と思う。

秩父かどこかの山の方で、ロクロを回しながら陶芸をやり、趣味でドラムを叩いてても良いのだ。 守りに入ったか!?

もともと俺は守りの人間。なんせ動物占いはコアラやから。どうやらコアラというのは「ボーッとする時間」というのが必要らしい。

そうやって休んでる間に、次への活力を養うという事なんだそうです。 そうかコアラか〜。

そんな俺でも、バンドをやってきて培った事だと思うが「モード」というものがある。ドラマーとしてのスイッチはひとつ持っている。

よく、ドラマーは「叩いてる時は無心、、」と言う人がいる。(坊さんじゃあるまいし!)俺の場合は「煩悩フル回転!」である。(俺の場合)

俺は普段からよく考える男だが、演奏中にも それはそれは色んな事を考える。しかも音楽的な事ばかりじゃない。ハワイの事を考えた時もある。行った事ないが!

いつだったか、、前に日記でも書いたが、小学校の算数の問題で「バスタブに毎分何リットルの水を入れ、下からは少し水を抜く。線まで水が溜るのは何分後?」

という、算数ドリルのあの問題を演奏中に急に思いだし、「何で水抜いたん?」とか「何でお湯じゃなくて水やったん?風呂なのに。」とか思ってしまったのだ。

俺には集中力がない。あんまり曲に没頭してる事なんてないかも知れない。(あれ?モードとかスイッチの話はどこ行った??)

でも俺だけかと思ったら、意外にそんな奴も周りには居たのだ。 だからコレでいいのだ! ←(このへんがコアラか?)

他には、「シンバルが倒れてきて目に刺さる!」とか「ガスの元栓しめ忘れてきて家が全焼!」とか。冬に熱帯魚を飼ってた時、水槽の中のヒーターが故障して

今ごろは「魚が全滅!」とか「エビすらも全滅!」とか(俺、ホントにO型か!?)そんな事を心配しながらも、「うおぉ〜!!」とドラムを叩くのである。

俺の生きてきた人生はロックでも何でもない。 俺はサービス精神旺盛な職人ドラマーだと思っている。

音楽に限らず、ロックンロールな生き方をしている人にはとうてい勝てない。実はそれがコンプレックスだった、、

「もぉ、俺 全然ロックじゃねぇなぁ。壮絶な生きざまに憧れたところで無理やなぁ、、でも俺やしなぁ。」最近になって、やっとこう思えるようになってきた。

要は、モードやスイッチを持っていれば良い(ホントに持っているのか?)という事にしておいた。(仮) ←(このへんもコアラか、、)

たぶん俺は一生、ロックな奴に憧れ続けてゆくのだ。「草食系のコアラはドラムスイッチが入った時、そこで肉食になれば良いのだ。」という結論か。

あぁ、一生コアラでいい。むしろコアラがいい!(開き直ってるかも)よく見たら、意外にあいつら目つきが恐いのだ。(恐いのがエライんかい!)

このいい加減さは、人にドラムを教えるようになって分かった事である。


死後の世界。

年末です。

改めて思ったが、 俺は今、「AD2004年」という時代に生きている。 たしか、生まれたのは1964年だった気がするんやけど。

特に今年は時間の経過が早かったな〜。そして、地震や台風などの 自然災害の多い年でもありました。友人の竜司という男がBBSにも書いてくれたけど、

ここまで来たらもう運勢とか、その人の生まれた星座や血液型とか、何もかんも関係ないね。無差別に人が死んでる気がする。世の中がおかしなことになってるわ。

タイのプ−ケットなんて、過去には地震なんか無かった地域らしいし。死者7万人て、、俺の住んでるこの東京なんか地盤もゆるいし、年末になれば決まって

何の調整なんか知らんが、無駄に道路を掘って埋めてオマケに金欲や性欲が渦巻いている「悪に満ちあふれた街」なのに。今にきっと、しっぺ返しが来るんやろか?

災害によって死んでしまうのは不本意なことです。その人達にはこれから未来に向けての色んな予定もあっただろう、、自分的には予定外の死だっただろう、、

死後の世界はあるのだろうか?俺には分からない、死んでみないと。でも人はいつか死ぬのだ。それが「どんな形で死ぬのか」が、人としての問題なんやろと思う。

不本意に死にたいと思う人などは居ない。人それぞれで良いと思うが、俺は死ぬ前に「何か残さないと、、」と思うタチかも知れない。

人間の本分として「子孫を残す」という事が言われたりするが、「人類の繁栄」というのは、神から与えられた唯一の仕事なのかも知れないとは思う。

お金を残したところで お墓に持っていける訳でも無いし。前に聞いた話だが、なんでも死体と一緒に埋葬できるものは「燃えるものに限る」だそうで、、

お金は燃えるが、燃やしたところでお金としての価値は無い。多分、それは子孫の為に。そしてCDというのは火葬してはイケナイそうだ。(燃えないから)

一応ミュージシャンとして思った。作品や演奏は残したが、そういうのは一瞬、、それは人の記憶にしか残らない。俺は記録より記憶を残したい。

これまで俺のアイデンティティーは過去にあった。これまでは様々なトラウマを抱えて生きていた。ノスタルジックな男だったのだ。

しかしこんな世の中、、そんな事さえも、もしかしたら無意味なのかも知れない。だから来年に向けての抱負として「ふてぶてしく生きてみよう」と思った。

もうそれしか無い。


ノンタイトル。

先日、、渋谷のクアトロに、俺が以前 参加してたCOBRAのライブを久々に観に行って来た。

その日は COBRA 対 SA という、日本を代表するパンクバンドの出演だったが、シークレットで、トップにラフィンノ−ズ が出演。

ものすごい数の客だった。 やはり、このメンツが集うとこんなにも客が入るのか!

パンクのカリスマギタリスト、ナオキという男がいる。今はSAというバンド(実はもう4年目やて!早っ!)でギターを弾いてるが、奴のバンド遍歴というのも

まず、COBRA〜 ラフィンノーズ〜 再びCOBRA〜ドッグファイト〜 再びCOBRAでメジャー復帰。 奴はその日に出たバンドの全てに在籍している。

いわば、この日は「ナオキちゃん祭り」だったのである。

この男は、ずっとパンクをやり続けている。というか、ずっと「バンドのギタリスト」にこだわっている。俺のように 誰かのバックでプレイするわけじゃない。

自分のスタイル、信念を貫き続け、どこに居ようが 誰と組もうが「ナオキ節」なのである。 どこを切っても金太郎飴のようにナオキ先生がいる。

金髪を20年以上立て続け(ようハゲんなぁ!)酒の席はいたって楽しく(ホントにようしゃべるし!)サービス精神旺盛で皆におしぼりを配り、灰皿を取り替え、

ツアー中の機材車では絶対に助手席に座り、移動中は一睡もしない。(何で寝ないん?!寝ろや!)パンクロックとウォッカ、そして女子アナを愛する男、、。

あ、一個だけ分からんわ! 滞在するホテルでフロントにカギを預ける時の、あの乱暴さ。(カギを放り投げる)あれだけはようわからん。

だいぶ前に日記でも書いたけど、俺が東京に来てまず最初に見たミュージシャンはナオキだった。 当時、ラフィンノ−ズでテレビにガンガン出てた奴を見て、

「お〜!さすが東京、芸能人 見てしもた〜!」という具合だったが、のちに入った事務所にCOBRAが居て、「うわー!またナオキや!」と思ったら、実は

家も近所だった、、みたいな。(歩いて20秒)よく近くのローソンで立ち読みしてる所に出会い(俺は肉まんを買いに。)通ってるジムも同じ。後に何の因果か

知らんが、COBRAに加入する事になった俺は「東京で初めて見たミュージシャンはアンタです!YOSHIROですヨロシク!」 やっと自己紹介をしたワケで。

今日、俺は一体何を言いたいのかと言うと、やり続けることの素晴らしさ! そして信念こそが人生においては何よりも財産なんじゃないか、、という事です。

ライブ後、ナオキは楽屋で「めっちゃ楽しいねん。もうそんなん、金とかやないねん! 自分がどうあるべきかやねん。」 と、リアルな一言。

それを実践してきてる奴にはかなわんよ。かっこええなーと思った。(こんなんを語る俺がこっぱずかしくて熱くてかっこ悪いが!)俺は刺激されてしまったよ。

人というのは謙虚でなければならないと思う。身近な人間には影響されるものである。それを縁と言うのかも知れん。縁があったからたぶん今の自分がある。

でも、例えば前菜があって、ひとつひとつ与えられた料理を食べこなし、全て食べ終えた後で、死ぬ前に「うまかった〜!」と思えるぐらいが 丁度良いんかも。

自分の人生にタイトルをつけるとしたら、ノンタイトル。 俺にはまだ思い付かない。

そして、謙虚さと信念。これがなかなか難しい。


シンプル生活。

最近、前向きに心変わりをしてしまい、ちょっと「自分の生活」というものを見直してみた。

相変わらず、朝寝て昼起きるという生活をもう、かれこれ十何年も続けているが、わりと普段から部屋の掃除や洗濯などはマメにやっている。

もともと整列されて並んでるもの(イクラとか?)が好きで、その中でも特に四角いものが好きだ。そのせいか最近のクルマのあのデザインはどうかと思うわ!

あれは何なんやろか?! デザインの幅が無い! 今の車はみんな似ていて区別がつかん!

そして俺は物欲が多い。つい、余計なもんを買ってしまう。それを買っている瞬間は別に「余計」ではないからだ! でも、やがて時間が経つといつも思う。

「何でこんなもんこうてしもたんやろ?」という事に気付く。マジンガ−Zやグレートマジンガ−やミニカーやオマケを見るとつい買ってしまうような性癖がある。

もうやめよう、、そんなもん持っててどうすんだ!?

ちゅうか、いつまで持ってるんだ!?

捨てました、、シンプル生活の始まりだった。 今 必要なものだけでいい。 極端に言えば、

衣食住に関わるものとドラムセットだけでいい!

と思い、まぁよく捨てたもんだ。 というか、よくもまぁ、こんなに無駄なものがあったもんだ。 家の中の「おそらく持ってても、使わないだろう見ないだろう」

的なモノを、ゴミにしました。掃除機すら捨て、(カーペットのコロコロで充分!)食器を半分に減らし、聴かないCDや本を捨て、カセットテープを整理し、

着ない服を捨て(ちょっと捨て過ぎた!)昔の女から貰ったものも捨て(前向きやな)マジンガ−Zを片付けた。(おい!!捨てろや!そのマジンガ−Zを!)

もはや俺の部屋に金目のものはない。無いのだ〜!!

押し入れの中を開けてみるのが恐かった。ここはもう何年も開けて無く、雑誌や手紙、ドラムの細かい部品、もはや再生できない昔のベータのビデオテープ、、

その中からこんなものが出てきた。

これは、、aikoのツアーの最終日(渋谷公会堂)のドラムソロで使った「巨大スティック!!」 かなり重い。これでどうやってソロをやったのか!?


春の小旅行。

都会の生活に疲れてしまったのか、(ウソつけ!普通の人より暇やろ!)俺はフラっと出かけてしまったね。

幸い粘膜が強いのか、花粉症とは無縁の俺は、とにかく西を目指した。(意味分からんわ!) この春の日射しに誘われて、、(なんか、文章ヘタになったな。)

一週間ほど 春の小旅行を満喫して来ました。 そこでレンタカーを借り、(チャリやけど!)サイクリングに行き、とある川沿いでビールを飲んで花見三昧。

夏も良いけど、春というこの季節も良いね。その川には犬が多く、まさに「犬祭り」だった。コ−ギーという種類の犬が居るが、あの犬は何故かシッポが無い。

飼い主に聞くと、小さい頃にシッポを切り落としてしまうそうだ。何でそんなことをするのだ!? 俺はイヤだ!! ちゃんと飼い主が説明してくれたのだが、

酔っぱらっていたので その理由を忘れてしまった。俺ならばそんなことはしない。その様式美はナンセンスと思う。ワンちゃんがかわいそう〜!!

旅にはスティックを持って行ったので、とあるバンドのセッションにも参加、立ち寄った ジャズ/ブルース系のライブハウスでライブを観て、挙げ句 泥酔した。

その地で、、こんな看板を見つけてしまった俺。

素人料理「茂」

シュールだ、、素人が料理を作り、それを商売しているのか!? なにも俺的には、この「茂」さんを責めるつもりはない。ただ 驚いたのだ。その堂々たる心意気と

そのようなジャンルが、あの割烹業界に(そう呼んで良いのかどうも分からんが)あったことを。板長が「茂さん」かどうかも、、「割烹」かどうかも怪しいけど。


ぶったまげた!

先日、、とある専門学校から「ドラム講師をやって欲しい」という依頼があった。

その学校では 来年度から本格的にミュージックコースというのが設立されるらしく(今はまだ出来てない)在校生 そしてオープンキャンパスに見学にくるという

来年度に入学してくる高校生を対象に、ドラム学科で隔週で日曜日に ドラム講師をやってくれという事だった。

東京郊外にあるその学校は、ウチから電車に乗り(快速で一時間以上もかかったけど、、果たして、ここはまだ東京都なのか!?)

電車の終点のその駅からは、さらにタクシーで30分、、やがてタクシーの運ちゃんが 山の上を指差し、「あれですよ!」と言った。

俺はビビった! な、なんと! 前方にそびえ立つ その山の上には、まるでマジンガ−Zに出てくる「光子力研究所」のような巨大な施設が見えたからだ!

正門に着いたと思ったら、、そこから本部棟まで更にタクシー。

広大な敷地面積だ! 学園内には幾つもの建物があり、体育館、プール、サッカー場(国際試合が出来るほどの豪華さ!)ボーリング場(ボ、ボーリング場!?)

マクドナルド、サンクス(コンビニ)、牛丼の吉野屋(ソースカツ丼という特別メニューまであったぞ!) 本当に学校か!? ちょっとした街じゃねーか!?

ヘタに「お台場」に行くよりも楽しいかもしれない。ちなみにボーリング場は小さいのかな? 先生に「あのぅ、何レーンぐらいあるんですか?」と聞いたところ、

「10レーンぐらいありますね。」 それって、フツーに街のボーリング場じゃねーか!! 後でこの学校の生徒に聞いたが、この学校の敷地の広さというのは、

全部で 東京ドーム8個分!!

本部棟と他の建物の間には 木々が鬱蒼と生え繁り、森の向こうには(もう森と呼んで良い!たのむから そう呼ばせてくれ!) それぞれの学部ごとに別棟があり、

教室間を移動するにも 軽く10分はかかるのだ。 午前中に2時間、午後に2時間 授業をし、その間に昼食をとった。

「よしろーさん、学食に行きましょう!」と言われ、おぉ、懐かしや! 生徒に「学食は何がおいしいの?」と聞いたら、「ステーキです。おいしいですよ!」

と言う。 ほお〜!きょうびの学食にはステーキなんかあるのか、、贅沢やなぁ。 俺が大学(中退ですが)の頃はカレーとか、らーめんとか、素うどんとか、、

そんなんやったなぁ。お金が無くて、うどんに天ぷら乗せようかどうか2時間ほど悩んだりしたよなぁ。ずいぶん時代は変わったんやなぁ。それともこの学校が

異常なのか? エレベーターに乗って(とにかく広いので移動が大変!)学食がある別棟に移動し、昼食をとることにした。(生徒も一緒。)

すると! そこは「学食」とは名ばかりの、、

銀座「スエヒロ」だった!!

「銀座スエヒロ」とは、ステーキ、しゃぶしゃぶの、あの有名店である! そんなバブリーなものが 学校の中にあっても良いのか!?(あるんだから仕方ない。)

しかし これを学食と呼んでよいものかどうか、、でもちゃんとトレーを持って順番に並び、厨房の中ではオバちゃんたちが調理しているんだから仕方ない。

システム上、学食と呼ばざるを得ない。俺は混乱し、狼狽した。これはある種「学食」の仮面をかぶった「ステーキハウス」という名の悪魔ではなかろうか!?

もちろん、味だってレッキとしたあの銀座スエヒロなのだ。(スエヒロ行ったことないけど!)牛フィレステーキは しっかりと美味しくいただきました。

東京の郊外に、あんなものすごい学校(もはや要塞!あるいは 郡とか都市と言っても過言ではない。)が存在することを 世の中の人々は知っているのだろうか。

先生から聞いたのだが、なんと!敷地内には日本庭園まであるらしい。果たして、、その庭園とやらには そんな半日やそこらでたどり着けるのだろうか、、。

帰りの送迎バス(無料)に乗った時、、さらに! 学園内に 川が流れていることを発見!!

おいおい、ここは「こち亀」の中川邸か!!

と思ったのでした。

学園内の一部 !(ほんの、、一部です)

一見、絵のように見えるが、、実際に俺のケータイの写メールで撮った、学園内の「ほんの一部」です。

サッカー場。

何故だー!! コレが学生の娯楽の規模の範囲かっ! と思ったら、、J-リーグのサッカー選手が練習にくるそうです。 何故、、そんなものを学園内に!?

教員棟。

正面に見える建物、、どう見ても俺の目には、マジンガーZの頭にしか見えん。(パイルダーー!! オン!)

学園内のコンビニ「サンクス」には、、何と! 原チャリまで売られていたのだ。

原チャリなんか売ってるコンビニ、、聞いたことないわっ! ちゅうか、学生が「これください。」と言って、休み時間にバイク買うんかい!?

これが!「銀座スエヒロ」という名の仮面をかぶった悪魔、、もとい、「学食」のメニューなのだ!

俺だったら、授業中に抜け出して このステーキを食うだろう。毎日!!


2006年. あけおめ!

新年あけましておめでとうございます。 今年も宜しくお願いしますよ!

お正月は実家のある石川県に帰省してました。 大体 いつも盆と正月に帰省するんですが、東京に戻ってくる時に新幹線が東京駅のホームに差しかかる瞬間、

「あぁ、俺はついに上京してしまうのか〜!」と思う。しかも毎回! 一週間も実家に居ると、もうすっかりリセットされてしまうねぇ。

俺、もう20年以上も東京に住んでるのにね。まさか東京に自分の家があるとはとても思えない。ほんとにあるんだろうか? そして家に着いてやっと実感する。

見慣れた家具やら自分の布団、テーブル、パソコン、アナログレコード、、年末に家を出てくる時に洗い忘れた、飲みかけのコーヒーカップがそのままだった。

そうか!俺は東京に住んでたんか、、毎度こんな風に思う。家に着くまで不安。俺の東京の歴史って何だったのだ!? ギャグなしでこの感覚は今だに続いている。

そして帰って来て、玄関の前に見た事がある黒ネコがいると思ったら、、ミ−ちゃんだった。

俺はこうして帰省から戻ってくると、色んな事を1つ1つ確認しながら いつもの生活を思いだし、社会復帰する。

俺の実家の石川県の小松市という所は、東京から新幹線で西に走り、京都の手前の米原(まいばら)という駅で乗り換える。

正月に帰れば、ここからは決まって雪景色。今年の冬は久しぶりの大雪だった。窓の外の凍った琵琶湖を一望し、北陸本線の「しらさぎ」という電車に乗り継ぐ。

うちの田舎は雪国なのに、何と「JR西日本」なのである。うどんは関西風、「吉本新喜劇」で育ち、原田信郎の「MBSヤングタウン」を聴いて育った。

実家で過ごす時間はゆったりしてて、1日がとても長い。そのせいか、夜の11時にはもう眠くなる。

普段東京で生活していると、例えば飲んでたり、スーパー(西友)で買い物してたり、まだスタジオに居てレッスンしてる時間なのに、、

家の周りは田んぼが広がる のどかな田園風景で、ヘタすると夜は外燈も無く、辺りは真っ暗になる。夏なんかは家の周りでカエルが げこげこ鳴く。

東京に出て来る前は、ここらにコンビニなど 一軒も無かった。(今はもうそこら中にある。)

閑静な場所に24時間のコンビニ、、田舎の夜は早くてみんなもう寝静まっているのに、夜中に人なんか来るんだろうか? あれが不思議で仕方がない。

家族と一緒に温泉に行き、父親の背中を流し、雪を見ながら露天風呂に入った。田舎はいいなぁと思った。

都会と比べれば、生活のサイクルも違えば刺激も無いが、やっぱり田舎はいい。やる事も何にも無いけど、里帰りした時にはいつもそう思う。

俺はここで育ったんだなぁって確認する。

正月映画を観に行った。「キングコング」をみた。何だか笑えて仕方なかった。恐竜たちが「ドドドーッ!」っとエサ(人間、あるいは共食い)に向かって

必死に走る姿が可笑しくてたまらんかった! 最後は悲しい話だったけど、アレ意外にお勧めですよ!

帰ってきて一夜明けて、朝起きて玄関のドアを開けたら、ネコたちが3匹、「うにゃぁ〜!」っと入ってきた。寝ぼけてて、一瞬ここがドコなのか分からず。

そうか!もう東京なんだっけ。 長い間 留守にしてて、そして、あぁ、悪いお父ちゃんでごめん!

朝方、母親から「お正月は来てくれてありがとうね。賑やかになりました。」とメールが。 かーちゃん、悪い息子でごめん。

加賀百万石の郷土料理。『じぶ煮』

お正月に帰ると必ず母親に作ってもらう。醤油ベースで あんかけ状の汁もの。かしわ(鶏肉)を片栗粉でまぶしたもの、ほうれん草、タケノコ、どんこ(シイタケ)そして「すだれ麩」という たぶん地元にしかない麩(ふ)が入ってて、わさびを溶かして食う。これが何ともウマイ。俺は死ぬ前に絶対リクエストする予定なのだ。

窓の外は雪景色。

こんなとこで育ったくせに、寒さに弱い俺。

罪ほろぼしに、、

ネコのビスケットとマタタビをやりました。

(2006年.1月8日更新)


本の虫。

最近、秋でも無いのに本を読みあさってる。 小説が多いが、ちょっとでも時間があれば本ばっかり読んでいる。

大体この波は年に2度ぐらいやってきて、テレビを全く観なくなる。 電車に乗っててもずっと何かしら本を読んでいる。

もしかしたら自分にウケる楽しいネタを探してるんかも知れん。

本屋でふと何気なく手にとった怪しい一冊の本がある。 ニ−ル・ドナルドウォルシュの「神との対話」だった。 俺は昔から「あやしいもの」や

「不思議なもの」にはとっても興味があった。お化けだとかUFOとか、、自分の理解の範囲を超えているモノが好きで、それはただ好きなだけで、

特定の宗教は持ってない。 うちなんかは、日本人ならどこの家庭でもやってる(やってるっちゅうか、なんちゅうか、、)いたってフツーの仏教で、

地味な浄土真宗だし。なので決して死後の世界を信じてない訳では無くて、むしろ、例えば「宗教ってもんが俺らにとって何なのか?」っていう事に

とても興味があったりする。 小さい頃は親に「そんなことしとったらバチ当たるぞ!」と言われたら子供心に神様がやっぱり恐かったし、

ミミズにオシッコをかけたらチンコが腫れた奴が実際にクラスにいて(西田くんや!元気かな。)「やっぱり、そーゆーことしたらバチ当たるんやわ〜!」

と思ったこともあった。「悪い子はおらんか〜!」と、秋田県に伝わる「なまはげ」をテレビで観て、「子供泣いとるし〜!何でわざわざそんな怖い思いを

させるんやろうねぇ。」とか思ったし、(鬼の中身がたとえ町内会のおじさんだと分かってても!)

べつに「悪いことしてない子」まで、いっしょくたに脅かされているさまを見て、「悪い事をする前からいましめか?これじゃ無意識のうちに、

なまはげが幼少のトラウマになっちゃうんじゃねーの?」と思ったりした。「悪い事をする=悪魔がやって来る」という、「恐れ」を植え付けられた。

幼稚園ぐらいの時、道端で歩いてる猫を見て「あのネコ、何で電池無しで動くんやろ?」とすごく思った。

親に聞いたら「心臓があるからや!」と言われたが、「じゃ、心臓はなんで電池がなくても動くん?」と素朴に思った。 動力源が知りたかった。

そのあとで「そう言えば俺の心臓って、なんで動くんやろ?」と思った。(でもなぜかネコの心配の方が先だった、、)

俗に言う「迷信や風習や たたりや神様を信じ、何故それらに背くとヒドイ目に会っちゃうのか?」という根拠を探してた。

「そういうもんなんや!昔から決まってるんや!」って事じゃなくて、俺はそのしくみを知りたかった。

それは「神様」や「先祖」の霊の逆鱗に触れ、怒らせてしまうから、と教えられた。 物理学や数学や化学の分野ではある程度は証明できてても、心理学、

神学とか、霊的なものの証明は未だに何にも解明できてない。誰も説明できない。「宇宙人」や「人の運命」なんかもそうだし。 目に見えないから。

なのに何故、占いは流行るのだろう。くるった世の中の不安感から心の拠り所を求めるという、ひとつの「心理学」なんやろか。

心理学って何?人間ってそんなに弱いん?俺は数字で割り切れたりする「こうだからこうなんですよ。」と、納得できる確かなものが欲しかった。

たたりだとか、悪だとか、あるいは善だとか、そんな見たこともない言い訳なんかでは、俺は何にも納得できなかった。

今のところ、俺は音楽家という人生を送っている。 これを長年やってきて、音楽というもののマジックを知っている。「音楽」は「音学」とは書かない。

もしかしたら同じように物理学は「物理楽(がく)」心理学も「心理楽」、じつは数学にいたっても、「数楽」なんじゃないんかなって思ったことがあった。

本屋で「神との対話」という一冊の本を見つけた。(サンマーク文庫という所から出てます。)

何じゃい、これは!?うさん臭いタイトルやなぁ。新手の宗教か?!と思って何となく読んでみた。 面白い!びっくりした!これは是非おすすめです。

この本に書かれてることは俺もまだ疑ってるし、これをフィクションやと思っても良いと思う。それも良し。

でも、俺の中で今まで分からんかった事が全部 解明されてしもたよ。

(2006年.1月19日更新)


俺 史上、最高アルバム完成(予定)の巻。

レコーディングは、

練馬の「エルムンドスタジオ」という、手作りっぽいスタジオでやりました。じつはウチからそんなに遠くない。(バスで20分ぐらい)

もうすぐ完成!(まだやってます)

あとわずかで AKIMA & NEOSのニューアルバム(タイトル未定)が完成します。

去年の12月から始まったレコーディングも、

やっとミックスを少しと、あとはマスタリングを残すのみとなりました。全10曲入り。かなりイイ感じのドラムサウンドで録れてます。(5月9日 発売予定)

使用した機材。

今回使用したのは、デビューの頃に使ってた80年代のパールのセット。倉庫に眠ってたもともと深胴だったタムとバスドラを、浅胴に改造した(ぶったぎった!)ヤツを使いました。

懐かしい「カムコ」のチェーンペダル。 全曲、TAMAのブロンズ製スネアを使用。

*スネアのヘッドは「アクエリアン」の「Super2」という新製品。(ドラマーの皆さん、超オススメですよ!)

2枚重ねシンバル。 折れまくった スティックの残骸たち。

手造りのスタジオ。 映画の簡易セットのような畳の部屋もあり。

ベースのやまも(趣味はカエルグッズ集め)

畳といえばヤカン! となりに見えるのは何と!「ヤカン型アンプ」。

ちゃんと音が出る! フタを開けると中身はこんな感じ。

今度は是非、「電子炊飯ジャー型アンプ」とか、「オーブントースター型アンプ」とか作って欲しい。

そんな「やまも」の道具箱。

フタの裏には伊東美咲。 そうか、好きか! 俺も好きだぞ、、アヤパンの次の次ぐらいに!

ギターの吉本っちゃん。

何だかんだ言って、この畳の部屋、、皆で重宝してます。

エンジニアのテルくん。

キンキ.キッズの堂本光一に似てると思うのだが、、なんか、どうやら俺だけやったみたいやわ!(誰もそんなこと言わんのだ!)

テーブルの上には、、

ハッピーターンとウルトラマンのフィギュア。 右手から発射されようとしてるのは、たしか「八つ裂き光輪」とかいう技。(俺の記憶が正しければ、、)

ゲストプレーヤーに、

今回、イエローモンキー等でお馴染みのキーボードの三國さんに 何曲か弾いて頂きました。

インドの楽器も使用。

シタールを弾く秋間さん。(「世界の縮図」という曲で使用)。似合い過ぎて、その後10センチぐらい空中浮揚してたね。

コーラスのナオちゃんと チエちゃんの名コンビ。

コーラス入れは場所を変えて、新宿のバズーカ スタジオでやりました。

ナオちゃんカッコイイぜ!(ジョ−ンジェット似)この2人、お互いの事を、「とうさん」「かあさん」と呼んでいる。

(2007年.2月10日更新)


今さらですが、、リリース情報。

もう、だいぶ時間が経っちゃったのですが、、

田村(Sho-ta)直美 デビュー20周年『20th anniversary』の CDとDVDが発売されてます。(言うの遅ぇよ、、)

しょーたさんは元々、同じ事務所(パブリックイメージ)の先輩で、バンド「Pearl」でデビューしてから、はや20年が経つというのです。

自分のやりたいこと(音楽)を、ずっと信念を持って歌い続けてきたのは凄いことだ。 言うのは簡単だが、、凄い精神力だ、、

俺はバンドでデビューして解散して、色んなアーティストのバックやって、またバンドやって。ファンクやったり、パンクやったり、プログレやったり。

節操がない。ドラムを続けてきてはいるものの、一箇所に留まってない。その間も しょーたさんは、ずっと「Pearl」であり「田村直美」なのである。

このDVDを観てて思ったが、年を重ねることの意味や意義や、何物になりたいかを自分で見つけて選び、それと向き合ってやり続けてきたという事実。

もしかしたら、辞めなかったのではなく、辞められなかったのかも知れない。そんなことを自分の経験と重ねて思ったのだ。

初めてしょーたさんに会ったのは、今は無き 新宿の「日清パワーステーション」だった。 デビュー前だった俺は、リハの後にマネージャーに連れられて、

事務所のイベント「パブリック祭り」(そんなタイトルじゃないな、、)でその姿を見たのだが、あの時「歌をうたう人間」のオーラというのを見た気がする。

最初に一緒にやったのは、本木雅弘のツアー。しょーたさんがモッくんに曲を一曲書いてて、東京のライブの時にゲストでステージに出てくれた。

その後、田村直美としてヒット曲を出した頃、音楽番組やプロモーションのライブでドラムを叩くことになり、手術して復帰した後もツアーをやらせてもらった。

俺は勝手に、この人にブルースみたいなものを感じている。

あ、俺も来年、音楽生活20周年だよ。

* 赤色の曲に参加しています。

CD

YZGT-0002

DISC 1

1 Love Songを (2006 Ver.)
2 One Step (2002 Live Ver.)
3 Cool Down -特別な愛の詩- (2002 Live Ver.)
4 Bluesをやらないかい (2006 Ver.)
5 センチュリー・トイズ (2006 Ver.)
6 No One Sees No One Hears No One Speaks (2004 Live Ver.)
7 自由の橋
8 永遠の一秒
9 ゆずれない願い
10 Stairway
11 千の祈り
12 光と影を抱きしめたまま
13 Us ~空と大地の間で~
14 Wild Sensation
15 Thanks A Milliom

DISC 2

1 All You Need Is Love
2 "有名人 ~Take Care Boys, Watch Out Girls~"
3 "虚ろなリアル ~Lay Your Hands On Me, Baby~"
4 ジェラシーに気をつけろ ~Jealousy~
5 Cut Of Love
6 春夏秋冬
7 Realize
8 揺らぐことのない愛
9 Heaven's Here
10 Twister
11 The Piece Of Peace
12 Everybody Run On A Bumpy Road
13 Love Has Changed My Life (新曲)
14 I'm Liar (新曲)

15 キセキ

DVD

YZGT-8001

DISC 1

1 Love Songを
2 One Step
3 Gold Rush
4 誓書-バイブル-
5 Big Apple
6 No One Sees No One Hears No One Speaks
7 Still Special
8 自由の橋
9 ゆずれない願い
10 1995 / 2 / 26~3 / 15 Los Angels / U.s.a.「n'」recording
11 Us~空と大地の間で~
12 すべての未来に光あれ
13 Touch Me (PV)
14 Blood, Sweat & Guts (PV)

15 Celebration~しあわせいつも降り続きますように
16 What Going On
17 The Love You Save
18 Thanks A Million

DISC 2

1 Everybody Tears ~すべての矛盾を愛せ~
2 Oh, 現代のblues ~all Believers~
3 虚ろなリアル ~lay Your Hands On Me, Baby~
4 Wild Sensation
5 Sweet 7days
6 Dusty Road
7 New Style
8 No Baby No Cry
9 Realize
10 2002.12.4 名古屋 / Electric Lady Land 「live A Go Go! 002」 Live Digest
11 Silver Spoon
12 揺らぐことない愛
13 One Step
14 2005.3.27 東京 / 亀戸サンストリート Live Digest
15 2005.11.21 名古屋 / ヤマギワソフトナディアパーク In Store Live Digest
16 Feel So Down (LIVE映像)
17 2006.7 「i'm A Liar」 (レコーディング風景)

18 キセキ

(2007年.4月5日更新)

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